オンラインの教育のいいところは、アットホームな雰囲気で勉強ができることです。
それぞれの生徒が、自分の家で勉強に参加するのですから、先生が生徒に、
「今、どんな本読んでる」
などと聞くと、生徒が、
「あ、ちょっと待ってて」
と、ごそごそと横に置いてある本棚を探して見つけてくるということがよくあります。
また、何か複雑な連絡がある場合は、先生が、
「お母さん、いるかなあ」
と聞くと、
「います。おかあさーーーーん」
「はあい」
などという場面もよくあります。
また、子供どうしは、お互いに東京と大阪のように遠く離れていて、会ったこともないのに、他の人の本の紹介や趣味の紹介を見て、
「おもしろそうなので、自分もその本を読みました」
とか、
「自分も、家でその実験をしてみました」
などということがときどきあります。
しかし、これまでの形式の勉強をオンラインにするだけでは、こういう交流はできません。
勉強の仕方も、オンラインに合わせて、自学自習+発表学習に変えていく必要があるのです。
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寺子屋オンエアは、家庭学習だけで基本となる勉強力をつけるという企画です。
勉強は、誰かに教えてもらうよりも、自分ひとりでやった方がずっと能率よくできるものです。しかし、家庭でひとりでやっていたのでは、あまり張り合いがありません。また、たまには、誰かに聞きたいことが出てきます。そのときに、一緒に勉強している友達がいて、見守っていてくれる先生がいれば、家庭でのひとりでの勉強もずっとやりやすくなります。
インターネットは、そういうグループ学習と個人の学習を結びつけることができるようになりました。家庭という最も居心地のよい環境で、友達や先生と一緒に勉強することができるようになったのです。
ところで、今言葉の森が考えているのは、この寺子屋オンエアの未来の形です。
基本となる学習は、確かに寺子屋オンエアでできるようになります。しかし、その能率のよい勉強でできた自由な時間を、ただテレビを見たりゲームをしたりしているだけでは、充実した時間の使い方とは言えません。
そこで、その自由な時間も、寺子屋オンエアの特別コースに参加できるようにするのです。その特別コースには、ロボット作りコース、音楽交流コース、ファッションコース、お菓子作りコース、テーマ別た読書会コースなど、教える先生の個性と生徒の個性がマッチしたものが多数できるはずです。
通常の交流は、家庭でネットを使って行いますが、時どきは実際に会って交流する機会も作ります。
これからの時代は、特に個性や創造性が必要となってきます。その個性や創造性もまた、人間どうしの交流の中で進んでいくのです。
「寺子屋オンエアの未来形―勉強力をつけたあとは個性を伸ばす教育」
https://www.mori7.com/index.php?e=2308
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私の考えているネット教育のイメージは、
1.田舎の山奥で暮らしている先生が、
2.遠く離れた離島で暮らしている子供たちと、
3.やはり遠く離れた海外で暮らしている子供たちと一緒に、
4.オンラインで勉強を見て、
5.夏休みなどは、一緒に合宿所でリアルな交流をする。
というものです。
もう、ほぼ実現していますが。
ネット教育は、利便性や経済性で語られることが多いのですが、本当は、人間の交流を深めるためのものです。
アメリカ流のオンライン教育ではなく、日本流のオンライン教育を作っていきたいと思います。
新しい教育の形ですね。
いろいろな講座を楽しみにしています。
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小学校2年生のころまでの子は、何でも素直に受け入れます。
だから、親が言ったことは、そのまま素直にやろうとします。
そのため、親はついやらせすぎてしまうことがあるのです。
この時期はむしろ勉強的なことは抑え気味にしておくことです。
そして、その分、子供が自主的にやるような工夫をするのです。
子供の勉強が、親が考えていたよりも早く終わったとき、ほとんどの人は、
「そんなに早く終わるのだった、ついでにこれもやろう」
と勉強の追加をしてしまいます。
この予定外の追加に反発できる子はいいのです。それは自主性の育っている子です。
反発せずに素直にやる子は、その後、集中力なく勉強する子になります。
早く終わると追加されるのだから、だらだらやる方がいいと思ってしまうのです。
親は、まず自分が当の子供だったらどう思うかということを想像してみることです。
