ログイン ログアウト 登録
 Onlineスクール言葉の森/公式ホームページ
 
記事 187番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/11/5
知能を高める教育(その8) as/187.html
森川林 2007/10/02 10:21 
 頭のよさとは、二次元的に足し算をするような能力ではなく、三次元的に掛け算をする能力だと述べました。
 足し算から掛け算に移るとき、一つのパラダイムの転換があります。簡単な計算ならば、慣れている足し算を猛スピードで行う方が早く答えにたどりつくかもしれません。しかし、問題が複雑になるにつれて、足し算のスピードアップは次第に限界近づき、掛け算の優位性がはっきりしてきます。しかし、足し算にいくら熟達しても、掛け算への飛躍はそこからは生まれません。足し算から掛け算に移るには、パラダイムの転換が必要だからです。足し算が量的に進化したものが掛け算なのではなく、足し算とは質的に異なった出自を持つものが掛け算だからです。
 ところが、学問の世界では、足し算をがんばることが到達点になってしまうところがあります。哲学も、経済学も、物理学も、医学も、それらの学問自体が膨大な体系を持っているので、その学問に熟達した人ほど、パラダイムの転換が難しくなります。ある分野で頂点に達した学者であればあるほど、新しいパラダイムを受け入れることが困難になります。これは努力や心構えの問題ではなく、人間の能力の仕組みがもともとそうなっているからです。
 では、人生において異なるパラダイムを身につける能力は、どこからやってくるのでしょうか。その最も大きな源泉は、年をとることです。年をとると、若いころには一方向からしか見られなかった社会や人生の様子が、異なる枠組みで見ることができるようになります。若者が、二次元的な能力で優れているときに、その二次元のレベルでは到底太刀打ちできない老人が、三次元的なレベルでは若者よりも頭のいい見方ができることがあります。
 井戸を掘ることを考えついた海蔵さんは頭のいい人でした。そして、実行力もありました。今で言うやり手のビジネスマンにもなれた人です。そのお母さんは、井戸掘りなど考えつきもしません。年をとっているので実行力もありません。ただ年をとっているだけです。しかし、その年齢が、若い海蔵さんには見えない三次元的な視野を生み出したのです。「おまえは、悪い心になっただな」と言ったお母さんの発言は、三次元から来ています。二次元にいた海蔵さんは、そのひとことで、自分の発想の限界に気づいたのです。

 もちろん、パラダイムの転換に必要なのは、年齢だけではありません。ほかにも、新しい経験や苦労、難しい読書、柔軟な姿勢などが、新しいパラダイムを形成することに役立ちます。
 そう考えると、子供たちが読むべき本も、自ずからその方向性が決まってきます。それはひとことで言うと、パラダイムのある本です。人気のある本の中にも、パラダイム形成にあまり役立たないパターン化された本があります。目立たない本の中に、子供たちのパラダイム形成に大きく役立つ本があります。
 もちろん、パラダイムという観点から意識的に文章を書いている作家はいません。いるとしたら、言葉の森長文作成委員会のメンバーだけです(笑)。だから、私たちが子供たちの本を選ぶ場合、その本がどれだけ子供たちに新しい視点をもたらすことができるかということを第一に考える必要があります。
 しかし、本自体にパラダイムがあるとともに、ある本をパラダイム的に読むかどうかということも重要です。一見、パラダイム形成とは無縁のように見える本を、一つのパラダイムを提起した本として読むことができるのです。例えば、桃太郎や浦島太郎は、ただの昔話です。しかし、これを大人が、ある現実に当てはめて子供たちに話して聞かせれば、その本は、子供たちにとってパラダイム形成のテキストとなります。
 パラダイム的に読むことが可能な本の典型が古典です。なぜかというと、古典は、異なる世代の大人にも子供にも共通して読まれた本だからです。東洋で言えば、四書五経、西洋では聖書が、その古典の役割を果たしてきました。四書五経や聖書の価値は、その本に書かれている内容だけにあるのではありません。その内容が、さまざまな時代の現実に当てはめられてきたという文化の厚みの中にあるのです。
 パラダイム的な書物も大事ですが、それ以上に大事なのが、読書をパラダイム的にする文化です。大人も子供も共通の文化として読む本があれば、子供たちの世界認識や自己認識は飛躍的に高まります。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。


記事 186番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/11/5
知能を高める教育(その7) as/186.html
森川林 2007/09/26 09:20 
 抽象能力を高めるためには、難しい本を読むことが大事だと書きました。しかし、小学校の低中学年までは、難しい本を読むための土台を作る時期なので、多読によって読む力をつけて.おくことが大切だとも書きました。また、社会人になってからは、自分にとって未知の新しい分野に読書の幅を広げていくことが重要だとも書きました。

