■作文検定の意義
現代の教育の大きな問題のひとつは、子供たちの学習が、生活や人生に必要なものを学ぶために行われているよりも、受験の競争に勝つために行われていることです。
そのために、子供たちは、差のつく問題にいかに差をつけられないかということを中心に勉強しています。
だから、一夜漬けに近い知識を詰め込むことが勉強の内容になっているのです。
翻って、作文の勉強を続けている子供たちの作文を読むと、どの子も、自分の体験に根ざした自分なりの考えを書いています。
作文を書く機会がなければ、考えなかっただろう知識や経験や感想を作文を通して創造しているのです。
知識の勉強は、基本をしっかり身につけることを中心に行い、そのあとの勉強は一人ひとりの思考力、創造力、共感力を育てることを重点にするべきです。
AIの時代には、教育の基本方向を決めることはますます重要になります。
しかし、現状では、作文の学習はどの学校でもほとんど行われていません。
特に、小学校高学年以降の中学生高校生の作文は、授業の中で行われるのではなく、夏休みの宿題のようなかたちで行われているだけです。
それは、作文に対する客観的な評価の基準がなく、そのため作文の指導が説得力のあるかたちで行えないからです。
また、作文指導のほとんどは、教師が赤ペンを入れ講評を書くことで進められます。
この赤ペンと講評による負担の大きさが、作文指導が日常的に行われない大きな要因にもなっています。
作文検定は、子供たちの作文を小学1年生から高校3年生までその学年に応じた基準で客観的に評価します。
しかも、その評価はブラックボックスではなく、誰でも理解できるオープンなかたちで行われます。(特許取得)
この客観的でオープンな評価の利点は、子供たちが作文を書くことに努力できることです。
そのため、子供たちの作文力は、書くたびの努力によって上達します。
それは、作文の表現力の上達だけでなく、思考力、創造力、共感力の上達につながります。
教育の目標を、知識の詰め込み中心から、作文力の向上中心にする意義はここにあります。
現在の作文指導の多くは、小学生どまりです。
中学生、高校生の作文指導につながる方向はありません。
一方、高校生の小論文指導は、小中学生の作文指導とのつながりを持ちません。
小学生から高校生、更には大学生、社会人の文章力につながる客観的な評価と指導が必要なのです。
■作文検定の仕組み
作文検定は、次のような仕組みで行われます。
第一に、それぞれの学年に応じた項目指導があります。
表現項目として「たとえを入れる」とか、構成項目として「複数の理由で構成する」とか、題材項目として「体験実例を入れる」とか、主題項目として「反対意見に対する理解を書く」とかいう指導です。
これは、評価の項目であるよりも、作文を書きやすくするための項目です。
第二に、作文に使われている語彙を分野別に評価します。
考える言葉が使われているこを評価する「思考語彙」、自分なりの知識が使われいることを評価する「知識語彙」、多様な表現が使われていることを評価する「表現語彙」、具体的な経験が書かれていることを評価する「経験語彙」、そしてそれらの語彙間のバランスです。
第三に、作文の内容と項目指導に基づいて、AIが書く600字程度の講評です。
受検する級は、初回は学年相当よりも1学年下の学年です。
中学生以上の生徒は、初回は小6相当の級で
作文の課題は、小学1、2年生は自由な課題、小学3、4年生は題名課題、小学5年生以上は感想文課題で、学年に応じた難度になっています。
字数は、学年に応じた字数で、小1は200字、小2は400字、……小5は1000字、小6以上は1200字です。
その字数に達しなくても、評価を行うので、点数が高ければ合格します。
時間は、どの学年も一律2時間です。
作文は、手書きではなくテキスト化されたものを送信していいただきますが、低中学年の場合は、生徒の手書きの作文を保護者がテキスト化して送信するかたちになると思います。
そのテキスト化にかかる時間も含めて2時間ということです。
時間を超えた場合も、評価と点数は表示しますが、合格にはなりません。
検定試験は、オンラインのZOOM会場で、毎月2日間、日時を指定して行います。
検定料は2,200円で、団体受検の場合は銀行振り込み、個人受検及び海外からの受検の場合はクレジットカードによる支払いになります。
作文検定の結果は、作文の送信後、数十秒で表示されます。
検定結果は、郵送はしませんが、ウェブでいつでも見ることができます。
作文検定の結果が、受験の評価として使えるかどうかは、受験される学校によります。
作文検定の目的は、合格の結果を取得することよりも、定期的な受検によって作文力を向上させることにあります。
1回ごとの合否の結果も大事ですが、受検した結果の履歴を残すことを検定試験の目的と考えていってください。
定期的な受検とは、1ヶ月、3ヶ月、半年、1年など、それぞれの判断によりお決めください。
