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「すべての成績は、国語力で9割決まる!」を読んで(2) as/1358.html
森川林 2011/09/22 18:40 



 昨日の記事からの続きですが、西角さんの本を離れて、対話と意欲の話になります。

 勉強の意欲というものを考えた場合、高校生以上は、勉強の意義を自分なりに自覚して意欲を持ち続けることができるようになります。

 しかし、勉強のいちばんの土台を形成する小中学生のころはそうではありません。この時期は、勉強の内容も基本的なものが多いので、勉強自体はそれほど面白くはありません。また、小中学生のころは、勉強の意義というものを理解してそれで意欲を持つということもできません。

 小中学生の意欲は、勉強の意欲も遊びの意欲も、すべて集団に所属したいという仲間意識から来ています。

 近代の学校教育が、子供たちの集団意識をうまく活用できたのは、学年別にクラスを作るという仕組みがあったからです。学年別の同質集団で、同じ学習課題を勉強するということが、クラスに対する子供たちの帰属意識を生み出していました。先生の役割は、その帰属意識を高めて子供たちの学習に対する意欲を高めることでした。

 しかし、学校を取り巻く社会が、文化的にも経済的にも同質である場合は、学年別クラスも同質性を保つことができましたが、やがて、社会が豊かになり、経済の格差が生まれ、社会の同質性が崩壊してくると、学校の学年別同質性に基づいた意欲づけも機能しなくなってきます。

 現在の学級崩壊という現象の背後には、同質性を失った社会と、そのために同質性を失った学年別クラスにおける集団意識の形成の難しさというものがあります。

 欧米流の近代教育は、この解決策を、社会の経済格差に合わせた同質性の回復という形で実現しました。欧米では、公立学校は、貧しい家庭の、学校選択の余地のない子が行くところになっています。経済的に恵まれた家庭の子供は、その恵まれた度合いに応じて私立学校に進みます。その私立学校において学年別クラスの同質性を確保し、勉強に対する意欲を持続させる仕組みづくりをしているのです。

 日本においても、事情は同じです。戦後のみんなが等しく貧しいころは、だれもが同じ地域の公立学校に通い、同じような経済的文化的水準の子供たちが、同じ一斉授業を受け、その授業の中で同質化した集団との一体感を感じて勉強をしていました。

 しかし、日本の社会が豊かになるにつれて、公立学校に通う子供たちは多様化していきます。小さいころから習い事に行き学年よりも先の勉強をしている子もいれば、家庭の中で読書の習慣がなくテレビやゲーム漬けになっている子もいれば、地域のスポーツクラブで毎日スポーツ三昧の子もいます。こういう子供たちは、小学校低学年の時点で既に一斉授業の枠に収まらなくなります。先生の指導の工夫以前に、子供たちの集団の質そのものが変化し多様化しているのです。

 私立学校志向は、このような同質性の失われた豊かな社会を背景にして生まれました。ところで、そこで新たに形成された同質性は、受験を基準にしたものです。すると、その集団に対する帰属意識を子供たちの意欲に結びつけるためには、テストのランキングが最も効果的な方法になります。そのために、大人は、勉強に対する意欲づけというと、すぐに競争を強化することを考えてしまうのです。しかし、競争は単なる一つの表面的な手段にすぎません。子供たちの勉強の意欲は、もともと競争の勝ち負けの中にあるのではなく、集団の仲間意識の中にあるのです。

 学校という集団で行われているのと同じことが、より目的の絞られた形で、学習塾でも行われています。学習塾における子供たちの意欲づけには、志望校に合格させるためのノウハウ、競争による刺激、先生の熱心な指導などを欠かすことができません。

 それらを当然だと思う人がほとんどだと思いますが、江戸時代の寺子屋教育では、ある意味で正反対の教育が行われていました。つまり、寺子屋では、志望校に合格させるというような目的自体がありませんでした。また、競争はある程度あったでしょうがそれが子供たちの大きな関心にはなってはいませんでした。更に、先生は熱心さとはほど遠い状態で、ただ子供たちを遠くから見守り、ある課題を終えた子に次の課題を指示するという役割を果たしていました。もちろん、子供たちに対する一斉の授業などはありませんから、子供たちの勉強の内容は、思い思いの自習形式でした。

 このような環境で、寺子屋の子供たちは、どのようにして勉強に対する意欲を持つことができたのでしょうか。そこに、集団への帰属意識の変化というものがあります。

 現代の子供たちは、学校や塾での学年別同質集団という機能的人工的な環境で、成績の競争を刺激としてその集団に帰属意識を持って勉強しています。江戸時代の寺子屋の子供たちは、家族や地域という共同体的な環境で、その共同体に帰属する意識を直接の動機として勉強に対する意欲を持っていたのです。

 受験や競争に勝つためという動機ではなく、家族や地域に参加するためという動機で勉強に対する意欲を持つことが、これからの対話を中心とした教育になります。

 では、それは具体的にどのような形になるのでしょうか。(つづく)



