作文の勉強は、表現の勉強だと思われがちです。伝えたい中身が既にあって、それをどう表現するか工夫するのが作文の工夫だと思われています。
それは、文章を書くということが、「推すか敲くか」「梨花は一枝か数枝か」という細部にこだわることとして考えられてきた文学の歴史があったからです。
細部の表現にこだわることも、もちろん大切です。しかし、それ以上に大切なのは伝えるべき中身です。
大事なのは、推したのでも敲いたのでもいいから、要するに門が開いたのかどうかということであり、一枝でも数枝でもいいから、何しろ梨の花が咲いたのかどうかということです。
ただし、これをあまり強調すると、味などどうでもいいから食べられればいいという粗雑な世界に入る可能性もあるので、ほどほどにということは必要です。しかし、中身の方が表現の仕方よりも大切だということは、作文の勉強の土台として考えておく必要があります。
このことに関連して、たまに受験生から、「合格するためには嘘を書いてもいいんですか」と聞かれることがあります。そういうときは、はっきり、「もちろん駄目だよ」と言います。
嘘かどうか、採点者にはわからないとしても、自分自身の生き方として嘘をつくことはいけないという価値観を持っておく必要があるからです。
さて、中身が大切という場合の中身とは何かというと、一つには実例です。実例には知識的な実例と体験的な実例とがあります。人の知らないことや、人のしていないことを題材にした作文はそれだけで価値があります。
実例のほかに大事なのは、意見や感想です。ほかの人の思っていないところまで思うというのが、意見や感想の価値です。ここで思考力というものが出てきます。
みんながAだと思っているところに、「確かにAもわかるが、しかしBというものもある」と考えたり、みんながAかBかと論じているときに、「確かにAかBかということも大事だが、しかし、Cということもある」と考えたりする力が思考力です。
その思考力がどこから出てくるかというと、それは、一つには自分なりの深い体験で、もう一つには語彙力です。
自分なりの深い体験というものは、年齢を重ねる中で身につくものですが、語彙力は努力次第で身につけることができます。
その語彙力をつける最もよい方法が、難しい語彙の使われている文章を読むということです。
小中学生の場合は、問題集読書のような文章を、楽しく読む力をつけていくことです。
高校生や大学生の場合は、世の古典と言われている本を読むことです。
語彙力検定というものがありますが、語彙力を四字熟語やことわざを覚えるように知識として覚えても、使えるようにはなりません。語彙力は、難読の結果であって、語彙力そのものを目的として覚えるものではないからです。
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算数数学の勉強で、一見難しそうに見える問題があります。しかし、答えを見て、解き方を知って、「なあんだ。そうなのか」とわかる問題は、難しい問題ではありません。難しそうに見える問題です。
では、難しい問題とは何かというと、答えを見て、解き方を知っても、その解き方の考え方を理解するのが難しいという問題です。
世の中に新しい考えが登場したとき、それは、多くの場合、理解するのが難しい考え方として登場してきました。
ニュートンの力学もそうだったでしょう。ケインズの経済学もそうだったでしょう。近年では、量子論というが理解の難しい学問かもしれません。
そういう本当に難しい問題に取り組むことが思考力をつける道です。
難しそうに見える問題は、パズルのような問題ですから、いくら時間をかけても考える力はつきません。受験の算数数学の問題には、そういうパズルのような問題も多いのです。
だから、受験勉強の仕方は、自分であれこれ考えるよりも、すぐに答えを見て解き方を理解することです。そういう勉強を積み重ねているうちに、初めて見る難しそうな問題にも、おおよその見当がつくようになってきます。しかし、それは、パズルに慣れたというだけで、思考力がついたというのではありません。
では、小中学生で、本当に難しい問題に取り組むような勉強はできるのでしょうか。
その一つが、難しい文章を読むことです。
