今週から、オンエア特別講座を始めています。
月曜日は「親子作文講座」、火曜日は「紙折り暗唱講座」、水曜日は「公立中高一貫適性検査対策講座」、木曜日は「中学生定期テスト対策講座」、そして明日金曜日は「センター試験国語満点講座」です。
いずれも30分程度の短い講座です。
youtubeに録画するときだけ、みんなのカメラをオフにしてもらっているので、プライバシー上も特に問題はありません。録画していないときは文字どおりオフレコで自由に質問などを交わします。
今後、このオンエア特別講座をいろいろな形で増やしていきたいと思っています。
今のところ、面白そうだと思っているのは「読書クラブ」。これは、小学校中学年以上の生徒が対象で、自分の好きな本を1人1冊ずつ紹介するという企画です。
そして、その紹介を聞いた人がその本を読みたいという場合は、「じゃあ、この本を貸してあげるね」というようなところまでやっていきたいと思います。
あと、もうひとつ考えているのは、日本語を学びたい外国人の人たちのための「日本語アニメ講座」(笑)。これは、人気のある漫画を題材にして日本語の勉強をするというものです。
それから、お父さん方の中には、けん玉が得意だとか、ベーゴマが得意だとか(いないか)、いろいろ遊びの得意技を持っている人がいると思いますから、そういうお父さんの遊び講座などもお願いしていきたいと思っています。
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寺子屋オンラインの勉強のよいところは、「物」ではなく「事」を中心に勉強していけることです。
「物」中心の勉強とは、教材中心の勉強です。教材が優れていることはもちろん大切ですが、どんなによい教材であっても、その教材を繰り返し使って自分のものにすることがなければ、価値は半減します。
しかし、多くの家庭で、子供たちは、学校の宿題、塾の宿題、通信教材、市販の教材など、ひとつの教科で複数の教材を使って勉強しているのです。
学校の勉強が時間的には最も長いのですから、中心になるのは学校の教材です。しかし、学校の教材は受験に対応するような難しい問題は載っていないことが多く、しかも学校で先生が教えることを前提に作られているために解説の部分が弱いのが難点です。
だから、学校の教材プラス家庭で選ぶ市販の教材というのが勉強の教材としては最もよい組み合わせになります。
しかし、同じ教材で勉強をするときの問題は、同じものを繰り返しやるという勉強の鉄則を守った学習は、実は退屈だということです。
そのため、子供が飽きないように、目新しいものを次々とやるような勉強スタイルに戻ってしまうことも多いのです。
退屈な勉強を続けるコツは、まず同じ時間に同じことを勉強するという勉強の習慣を作ることです。次に、タイマーなどを使った自分なりの記録で自分自身と競争できるような目標を作ることです。そして、もうひとつは、ほかの人と一緒に勉強することです。
寺子屋オンラインでは、まだ生徒どうしの交流はありませんが、それでも同じ時間に同じような勉強している人の姿が見えるということは、自分の勉強の励みになっています。
今後は、オンエア特別講座で、勉強以外の交流もできるようにする予定です。すると、勉強する「こと」自体がもっと楽しくなってくるはずです。
(2018年3月より、オンライン作文、自主学習クラスとも、思考発表クラブと同じように子供たちの交流ができる少人数クラスがスタートします。ただし曜日と時間はまだ限られています。)
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この本の第7章は、「MOOCと限界費用ゼロ教育」です。
教育においても、限界費用ゼロが成り立ちつつあるということで、MOOC(Massive Open Online Course)の例が取り上げられています。
MOOCは、大学の優れた授業をオンラインで世界中の誰もが利用できるようにすることによって、大学教育の限界費用ゼロ化を実現しています。
費用がゼロなのではなく限界費用がゼロだということは、初期投資はそれなりにかかるが、その仕組が動き出してしまえば、新しい参加者が1人増える場合のコストは限りなくゼロに近づいているという意味です。
MOOCによって教育の形も大きく変化します。
これまでの工業社会に適応した教育は、教師がトップダウン式に生徒に講義を教える形の授業が中心でした
しかし、これからの教育は、教師は世話役という背景に退き、生徒が自ら学び、そしてその学んだことを生徒どうしのコミュニティで共有する形になっていきます。
