まず作文を書く以前の、文字を書く練習を始める時期についてです。
 文字は小学校に上がってから書けるようになればいい、という考えがあります。
 しかし、子供は周囲の家族や親や兄弟のしていることを真似したがります。
 兄や姉がノートに字を書いているのを見ると、必ず自分も同じようなことをしてみたくなります。
 子供が文字に興味を持って書き始めた時期が、文字の練習を始める時期です。
 なぜかと言うと、自己流に文字を書く時期が長いと、整った字の書き方を身につけにくくなるからです。
 勉強の開始時期は、機械的に決めるのではなく、本人が興味を持った時期ということを基準にしておくといいのです。
 さて、小学1年生のころは、経験すること、話をすること、読むことが勉強の中心で、書くことはそのあとの勉強です。
 ところが、学校によっては、1年生の早い時期から作文を書く指導を始めるところがあります。
 そのときに、既に読む力が十分にある子は、作文の勉強についていけます。
 しかし、読む力がまだ不十分だと、作文は直されるだけの勉強になり、苦手意識を持ってしまうことがあるのです。
 だから、1年生のころから正しい書き方をできるようにしておく必要があります。
 しかし、それは苦しい思いをさせてやるものではありません。
 1年生の作文の勉強の基本を一言で言えば、楽しく勉強しながら正しい書き方を身につけるということです。
 また、1年生で、作文を上手に書くことを目標にする必要はありません。
 学校の作文の宿題などでは、上手に書くことを求められる面がありますが、小学一年生の子供に上手さを要求すると勉強に無理が出てきます。
 それは楽しく書くことと相反することが多いのです。
 特に1年生のころは、作文のコンクールに入選するというところまでを目標にしないことです。
 コンクールの入選を目標にすると、どうしても親が口を出したくなります。
 子供が自主的にできる範囲を超えて親が作文のアドバイスをすると、確かに上手にはなりますが、子供が自分で書く喜びを失わせる結果になります。
 親が子供の教育に関わることは大事ですが、その関わりはあくまでも子供の自立心や自主性を尊重する方向でやっていく必要があります。
 そのためには多少不十分なところがあっても、本人が自分の力でやれる範囲に留めておき、それ以上の要求はしないという姿勢が必要になります。
 こういう関わり方を続けていけば、子供が高学年になってからも親子で協力して勉強を続けていくことができます。
 さて、作文を書く勉強の第一は、書くことを準備することです。
 時々、よく書ける子の中に、本をよく読んでいるので、実際の自分の経験を作文に書くのではなく、頭の中に浮かんだ物語を作文として書く子がいます。
 小学1年生のころは、読んだものがそのまま頭に入っているので、読んだ本と同じような文章がすらすらと出てきます。
 そういう作文も、もちろん書いていいのです。
 しかし、実際の自分の経験を通して見たり聞いたり行動したりしたことを書くことで、書き方の工夫ができるようになります。
 ですから、作文に書くことは、自分の経験を中心にしますが、たまたまその週にあったことに任せるのではなく、家庭で意識的にそれぞれの季節の行事や遊びなどを取り入れていくといいのです。
 言葉の森では、実行課題集というものを作り、それを参考にして家庭でいろいろな取り組みができるようにしています。
 自然の観察に出かけたり、家で料理を作ったり、工作や実験をしたりというような経験を作文の題材として使っていくのです。
 
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 小学1年生のころの子は、何も教えていないときは、みんな作文が好きです。
 しかし、教え始めると、好きになる子と嫌いになる子が出てきます。
 そして、熱心に教えると、それに比例して嫌いになる子が増えてきます。
 作文のような答えのない勉強は、教え方の工夫が必要なのです。
 体験学習に来た子に、「作文を書くのは、好き? 普通? 苦手?」などと聞いて、「好き」と言う子は、これまであまり作文指導を受けてこなかった子です。
 ですから、表記もできていないことが多いのですが、その代わり教えられていないから、作文が好きなのです。
 逆に、「苦手」と言う子は、正しい書き方がきちんとできます。
 しかし、作文が嫌いで苦手と思っているのです。
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 要約や記述以外のもっと長い作文、感想文、小論文などの練習については、家庭で勉強をするのは難しいと思います。