そして、子供の気持ちになって、その子がいつも楽しく勉強できるように工夫していくことです。
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小学1年生の勉強で大事なことは、勉強の仕方です。何を勉強するかということよりも、どう勉強するかということが、その後の学力の伸びを左右していきます。
この記事は、「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」の続きです。
https://www.mori7.com/index.php?e=2306
前の記事で書いたのは、第一に、楽しくやることでした。第二に、自主的にやることでした。
第三に、子供の自主性を育てるためには、勉強の分量を多くしないこと、早く終わったからといって勉強の追加をしないことです。
集中力がない子の多くは、勉強のしすぎという状態になっています。親から見てちょうどいいと思うぐらいの分量は、子供にとっては多すぎるものです。しかし、子供は反発するほどの基準が自分の中にないので、親に言われたことは一応そのまま素直に受け止めます。その結果が、集中力のなさとして出てくるのです。
第四に、例外は作らないことです。勉強は、人間が成長するために欠かせないものですから、雨の日も、風の日も、土曜も、日曜も、旅行に出かけたときも、やると決めたことは、分量は少なくしたとしても毎日欠かさずにやっていくことです。
この毎日欠かさずにやる習慣をつけるためにも、親が関与する面はできるだけ少なくしておくことが大事なのです。
例えば、問題集の丸つけなども、親がやるのではなく、子供が自分でやるほうがいいのです。親がいなければできない勉強だと、親の都合でやらない日が出てくることもあるからです。
第五に、子供の学力をつけるいちばんの勉強は、実は、読書と対話と経験です。
漢字のドリルや計算のドリルは、いかにも勉強らしい感じがしますが、そういうドリルをやるのは、一応学校の勉強が普通にできるようになるためです。それ以上のものはありません。小学生の勉強は、どの教科も一応できているだけで十分なのです。人よりよくできるとか、毎回百点を取るとか、何学年も先取りするとかいうことにこだわる必要はありません。
それよりも、読書と対話と経験で、自分なりに考える力と語彙の力と実際の体験を身につけておくことがその子の将来の本当の学力になるのです。
言葉の森の作文も同じです。
小学校低学年は、楽しく書くことが大事で、上手に書くことを目的にするものではありません。子供は素直なので、上手に書かせようと思えば、すぐに上手に書くようになります。しかし、そういう上手さには無理があります。低学年のころに上手に書きすぎた子は、勉強が長続きしないのです。
大事なことは、作文を毎週書くという勉強をきっかけにして、音読や対話や経験の習慣を作ることです。しかも、それらの習慣は楽しくなければ本当の力にはなりません。音読や対話や経験を楽しい習慣にするためには、親がいつもよいところを見て褒めてあげることなのです。
「小学1年生の勉強は、集中力をつけること、例外を作らないこと、読書と対話と経験を重視すること」
https://www.mori7.com/index.php?e=2307
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小学1年生から、勉強をする習慣が見についていると、後に楽ですね。テストがあるから勉強するのではなく、習慣として毎日続けていきたいです。
子供が幼児や小学生のときの親の重要な役割は、勉強させることではありません。
面白い話をしてあげることです。
そのためには、子供と一緒にいる時間は、いつもその場に合った、子供が興味を持つような考える話を見つけるようにするといいのです。
結構、親も大変(笑)。
子供の教育でいちばん大事なことは、幸せな子供時代を送るようにさせることです。
それ以外のことは、あとからどうにでもなります。
だから、自分が子供だったらどう思うかということをいつも考えていくといいのです。
自主性、集中力は、小さいときに身につけてしまえば本人も家族も充実した生活を送れるようになりますね。
結果楽しくなる→どんどん学力がつく、という理想的なサイクルをつけてゆきたいものです。
一見勉強のように見える作業、ドリルや漢字練習ももちろん大事ですが勉強の本質を見失わないようにしなければいけません。
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国語力をつけるためには、まず「読む」ことが大切です。
問題を解くとか、漢字を覚えるとか、ことわざを覚えるとかではなく、何しろまず「読む」ことなのです。