 今回は、この中で、難しい本ということについてもう少しくわしく書いていきたいと思います。
 難しい本は、なぜ難しいかというと、理解しにくいからです。なぜ理解しにくいかというと、読み手がそれまでに持っている考え方の枠組みに収まらないものを持っているからです。つまり、難しい本というのは、読む人にとって新しいパラダイムを提供するために難しく感じられるのです。しかし、だからこそ、その難しい本を読み終えると、その人には新たな思考の枠組みが広がります。それが抽象能力を高めることにつながります。
 では、新しいパラダイムを提供するような本とは何でしょうか。それは、古典(古くから定評のある本)だと私は思います。古典つまり古い本がなぜ長い生命を持っているかというと、その古い本が初めて登場したときに、その時代に対して新しいパラダイムを付け加え、その新しいパラダイムががその後の時代のパラダイムの一部になる力を持っていたからです。
 流行の本には、面白い本がたくさんあります。しかし、面白い本というのは、わかりやすい本です。わかりやすい本というのは、要するに読み手の考え方の枠にほとんど収まる本だということです。そう考えると、面白いからという理由で流行の本を読むよりも、まず、面白い面白くないにかかわらず古い本を読むということが、読書の仕方で大事なことになってくると思います。
 この古い本に似ているものは、ことわざです。あることわざが初めて世の中に登場したとき、それは、その時代のパラダイムを打ち破る新鮮さを備えていました。しかし、時代が下るにつれて、ことわざは単なる知識として伝わるようになります。知識として伝わるようになると、ことわざは新鮮さを失い、それに比例して多くの人の常識となっていきます。
 古典の中には、当初は革命的な考え方を提供したものが、現在では半ば常識のようになっているものもあります。しかし、そのような古典にも、もちろん読む意義があります。なぜかというと、その古典を読むことによって、自分たちが普段、水や空気のように常識として持っている考え方が、ある時代に歴史的に生まれたものであることがわかるからです。

 現在の国語の教科書には、子供たちが喜ぶような流行の話題を取り入れたものが増えています。しかし、教科書のように文化の形成の土台となるものは、そのほとんどが古典によって(古文ではありません)占められるべきだと思います。
 難しい本とは、古い本であり、古い本とは、それが登場したときに、その時代のパラダイムを転換するような新しさを持っていた本です。
 その古い本には、小学校低中学年から読めるものももちろんあります。古くからある昔話や童話は、子供向けの古典と言ってもいいものでしょう。(つづく)

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。


記事 185番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/11/5
知能を高める教育(その6) as/185.html
森川林 2007/09/19 05:46 
 「知能を高める教育」について、メールをいただきました。そのメールに、頭のよさとはそもそも何か、頭のよいことは幸福なことなのか、という問題提起が書かれていました。そこで、今回は、この二つを中心に。

 まず、頭のよさとは、そもそも何かということです。
 私は、勉強ができること、又は成績がいいことが、頭のいいことではないという意味で、「頭のよさ」を考えています。というのは、成績と頭のよさの間には、確かに相関がありますが、微妙に異なる面があるからです。その異なるところというのは、成績が、がんばって勉強をすればよくなるという二次元的なものであるのに対して、頭のよさは三次元的なものであるということです。
 昔、松下幸之助さんが、コンピュータのことを部下に聞きました。部下が長時間難しい説明をしたあと、幸之助さんは、「それで、それは儲かるのか」と聞いたそうです。二次元的に頭がよくコンピュータの説明をする部下と、それを利益という観点からとらえようとする三次元的な経営者という構図が浮かび上がります。
 「牛をつないだ椿の木」という長文が小学3年生の課題に載っています。井戸を掘ることばかりを考えている海蔵さんは、井戸を掘らせてくれない地主のおじいさんの病気と自分の井戸掘りの計画を平面的に考えます。地主のおじいさんの息子の代になれば、井戸掘りができることがわかっている海蔵さんに対して、海蔵さんの年老いた母は言います。「おまえは、悪い心になっただな」。海蔵さんの頭のよさは二次元的ですが、母親の頭のよさは三次元的です。
 子供の成績をよくしたいと思わない親はいません。しかし、子供の成績をよくするために、かえって頭を悪くするような子育てをしていることもあるのです。例えば、計算問題の反復や漢字書き取りの反復という勉強法があります。これらの勉強法は、学習の土台を作るためには大切ですが、やりすぎれば頭を悪くします。辞書や計算機は、人間の記憶力や計算力よりも優れた能力を持っていますが、だれも、辞書や電卓を「頭がいい」とは言いません。今、世の中で成績がよいと思われている人の中には、辞書や計算機を高度にしたような意味で成績がよいという人も多いのです。
 計算練習や漢字書き取りやいろいろな知識の記憶などは、抽象度の低い勉強ですから、やればやるだけ成果が上がります。速読練習なども同じです。やればやるだけ速く読めるようになります。しかし、言葉の森の名言集にあるように、「最も速い速読の秘訣は、不要なものは、読まないということである」という方法にはかないません。読むべき本を判断するというのは、速読のスピードを上げるよりも抽象度の高い方法だからです。
 海蔵さんは、井戸掘りを目的として考えていました。母親は、何のための井戸掘りかという、井戸掘りよりも抽象的な目的を考えることができました。海蔵さんは成績のいい人で、母親は頭のいい人です。しかし、頭のよさは普段は隠れていて見えません。課題が高度になったとき、初めて頭のよさが二人の違いとして見えてくるのです。

