「算数は、+-×÷ができればよい」とか、「英語は会話ができればよい」とか言う人がいます。確かに、現実の必要から遊離した受験的な勉強の行き過ぎから、そういう声が出てくることは理解できます。
しかし、学問の意義は、生活の必要のためではなく、生活の必要を超えたところにあるのです。
ある公立中高一貫校の適性検査の中に、「ハンガーに洗濯物をバランスよく干すにはどうしたらよいか」というものがありました。
左の何列目かにハンカチを1枚干した場合、右の何列目にハンカチを2枚干すかというような問題です。
このようなことを日常生活で考える人はまずいません。試しにやってみて、バランスのとれたところを見つけるというのが普通のやり方です。
では、なぜこのように、やってみればすぐわかることを、机上の紙の計算でやるのでしょうか。
実は、これが学問なのです。
もし、この問題を考えた子が、将来、宇宙ロケットのプロジェクトに参加し、月に遠隔操作でバランスのとれた装置を作るという課題が与えられたとします。その装置を月にまで持っていって、試しにやってみることはできません。
つまり、生活の必要を超えた、より高い創造的な目標を達成しようとするときに、学問は必要になるのです。
明治維新のときに、日本が急速に欧米の文化を取り入れることができたのは、この学問の力があったからです。
江戸時代の寺子屋教育は、読み書き算盤という生活の必要の範囲にとどまっていたような印象を受けますが、そうではありません。寺子屋で基礎的な勉強を済ませたあと、より高度な学問に取り組んでいった人が数多くいたのです。
例えば、伊能忠敬(いのうただたか)は、49歳で家業を長男に譲ったあと、かねてから関心のあった天文学を学び直しました。そして、地球の大きさを正確に測るために、日本列島を測量することを思い立ちました。
当時の日本には、既にそういう、生活の必要から離れた学問を専門に教える先生がいたのです。
翻って現代の教育を考えてみると、小学校低学年のころの生活の必要に結びついた勉強は、やがて高学年になり受験のための勉強へと発展していきます。しかし、そのあとの学問のための勉強につながる部分が不十分なように思えるのです。
その証拠に、生涯で最もよく勉強したのが、高3の受験勉強のときだったという人は多いと思います。本当は、大学でこそ、生涯で最もよく勉強しなければならないのです。
学問の素養は、18歳以降の古典の読書によって培われるものだと思います。
言葉の森では、将来、そういう学問力をカバーするような勉強を進めていきたいと思っています。
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夏休みの自然寺子屋合宿を、7/23~7/25 8/5~8/7 8/19~8/21の3回の予定で行います。(いずれも2泊3日)
https://www.mori7.com/stg/
言葉の森で夏合宿を行うというのは、実は久しぶりの企画です。
以前は、毎年のように近くの海や山で、子供たちを連れてキャンプをしていました。
キャンプで面白いのは、普段の勉強とは違う面が見られるということです。
特に、普段教室でよく騒ぐような子ほど、キャンプ場での仕事をしっかりしてくれます。
うるさい子ほど、キャンプ場のような場では、頼りになることが多いのです。
今回、夏合宿を再開したのは、今後、合宿教室という企画を広げることを考えているからです。
従来のサマーキャンプなどでは、ただ自然の中で遊ぶことが重点でした。
今回の夏合宿では、午前中寺子屋形式で勉強することと、午後自然の中で遊ぶこととをセットにしています。
そして、この夏合宿を、夏休みが終わったあとも、通年型の土日合宿につなげていきたいと思っています。
更に、その後は、国内の生徒の土日合宿だけでなく、海外から日本語留学に来る小中学生の長期間の合宿も受け入れていく予定です。
留学生対象の合宿教室の場合、勉強の内容は、日本語の学習だけでなく、寺子屋形式で勉強する仕方を学び、併せて日本文化を学ぶようなものにしていきたいと思っています。
いずれの合宿も、勉強だけでなく、自然の中で遊ぶ機会も作っていく予定です。
自然の中の遊びで、いちばん楽しいと思うのは、動物と触れ合うことです。
そこで、合宿場では、馬やロバやポニーを誰でも乗れるようにして、午前中の勉強のあとの午後の遊びは、各自が自分の好きな動物に乗って、近くの山や川で遊ぶというようなものにしたいと思っています。
今回の夏合宿では、まだ馬やロバはいませんが、将来は、そういう動物と触れ合うことのできる自然寺子屋合宿を作っていく予定です。
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いつもお世話になっています。講師の参加は可能ですか?そして4歳、7歳の参加枠をご検討お願いしまーす。
自炊のときとか、お風呂に連れていくときとか、手伝ってくれる人がいるとありがたいです。
今回は、小3からにしましたが、今後は幼児から参加できるようにしたいと思っています。
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先日の「希望を前提として生きる」のfacebookページのコメントとして、「明日が雨で明後日が晴れなら、明日の雨の対策を考えるより、明後日の晴れの計画を考えた方がいい」と書きました。
これが、これからの世の中の動きに対する対処の仕方です。
明日の雨は激しいかもしれませんが、じきにやみ、そのあと明後日からは長期間にわたって明るい晴れ間が続きます。
やがてやむ大雨のために対策を立てるのではなく、そのあとずっと続く晴れ間に向けての計画を立てる方が、ずっと実りのある準備になります。
子供の教育についても、同じことが言えます。
これから経済的にも、政治的にも、自然環境の上でも、厳しい雨の時代がやってくるかもしれません。
しかし、そこで、安全確実なポジションを早めに確保して閉じこもろうとするのではなく、今のうちに、そのあと来る明るい未来の社会に向けての準備をすることが大切です。
安全や安心には、一応目配りはしますが、それを第一に考えるのではありません。
第一に考えるのは、挑戦と創造の人生をどう送るのかということです。
これから、考えられる最もよい社会が来ることを前提として、その社会の中で生きる準備をしておく必要があるのです。
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