小学校1、2年生のころは、まだ作文が自由には書けない子がほとんどです。
作文力の土台は読む力ですから、読む量がまだ不足しているうちは、作文は書けません。
ところが、日本語は世界でも珍しい言文一致の度合いが強い言語ですから、口に出したことを文字にすれば、作文らしいものは一応誰でも書けるのです。
しかし、それを作文として見てしまうと、いろいろな表記ミスが出てきます。
例えば、句読点は、口に出す言葉にはありません。
また、会話のカギカッコも、段落もありません。
微妙なのは、小さい「つ」ですが、これも口に出す言葉では音として出てきません。
だから、子供が最初に書く作文らしきものには、こういう表記ミスが出てきてしまうのです。
しかし、もしそこでこれらをミスとして直そうとすれば、子供はなぜそれを直さなければならないかわかりません。
それは、子供の書く文章が、口頭の文章をもとにしているからです。
年齢が上がると、書く文章は、読む文章をもとにしてきます。
すると、表記の仕方もわかってきます。
しかし、聞く文章や言う文章をもとにしているうちは、書く文章は表記上のミスがあって当然なのです。
では、どうしたらいいかというと、読む文章の量を増やすことです。
しかし、これを一般的な読書として量を増やすだけでなく、子供が書く作文の中で読む文章を増やしていくのです。
これが、親子作文の出発点です。
(つづく)
小学校1、2年生のころは、まだ作文が自由には書けない子がほとんどです。
作文力の土台は読む力ですから、読む量がまだ不足しているうちは、作文は書けません。
ところが、日本語は世界でも珍しい言文一致の度合いが強い言語ですから、口に出したことを文字にすれば、作文らしいものは一応誰でも書けるのです。
しかし、それを作文として見てしまうと、いろいろな表記ミスが出てきます。
例えば、句読点は、口に出す言葉にはありません。
また、会話のカギカッコも、段落もありません。
微妙なのは、小さい「つ」ですが、これも口に出す言葉では音として出てきません。
だから、子供が最初に書く作文らしきものには、こういう表記ミスが出てきてしまうのです。
しかし、もしそこでこれらをミスとして直そうとすれば、子供はなぜそれを直さなければならないかわかりません。
それは、子供の書く文章が、口頭の文章をもとにしているからです。
年齢が上がると、書く文章は、読む文章をもとにしてきます。
すると、表記の仕方もわかってきます。
しかし、聞く文章や言う文章をもとにしているうちは、書く文章は表記上のミスがあって当然なのです。
では、どうしたらいいかというと、読む文章の量を増やすことです。
しかし、これを一般的な読書として量を増やすだけでなく、子供が書く作文の中で読む文章を増やしていくのです。
これが、親子作文の出発点です。
(つづく)