 逆に、要約や記述の練習は、家庭でやっていく方がずっと能率よく数多く楽に勉強できます。
 以下、作文、感想文、小論文などをまとめて、広義の「作文」という言葉で説明していきます。
 ときどき、「作文と小論文は違う」などと言う人もいますが、全然違わないというのが言葉の森の立場です。
 例えば、「私の友達」のような身近な説明文的な課題でも、出来事を中心に生活作文的に書くこともできますし、友情論のような形の論文として書くこともできます。
 題材が中心になれば作文的になり、主題が中心になれば論文的になり、その中間の文章は随筆的なものになります。
 そして、どのような文章であっても、構成、題材、表現、主題が優れているものが上手な文章です。
 だから、作文と小論文の区別を考えるよりも、まずよい文章を書くことを心がけていけばいいのです。
 さて、この作文の練習については、言葉の森の作文教室で勉強をしていくのが最もよいやり方になると思います。
 言葉の森には、通信コースも通学コースもありますが、通信コースは電話指導なので、通学と同じような形で勉強できます。
 今は、希望者には、オンラインで先生の顔を見て電話指導を受けることもできます。
 オンラインの場合は、そのままほかの生徒の勉強している様子を見ながら勉強できます。
 他の教室を否定するわけではありませんが(笑)、作文教室と銘打っている教室の多くは、あまり系統的な指導をしていません。
 講義の多くは原稿用紙の使い方や表記の仕方の注意のようなもので占められ、あとは生徒の書いた作文を赤ペンでたっぷり添削するという方法です。
 子供の作文は、いくら赤ペンで添削しても上手にはなりません。
 作文を書き出す前の準備の段階で、どう書いたらいいかを指導し、その指導に沿って評価していく中で書く力が少しずつ上達していくのです。
 そして、書く勉強だけでは作文力の上達には限界があるので、書くことと並行して長文音読のような読む勉強に力を入れていく必要があります。
 作文の練習は、言葉の森で勉強をするのがいちばんいいとは書きましたが、勉強の内容をより充実させるためには、先生の指導に任せきりにしないことも大事です。
 家庭では、次の二つの取り組みをしておくといいのです。
 一つは、書く前の準備として、作文の課題に関して、親が似た話をしてあげることです。
 この家庭での似た話の準備をしてくる生徒は、毎回の作文がとても充実したものになります。
 また、親と話をすることで、語彙力や思考力が育ってきます。
 準備というと親の負担が大きいと思う人もいるかもしれませんが、作文の課題について親子であれこれ話をするというのは、実は楽しいことなのです。
 話のコツは、勉強的にやらずに、脱線してもいいので楽しい雑談のような雰囲気で話していくことです。
 家庭での取り組みのもう一つは、返却された作文の誤字や表記ミスを家庭で書き直す練習をしておくことです。
 それは、誤字や誤表記は、一度指摘されたぐらいではなかなか直らないからです。
 受験作文の場合は、特にこの書き直しが重要になります。
 先生から返却された作文を、親子で協力してよりよい表現や実例に書き直し、一つの模範解答の作文となるように仕上げておきます。
 それを受験の前までに、何度も音読し、同じテーマで同じ文章が短時間で書き上げられるようにしておくといいのです。
 以上のように、作文の練習の場合も、家庭での親の関わりが必要になります。
 大事なことは、その関わりをできるだけ親の負担がなく続けられるように工夫していくことです。
 
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 作文は、家庭で親子だけでやっていくのが難しい勉強です。
 それは、指導の方法がないので、注意するだけの勉強になってしまうからです。
 また、上達に時間がかかるので、教えることに自信が持てなくなってくるからです。
 だから、家庭では書く前の準備の対話と、基礎力作りの読書に力を入れていくのがいいのです。
 よく、「作文なんか、さっさと書いちゃいなさい」というお母さんがいますが、なかなかそういうふうにはいきません。
 特に、高学年の作文はかなり苦しいのです。
 字数も、小学4年生までは自然に伸びていきますが、5年生、6年生になると逆に字数が減ってきます。
 更に、小学生のときに作文が上手に書けた子が、中学生になるとみんな下手になります。
 それは課題が意見中心になり難しくなるからです。
 この苦労をのりこえて高校生までがんばるといいのです。
お世話になっております。
物語を書くことを続けていても、国語力は伸びますか?
