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記事 1274番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/28
エントリーシートの書き方 as/1274.html
森川林 2011/05/23 19:24 


 エントリーシートや志望理由書の書き方にはコツがあります。



 小中学生の場合、志望理由書は本人が書くことが原則になっていますが、本人任せでは書けません。親がアドバイスをして親子の合作で書いていく必要があります。



 手書きで書く場合は、最初に、エントリーシートの枠に1行普通に書いてみて、その字数を数えます。そして、手書きで書く字数と行数に合わせて、パソコンの字数行数のセットをし、パソコンで内容を修正しながら書いていきます。パソコンで完成したものを、手書きできれいに清書するという書き方です。



 文章を書くときは、構成をわかりやすく書くのが大事です。志望理由書で自分のアピールできる点を書く場合でも、論点をいくつかに整理して、それぞれの論点について同じ長さぐらいの字数配分で書いていきます。

 ある段落は長すぎ、ある段落は短すぎという書き方にならないように、全体の目配りをしながら書いていきましょう。



 エントリーシートに書く内容は、自分のアピールできる点です。できるだけ具体的な固有名詞や数字を入れて、裏付けのはっきりしたものを書きます。例えば、「本を読むのが好きです」と書くよりも、「毎週2、3冊は必ず読みます」などと書いた方が説得力があります。何かをがんばって続けた場合でも、「○年○ヶ月続けた」と書きます。ほかに、「○人集まった」とか、「○円の業績があった」のように、できるだけ数字がわかるように書いていきます。



 内容は、全体に明るくなるように心がけます。苦しい経験も人間を成長させますが、苦しいことをのりこえたという明るい点を中心に書いていきます。

 また、他人を批判するような内容は、文章の力を弱くします。批判はできるだけ避けて、物事のプラスの面を中心に書いていきましょう。



 エントリーシートでアピールするのは、自分が挑戦したことですが、大学生の場合、4年間をふりかえってみると、人に自慢できるような挑戦は意外と少ないものです。

 アルバイトや部活などはだれでもそれなりにがんばっていますが、だれが書いてもあまり大きな差が出ません。それよりも、むしろ、勉強面でがんばったという話は、意外と好感を持たれます。

 しかし、その勉強も、資格試験をとるためにがんばったという実利的なものよりも、研究や調査で、特に何かの見返りを期待するわけではなくがんばったというようなものの方が印象に残ります。



 アピールできる点があまりない場合は、説明風に書くと字数が埋まりません。その場合は、そのときのエピソードを描写的に書いていくといいでしょう。



 書き終えたあと、自分が書いたものを必ず他人にも読んでもらい、読みにくいところを指摘してもらいます。家族でも友達でもかまいません。他人に読んでもらうことによって、自分では気がつかないことがわかります。

 高校生や大学生になると、自分で書いて読み返してそのまま提出という形になりやすいのですが、提出する前に必ずほかの人に読んでもらいましょう。



 言葉の森の「質問の広場」という掲示板に、いろいろな人が書いた志望理由書と添削例が載っています。そのようなサンプルを参考にすると書きやすいでしょう。

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記事 1273番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/28
褒めるだけの指導でいいんですか as/1273.html
森川林 2011/05/20 18:54 


 言葉の森の保護者の方から、よく質問や相談があります。

 その中で、ときどき出てくるのが、「先生が褒めてばかりいるのですが、これでいいんですか」というものです。

 その答えは、決まって、「それでいいのです」です。



その理由1.直す指導では、長続きしないからです。



 小学校低中学年のころは、褒める指導よりも直す指導の方がしやすい時期です。特に、低学年になればなるほど、直すことが多くなってきます。

 しかし、その場合の「直すこと」の大部分は、直さずにそのまま放っておいても学年が上がれば自然に直るものです。なぜ自然に直るかというと、学年が上がり文章を読む量が増えてくると、自分で直そうと思わなくても自然に正しい書き方が身についてくるからです。

 例えば、小学校低学年でよくある「わとは、おとをの区別」「会話の改行」などは、最初はみんなできません。できなくて当然です。日常の話し言葉でそういう区別がないからです。