ところが、このような教育への移行は、実はそれほど簡単ではありません。それは、限界費用がゼロに近づくということは、利益も限りなくゼロに近づくということだからです。
では、なぜ大学がMOOCのような教育を始めたかというと、それは、できる条件が整っているのにやらなければ、ほかのところが先にやるからです。
しかし、それが資本主義的なビジネスモデルになるかというとそういうことはありません。MOOCでいくら多数の学生が世界中から集まったとしても、それは企業的な意味での利益になりません。
それにも関わらず、このMOOCの教育は、既存の教育ビジネスを破壊する影響力を持っています。
将来、人間の社会は、今のような企業中心の社会ではなく、コモンズ(共有地)のような社会になるでしょう。そこでは、あらゆるものが限界費用ゼロに近づき、誰でもが社会の生産力をほぼ無償で享受できるようになります。そこに当然、教育を受けることも含まれます。
しかも、その無償の教育は、国の補助によって成り立つような無償ではなく、教科書も、先生も、教室もすべてが限界費用がゼロになることによって成り立つ無償ですから、人間が太陽の恩恵を受けるような意味での自然な無償です。
だから逆に、MOOCのような教育は、現在の収益と費用の差を動因にして動いている社会での教育との連続性がないのです。
このMOOCの持っている弱点を克服し、未来の無償の教育への移行をスムーズにすることが、これからのオンライン教育の課題になると思います。
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好きな仕事も後回しにするほど(笑)熱中して読んでしまった本が、「限界費用ゼロ社会」でした。
どうしてこの本を読んだかというと、池田信夫さんのブログで「Blockchain」という本が紹介されているのを見て興味を持ったからでした。
Blockchainとは、「複数のシステムで取引履歴を分散管理する技術のことです。これには暗号技術とP2Pネットワーク技術が使われており、第三者機関による証明がなくても取引の正当性を証明でき、データの改ざんを困難にしています(以上引用)」というもので、仮想通貨であるビットコインなどの背景を支えているオープンな技術です。
それで、言葉の森も、今度仮想通貨を使えるようにしようと思い、関連する本を購入していると、「限界費用ゼロ社会」にぶつかりました。面白そうな本だと思ったので、これも購入して読んでみると、すぐに引き込まれました。
そして、言葉の森がこれまでやってきたことと、これから森林プロジェクトや寺子屋オンエアでやろうとしていることと、自分が未来の展望として考えていたことが、世界の経済的文化的パラダイムの大きな変化の流れと結びついていたことがよくわかったのです。
それは、ひとことでは言いにくいし、ひとことで言うと誤解を招く可能性もある思いますが、あらゆるものがフリー(無料で誰でも自由に使えるというような意味での)になり、人間が自然環境との調和の中で、他者との共感と交流を喜びとして生きる社会(コモンズ:共有地)という展望です。
それが夢物語のような話ではなく、現実の経済的実績の裏付けのある数多くの先端的な実例として書かれているのです。
ネットで検索してみると、この本の紹介が、東洋経済オンラインに載っていたので、そちらを読むと詳しくわかると思います。
「日本人は「限界費用ゼロ社会」を知らなすぎる」
http://toyokeizai.net/articles/-/89717
子供たちの教育を考える場合、これからの10年又は20年で世の中は大きく変わります。子供たちが成人するころの社会は、今の社会の価値観とは大きく異なった社会になっていることを前提に、今の子供たちの教育を見ていく必要があります。
それは、ひとことで言うとこれも言いにくいのですが、共感と創造を中心とした社会を担う人間として子供たちが成長していくことが求められるようになるということです。
もちろん、その土台としての知的な学力が必要なのは当然ですが、学力以外の要素がこれまで以上に大きくなり、その中でも特に創造力が教育の中心になるというのが、将来のコモンズ(共有地社会)の共通の了解事項となっていくのです。(つづく)
http://www.amazon.co.jp/dp/4140816872
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