作文、感想文、小論文などをまとめて、広義の「作文」としているとのことですが、物語も作文に入るのでしょうか?小1,2年のころから、物語ばかり書き、心配になってこちらで質問しました。「3年生になると題名作文や、感想文があるので自然と移行していきます。」と言われ、安心していたのですが、3年になった今、結局「題名」に関連した物語もしくは創作童話を付属した感想文を書いており、すべて物語に分類されるような気がします。このままでよいのでしょうか?
nami様
 お返事遅れて失礼しました。
 小さころから物語の本をよく読んでいる子は、生活作文も物語のようになってしまうことがあります。
 しかし、物語的な作文は、どれも同じような表現と内容のものになってしまうことが多くなります。
 この場合は、(1)物語の本だけでなく、説明文の本の面白さを経験できるようにする、(2)読書だけでなく実際の経験の時間を豊富にする、ということで少しずつ作文の内容を、物語から現実に変えていくようにするといいと思います。
 しかし、子供がいまやっていることを別の方向に直そうとすると、子供は自分の作文が否定されたように感じますから、直すのではなく、新しい方向を広げていくということでやっていくといいです。
 そして、子供が偶然そういう現実的な作文を書いたときに、それを大いに評価してあげるのです。
 できないことを直すのではなく、できたときに褒めるということでやっていってください。
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 昨日の思考発表クラブで、嬉しい話がありました。
 小学6年生の女の子で、以前、理科が苦手だからどういう勉強をしたらよいのかと聞かれたことがあったのです。
 その子と、その子のお母さんは、理科の問題集をやるつもりで勉強の仕方を考えていたそうです。
 私のアドバイスはそれとは違って、理科や社会は教科書を何度も読んでいれば自然にできるようになる、理科の中でも計算を含む算数的な問題については問題集の解法を何度も繰り返して覚えるとよいとアドバイスをしたのです。
 そして1か月後の昨日、懇談会の中で、その子が先日の理科のテストで百点を取ったという話を聞きました。
 もしこれが問題集を解くような形の勉強をしていたら、たぶん時間がかかり苦労が多い割に点数はもっと低かったと思うのです。
 なぜかと言うと、問題集を解く勉強はできたかできなかったかという確認で終わることがほとんどだからです。
 できたものは、もともとやらなくてもできたはずのものですし、できなかったものは何度も繰り返さなければできるようにはならないものだからです。
 ところが、問題集を解くとそれで勉強が一段落したことになってしまうので、問題を解いても実力がつくのはほんのわずかなのです。
 これは、私自身の体験でもそういうことがあったので、ある程度確信を持って言えるのです。
 昔、私が中学2年生のとき、定期テストの歴史で一人だけ満点を取ったことがあります。
 確か103点満点のテストでした。
 なぜそんなことを覚えているかというと、滅多になかったことだからです(笑)。
 テスト前の勉強は、いつも特にしていないのになぜよくできたかというと、お昼の弁当の時間に歴史の教科書を読書代わりに楽しく読んでいただけなのです。
 野口悠紀雄さんの中学高校の英語の勉強も、そういうものだったようです。
 英語の教科書が面白いので、何度も読んでいたら自然に英語ができるようになったということです。
 英語の勉強というと、穴埋め式の英語の問題集をやろうとする人が多いのですが、そういう勉強は時間ばかりがかかる能率のあまりよくない勉強法です。
 ただ読むだけというのがいいのです。
 問題を解く勉強は、鉛筆や消しゴムを使うので、勉強しているような雰囲気になり、本人も周りで見ている人も安心します。
 教科書を寝ころがって読むような勉強は勉強らしくないので、本人も周りで見ている人もそれがいい勉強法だとは思いません。(別に寝ころがらなくてもいいのですが)
 しかし、その気楽に寝ころんで繰り返して読むだけの勉強が、最も効率のよい勉強法なのです。
 形にとらわれるのではなく、内容を中心に考え、読む勉強を家庭学習の中心にしていくとよいと思います。
 
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 読む勉強法の反対が、解く勉強法です。
 昔、自主学習クラスで、数学が苦手だという中学生の子の勉強の仕方を見ていたら、問題集をただ何問も解いているだけだったのです。
 だから、数学の勉強にかなり時間がかかります。
 しかし、成績は一向に上がらなかったのです。
 こういう子は、勉強の仕方を変えればすぐに成績が上がるのです。
 子供たちの勉強の能率が悪いいちばんの原因は、人に教わる勉強に慣れているからではないかと思います。