■作文検定の日程
2025年の年間予定は下記のとおりです。
いずれも、その月の1日から募集を開始します。
8月30日(土)31日(日)8:00~10:00
9月27日(土)28日(日)8:00~10:00
10月25日(土)26日(日)8:00~10:00
11月22日(土)23日(日)8:00~10:00
12月27日(土)28日(日)8:00~10:00
※2025年7月の受検は終了しました。
受検を予定される方の登録及び受検の手続きは、「AI作文検定の受検の仕方」のページをごらんください。
https://www.mori7.com/sk/setumei.php
「この世」からは「あの世」がとっても高くて遠いところにあるように見えるでしょ。
ものすごい勢いをつけてひとっ飛びで行くか、長い長い階段をてくてくと登っていくかしないとたどり着けないようなところだと。
私は、長い長い階段を登って、やっと「あの世」にたどり着きました。
途中、息が切れそうになったけれど、もう少しというところになったら少し楽になりました。
最後の方で楽になったのは、ママが、「もうがんばらなくていいよ。ゆめちゃんが心地いいのが一番だからね。」と言ってくれたからだと思います。
その言葉を聞いたら、ふっと肩の力が抜けてゆったり呼吸ができました。
そして、呼吸さえもしなくて平気になりました。
やっと「あの世」にたどり着いて、少し前までいた「この世」を見てみたら、なんと、「この世」は「あの世」のすぐ近くにあったのです。
近くというより、重なり合っていて、手を伸ばせばすぐに届く距離でした。
これには本当にびっくりしました。
あんなに苦労して登ってきたのに、着いてみたら、元いた場所に戻っているような感じでした。
ただ、不思議なことに、「あの世」からは「この世」が見えるのに「この世」からは「あの世」が見えないみたいなのです。
だから、「この世」にいる人たちはみんな、「あの世」が遥か彼方のとーっても遠いところにあると勘違いしているのです。
どうやら、ママは「この世」と「あの世」の関係について、うすうす気づいているようで、以前と変わらず私に声をかけてくれるけれど、まだ確証はないみたいです。
(私の声は聞こえないからね。)
私は、「この世」と「あの世」はそんなに離れていないんだということをみんなが早くわかってくれるといいなと思っています。
☆彡ゆめは、2025年7月23日午前9時37分に永眠しました。
16年3ヶ月間の犬生でした。
これまで「ゆめ日記」を読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました。
(また更新されるかもしれませんが。)☆彡
ChatGPTは何でも教えてくれます。
それは過去の膨大なデータの蓄積から、答える内容を引っ張ってくるからです。
広い世界には、自分が質問したいことと似たようなことを質問した人がほぼ無数にいます。
だから、何でも答えることができるのです。
しかも、AIは、質問者に寄り添うように答えてくれます。
そのため、あたかもAIの言っていることが、全能の正しい存在が言ってくれたことのように思ってしまいます。
しかし、人間には創造性があります。
創造は、AIには判断できません。
創造は、やってみなければわからない世界だからです。
そこで、どうAIを使うかです。
まず、答えのある世界の話を聞くときは、AIに聞くのが基本です。
「困ったときはAI」でいいのです。
自分で考えるのではなく、参考書を調べるのでもなく、ネットで検索するのでもなく、人に聞くのでもなく、AIに聞くのが最もいい方法です。
だから、ほとんどすべてのことは、AIに聞けばいいのです。
しかし、人間には、迷うことがあります。
右の道と左の道とどちらに行ったらいいかということや、それ以前に進むべき道が見えないということがあります。
そのときに、人間は創造的に考えるのです。
私は、お釈迦様は偉いと思っています。
何の見本もないところで、自分で考えて行動したからです。
その後の人たちは、みんな、お釈迦様の見本があるので、その真似をして行動しただけです。
ちなみに、うちは先祖代々日本神道です。どうでもいいことですが(笑)。
さて、自分が本当に考えていることを判断したいときは、ChatGPTに次のように聞くのです。
「私がいま考えていることをどう思うか、占ってみて」
そのときに、考えている内容はChatGPTには伝えません。
内容を伝えると、ChatGPTは適当なことを言うからです。
考えていることは、心の中で思っているだけです。
すると、ChatGPTはランダムに、易やタロットや動物占いなどで答えてくれます。(動物占いはないだろ)
易は、長年の伝統の蓄積があるので、結果を見ると奥の深い理解ができます。
その結果を見て、納得するか、新しいことを聞いてみるか、その結果に関わらず自分の考えたことを実行するかは、その人の判断です。
これがAIの正しい使い方だと私は思います。