 昨日の記事からの続きですが、西角さんの本を離れて、対話と意欲の話になります。

 勉強の意欲というものを考えた場合、高校生以上は、勉強の意義を自分なりに自覚して意欲を持ち続けることができるようになります。

 しかし、勉強のいちばんの土台を形成する小中学生のころはそうではありません。この時期は、勉強の内容も基本的なものが多いので、勉強自体はそれほど面白くはありません。また、小中学生のころは、勉強の意義というものを理解してそれで意欲を持つということもできません。

 小中学生の意欲は、勉強の意欲も遊びの意欲も、すべて集団に所属したいという仲間意識から来ています。

 近代の学校教育が、子供たちの集団意識をうまく活用できたのは、学年別にクラスを作るという仕組みがあったからです。学年別の同質集団で、同じ学習課題を勉強するということが、クラスに対する子供たちの帰属意識を生み出していました。先生の役割は、その帰属意識を高めて子供たちの学習に対する意欲を高めることでした。

 しかし、学校を取り巻く社会が、文化的にも経済的にも同質である場合は、学年別クラスも同質性を保つことができましたが、やがて、社会が豊かになり、経済の格差が生まれ、社会の同質性が崩壊してくると、学校の学年別同質性に基づいた意欲づけも機能しなくなってきます。

 現在の学級崩壊という現象の背後には、同質性を失った社会と、そのために同質性を失った学年別クラスにおける集団意識の形成の難しさというものがあります。

 欧米流の近代教育は、この解決策を、社会の経済格差に合わせた同質性の回復という形で実現しました。欧米では、公立学校は、貧しい家庭の、学校選択の余地のない子が行くところになっています。経済的に恵まれた家庭の子供は、その恵まれた度合いに応じて私立学校に進みます。その私立学校において学年別クラスの同質性を確保し、勉強に対する意欲を持続させる仕組みづくりをしているのです。

 日本においても、事情は同じです。戦後のみんなが等しく貧しいころは、だれもが同じ地域の公立学校に通い、同じような経済的文化的水準の子供たちが、同じ一斉授業を受け、その授業の中で同質化した集団との一体感を感じて勉強をしていました。

 しかし、日本の社会が豊かになるにつれて、公立学校に通う子供たちは多様化していきます。小さいころから習い事に行き学年よりも先の勉強をしている子もいれば、家庭の中で読書の習慣がなくテレビやゲーム漬けになっている子もいれば、地域のスポーツクラブで毎日スポーツ三昧の子もいます。こういう子供たちは、小学校低学年の時点で既に一斉授業の枠に収まらなくなります。先生の指導の工夫以前に、子供たちの集団の質そのものが変化し多様化しているのです。

 私立学校志向は、このような同質性の失われた豊かな社会を背景にして生まれました。ところで、そこで新たに形成された同質性は、受験を基準にしたものです。すると、その集団に対する帰属意識を子供たちの意欲に結びつけるためには、テストのランキングが最も効果的な方法になります。そのために、大人は、勉強に対する意欲づけというと、すぐに競争を強化することを考えてしまうのです。しかし、競争は単なる一つの表面的な手段にすぎません。子供たちの勉強の意欲は、もともと競争の勝ち負けの中にあるのではなく、集団の仲間意識の中にあるのです。

 学校という集団で行われているのと同じことが、より目的の絞られた形で、学習塾でも行われています。学習塾における子供たちの意欲づけには、志望校に合格させるためのノウハウ、競争による刺激、先生の熱心な指導などを欠かすことができません。

 それらを当然だと思う人がほとんどだと思いますが、江戸時代の寺子屋教育では、ある意味で正反対の教育が行われていました。つまり、寺子屋では、志望校に合格させるというような目的自体がありませんでした。また、競争はある程度あったでしょうがそれが子供たちの大きな関心にはなってはいませんでした。更に、先生は熱心さとはほど遠い状態で、ただ子供たちを遠くから見守り、ある課題を終えた子に次の課題を指示するという役割を果たしていました。もちろん、子供たちに対する一斉の授業などはありませんから、子供たちの勉強の内容は、思い思いの自習形式でした。

 このような環境で、寺子屋の子供たちは、どのようにして勉強に対する意欲を持つことができたのでしょうか。そこに、集団への帰属意識の変化というものがあります。

 現代の子供たちは、学校や塾での学年別同質集団という機能的人工的な環境で、成績の競争を刺激としてその集団に帰属意識を持って勉強しています。江戸時代の寺子屋の子供たちは、家族や地域という共同体的な環境で、その共同体に帰属する意識を直接の動機として勉強に対する意欲を持っていたのです。

 受験や競争に勝つためという動機ではなく、家族や地域に参加するためという動機で勉強に対する意欲を持つことが、これからの対話を中心とした教育になります。

 では、それは具体的にどのような形になるのでしょうか。(つづく)


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