 しかし、文章を読む機会が増えてくると、自然にそういう区別があることがわかるようになります。そして、大部分の子は、だれに教わらなくても年齢が上がるにつれ自然に正しい書き方になっていきます。

 正しい書き方を教える場合でも、小1のころに10回言わなければわからなかったことが、小3では1回でわかります。読む量の土台ができていれば、説明はすんなり入るのです。

 ところが、多くの真面目なお母さんや先生は、小1のころに10回説明して直そうとしてしまいます。

 その結果、どういうことが起きるかというと、まず、子供は書くことが苦手になります。お母さんは、年中子供に注意するようになります。

 この状態にがんばって耐えた子は、小学5年生ぐらいになり自我が確立してくると、もう親の言うことを聞かなくなります。小さいころに教え込みすぎた子は、必ずバランスをとるために大きくなって反発するようになるのです。

 高学年のいちばん重要な時期に親の言うことを聞かなくなるので、親は子供の勉強を塾に丸投げするようになります。

 高学年になっても、親が楽しく子供の勉強を見てあげられるようになるためには、低学年のときにできるだけのんびりと楽しく褒めながら教えていくことが大切なのです。



理由2.褒める指導で続けられるのは、指導のカリキュラムがしっかりしているからです。



 ときどき、褒める指導だけで作文を書かせるのなら簡単だから、家庭でもできるという人がいます。

 ところが、家庭で親が子供に作文を教えるようになると、すぐに勉強が行きづまります。低学年のときなら、それでも無理に続けることはできかもしれません。しかし、小学校3、4年生になっても作文の勉強を家庭で行うというのは、たぶんどの家庭でもほとんどできないと思います。

 作文の通信教育講座の中には、楽しそうな教材だから家庭でもできるとうたっているところがありますが、楽しくできるのは、国語のクイズのような易しいレベルの間までです。本格的に作文を上手に書くレベルになると、教材の楽しさだけで勉強することはできません。



 言葉の森の指導が、褒めること中心でありながら上達していくのは、指導の枠組みが上達するようにできているからです。

 他のほとんどの作文教室では、小学校の間だけとか、せいぜい中学生の間までの指導カリキュラムですが、言葉の森は高校3年生の大学入試の小論文までの長期的なカリキュラムで指導をしています。

 しかも、高3の小論文入試では、最難関校に合格できるだけの指導を行っています。これは、高校生の生徒が増えすぎても困るので宣伝はしていませんが、言葉の森の大学入試小論文指導は、現在、どの予備校よりもレベルが高くわかりやすい指導をしていると思っています。それは、受験作文小論文のページの開設を見るとわかります。ほかの予備校で、このように理路整然と書き方を説明しているところはないと思います。



 言葉の森の講師が、子供たちをのんびり褒めているだけのように見えるのは、しっかりしたカリキュラムで指導しているからなのです。



理由3.作文の上達には、時間がかかるからです。



 ところで、作文の上達には時間がかかります。

 数学や英語であれば、夏休みの集中学習で一挙に成績を上げて得意教科にするというようなこともできないわけではありません。これは、それなりに大変ですが、やり方さえ守ればだれでもできます。

 ところが、作文の勉強は、短期間の集中学習で上手にさせることはできません。

 もちろん、言葉の森の体験学習の最初のころは、目覚ましく上達するということはあります。しかし、その後の進歩は、時間のかかるものなのです。

 他の教科の勉強は、単元が進んだり、テストの点数が返ってきたりするので、勉強が進歩している感じがします。しかし、作文の場合は、毎回同じような作文を書いていて、それが題材によってはかえって下手になったように見えることもあるのです。



 このときに、親がどう対応していくかということが大事です。

 ひとつには、作文の勉強の進歩は時間のかかるもので、気長に読む勉強を続けながら褒めていると、忘れたころに上達していたことがわかるものだと考えることです。

 この場合に、重要なのは、褒めることとともに、読む勉強を続けることです。それは、昔は長文の音読ということでやっていましたが、今は、長文の暗唱、又は、問題集読書、又は、普通の読書です。