しかし、ただ読むだけでは漠然としています。
だから、感想文を書くために読むという形の勉強が効果的なのです。
読む勉強の先取りは限られています。
算数数学の場合は、学年よりも先の勉強がいくらでもできます。
しかし、国語はそうではありません。
読む力は、その学年ごとにつけていかなければなりません。
小学生のうちに読む力をつけることは大事ですが、それで中学生まで間に合うのではありません。
中学生のときに読む力がついても、それで高校生まで間に合うわけではありません。
それぞれの学年ごとに、その学年に応じた読む力をつけておくことが大事なのです。
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言葉の森の作文指導の特徴は、長文を読んでその感想文を書くことを中心としていることです。ただし、感想文中心になるのは小5以降で、それまでは身近な題名の課題が中心です。
なぜ感想文を書くことを中心にするかというと、学年が上がるほど読む力をつけることが必要になってくるからです。
文章を読む力は、語彙力として表れます。受験の国語問題に出てくる文章は、その学年の子にとってはなじみのない言葉が多く使われています。
語彙力のある生徒は、何とか内容を読み取りますが、語彙力のない生徒は、読解問題も当てずっぽうで解くようになります。
国語の成績を上げるには、問題文を理詰めで読み取る必要があるのですが、語彙力がないと読み取る段階まで達しないことも多いのです。
長文を読んで感想文を書く勉強をしていると、その長文を深く読み取ろうとするようになります。
事前に長文の音読を何度もしていると、難しい内容の文章でも全体の内容がおおまかにわかります。更に、その長文音読をもとに、親子で似た話などをしていれば、文章を読み取る力は更についてきます。
このように、感想文を書くために長文を読むという練習をするので、難しい長文を読む力がついてくるのです。
長文を読む力は、一度つけばそれで終わりではありません。
小学校高学年のときの難しい文章と、中学3年生になってからの難しい文章では、質が違います。また、中学3年生のときの難しい文章と、高校3年生になってからの難しい文章でも質が違います。
言葉の森の作文の勉強は、小学生から高校生まで、それぞれの学年に応じた難しい文章を読み、感想文を書く練習を中心としているのです。
「国語力をつける作文指導は、長文を読んでの感想文の指導」
https://www.mori7.com/index.php?e=2313
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中学生のときに、国語が苦手で、言葉の森の長文読解問題を熱心にやってめきめき力をつけた生徒がいました。
そして、いい高校に入ったのですが、高校生になってから、たぶん本をあまり読まなかったのでしょう。
高校3年生のときは、国語の成績がかなり落ちていたのです。
国語は、それぞれの年齢に応じて難しい文章を読まなければ低下します。
それでも、大学入試の前に気を取り直して、また国語の勉強を始め、何とか東大に入ったのです。東大って(笑)。
読む力は食事と同じです。
食いだめということは、ある程度まではできますが、来年の分まで先に食べておくことはできません。
しかし、「小4までに読書を全部済ませておいて、小5からは受験に専念」というようなわけのわからない方針を立ててしまう人も多いのです。
大人になっても読書習慣は続けていきたいですね。
「継続は力なり」
継続的に年齢に応じた難しさの文章を読むことで、語彙や文体がインプットされます。そして初めて自分で書けるようになるのです。
そのときの自分に合った本に出会うことが大事ですね。この場所で、「これだ」「読みたい」「読ませたい」という本にたくさん出会えて感謝です。
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小学1年生の勉強は楽しくやるものです。
苦しいことを我慢して厳しくやるものではありません。
子供は素直ですから、多少の厳しい勉強にも黙ってついてきます。しかし、そういう子はあとが続きません。
楽しくやるためには、勉強の分量を親から見て物足りないぐらいに減らしておくことです。
そして、その勉強を子供が自分でやっていくようにするのがいいのです。
親は、その様子を横でにこやかに見ているのです。
親が先頭に立って子供を引っ張って勉強させるのではありません。
後ろからときどき励ましの声をかけてあげるだけです。
そして、勉強のことばかりでなく、日常のいろいろな話題で親子でできるだけたくさんの会話をしていくことなのです。
