曇りかけていた空が静かに晴れてきました。
今日も、おだやかないい一日になりそうです。
今年は、文字どおり新しい年になるでしょう。
日本も、世界も、いい方向に大きく転換するのが今年2012年です。
目の前にある困難は、大きな山や広い川のように行く手を阻んでいるように見えますが、それらが見えたということは、克服する道もこれからの人間の英知で開けていくということです。
言葉の森は、今年、森林プロジェクトという新しい企画の運動を広げていきます。
これからの社会は、ひとりひとりが自分の手で、本当に自分が求めているものを創造し、それを互いに共有することで豊かになっていく社会です。
これまでの、ゼロサムの果実を互いに奪い合う自己中心の競争が世の中を引っ張ると思われていた社会は、やがて静かに終息していくでしょう。
新しい時代のキーとなる概念は、人間の創造性を生かすということです。
植物が生まれつき光合成という能力を持っているように、人間はだれでももともと創造性という力を持っています。
その創造性は、人間が、ある意味で不自由な身体と言葉とを持っているところから来ています。
ここからは、頭の中の思考だけの話になりますが、もし人間が、自分の身体を自由に超越できていたとしたら創造性は必要ありませんでした。
例えば、遠くに欲しいものがあったとき、手がマジックハンドのようにビヨヨーンと伸びてそれを取ってこられるとしたら(笑)、人間は、交通や流通の手段を発明する必要性すら感じなかったでしょう。
だから、この不自由な身体、寒いときには服を着て、暑いときには日陰に入り、ころんでけがをしたときにはバンドエイドを貼るような不自由な身体が、創造性の不可分の前提となっています。
また、人間が思ったことを百パーセント相手に伝えられるとしたら、今日の何十万語もある言葉そのものを発明しなかったでしょうし、その言葉の組み合わせ方でよりよく伝わる工夫もしなかったでしょう。
更に、言葉と言葉を組み合わせて、本来ないものを表現する方法、例えばダジャレや冗談なども思いつかなかったでしょう。人間が笑える動物であるというのは、この言葉を通して世界を見ることと深く結びついています。
しかし、これまでの工業社会では、人間は自分の身体と言葉を、あたかも道具であるかのように使ってきました。
手足は、重いものを持ち上げたり、書類を書いたりするための道具でした。言葉は、向こうのものをこちらに伝える正確なモールス信号のようなものでした。そして、頭脳は、言われたことをしっかり記憶して必要なときに再現できるコンピューターのようなものでした。
人間の身体と言葉と頭脳は、そのようにももちろん使えますが、その使い方にとどまっていては、本来の使い方を発揮したことにはなりません。
本来の使い方とは、身体と言葉と頭脳を、新しいものを創造するための土台として使うということです。
未来の教育は、この人間の創造性を育てるということを最も大きな目的として新しく作り直されていくでしょう。
今年は、その新しいことがいろいろな形で日本中に生まれてくる年になると思います。
2012年(平成24年)が、みなさまにとってよりよい一年になりますように。
工業時代のニーズは消費でした。その消費のためにお金を稼ぐというのが仕事でした。
これからの文化の時代のニーズは生産です。生産と言っても、物作りのような生産とは少しニュアンスの違う文化の生産です。それが物の形をとることもありますが、本質は物ではなく文化です。だから、生産という言葉より創造という言葉の方が合っているかもしれません。
自分が何かを創造し、それを提供することによって人々が喜び、その喜びの返礼としてお金が手に入るという結果がついてきます。これが新しい経済の流れです。
最初は、小さな流れがあちこちに生まれるだけかもしれません。先ほどのスピリチュアル講座を開設した女性も、最初は近所の人の相談にのるぐらいかもしれません。しかし、やがてそういう流れの中から、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが現れてきます。
ゲイツやジョブズは、IT(インテリジェンス・テクノロジー)という工業の世界から生まれました。だから、スタートは自分の頭の中にあるアイデアでしたが、作られたものは物であり、多くの人が消費することを前提とした製品でした。
これからの文化の時代に作られるものは、単なる物ではありません。自分もその生産あるいは創造に参加できるという新しい資格のようなものなのです。
だから、女性を中心とした多数のミニ起業家の中からやがて現れてくるのは、本当は、ゲイツやジョブズというよりも、女性の松尾芭蕉や女性の千利休といった方が近いでしょう。
俳句を作るのに、工場や機械設備は必要ありません。お茶を飲むのも同様です。占いやヒーリングや運勢改善も、基本は同じです。マインドマップや速読法や記憶術も同様です。
今の世界ではまだお金を動かすために、物という形をとることも多いのですが、やりとりされる本質は物ではなく文化です。
そして、文化の本当の楽しみは、自分も創造に参加できるということにあるのです。
iPhoneを買うのも喜びですが、自分で俳句を作るのも喜びです。同じように、自分でだれかをヒーリングするのも喜びです。そして、自分のヒーリングが売れるとなれば、あるいはヒーリング講座が売れるとなれば、それは物を手に入れる消費の喜びとは質の違った喜びになるでしょう。
時代の象徴となる人物は、工業時代には、本田総一郎や井深大でした。江戸の文化の時代には、松尾芭蕉や千利休でした。そして、もう少しさかのぼれば清少納言や紫式部でした。
いずれも、登場した最初のころは、それらの人物が担う製品や文化が社会の中で大きく育つとは思われていませんでした。
今、日本は、そういう新しい文化の時代が始まる歴史の前にいます。
言葉の森が、森林プロジェクトとして考えているのも、そういう新しい文化としての教育です。(つづく)