 家庭で行う自習の仕方は、今度わかりやすく整理したものをお送りする予定ですが、当面は、最低限、毎日の読書さえしっかりできていれば、それが読む勉強になると考えておいてください。

 「忘れたころに、上達していたとわかる」というのは、自動採点ソフト森リンの点数グラフの推移からも言えます。どの生徒も、年間を通して数ポイント進歩しているだけです。決して、1ヶ月や2ヶ月で目に見える進歩があるという勉強ではないのです。

 高校2、3年生で大学入試のために新たに作文の勉強を始めるような生徒は、勉強に対する意識がかなり高いはずですが、そういう生徒でも、自分なりに上達が実感できるのは1年ぐらいたってからです。勉強に対する意識がそこまで高くない小中学生の生徒については、上達にはもっと時間がかかるというのが普通なのです。



 上達していないように見える時期は、作文の勉強をしているのでなく、その子のその時代の思い出となる作文の記録を残しているのだというぐらいにのんびりと考えておくことです。毎回同じような作文を書いていたとしても、それを進歩がないと考えるのではなく、記念の作文がたくさんたまっていくというふうに考えれば、親も子も負担がなくなります。

 そうして、ふと気がついたときに、「いつの間にか、ずいぶん上手になっていたね」ということになるのです。



理由4.子供の意欲を活性化させる大きな要素は、家庭の対話だからです。



 勉強は、意欲的に取り組んでいるかそうでないかによって、同じ時間をかけても上達の度合いがかなり違ってきます。

 子供たちがいちばん意欲をもって勉強できるのは、受験に作文試験があるときです。実際に、受験前の子供たちは、かなり難しい課題でもがんばって取り組んでくるので、この期間はみんな作文力が向上します。

 しかし、受験という差し迫った目標がないときは、作文の勉強というものは、きわめて意欲化しにくい勉強なのです。その理由のひとつは、はっきりした点数がつかないからです。

 この意味で、小学校高学年以上の生徒は、できるだけパソコンで作文を書き、毎週森リンの点数を勉強の目標にしていくといいと思います。

 言葉の森の通学教室では、小学校5年生以上の生徒はほぼ全員パソコンで作文を書いています。子供たちの適応力は高いので、家庭で毎日10分でもブラインドタッチ(タッチタイピング)の練習をすれば、数週間で、手で書くよりも速く楽にパソコンで書けるようになります。(ブラインドタッチは、ソフトなどで練習する必要はなく、自分の好きな歌を歌いながらその歌詞を打つ練習をしていくという形でやるのがいいと思います)



 ところで、森リンの点数で意欲を持たせるというのと、もうひとつ異なるアプローチが、対話によって意欲を持たせるという方法です。もちろん、作文の力が上達してくると、いい作品を書き上げること自体が、苦しいながらも楽しいというレベルにまでなります。しかし、そこまで行くのは、よほど上手になったあとです。ほとんどの子は、書くことが苦しいという気持ちがほとんどで、それでもがんばって勉強していると思います。

 ここで大事なのが対話です。

 他の教科の勉強では、特に予習などをしていなくても、教材を見て先生の説明を聞けばそこから勉強をスタートさせることができます。しかし、作文の勉強はそうではありません。

 もちろん、予習をしていなくても作文の勉強を始めることはできます。しかし、予習をしている生徒と比べると、勉強に取り組む意欲の差は歴然としています。

 私もしばらく前までは、教える側の工夫で意欲を持たせることができると考えていました。しかし、どんなに面白く意欲化できるように教えても、作文を書きだした途端にすぐに意欲がしぼんでしまう子がいます。一方、どんなときでも、書きだしから書き終わりまでがんばる子がいます。

 その差は、作文を書くまでの家庭での事前の対話と、作文が返却されたあとの家庭での対話だったのです。

 いつでも意欲的に取り組む子は、家庭でお父さんやお母さんと、次の週の課題について話をしています。子供が、自分から進んで、両親に似た話を取材するというケースが多いと思いますが、その取材に対して、お父さんやお母さんが対話を楽しむ形で熱心に答えているのです。