 次に、頭のいいことは幸福かということです。
 そのためには、まず、成績のよさと頭のよさを区別して考える必要があります。成績のよさと幸せとは、あまり関係ないだろうとだれでも思うと思います。身の回りを見れば、成績と幸福に関係がないと思われる例はたくさんあるからです。しかし、だからと言って、成績が悪ければ幸福かと言えば、もちろんそうではありません。要するに、成績のよさと幸福とは関係がないということです。
 では、頭のよいことは幸せかと言えば、それは間違いなく幸せです。試しに、来世で、全然悩み事のない犬や猫として生まれるか、苦労の多い人間として生まれるかという選択があったら、だれでも人間を選ぶと思います。それは、なぜかと言えば、人間は犬や猫よりも高い次元から物事を見ることができるからです。人間が犬や猫と違うところは、知的好奇心があることです。
 二宮金次郎が薪(たきぎ)を背負って歩きながら本を読んでいる像は、最近あまり見なくなりましたが、あの姿は、人間の学びたいという情熱を象徴的に表しています。二宮金次郎の像を見て感動できる人は、学ぶことの感動を知っている人だと思います。少し前、吉田松陰の若いころの日記を読みましたが、学問への純粋な情熱が感じられました。金次郎と松蔭の学問は、成績のためでも学歴のためでもありません。人間が生まれつき持っている、学ぶことへの欲求だったのです。(つづく)

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。

コメント151~160件
……前のコメント
「大学進学者の 匿名
ただ、環境を選ぶことは学友や学校生活の質、という意味もありま 8/2
記事 4808番
優しい母が減っ ゆきこ
ネコさん、大丈夫ですか。私も二人の女の子の母ですが、NHKラ 8/1
記事 979番
優しい母が減っ 森川林
 英語なんて、もうやらなくていい時代になります。  大事な 7/23
記事 979番
優しい母が減っ ネコ
お母さんこわい勉強いやだえいごもうききたくない 7/23
記事 979番
夏休みは自習室 森川林
 不登校で学校に行っていない子も、自習室を利用するといいと思 7/11
記事 4797番
受験作文の印象 どんどこ
理解する語彙と使える語彙の違い、なるほどと思いました。 受 7/8
記事 3601番
自習記録28件 森川林
 自習記録34件、読書記録829件。  今日、見てみたら、 7/6
記事 4790番
優しい母が減っ Koya
怖いお母さんと言うか易しすぎるお母さんも何だかな…という感じ 7/5
記事 979番
作文用紙の廃止 森川林
 新たに記事を追加しました。  小学5、6年生の生徒にも、 6/19
記事 4771番
作文用紙の廃止 森川林
 記事を追加しました。  なお、7月からの新学期については 6/19
記事 4771番
……次のコメント

掲示板の記事1~10件
画像送信テスト 森川林
回回回 11/2
森川林日記
Thunder 森川林
https://www.thunderbird.net/ja 10/29
森川林日記
この忙しいとき 森川林
この忙しいときに、というかいつも忙しいけど、今は特にというと 10/28
森川林日記
もう二度とGm 森川林
 Gmailが突然、大量のPOP3は受信できないようにした。 10/28
森川林日記
2025年10 森川林
△ミズヒキグサ ●紙ベースの勉強が基本。デジタルの 10/22
森の掲示板
3I/Atla 森川林
それは、いい結果になるだろう。 10/2
森川林日記
SDGsとかL 森川林
SDGsとかLGBTQとかいう新しい言葉を使う人は、考えの浅 9/27
森川林日記
千葉県立千葉中 森川林
受験生に点数の差をつけるためだけのテスト。 横浜市立南 9/25
森川林日記
2025年9月 森川林
●家庭学習の習慣を  小学生のうちから家庭学習 9/22
森の掲示板
OCRのオシロ 森川林
今からOCRのオシロンの作り直し。 これまでgoogl 9/20
森川林日記

RSS
RSSフィード

QRコード


小・中・高生の作文
小・中・高生の作文

主な記事リンク
主な記事リンク

通学できる作文教室
森林プロジェクトの
作文教室


リンク集
できた君の算数クラブ
代表プロフィール
Zoomサインイン






小学生、中学生、高校生の作文
小学1年生の作文(9) 小学2年生の作文(38) 小学3年生の作文(22) 小学4年生の作文(55)
小学5年生の作文(100) 小学6年生の作文(281) 中学1年生の作文(174) 中学2年生の作文(100)
中学3年生の作文(71) 高校1年生の作文(68) 高校2年生の作文(30) 高校3年生の作文(8)
手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
●国語読解クラスの無料体験学習