人間は、褒められれば自信がつきます。
これは、子供だけでなく大人でも同じです。
自信がつくとどうなるかというと、更に新しいことに挑戦したくなるのです。
しかし、挑戦を続けていると、必ず失敗することが出てきます。
その失敗を通して、人間はまた一回り成長します。
だから、すべての出発点は褒めることなのです。
最初から、細かいことに注意されて育った子は、その細かいことはしっかりとできるようになりますが、肝心の挑戦する自信というものが育ちません。
だから、小さくよくできる子というだけになってしまうことがあるのです。
大きく成長するためには、大きく失敗することが大事で、大きく失敗するためには、大きく挑戦することが大事で、大きく挑戦するためには、褒めて自信をつけておくことなのです。
子供を育てるのは、明日のテストの成績をよくするためではありません。
10年後、20年後の自立した人間として育てるためなのです。
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勉強はのんびり気長にやるほど得意になる
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小学校低学年の子は、作文でも、勉強でも、読書でも、遊びでも、みんな大好きです。生きていることがうれしくてたまらない時期ですから、どんなことも楽しく好きになるのです。
ところが、小学校低学年のときに、何かが苦手になることがあります。ときどきあるのは、作文が苦手になるというケースです。
その原因は、たったひとつ、早く上手に書かせようと思い、注意する量が多くなってしまうからです。
親が、注意と思っていないような一言でも、子供にとっては注意と受け止められてしまうことがよくあります。
だから、小学校低学年のころは、どんなに欠点があったり、不十分なところがあったりしても、ただひたすら褒めていればいいのです。
そして、褒める一方で、気長に長文音読と読書と対話を続けていくことです。
その音読と読書と対話も、やっているといろいろ気になることが出てきますが、全部そのまま認めて褒めてあげます。
読み方を注意したり、話し方を注意したり、読む本を決めたりすると、やがて音読も読書も対話も苦手になっていきます。
褒めるだけで上手になるのかといえば、そのとおりです。
褒めていれば、みんな上手になり、得意になっていきます。早く上達させようと思い、注意すると、苦手になり、下手になっていくのです。
人間は、繰り返していれば上達するようにできています。歩き方でも、走り方でも、喋り方でも、文章の書き方でも、続けていれば自然に上手になります。
学年が上がると、アドバイスによって急に上手になるという場面も出てきます。しかし、その場合でも、それまでの長い蓄積があるから、一言のアドバイスで上手になるのです。
だから、大事なのは、気長に続けていくことです。そのために、いつも気長に褒めていくことです。
音読も、読書も、作文も、生活の一部となるぐらいに自然に続けられるようにしていくことが大事なのです。
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褒められれば誰でも嬉しくなります。
この嬉しくなることが大事です。
嬉しくなると、もっとやってみようと思うようになります。
叱られてもっとやらされるのと違って、嬉しくなってもっとやるのは全然くたびれません。
そして、更に自信がついてくるのです。
褒めるときは、いつでも小さくたくさん毎日が基本です。
そして、たまに叱るときは、ドカンと大きく一発短く一瞬で終わるようにです。
その逆が多い(笑)。
その通りですね!近い将来ではなく、本当の将来を見据えて考えたいです。
生徒への指導を横で聞いていた娘が、指導が終わると「どうして私にはああいう風にホメてくれないの?」と言ってすねていました。私自身は同じようにホメていたつもりでも、やはり「母」と「先生」の心持は違うのだと初めて気づきました。
こども側でも「母」にホメられるのと「先生」という他人にホメられるのでは、嬉しさがちがうのかもしれません。
「先生」としての仕事の意義を再認識すると同時に、娘にも「先生」という他人にホメてもらう場を与えた方がいいな、と思う出来事でした。
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以前、ホームページの記事で、信号の話を書きました。
小さい子供にお母さんが話しかけるとき、「赤は止まれ、青は進めだよ」というような知識を教えるような話しかけ方と、「赤の次はすぐ青になるのに、青から赤になるのはどうして途中に黄色が入るんだろうね」というような考える話し方をするのとでは差があるという話を書きました。
子供が小さいとき、親の話はほとんどが新しいもので、その話を通して子どもはいろいろなことを吸収していきます。
この親の話の中に、知識的な話と思考的な話があるのです。
知識を教えるような話し方を中心にしていると、子供の知力の方向は答えを覚えるという方に進みます。
考えを楽しむような話し方をすれば、子供の知力の方向はやはり考えることの楽しさを味わう方向に進みます。
今の世の中は、本でも、テレビでも、インターネットでも、色々な媒体から知識の情報が流れてきます。
親のできることは、更に知識を教えることではなく、考える楽しさを味わう方向で話しかけることなのです。
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思考力は、答えのない世界を楽しむことで育つ
https://www.mori7.com/index.php?e=2207
これからの学力で必要になるのは、知識の量ではなく、考える力です。
あらかじめ用意されている答えを知識としてたくさん知っているというのが、これまでの学力でした。今の大人の多くは、自分自身がそういう勉強をしてきたせいで、いまだに知識の量を増やすことを勉強だと考えがちです。
そのため、子供に対しても、知識の有無を問うような対応をしがちです。
「これ、知っている?」「えー、こんなのも知らないの」「お父さん(お母さん)は、もっとこんなことも知っているよ」というようなやりとりです。
しかし、そういう知識の量を増やすだけの学力は、もう時代おくれの学力です。
これから必要になる学力は、思考力です。
思考力とは、正しい答えを探す力というよりも、答えのない世界を楽しむ力です。
子供の思考力を伸ばすためには、親が考える楽しさを示すことが大事です。それは、ちょうど、子供を読書好きにするために、親が楽しく本を読んでいる姿を見せることと同じです。
だから、子供との対話も、「これ知ってる?」「えー、知らないの」というようなやりとりではなく、親が自分で体験したこと、発明したこと、発見したことを、楽しそうに子供に話すことが重要になります。
発明、発見というと無理だと思う人もいるかもしれませんが、体験というのも、発明や発見と同じ思考力の表れです。「こう思ったから、こうしてみた」という行動は、答えのない世界を楽しんでいるからできるのです。
子供との対話を楽しく進めるには、知識のやりとりをするのではなく、こういう思考力のやりとりをすることが必要になります。
対話は、互いに自分の体験談で似た話をするから面白くなります。
知識だけの話は次第に狭く収斂していきますが、体験談の似た話を次々に拡散していきます。
この対話を楽しむことが、子供の思考力を育てていくのです。
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子供に接するとき、親は全能で何でも知っているかのようにふるまう必要はありません。
むしろ、わからないけれど一緒に考えるという姿勢が、子供の考える姿勢を育てます。
作文の題材で、子供が親に似た話を聞くことがあります。
特に感想文のときは、子供自身の体験以外にほかの人からの話を聞くのが役に立ちます。
そのときに、親は、たとえぴったりの話が見つからなかったとしても、一緒に考えるという姿勢を示すことが大事なのです。
知識の勉強は答えがはっきりしています。
だから、ついそちらに目が行ってしまいがちですが、知識はあとからどうにでもなるのです。
大事なのは考える勉強です。
しかし、考える勉強は答えがはっきりしないので、つい後回しになりがちです。
だから、考える勉強は、考えることを楽しむという形で進めていく必要があります。
そのためには、親自身が考えることを楽しむような話し方で子供と接していくことが大事なのです。
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