 この対話によって、子供の思考力が活性化します。また、親が子供に知的な話をじっくりできる機会が生まれます。他の教科の勉強は、子供が教材を見て自力で進めていくのが理想ですが、作文の勉強はその反対で、親子が課題についてたっぷり対話をする中で進めていくのが理想なのです。

 このように、作文の課題について事前に両親と対話している子は、作文を書いているときに、作文用紙の上でやはり両親と対話をしながら書いているのだと思います。そして、そのようにして書いた作文が返却されたとき、両親がその作文の返却を楽しみに待っているとしたら、意欲的にならない方がおかしいのです。



 この作文の勉強における対話の意義ということを、言葉の森では今後、どの家庭でも実行しやすい形で提案していく予定です。

 簡単に言うと、毎日の家庭での対話のメニューを作ることです。 

 また、家庭での親子の対話だけでは、慣れないうちは話題が息づまることもあるので、その対話をfacebookの活用でバックアップすることを考えています。


まとめ.褒める指導と対話を結びつける。


 作文の勉強は、真面目に直す指導として行うこともできます。

 しかし、その結果は、長続きせず、作文が苦手になり、親が年中怒るようになり、高学年になって親子の対話ができなくなるということにつながります。

 作文の勉強は、特に低学年のうちは、そのように生真面目に取り組んではいけないのです。



 一方、作文の勉強を褒めるだけで行うことは、その褒める指導の背後に明確な方法論がなければ、やはり、長続きさせることはできません。

 褒める指導は、直されて苦手になるよりもずっといいのですが、やはり褒めるだけでは限界があるのです。



 いちばんいいのは、褒める指導を基本にしながら、

(1)明確なカリキュラムに基づいて指導する(言葉の森の方法です)。

(2)親が進歩を気長に見てあげる。

(3)その一方で、読む勉強としての自習を続け、

(4)高学年からはパソコン入力で点数も目標にする。

(5)そして、家庭での事前の対話と事後の対話で意欲を持たせる。

という方法を組み合わせることです。



 この中で、これから最も力を入れていく分野は、家庭での対話です。

 言葉の森の指導も、家庭での対話を支えることを今後の重点にしていきたいと思っています。

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受験作文小論文コースの作文の書き方 as/1272.html
森川林 2011/05/16 16:52 



 言葉の森では、作文小論文試験の5か月前から受験コースの作文課題を選択できるようにしています。中学受験、高校受験、大学受験とも同じです。ただし、受験コースは、定員があるので、現在在籍している生徒が優先です。

 受験コースは、志望校の過去問に合わせた問題で練習する形の作文指導で、指導の内容も、普段よりも少し難しくなります。例えば、通常の課題では、時間制限や字数制限などあまり厳しくは言いませんが、受験コースでは時間と字数は評価の重点になります。

 しかし、普段の作文の課題が普通にできていれば、受験コースの課題も同じようにできます。難度自体には、普段の課題も受験コースの課題も大きな差はありません。



 言葉の森の作文の課題は、通常の課題も受験コースの課題も、かなり難しいので、ヒントなしに書くことはなかなかできません。

 しかし、ヒントを見て書ける生徒は実力がある生徒ですから、ヒントのとおりに書ければ合格する力があると考えていいのです。ヒント以上の自分のオリジナルな内容を盛り込むことまでは要求しません。



 時間制限は、最初のうちは守ることができません。学校によっては、大人でも書けないようなスピードを要求するところもあります。それは、そのスピードと字数によって点数の差をつけることが目的ですから、まともに書けなくても心配することはありません。

 最初は、目標の字数まで埋めることを優先し、時間についてはどのぐらいかかったか記録だけしておきます。試験の1、2か月前になったら、時間制限の範囲で書くようにします。

 速く書くコツは、(1)途中で考えない、(2)途中で読み返さない、(3)途中で書き直さない、です。普段の練習でも、できるだけ消しゴムは使わずに、先へ先へと文章を進めるように書いていきます。

 そのためには、書きだす前に簡単に構成メモを書いておく必要があります。最初に構成メモを数行書いておき、作文を書き始めてから途中でどう書き進めていいかわからなくなったときに、構成メモを見直して書き続けるという形で書いていきます。

