今日のfacebook記事に、要約についての話を書きました。
====facebook記事より====
先日、保護者の方から、「子供に要約の練習をさせたいが、忙しくて見てやれないのでどうしたらいいですか」という質問を受けました。
その方法は簡単です。親が見てやろうなどと思わなければいいのです。(笑)
親が要約を見ようとすると、元の文章を読まなければなりません。
そして、要約が妥当かどうかを評価しなければなりません。
そういう時間のかかることをしていると、親が忙しいときは子供の勉強が進まないということになってきます。
親が見てやれなくても、子供の勉強が進むような工夫をすることが勉強を長続きさせるコツです。
要約の勉強で大事なのは、要約の結果ではなく、要約をするために文章をよく読もうとする過程の方です。
大事なのは、形に残ったものの方ではなく、形に残っていないものの方なのです。
「でも、それでは……」という人もいると思うので、続きはホームページの方に書きたいと思います。
====引用ここまで====
要約の練習について、まず、私があまりよくないと思う方法を挙げます。
しかし、この方法がいいと思って実行している人もいると思うので、それはそれでかまいません。
大事なのは、方法ではなく継続することで、やり方が多少異なっていても続けていれば必ず効果が出てくるからです。
第一は、要約の材料として、新聞のコラムや社説など使う方法です。理由は、コラムは文章が易しすぎるからで、社説は遠回しの書き方が多いからです。
第二は、段落ごとに要約をして、その要約をつなげてまた要約するという方法です。理由は時間がかかるからです。
第三は、文章の末尾の方を中心に要約するという方法です。これは方法というよりも、要約らしく見せるためのテクニックであってあまり力はつきません。
第四は、小学校4年生ぐらいから要約の練習をすることです。要約力には年齢があって、小4では要約は無理です。小5でもかなり難しく、小6でやっと要約らしくなり、中学生になるとずっと楽に要約できるようになる、という感じです。
では、要約の練習はどのようにしたらいいのでしょうか。
まず、要約する文章の素材は、入試問題集などの問題文にします。説明文と物語文がバランスよく出てきますし、内容も読み応えのあるものが多いからです。
ただし、大学入試レベルになると、私立大学の問題文などの中には、わざと読みにくい悪文を出しているところもあるので、そういう読みにくい文章は避けます。
最初に、文章を読みます。
そのときに、自分で、面白いと思ったところ、よくわかったところに傍線を引きます。
大事なところに引くのではありません。というのは、最初は何が大事かわからないことが多いからです。
色を変えたボールペンで線を引くという人もいますが、それはすすめません。面倒だからです。
文章を読むときに大事なことは、じっくり読むのではなく、最後まで一気に読み切ることです。なぜかというと、入試問題の文章は、最後まで読んで初めて全体の構成がわかるという形になっているものが多いからです。
次に、同じ文章をもう一度読みます。
そのときは、最初に傍線を引いたところを中心に全体を読むので、読み方は一回目のときよりも早くなっています。
読むときには、また同じように面白いと思ったところ、よくわかったところに線を引きます。2回目に読むときには、大事そうなことも検討がつくので、大事だと思うところにも傍線を引きます。
3回目は、傍線を引いたところを中心に飛ばし読みをします。
そして、傍線を引いた箇所だけを何度か飛ばし読みをしていると、文章の全体の構造が自ずから頭に入ってきます。
この文章の全体の構造が頭に入るようにするために、自分が主観的に面白いと思ったところ、主観的によくわかったところに傍線を引くのが大事なのです。
客観的な要約をするためには、その土台としてその文章が主観的に自分のものとして読み取れていることが必要だからです。
文章の全体の構造がわかると、そこで初めて、要約をするのに大事な箇所の検討がつくようになります。
そこで、大事なところをいくつかピックアップするのです。大事なところを丸で囲んでもいいでしょう。
この丸で囲む箇所の数は、要約の指定の字数によって違ってきます。
一般に、一つの文の平均の字数は、50字程度と言われています。易しい文章では短く、難しい文章では長い傾向があります。
だから、150字の要約だったら3文でまとめるぐらいが目安になります。200字の要約なら、4文か5文でまとめることが目安になります。
丸で囲んだ箇所を、うまくつながるように途中の言葉を入れてまとめればそれが要約になります。
要約は、自分なりの言葉で書いてもいいのですが、そうすると採点する人が読み違えやすくなります。文章中のキーワードはできるだけそのまま生かして書いていきます。
ついでに言うと、要約ではなく記述式の問題の場合は、答えの文章を書くときに、説明や意見をそのまま書くだけでは不十分です。
自分の書く説明や意見と対比するものを挙げて、輪郭をはっきりさせる文章を書くことが大事です。
例えば、「○○は、Aである」と書くだけでなく、「○○は、BではなくAである」と書くということです。
以上、要約の書き方を説明してきましたが、実は要約よりももっといい勉強の仕方があるのです。(つづく)
暗唱をしていると、発想が豊かになってきます。
それは、暗唱によってワーキングメモリーの能力が向上するからではないかと考えられます。
ワーキングメモリーとは、単に覚えているだけの記憶とは異なり、その情報を保持しながら何らかの操作に用いるという記憶で、作業記憶とも呼ばれています。
学業の成績に関係が深いのは、普通の記憶力ではなく、この作業記憶の方の記憶力のようです。
話はちょっと変わりますが、KJ法という発想法があります。思いついたことメモしたカードを広げて眺めているうちに、それらのカードから新しいアイデアがわいてくるというものです。(くわしくは「発想法―創造性開発のために」(川喜田 二郎)を参考に)
この場合、カードが、ワーキングメモリーの補助をする形で、ワーキングメモリーの容量を増やしているのだと考えられます。
一方、暗唱をしていると、ワーキングメモリーを入れる容器自体のサイズが大きくなるという感じがします。
比喩的に言うと、ひしゃくで運んでいた水を、バケツで運ぶというところでしょうか。
だから、暗唱で大事なのは、暗唱する素材ではありません。
世間でよく行われている暗唱は、文化的な暗唱で、暗唱する材料自体に文化的な価値があるものが選ばれています。
もちろん、それはそれでいいのですが、
材料を覚えることに意味があるのではなく、暗唱するという過程にもっと大きな意味があるのです。
しかし、そういう価値ある勉強法でありながら、続けられる子はあまり多くありません。
それは、形の残らない勉強だからです。
文章を書き写すとか、長文を要約するという勉強法なら、形が残るので続けやすいのですが、空中に消えていくような音読や暗唱の勉強は、簡単に見えるにもかかわらず継続しにくいのです。
しかし、視写とか要約という勉強よりももっと効果があるのが、音読や対話の勉強です。