マンリョウ
●動画:https://youtu.be/tCgwJIsHyCo
子育て真っ最中のお母さんは、子供の成績にいちばん目が行くと思います。
小学3年生ごろまでは、子供はお母さんの生き方を模倣するので、お母さんに価値観に合わせて生きていきます。
しかし、そこで一歩立ち止まって考える必要があります。
保育園から小学校低学年の時代に、教育熱心な親のもとで育った子供たちは、みんな勉強がよくできています。
しかし、それは、ほとんど小学生時代の成績で終わり、中学、高校と進むにつれて、成績は人並みになる子が多いのです。
その反対に、小学生時代は、普通の成績だった子が、中学、高校と進むにつれて、どんどん学力を伸ばしていくケースもあります。
その差は、何かということです。
小学生時代は、親や先生がやらせれば、成績はみんな上がります。
勉強した時間に比例して、成績は上がるのです。
しかし、それがいつまでも続くわけではありません。
学力の伸びが続くためには、読書と対話と遊びによる意欲作りが大事なのです。
そして、それよりも大事なことは、子供時代の早い時期に、幸福感を育てることです。
その幸福感の最初のインプリンティングが、その子のその後の人生の幸福感の土台になります。
私の例で言うと、私は自然の中にいると、無条件に幸福になります。
花が咲いていたり、草が風に揺れていたり、空が青く晴れて雲が浮いていたり、野原に寝転ぶと草の匂いがしたりするときに、無条件に、世界は美しく、人生も美しいと思うのです。
しかし、もし、子供たちが、そういう幸福感でなく、スマホでゲームをしてクリアしたときに幸福感を感じているとすれば、その幸福感も一生続くと思います。
私も実はゲームは好きだったので、今でも、ゼルダの伝説やファイナルファンタジーの音楽を聞くと、そのときの幸福な感覚が戻ってきます。
しかし、もしそういうところにだけしか幸福感がなかったとすれば、人生は随分味気ないものになると思います。
人間は、太古の昔から、自然と一緒に生きてきました。
人工の環境が、自然の環境よりも優勢になったのは、ここ数十年のことです。
特に、不自然なのは、子供たちがマスクをしたり、消毒をしたりして生活するようになってからです。
大人は、今から、子供たちの幸福感の環境を作り直す必要があります。
そのためのひとつの例は、小さな生き物を飼うことです。
メダカでも、小鳥でも、犬でも、猫でも、何でもいいのです。
子供は、自然や自然の生き物と接する中で、原始的な幸福感を身につけます。
多くのお母さんは、「うちはマンションで生き物を飼えないから」とか、「子供がぜんそくだから」とか、「どうせ親が面倒を見ないといけなくなるから」という理由で、子供を人工的な環境にとどめておこうとします。
だから、これは、お母さんの決心次第です。
子供が、一生続く幸福感を育てるために、小学生時代は特に、自然の中で自然と一緒に楽しむ生活をしていくのがいいのです。
メジロ2羽
●動画:https://youtu.be/i_u85PflCQs
苫米地さんの「
日本転生 絶体絶命の国の変え方」が、やっと届いたので読みました。
教育に関する章で、大事なところのひとつは、「大学は、基礎学問(リベラルアーツ)を学ぶところであって、職業訓練や就職活動のために行くところではない」ということです。
その例として、アメリカのトップスクールの学習量は、1日20冊の専門書を読むのは当たり前で、苫米地さんがいたイェール大学では、1学期で半分以上の学生がいなくなったということです。
これには、私も同感です。
生徒の作文の進歩の様子を見ていると、小6、中3、高3ぐらいの学年で、急に作文の質が上がることがあります。
だから、本当は、高3のあと、大学生になってからの読書と作文の勉強があればいいのですが、大学ではそういう授業はありません。
これは、学生の知的な成長にとって、とてももったいないことだと思います。
少なくとも、大学生になったら、難しい本をしっかり読んでほしいと思います。
そのためには、中学生、高校生のうちに、物語文だけでなく、説明文・意見文の本を読んでおく必要があります。
もうひとつの大事なところは、「被支配者教育はやめて、天才教育を行う」ということです。
中学生や高校生の勉強を見ていると、どうでもいいことを定期テストで課せられて、そのどうでもいい勉強のために時間を費やさざるを得ない状況があります。
学校の先生は、ある意味で被支配者教育の枠組みで先生になったのですから、子供たちにも同じような被支配者教育をしようとします。
つまり、言われたことを素直に消化することが教育だと考えているのです。
言われたことを素直に消化するのは、小学校低中学年のうちは必要ですが、小学校高学年や中学生、高校生になったら、それを超えて、自分らしい創造や発表をすることが大事です。
しかし、今の学校では、そういう個性を伸ばす教育はありません。
では、こういう日本の教育を変えるためにどうしたらいいかということです。
苫米地さんは、問題点を明確に述べていますが、その対策を立てるには、強力なリーダーシップが必要だと考えています。
しかし、教育の改革は、政治のリーダーシップがなくてもできると私は思います。
その方法は、言葉の森が行っているようなオンラインの少人数クラスの教育を広げることです。
言葉の森のオンラインクラスでは、全国から、ある曜日のある時間帯に5人の生徒が集まります。(海外からの生徒もいますが。)
そのクラスで、例えば、作文や国語や算数数学や英語などの勉強をします。
そして、そのクラスで、毎週、読書紹介をします。
このオンラインクラスの中に、勉強のよくできる子が自然に集まるクラスがあります。
そういうクラスでは、それぞれの生徒の読書紹介も、かなりレベルが高くなります。
こういうクラスをたくさんつくり、そこで、リベラルアーツ教育と天才教育の方向を目指すのです。
もちろん、勉強のよくできない子だけが集まるクラスがあってもいいのです。
そのクラスで、そのクラスに合った授業を行えば、みんな勉強ができるようになるからです。
言葉の森が、このオンラインクラスの入口として考えているのが、小学1・2・3年生対象の基礎学力クラスと、小学4・5・6年生対象の総合学力クラスです。
基礎学力クラスは、幼長の子も対象です。
総合学力クラスは、中学生の生徒も対象になりますが、教材の選定などの準備が必要なので、開設は少しあとになります。
基礎学力クラスの勉強の内容は、国語、算数、暗唱、創造発表です。
総合学力クラスの勉強の内容は、国語、算数、英語、創造発表です。
ひとつの講座で、基本となる教科学びますが、もっと力をつけたいという場合は、国語クラスや算数クラスや英語クラスに参加することができます。
作文クラスや創造発表クラスやプログラミングクラスに参加することもできます。
私が考えているのは、日本によりよい教育を作り、日本をよりよい国にすることです。
そのためのキーになるのが、教育の新しいプラットフォームを作ることです。
オンラインの少人数クラスの教育を進めることによって、新しい日本の教育を作っていきたいと思います。