 文章は、最初と最後の大きな枠組みが合っていれば、途中の過程の筋道は、読み手にはあまり印象に残らないものです。細かいところでつじつまを合わせようとするよりも、大きな流れができていればよいと考えて書いていきます。



 作文を採点する試験官は、何編も同じような文章を見て頭が疲労しています。そのときに、構成のわかりやすい文章を見ると、ほっと安心します。構成のわかりやすい文章とは、結論が最初にある文章、構成を予測させる言葉のある文章、段落ごとの長さが同じぐらいで見た目のバランスがとれた文章です。

 例えば、「私は、……と思う。その理由は……」などと書いてあるのは、結論が先にあるので読みやすい文章です。逆に、「……は……である。だから……と思う。」となっているのは結論があとにあるので、読みにくい文章ということになります。

 構成を予測させる言葉とは、「……その方法は、三つある。第一に……」というような、「方法」「理由」「原因」「○つある」「第一に」「第二に」などの言葉です。自分が何を書こうとしているかを、早めに理解してもらうように書いていくのが、読みやすい文章を書くコツです。



 受験コースの練習の仕上げの時期になると、表現をもうひとひねり工夫する練習をしますが、ここであまり難しく考えると自信をなくしてしまいます。時間内に、必要な字数まで書ければ、とりあえず合格圏内には入っていると思っていればいいのです。

 言葉の森で作文の勉強をすると、構成のしっかりした文章を書くことができます。これは、受験に限らず将来どのような文章を書くときにも役に立ちます。

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受験作文小論文(89) 

記事 1271番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/28
facebook(フェイスブック)と日本語のコンテンツ―もうすぐ来る日本語の時代 as/1271.html
森川林 2011/05/14 21:50 


 2007年2月の調査で、世界中のブログで使われている言語のうち日本語が37パーセントで、英語の36パーセントよりも多いという結果が出ていました。

 その後、ブログの言語別人口で同じような調査が行われていないのは、日本語の割合が更に増えているだけなので、調査に興味がなくなったためだと思われます。



 twitter(ツイッター)でも同じような調査が行われ、2010年2月の時点で、日本語が14パーセント、英語が50パーセントという結果が出ていました。しかし、2010年1月の時点で、世界のツイッターユーザーに占める日本人の割合は1パーセントわずかに上回る程度でしたから、おおまかに言うと、日本語は、英語など他の言語に比べて14倍も情報発信力があるということだと思います。



 facebook(フェイスブック)では、まだ日本人の割合が少ないし、同様の調査がないようなので、どうなるかはわかりませんが、私はたぶん、ブログやツイッター以上に日本語の占める割合が大きくなるのではないかと思っています。その理由は、ブログの利用は、自分で何かの情報を発信したいという人に限られていただけですし、ツイッターの利用は、ある程度時間の余裕のある人に限られていたと思いますが、facebook(フェイスブック)は多くの人にとって日常生活に必要なプラットフォーム(土台)になっていくと思われるからです。



 なぜ日本語にこういう情報発信適性のようなものがあるかというと、ひとつには、日本語が英語など他の言語と比べると、1文字あたりに盛り込める情報量が多いからです。ツイッターの利用者の中に、日本語と英語で同じ内容を別々にツイートしている人がいます。日本語は日本人の知人向け、英語は英語圏の知人向けと使い分けているようです。その日本語と英語の140字以内の文章を見ると(ツイッターの文字制限は140字)、ざっと見て、英語では日本語の半分の内容しか盛り込めていません。つまり、日本語を使えば140字の内容が書けることを、英語を使うと日本語の70字ぐらいの内容のものしか書けないということです。

 もし、日本語のツイッターが70字という文字数制限になったとしたら、利用の度合いはもっと減るでしょう。70文字だと、何かを論じるというよりも、文字どおり「つぶやく」とか「さえずる」とかいう程度のことしかできなくなるからです。