 最初は試行錯誤でも、勉強は家庭で自分のペースでやるのがいいのです。
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 次は、記述力の練習方法です。
 問題集などから、一つの問題文を選び、その感想を書く練習をします。
 1文の平均は約50字と考え、指定した字数でまとめるようにします。
 この感想の書き方で大事なところは、ある考えともう一つの考えを対比して書くことです。
 しかし、それが難しいようであれば、ただ字数を指定して書くだけでもかまいません。
 字数は、50字にまとめるとか100字にまとめるとかを自分で決めて、その字数の感覚をつかめるように練習します。
 この場合、決めた子数ぴったりにまとめるということを心がけると、細部の表現を工夫する力がついていきます。
 記述のコツは、対比して書くことです。
 対比して書くとは、「Aだと思う」とだけ書くのではなく、「BではなくAだと思う」とか、「確かにBという考えもあるが、Aだと思う」というように、自分が書こうと思うことと対比する考えや事実がわかるようにするということです。
 記述の問題の多くは、この対比が重要なポイントとなるところで出されています。
 対比の仕方には、ほかに、「Bではなく、Aになった」とか、「Bでありつつ、Aであった」とかいうものもあります。
 この対比を自覚して書いていくと、輪郭のはっきりした記述になってきます。
 この記述の練習も、毎日やるためには、親が簡単に評価する仕組みを作っておく必要があります。
 そのためには、元の問題文と照合して内容が合っているかどうかまで見る必要はなく、ただ書かれた記述の文章を見て、それが意味の通ったものであるかどうかだけを見ておけばよいのです。
 というのは、もし内容とずれている記述であっても、それは注意して直るものではないからです。
 読む力と書く力がつけば、自然に内容に合った記述になってきます。
 国語の勉強は、繰り返しているうちに、次第に中身が伴ってくるという特徴があります。
 だから、何度も練習するという基礎力をつけておくことが大事なのです。
 
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 算数・数学の勉強は、ただ繰り返しているだけではできるようになりません。
 理屈を理解するのが勉強の基本です。
 国語の勉強とは、これとは反対です。
 理屈を理解するより以前に、何しろ繰り返すことが大事なのです。
 繰り返しているうちに、自然に読む力、書く力がついてきます。
 理屈による理解は、そのあとの最後の仕上げになるのです。
 「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があるように、国語の勉強は繰り返しているうちに、自然にできるようになる面があります。
 これは、国語だけでなく、英語など語学の勉強にも共通するものだと思います。
 理屈により理解は、まず繰り返して慣れたあとにしていくものです。
 理屈による説明を先にすると、かえって難しくなるのです。
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 国語力には、読む力のほかに書く力もあります。
 例えば、要約の問題、記述の問題、作文や小論文の問題などです。
 読む力の基本が、難しい文章を読みなれることだったのと同じように、書く力の基本は、書き慣れることです。
 その書き慣れるという基礎力の上に、書き方のテクニックがあります。
 大事なことは、テクニックよりも時間のかかる基礎力を早めにつけておくことです。
 書く基礎力をつけるためには、週に1回や2回、国語の教室に通って勉強をするのでは間に合いません。
 短時間でよいので、家庭で毎日書く練習をすることが大切です。
 では、書く練習はどのようにするのでしょうか。
 まず、要約の練習です。
 要約の練習で大事なことは、素早くまとめる力をつけることです。
 時間のかかる練習方法では、子供が飽きてしまいます。
 簡単にできるやり方で、毎日続けていくのです。
 まず、要約のもとになる文章を読みながら、自分なりによくわかったところ、大事そうだと思うところに、線を引いていきます。
 この場合、中心になるのは、よくわかったというところです。
 よくわかったところが、大事なところだと思えなくてもかまいません。
 自分なりに、なるほどと思ったところに線を引いていくのです。
 一通り読み終えたら、自分が線を引いたところだけを選んで飛ばし読みをします。
 その飛ばし読みを何度か続けると、文章の全体の流れが頭に入ります。
 そこで改めて大事なところを選ぶようにします。
 1文の平均の長さを50字と考えると、150字の要約であれば3文です。