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小学1年生の勉強で大事なことは、勉強の仕方です。何を勉強するかということよりも、どう勉強するかということが、その後の学力の伸びを左右していきます。
この記事は、「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」の続きです。
前の記事で書いたのは、第一に、楽しくやることでした。第二に、自主的にやることでした。
第三に、子供の自主性を育てるためには、勉強の分量を多くしないこと、早く終わったからといって勉強の追加をしないことです。
集中力がない子の多くは、勉強のしすぎという状態になっています。親から見てちょうどいいと思うぐらいの分量は、子供にとっては多すぎるものです。しかし、子供は反発するほどの基準が自分の中にないので、親に言われたことは一応そのまま素直に受け止めます。その結果が、集中力のなさとして出てくるのです。
第四に、例外は作らないことです。勉強は、人間が成長するために欠かせないものですから、雨の日も、風の日も、土曜も、日曜も、旅行に出かけたときも、やると決めたことは、分量は少なくしたとしても毎日欠かさずにやっていくことです。
この毎日欠かさずにやる習慣をつけるためにも、親が関与する面はできるだけ少なくしておくことが大事なのです。
例えば、問題集の丸つけなども、親がやるのではなく、子供が自分でやるほうがいいのです。親がいなければできない勉強だと、親の都合でやらない日が出てくることもあるからです。
第五に、子供の学力をつけるいちばんの勉強は、実は、読書と対話と経験です。
漢字のドリルや計算のドリルは、いかにも勉強らしい感じがしますが、そういうドリルをやるのは、一応学校の勉強が普通にできるようになるためです。それ以上のものはありません。小学生の勉強は、どの教科も一応できているだけで十分なのです。人よりよくできるとか、毎回百点を取るとか、何学年も先取りするとかいうことにこだわる必要はありません。
それよりも、読書と対話と経験で、自分なりに考える力と語彙の力と実際の体験を身につけておくことがその子の将来の本当の学力になるのです。
言葉の森の作文も同じです。
小学校低学年は、楽しく書くことが大事で、上手に書くことを目的にするものではありません。子供は素直なので、上手に書かせようと思えば、すぐに上手に書くようになります。しかし、そういう上手さには無理があります。低学年のころに上手に書きすぎた子は、勉強が長続きしないのです。
大事なことは、作文を毎週書くという勉強をきっかけにして、音読や対話や経験の習慣を作ることです。しかも、それらの習慣は楽しくなければ本当の力にはなりません。音読や対話や経験を楽しい習慣にするためには、親がいつもよいところを見て褒めてあげることなのです。
「小学1年生の勉強は、集中力をつけること、例外を作らないこと、読書と対話と経験を重視すること」
https://www.mori7.com/index.php?e=2307
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小学校低学年のころの勉強は楽しくやるのが基本です。
楽しくやるためには、できるだけ自主的にやらせることです。
自主的にやらせるためには、勉強の分量をぐっと少なくしておくことです。
分量を多くすれば、子供は手を抜いたり、だらだら時間をかけてやったりするようになります。
集中力のある勉強は、分量が少ないからできるのです。
それが、「よく学びよく遊べ」の土台です。
子供の勉強を褒めるときも、褒め方に工夫が必要です。
長くやったとか、たくさんやったとか、よくできたとかいうことを褒めるのではなく、自主的にやったということを褒めるのです。
まちがったとか、できなかったということは、むしろ大歓迎です。
その分、成長する余地があることがわかったことになるからです。
小学校入学前の保護者の方にぜひ読んでいただきたいですね。
なんでも楽しいことは長続きしますね。
例外をつくらないことは、ぜひ念頭におきたいですね。しかも楽しい勉強に。
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中学の入試問題には、人生論あり、比較文化論あり、言語論ありで、小6の生徒が普通に読むような文章ではありません。
作文も、「人間は」とか「人間にとって」という大きい一般化した感想を書かなければなりません。
しかし、お父さんお母さんが、自分の子供のころをふりかえってみるとよくわかると思いますが、小6でそういう一般化したことを自然に考えられる子は早熟な子だけです。