 しかし、70字という文字数制限であったとしても、日本には31文字の和歌の文化がありますから、日本人は意外にもその文字数に適応してしまうかもしれません。文字の持つ情報量の面だけでなく、どうやら文化の面からも日本語は情報発信適性があるようなのです。



 facebook(フェイスブック)で、先日、会員数が多いと言われるコカコーラの会員になってみました。すると、コカコーラのfacebook(フェイスブック)ページから、ときどき宣伝用の投稿が入ってきます。そして、その投稿のコメントが世界中から瞬く間に1000件ぐらい入ります。

 私もコカコーラの投稿記事にコメントを書いてきましたが、日本語で書いてある投稿はほかになく、すべて英語など欧米の言語によるコメントでした。しかし、それらのコメントの内容は大部分が、叫び声のような感じを受けたのです。日本人が普通コメントという言葉で連想するような味のある内容はあまりありませんでした。しかし、それも、文字の持つ情報力が日本語の2分の1だと考えると、納得できるような気がします。



 インターネットというインフラは、アメリカが中心になって世界中に広がりました。アメリカは、このほかにも、民主主義の政治体制と市場主義という経済体制を世界中に広げることを自分の使命としていたようです。私は、このアメリカの役割を、織田信長の天下布武と同じような性格を持つものだと思いました。天下に共通のレールを敷く、そのために、抵抗する既存の旧勢力は有無を言わさず排除していく、そういう役割だと思ったのです。



 では、アメリカが世界中に共通のインフラというレールを敷き終えたあと、そのレールの上を走るものは何なのでしょうか。そのレールの上を走る中身こそ、文化というコンテンツで、その文化を運ぶ列車にあたるものが言語です。

 こう考えると、日本語の持つ情報発信力は、同時に文化発信力でもあると言えるのです。



 言葉の森のfacebook(フェイスブック)ページの中で、今、毎日、作文の勉強会を開いています。(これは、だれでも自由に参加できます。facebook(フェイスブック)で「教育の丘コミュ」というグループを検索して参加ボタンを押してください)

 作文の勉強会と言っても、ちょっとした言葉遊びのようなもので、比喩の練習とか、名言の練習とかいうものを、半分以上お笑いネタでやりとりしていくものです。

 私は、この言葉遊びをしながら、わずか数語か十数語で読み手をうならせるような味のあることが書ける文化というものは、日本以外にはほとんどないのではないかと思いました。



 facebook(フェイスブック)の利用者に日本人が増えてくると、こういう文化のコンテンツがますます広がっていきます。facebook(フェイスブック)における日本語の占める割合は、ブログやツイッター以上のものになるでしょう。

 世界中に流れる情報のかなりの部分(たぶん英語と匹敵するぐらいの部分)が日本語になり、しかも、その日本語の情報の中身が単なる伝達や連絡のようなものだけではなく、文化的な創造を伴ったものだということになると、どうなるでしょうか。

 まず、世界中のエリートから、「これからは、子供に日本語を学ばせておかないと、世界の新しい文化に乗りおくれることになる」という意識が生まれてくると思います。ビジネスにおける打ち合わせは、世界共通の英語で行うとしても、文化的な創造を伴うものは、日本語を学んでいないと遅れをとるということが次第に世界中の知識人の共通認識となっていくのです。



 しかし、それは同時に日本語の危機になる可能性もあるのです。

 先にも書いたように、アメリカの文化は、標準化の文化です。アメリカ文化が生んだ自動車、コンピュータ、インターネットなどは、いずれも入れ物や通路というインフラでした。また、コカコーラ、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなども、その本質は売られている商品の中身というよりも、売り方のシステムでした。つまり、アメリカの文化は、大量生産化、ブランド化、フランチャイズ化、マニュアル化というビジネスモデルや方法の文化だったのです。

 この標準化が、言語に関しても行われるようになると、日本語は情報発信性のある言語だから世界中の人がもっと使いやすいように標準化しようという動きが出てくる可能性があります。例えば、日本語50音表のうち、タチツテトの部分は、タティトゥテトとツァチツツェツォに分けた方が合理性があるとか、ワ行は新たにワウィウゥウェヲという言葉にしようとかいう案です。