 最初は3文にまとめるぐらいを目標に、大事だと思うところを3か所選びます。
 そして、その3か所の文をつなげれば要約の出来上がりです。
 これを言葉の森では、三文抜き書きという呼び方で練習しています。
 最初は、文章の中心とずれたところで三文抜き書きになってもかまいません。
 要約らしい形ができていれば、練習を続けるうちに、あとから内容が伴ってくるようになります。
 この、形を先にする練習であれば、どの子も要約の練習ができるようになります。
 この練習を毎日するのです。
 元にする文章は、国語問題集の問題文から選びます。
 ところで、要約のあと、その文章を見てあげる人がいなければ、子供にとってはやはり張り合いがありません。
 そこで、お父さんやお母さんが、その要約の文章をチェックします。
 このときに大事なことは、その要約が元の文章の内容と合っているかどうかということではありません。
 そこまで考えると、要約のチェック自体が負担になるので、親の都合で要約の練習が毎日はできないということになりかねません。
 要約の練習は、要約に慣れることが目的ですから、チェックはもっと簡単でいいのです。
 要約した文章が分かりやすく書かれているかどうかがチェックの基準です。
 この練習を繰り返していると、誰でも楽に要約ができるようになります。
 そして、要約の仕方に慣れてきたら、次は、字数を指定して150字なら150字ぴったりに1文字の過不足もなくまとめる練習をします。
 それができたら、時間制限をして、その時間内にまとめる練習をします。
 こういう目標があると、要約の練習は楽しくなってくるからです。
 
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 書く力の練習には、テクニックを覚えるより前に、書き慣れるという基礎力をつけておくことが大事です。
 基礎力をつける練習には、家庭での毎日の自習が必要です。
 そして、家庭での自習でいちばん大切なのが、できるだけ簡単なやり方で続けることなのです。
 簡単なやり方で、短時間で、毎日欠かさず、そしていつも褒める、というのが勉強の基本です。
 勉強を教えることに慣れていない人ほど、難しい複雑なやり方で完璧に理屈どおりに勉強を教えようとします。
 そういう勉強のさせ方は、2、3回はうまく行きますが、やがて子供が負担になり、叱る回数が増えてきて、そのうちに続かなくなります。
 できるだけ手を抜いて、楽にできる方法で、毎日続けていくのがいいのです。
 昔、ケセラセラという言葉がありましたが、ちょうどそんな感じでやっていくといいのです。
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 自主学習クラスでは、国語の問題集読書を中心に、家庭学習のチェックをしています。
 これは、特に国語の勉強が家庭学習だけでは続けにくいからです。
 普通、国語の家庭での勉強というと、問題集を解くような形の勉強になります。
 しかし、これでは国語力はほとんどつきません。
 それは、かける時間のわりに読む量が少なすぎるからです。
 国語力の基礎は、難しい文章を数多く読み慣れることです。
 その基礎力の上に問題を解くテクニックがあります。
 その勉強法として最も役に立つものが問題集読書です。
 問題集読書で深く読む力をつける一方、普通の読書で読むスピードをつけ、更に高度な読書で考える力をつけていくというのが国語力を育て王道です。
 ところで、この自主学習クラスでは、国語以外の他の教科の勉強もチェックできるようにしています。
 特に、今後役に立つのが、スタディサプリを使った算数数学の1年間先取り勉強です。
 なぜ、算数数学を先取りしておくといいかというと、受験期の1年間は受験用の算数数学の勉強をすることができるからです。
 特に、日本の入試問題は算数数学の成績で差がつくようになるので、受験期には受験に特化した算数数学の勉強をしていけるといいのです。
 家庭学習を基本にして、家庭だけでは続けにくくなる勉強を、オンラインで先生がチェックするという勉強法は、今後いろいろなところで取り組まれてくると思います。
 特に、長文音読や、読書や、問題集読書のような形の残らない勉強には、この「家庭学習」プラス「オンラインチェック」というのは有効な勉強法になると思います。
 
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 今回はちょっと話を変えて、スタディサプリの先取り勉強についてです。
 特に、算数数学の1年間先取り学習が、日本の受験体制の中では有利になります。
 本当は、先取りの勉強などをする必要はありません。
 しかし、大学入試の数学においては、先取りの有無で大きな差がついてしまいます。