ある調査によると、「人間は」ということを自然に書ける子は、小6の50パーセントしかいないそうです。
では、どうしたらいいかというと、考えはそこまで行かなくてもいいから、語彙だけを先に豊富にしておくのです。
その方法が問題集読書です。
しかし、問題集読書をひとりでコツコツやれる子はまずいません。
問題集の文章をエッセイ集のような感じで楽しく読めるのは、かなり実力のある子です。
だから、寺子屋オンエアでは、問題集読書をチェックすることをメインにして、希望によって先生に音読のメッセージを送れるようにしています。
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言葉の森の作文指導は、小学校低学年のときは楽しく書くのが基本です。間違いを直すことばかりに熱心な指導では、確かに間違いは直りますが、それよりもすぐに書くことが嫌いになってしまいます。
間違いは、作文の中で直すのではなく、読む力をつける中で直すのです。
一年生で会話をカギカッコで書くことと改行することができない子がいたとします。この子に、カギカッコと改行を教えて、次回から直るということはまずありません。何度も何度も同じことを教えても、それができるまでに何ヶ月もかかるのが普通です。
なぜかというと、普段の日常会話で、会話にカギカッコがついていたり、改行されたりしていることはないからです。あったら、漫画です。
会話のカギカッコと改行は、本の中で現れます。本を読んでいる子は、自然に、会話はカギカッコがついていて改行されていることを見ています。そういう読書の蓄積がある子は、もし会話のカギカッコと改行ができていないときも、一度説明するだけで次回からはすぐに正しく書くことができるのです。
言葉の森の作文指導は、低学年のころは楽しい作文ですが、高学年になると考える作文になります。
低学年のころの楽しい作文の経験があるからこそ、高学年の考える作文も同じように楽しく取り組めるのです。
考えるというのは、抽象的に考えるということです。
例えば、意見について理由を書くというときに、理由が書けずに実例を書いてしまう生徒がかなりいます。自分の経験したことに結びつけて書くことはできるのですが、誰にも共通する一般的な理由として書くという抽象的な思考ができないのです。
この考える力、思考力も、読む力から来ています。
子供たちが読む本は、物語文がほとんどです。物語文は、ストーリーという事実中心に書かれているので、わかりやすく誰でも読めます。
これに対して、説明文や意見文は、ストーリーがありません。その代わりに、物事の因果関係などの抽象的な構造が文章の骨格になっています。こういう文章を読むことによって、作文を書くときも抽象的な構造のある作文が書けるのです。
ところが、子供たちが楽しく読める説明文は、あまりありません。身近なところでは、小学生新聞に載っているコラムなどが読みやすい説明文ですが、こういう文章が本として出されることはほとんどありません。
そこで、おすすめするのが、国語の入試問題集です。入試問題集の問題文の中には、読みにくい悪文もありますが、概して内容的に優れたものが多いからです。また、内容に興味を持った問題文であれば、出典を参考にしてもとの本を読むこともできます。
しかし、この問題集読書は、家庭ではなかなかできません。形だけやっているように見えても、ただ眺めているような読み方をしている子が多いのです。
言葉の森では、寺子屋オンエアなどで、この問題集読書にこれから力を入れていきたいと思っています。
「思考力をつける作文と、その裏づけとなる問題集読書」
https://www.mori7.com/index.php?e=2300
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「私の友達」というテーマで作文を書いたとき、結びの感想に、「友情とは(人間にとって)」と書けるのが、精神年齢が成長している子です。
しかし、普通の小6の子は、そういうことはまず考えません。
小6の子にとって、友達とは、そこにいる具体的な友達だけなのです。
以前、自分が小6のとき書いた作文を読んだことがありますが、すごく幼稚でした(笑)。
小6のときの作文は、身近な話なら表現力の問題ですが、人生や社会についての話になると、その子の精神年齢に左右されます。
だから、作文を上手にするよりも、読む力をつけておくのがいいのです。
そこで身につけた語彙力が、その後の作文の中に生きてくるのです。
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