難しい文章といっても、さまざまな段階があります。ヘーゲルやハイデッガーのように超がつくほど難しい文章もあります。しかし、小学生には小学生なりに難しい文章、中学生には中学生なりに難しい文章というものもあるのです。
その学年相応の難しい文章として参考になるのが、入試問題です。
国語の入試問題集を読書がわりに読んでいると、書いてあることはわかるが、それを自分のものとして理解するのは難しいということがよくあります。
そのとき、その子の頭の中では、新しい語彙や新しい概念や新しい思考法が育っているのです。
しかし、問題集読書は、ひとりではなかなか続けにくいものです。
本当は、子供が音読をして、それを近くで聞くともなしに聞いているお父さんやお母さんが、音読の終わったあと、その文章の内容に関して家族みんなで似た話をし合うような機会があればいいのです。
言葉の森では、この家庭では続けにくい問題集読書を、寺子屋オンエアなどで続けやすくする仕組みを考えているところです。
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漢字力や計算力は、勉強の基礎です。しかし、基礎ができたから、その後の学力が自然につくというわけではありません。だから、必要以上に計算力や漢字力に力を入れる必要はありません。社会生活では、電卓でも検索でも自由に使えます。計算力や漢字力が社会生活を左右すことはありません。
しかし、基礎ができていないと、その後の学力はつけにくくなります。特に、今の受験勉強では、計算のスピードや正確な漢字力が要求されますから、受験期には、計算や漢字の力はひととおり完成されていなければなりません。
ここから出てくる結論は、いかに短い時間で能率よく計算力や漢字力をつけるかということになってきます。
計算や漢字に長時間かけると、肝心の考えたり遊んだり本を読んだりする時間が少なくなってしまいます。計算や漢字の練習は必要ですが、能率よくやっていく必要があるのです。
能率よい勉強のいちばんの鉄則は、同じ教材を同じ順序で同じように繰り返すことです。
例えば、漢字の問題集でも、ページがばらばらになったものや、いろいろな種類のものを次々にやるというのは、あまりよくない勉強の仕方です。
1冊の問題集(あるいは漢字集)だけを徹底してやれば、その漢字を覚えるだけでなく、その漢字がその問題集(あるいは漢字集)のどのへんに出てきたかということが頭に入ります。この「どのへんに出てきたか」ということがわかるというのが、繰り返し勉強の大事なところです。
計算の練習でも同じです。九九がよい勉強法なのは、同じ順序で声を出して繰り返すからです。この九九の練習でも、単語カードのように、表に「3×4」と書き、裏に「12」を書くようなものを作って練習するのでは、かえって時間がかかります。ばらばらにしたものを使うのは、仕上げ段階で定着度を試すときです。身につけるときには同じものを同じ順序でやっていく方がいいのです。
もし、単語カードのようなものを作るとしたら、それをカードとしてばらばらにしたものではなく、1枚の一覧表にしたものにしてそれを指などで答えを隠しながら繰り返すことです。そのようにすれば、その計算がそのシートのどのへんにあったかということが自然に頭に入ります。この「どのへんにあったか」ということがわかるぐらいに同じものを繰り返すことが大事なのです。
この計算シートは、エクセルの表があればすぐにできます。たとえ3×4=12や3+4=7に習熟するには、
┏━━━┓
┃12 ┃→(このセルは、「=A2*B2」などという式にする)
┣━┳━┫
┃3┃4┃→(このセルがそれぞれA2、B2の場合)
┣━┻━┫
┃ 7 ┃→(このセルは、「=A2+B2」などという式にする)
┗━━━┛
大事なことは、この計算の一覧シートを計算ごとにばらばらに切り離さずに、1枚の印刷物にしてそれをずっと使い続けることです。
勉強に時間のかかる子に共通するのは、いろいろな教材に取り組んでいることです。
今は、豊富な教材が手に入る時代ですから、それだけに、早めに1種類に絞って取り組むことが大事なのです。
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