 だから、小中学生のうちから、学校の勉強に頼らない先取りの勉強法を身につけておくといいのです。
 勉強は家庭での独学が一番です。
 昔は独学用の教材が限られていましたが、今は豊富にあります。
 本当は、学校の教科書が独学できるように作られていればいちばんいいのですが、今はその代わりにスタディサプリなどの利用ができるようになっています。
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 垂直統合から水平分業へということで、コンピュータ産業が構造転換したときの様子を図解でわかりやすく説明しているページがありました。
パラノイアだけが生き残る
(池田信夫氏のブログより)
 この記事の趣旨は、自動車産業においても、EV化が水平分業の形で進むということです。
 しかし、私は、ここから連想して、教育産業にも同じことがあてはまると思いました。
 今の教育の本流は、垂直統合です。
 学校という場が、教材も先生も教室も用意して、垂直統合的に子供の教育を行っています。
 部分的に、学校とは別の習い事に行ったり、学習塾に行ったりする面はありますが、それは本流ではありません。
 しかし、インターネットの活用が、今後、教育においても、水平分業を進めていくと考えられます。
 そのひとつの象徴が、年々増加する不登校という現象です。
 平成27年度の調査によると、小学生の生徒数は654万人と、前年度よりも6万人減っています。
 しかし、不登校の数は2万6千人と2千人も増えています。
 中学生の場合は、347万人と前年度よりも4万人減っています。
 しかし、不登校の数は9万7千人と2千人も増えています。
平成27年度学校基本調査(確定値)の公表について
 ありえないことですが、このグラフをずっとそのまま延長していけば、やがて生徒数よりも不登校の数の方が多くなる時期が来るということです。
 不登校というと、まるで学校に登校することが当然のことで、登校しないことが例外的なことのように思われがちですが、そういうことはありません。
 私自身の子供時代をふりかえっても、学校の勉強は本当に退屈でした。
 いつも、窓から外を見ては、スズメなどの小鳥は自由でいいなあと思っていたものです。
 ただ、当時は不登校という選択肢があるとは知らなかったので、つまらなくても我慢して学校には行くものだと思って行っていただけです。
 そのときに自分を励ます言葉が、「○○ちゃんに会うために行くんだ」ということでした。
 もちろん、中には学校が好きでたまらないという人もいると思いますが、私は自分の経験から、不登校というのはごく普通のことのように思っています。
 ところが、昔は、学校の垂直統合度が今よりも高かったので、学校に行かないと勉強がわからなくなるという心配がありました。
 学校以外の選択肢というものが、あまりなかったのです。
 しかし、今は、学校以外の選択肢はかなりあります。
 それにも増して重要なことは、フリースクールなどのやはり垂直統合型の学習の場を選ぶ以外に、水平分業型の勉強もできるようになっていることです。
 それを可能にしたのは、やはりインターネットによる情報流通と交流機会の増加です。
 今は、家庭でいながらにして、教材と先生と教室を水平分業的に選べるようになっているのです。
 この水平分業的な選択がこれから増えてくると思われるのは、勉強の目的がこれまでの単線型の受験中心から、それぞれの生徒の関心や希望に応じたものになっていくからです。
 ここでコンピュータ産業が、水平分業型に移行した際、主要なプレーヤーがIBMからマイクロソフトに移ったのと同じようなことが、教育産業においても起きてくると思われます。
 それを私は、教材でも、先生でも、教室でもなく、一緒に勉強する友達ではないかと考えています。
 人間にとって、最も重要な選択の基準は、居心地のいい仲間と一緒にいることです。
 それは、勉強のような、それ自体は友達との交流が不可欠ではない分野についても言えることです。
 言葉の森も、そういう友達との交流ができるような学習機会を通信教育の中で作っていきたいと思っています。
 
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 今はまだ、学校のような勉強全体を見てくれるところに頼らなければ、家庭だけで子供を教育するのは難しいと感じている人が多いと思います。
 しかし、条件としては、家庭学習だけで、学校と同じ勉強をすることは十分に可能になっています。
 と考えてみると、最後に残る重要な要素は、友達の存在ではないかと思いました。
 コンピュータ産業においては、グローバル化が進みました。
 それは、IT技術が基本的にコピーが可能なものを対象にしていたからです。
 しかし、これからの教育文化産業においては、対象はコピーできない個々の人間になります。