 この標準化の圧力に対して、言語の持つ文化性を保つ力はどこにあるかというと、文化性を主張する中にあるのではありません。標準化の主張と文化性の主張が対立して議論した場合、その議論そのものがすでに標準化の発想の枠内にあるからです。



 文化性は、言語の持つ芸術性の中にあります。日本には、万葉集や古今和歌集などに見られるような大衆的な言語芸術の伝統があります。

 しかし、現代日本語には、まだそのような大衆性のある芸術は生まれていません。

 日本語が世界言語となる時代に大事なことは、日本人が現代日本語による新しい大衆性のある芸術を作り出していくことなのです。

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touko 20170310 77 
日本語(日本人)情報発信力は、すごいですね!

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インターネット(25) 

記事 1270番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/28
言葉の森の方針は、過去をふりかえらずに未来に目を向けること as/1270.html
森川林 2011/05/13 04:03 



 世界は、これから、自然災害の多発と、戦争の危険性の拡大と、経済破綻の進行と、新しい感染症の拡大という困難な方向に進むことが予想されます。



 しかし、その一方で、この大きな混乱のあとに、明るい未来がやってくるはずで、今、その準備が着々と進んでいるのだと思います。

 そして、多くの人の見方によると、その新しい未来を作るキーになるのは、日本や日本文化や日本人であるらしいのです。



 前回のホームページの記事「創造のコンテンツは日本から」でも書きましたが、これから来るのは、インフラの時代ではなくコンテンツの時代です。確かに、インフラは表面的には大きな比重を占めます。たとえば、アフリカ大陸を近代化するというだけでも、膨大なハードのインフラ需要が生まれます。しかし、そこで生まれる近代化した中国やアフリカの未来は、想像の枠内でもう既に織り込み済みの未来です。

 それに対して、これから生まれるコンテンツの未来は、まだほとんどの人の目に明らかになっていません。



 ここで大事なことは、私たちは、この未来の方向に向かって行動することを最優先していくということです。

 言葉の森のホームページに、私は、3月の中旬までは地震や原発の記事を何度か書きましたが、それはそのとき、日本の歴史上最悪の危機が起こる可能性があったからです。

 しかし、この危機は、3月の末には基本的に回避されたと思いました。だから、3月22日に、「日本の新しい産業(その1)」という記事を書いたのです。地震や原発の問題はこれからも継続しますが、もう最大の問題ではありません。各人の心構えと対策を決めたら、これからは、未来の方向への行動を進める時期なのです。

 だから、私はもう地震や原発の話は一切どこにも書いていません。それは、その分野に詳しい人に任せておけばいいのです。日本は、いくつかの紆余曲折はあっても、原発廃止の方向に大きく進んでいくと思います。その路線をしっかり支持し、被災地の人たちのこれからの生活を日本全体で支えていけばいいのです。



 さて、地震、原発の話はそういうふうに考えたとしても、多くの人の心の中に、まだ漠然と不安感や不幸な未来への予感のようなものが残っている気がします。先日、近所のファミリーマートにあった雑誌「プレジデント」を見ると、その特集が、「幸せになる練習。希望格差社会の実態」でした。こういう特集が組まれるということは、多くの人が、不安感や不幸感を持っているということだと思います。

 先日も、あるサイトに、漠然とした不安を感じて仕方ないというような書き込みがありました。そういう気持ちは、だれでも、よくわかると思います。言葉で言えるはっきりした問題ではなく、漠然と、しかしかなり継続的に未来への不安を感じているという状態です。

 しかし、私は、今はこう思っています。不安を感じているのは、まだ覚悟ができていないからで、いつ何がどうなってもいいという決心さえつけば、あとは明るくなるしかないのです。まだ不安を感じているというのは、これから来る未来の時代に乗りおくれているということです。今は、自分個人の不安につぶされそうになっている場合ではなく、そういう不安に負けそうな他人を励ます役割をしなければならない時期です。



 こういうことを書くとノーテンキだと思われると思いますが、私はもうKY路線でやることに決めたのです。不安や心配でいっぱいで過去と現在にしか目を向けていない人には話を合わせないことにしたのです。

