前回、小学校4、5年生で上手な作文を書く子の話を書きました。
上手に書きたいという気持ちは、だれでも自然に持っています。しかし、上手さを目標にすると、他人がどう感じるかはわからないので、努力が空回りしがちです。
また、他人の目を意識しすぎると、作文が文字どおり「作る文」になってしまいます。
だから、目標にするのは、上手さではなく、自分らしい実例や表現や感想を書くということです。自分にしか書けないものを書くということの発展したものが、創造姓です。書いたものに価値があるのは、そこに、新しい創造や発見があるからです。
そう考えると、努力の方向がはっきりしてきます。上手に書くという目標では基準がはっきりしませんが、自分らしいものがどこかに一つでもあるように書くということであれば、子供も努力のしがいがあります。
したがって、大人の評価の仕方も、上手下手という感覚的なものではなく、「ここがいいね」「自分らしいね」「おもしろいね」というような言葉にしていく必要があります。
確かに、受験の作文で上手に書く技術というものもあります。しかし、大事なのは、他人から評価される上手さではなく、自分なりの発見や創造があるということなのです。
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前回、よく書けているが盛り上がりのない作文を書く男の子の話を書きました。
今回は逆に、上手に書けている子が、更に上手に書きたいという話です。今度は、小学校中学年と高学年の二人の女の子です。
二人とも、作文を書くことに慣れていて自信もあり、ある程度上手に書けます。特に、身近な生活作文の場合は、リズミカルでそつなく書けます。書き出しの工夫も、たとえも、家族に取材した話も、結びの感想も、普通によく書けていて、直したり注意したりするところはありません。
ところが、その二人の子と、それぞれのお母さんの要望は、もっと上手に書くにはどうしたらよいか、というものでした。
上手な子が、もっと上手に書くためには、質的な変化が必要になります。例えば、書き出しの工夫も、通り一遍の会話の書き出しではなく、そのときの情景描写から書き出すような工夫も必要になってきます。すると、そこで語彙力の問題が出てきます。語彙力は、読書の蓄積の中で少しずつ育つものなので、形だけうまく書くというわけにはいきません。
また、実例の部分も、だれにでもあるような自分の体験だけでなく、個性、挑戦、共感、感動のある体験を書くことが必要になります。しかし、そうアドバイスをしても、努力によってすぐに個性的な体験が書けるようになるわけではありません。
また、家族に取材する場合でも、一般に、お母さんに取材するよりもお父さんに取材した方が話題が広がることが多いものですが、毎回お父さんに作文に関連した似た例を取材するのは、そういう家庭生活のスタイルがなければなかなかできません。
また、作文に書く感想の部分も、深い感想を書けるようになるためには、両親や祖父母など自分よりも年長の人と日常的に対話をする機会が必要になります。
こう考えると、上手に書くというのは、テクニックですぐにできることではなく、実例や表現の足腰を鍛えるための地道な練習が必要になってくることがわかります。
ですから、小学校4、5年生で、もっと上手に書きたいという心構えは大切ですが、親がそれを子供に要求し、子供もそれを目標にしてしまうと、逆に成果が見えないために行き詰まってしまうことがあるのです。
例えば、上手に書くことを、森リンの点数を上げることと考えると、その困難さがわかると思います。いったん書いて点数の出た作文を、赤ペンによる添削で上手に直して点数を上げるということはほとんどできません。
では、既に上手に書ける子は、何を目標にして勉強をしていったらよいのでしょうか。
第一は、毎週の課題の項目と字数ができるように書いていくことです。第二は、その項目をできるだけ自分らしく書こうと心がけることです。そして、第三は、毎日の暗唱や読書によって読む力をつけていくことです。
小学校中高学年で上手に書けるようになることを目標にするのではなく、高校生になったときに上手に書けるようになるために、今は地道に練習を積み重ねていく時期なのです。
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教室に置いてある本で、誰もが熱中するような面白い本があります。「世界ふしぎめぐり2年生」「宇宙人のいる教室」「天使で大地はいっぱいだ」「ほらふきふそつき物語」「二分間の冒険」「ガンバの冒険」「モモ」「はてしない物語」などです。
「世界ふしぎめぐり」は、男の子向けの本なので、女の子は逆に読みたがらないこともあります。「モモ」や「はてしない物語」は、ある程度読書力がないと読み進められないので、小学生のときには、無理に読む必要はないとも思います。誰もが例外なく熱中する、やさしく読めて、面白くて、心の洗われる本のひとつが「宇宙人のいる教室」です。
しかし、こういういい本がすぐに絶版になります。本というアナログ的なものは、売り切れたらもう手に入りません。また、買ったものはいつまでもスペースを占有します。それがよい面ももちろんありますが、読書生活のひとつのネックにもなっているようです。
そこで、今後、図書のデジタル化が重要になってきます。これから、キンドルやiPadなどで本を読む形が次第に一般化していくと思います。
しかし、出版業界の対応は、どうしても遅れがちです。そのため、次のようなことが考えられると思います。
第一は、ブログなどの面白い記事を、PCの画面よりも読みやすい画面で、付箋や傍線などがつけられるような形の読書端末で読めるようにすることです。
今、テレビは見ないがYoutubeは見るとか、新聞は見ないがニュースサイトは見るという世代が増えています。出版についても、本は読まないがウェブの記事は読むという人が増えていると思います。
ウェブの記事を見る場合の、いちばんの問題は、画面では読みにくいということと、傍線などが引けないということです。これらを解決するための技術的な問題はほとんどないと思うので、今後、ウェブを読書がわりに読むということに徹した標準的な端末が出てくると思います。
第二は、自分で買った本を、自分流にデジタル化して読むことです。買った本をばらして、スキャナで読み込み、それを読書端末で読めるようにするということは、既に読書好きの人の間では行われているようです。言葉の森で行っている問題集読書の分冊も、このようにデジタル化して読む人がいるかもしれません。
読書のスタイルは、今後大きく変わってくると思います。
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ありがとうございます!モモシリーズ初めてしりました☆
ありがたくて、どうおれいすればいいか。
又このブログのぞかせていただきま~す!!!!
> ルイさんへ
ありがとうございます。
読書の好みには個性があるということをよく聞きますが、物語文については結構共通しているように思います。
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