 だから、これからの産業は、ネット上のローカル化が進んでいくのです。
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 問題集読書は、飽きて続けにくくなることが多いので、家庭でどう続けるかということが大事になります。
 その問題集読書を続ける方法はあとで書くことにして、まず問題集読書の意義にについて説明していきます。
 国語の問題集は問題を解くものではなく、問題文を読むために使うものと考えることです。
 それはなぜかというと、問題を解くと、答えが合っていたかどうかということに終始してしまうからです。
 こういう勉強の仕方では、国語の問題をいくら解いても、国語の力はつきません。
 国語の読解問題で大切なことは、正しい答えがわかることではありません。
 正しくない答えがなぜ正しくないかわかることです。
 易しい国語の問題であれば、正しい答えがわかる程度でも正解になります。
 しかし、入試問題レベルのテストになると、正しくない答えがなぜ正しくないかがわからなければ、正解にはなりません。
 国語の点数にムラがある子の多くは、正しい答えがわかるという勉強の仕方をしています。
 正しくない答えがわかるためには、問題文をじっくり読む必要があります。
 問題文をじっくり読むためには、問題文の文章に書かれている内容や語句に慣れている必要があります。
 特に、難関校の国語の問題の文章は長いものが多いので、難しい文章を読み慣れていることが国語力をつける大前提になるのです。
 問題集読書では、問題を解くのではなく、問題集にあらかじめ答えを書き込んでおき、その問題でなぜそういう答えになるのかを読むようにしていきます。
 最初は、ただ問題文と設問と答えを読むだけでかまいません。
 慣れてきたら、正しくない答えがなぜ正しくないかも考えながら読んでいきます。
 それを1冊の問題集について、5回繰り返します。
 同じものを繰り返すということが大事で、これは国語の勉強に限らずすべての教科について言えることです。
 この繰り返しの勉強を形骸化させないために、問題集読書は音読が基本です。
 子供は音読を嫌がり、黙読で済ませようとしますが、黙読では繰り返しているうちに斜め読みになり、やがて表面だけの読み方になります。
 子供が音読を嫌がらないようにするためには、親がその音読の仕方を絶対に注意しないことです。
 子供の音読というものは、近くで聞いていると、必ず何かひとこと言いたくなるものです。
 それをじっと我慢して、音読したことを褒めてあげるだけにするのです。
 問題を解くとか、書いて覚えるとかいうやり方よりも、ただ読むだけでというやり方がなぜよいかというと、読む勉強は、解く勉強や書く勉強に比べて何倍も能率がよいからです。
 国語の問題を1問解く時間があれば、その同じ時間でその問題と答えを5回以上読むことができます。
 これが読む勉強を優先させる理由です。
 ところが、この長文の音読をしたり問題集の読書をしたりというのは、実は子供にとってはかなり張り合いのない勉強なのです。
 また、そばで見ている親にとっても、ただ読むだけ勉強は、それがどういう力になるのかあてのない気がするものです。
 鉛筆を動かしているような勉強の方が、子供も親も、勉強しているという実感がわくからです。
 このため、長文音読や問題集読書を始めてはみたものの、じきに飽きてやめてしまうという人が圧倒的に多いのです。
 そこで、言葉の森が行っているのが、自主学習クラスで問題集読書に取り組むという勉強方法です。
 これは、国語の問題集読書を中心として、その他の教科の勉強や読書もオプションで付け加えられるようにして、その日の国語問題集読書を先生がオンラインでチェックするというものです。
 この自主学習クラスを受講をして、毎日の問題集読書をしている子は、確実に国語の成績が上がっていきます。
 家庭だけでは続けにくい問題集読書を、家庭と先生との連携で、オンラインで子供の勉強をチェックしながら続けていくというのが、これからの国語の勉強の新しいやり方になると思います。
 
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 勉強のやり方というものは、誰でもわかっています。
 しかし、それが続かないことが多いのです。
 特に、国語の勉強ではやり方はかなり単純です。
 ただ難しい文章を読み慣れておけばいいのです。
 ところが、それがなかなか続かないのです。
 簡単で無駄のない勉強法は、問題と答えをただ読むという勉強です。
 それを繰り返していれば確実に力がつきます。
 特に国語ではこれが当てはまります。
 しかし、それが惰性に流れないようにするためにはやはり工夫が必要です。
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