 先日、twitterにそのようなことを書いたら、昔の生徒で今、大学四年生になっているM君が、しっかリツイートをしてくれました。

 こんな内容です。

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mokaha 中根克明(森川林)言葉の森

言葉の森は、過去も現在ももうふりかえらずに、未来に向かってまっしぐらに進む路線です。今は既に、地震が、原発が、政治家が、マスコミが、と怒ったり心配したりしている時期ではありません。

もちろん、そういう怒りや心配は必要ですが、それはあくまでも二義的なもので、私たちは新しい未来を作るために前進しなければならないところに来ているのです。

これから、まださまざまな困難や混乱がやってくるかもしれませんが、そこだけにとらわれずに、その先の明るい未来をめざしてがんばっていきましょう。

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 若者は、こういう感覚がわかるのだと思います。この感覚がわからない人は、気持ちの上で老人になっているのです。



 さて、話をもう少し個人的なことに向けると、地震や原発の過去にこだわるのと同じ心理が、身近な人に対する人間関係にも反映します。それは、相手の過去や現在に対する不満や批判や怒りです。

 なぜ身近な人に不満や批判を感じるかというと、それは、そういうことを感じる自分自身を克服するためなのです。人間は、結局だれでも同じような人生を歩んでいて、自分も過去のいつかにその不満や批判の対象となる人と同じような生き方をしてきたことがあるし、またいつか将来、その不満や批判の対象となる人と同じような生き方をするのです。そういう過去の自分と未来の自分を克服して、より新しい課題に到達するために、今目の前に嫌な人がいると考えればいいのです。

 だから、その嫌な人を、嫌だと思うままでいれば、その課題はずっと続きます。その人が目の前からいなくなっても、また新しく同じような嫌な人が登場します。なぜなら、それは相手の問題ではなく、自分の課題だからです。

 私は、だから、相手に不満や批判を持っている人に対しては、こうアドバイスをしたいと思います。「その課題は早くクリアして、もっと別の新しい課題に取り組んだ方がいいんじゃない」と。



 以上の話に共通するのは、過去や現在に目を向けず、未来に目を向けようということです。

 そして、更に重要なことは、言葉の森のこれからの活動は、新しい未来の創造にとても近いところにあるということです。

 未来の日本、そして世界を支えるものは、新しい教育です。新しい教育の中で、ひとりひとりの人間が、幸福と向上と創造と貢献の人生を生きていくことが、これからの社会作りの土台になっていきます。

 そして、この新しい教育の中心になるものは、新しい作文教育なのです。

 これからの教育に求められる重要な4つの定義は、「受験のための教育から、実力のための教育へ」「学校や塾での教育から、家庭と地域での教育へ」「点数を目指す教育から、文化を目指す教育へ」「競争を目標とした教育から、自身の独立を目標とした教育へ」というものです。

 これらの新しい教育の定義に深く結びつくのが、作文教育における「正解から対話へ」「強制から自律へ」「記憶の再現から創造の発表へ」「孤立した競争から相互の交流へ」という新しい流れです。この新しい流れを作るのが、これからの言葉の森の活動になっていくと思います。

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毎日新聞に言葉 森川林
 しばらく前に、毎日新聞の人が取材に来ました。  そのとき 4/24
テスト送信 森川林
https://www.mori7.com/za2024d0 4/24
4月保護者懇談 森川林
シラン ●今後の「森からゆうびん」の学習デ 4/22
マスクにしても 森川林
マスクにしても、ワクチンにしても、消毒にしても、 自分たち 4/21
イエスも釈迦も 森川林
イエスも釈迦も、理想の社会を築きたいと思っていた。 しかし 4/21
日本復活の道筋 森川林
 工業製品を経済発展の原動力をした資本主義は終わりつつある。 4/17
メモ 森川林
https://www.mori7.com/za2024a0 4/16
単なる作業 森川林
勝海舟は、辞書を買うお金がなかったので、ある人から夜中だけ辞 4/8
勉強は、人に教 森川林
勉強は、人に教えてもらうのではなく、 自分で学べばよい。 4/7

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手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
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●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

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●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

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●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
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