成績は、時間をかけて覚えれば、誰でもよくなります。
 成績がよくないのは、単に勉強をしていないからです。
 しかし、成績がよくなる勉強をいくらしても頭はよくなりません。
 頭のよさが差として出てくるのは、受験の最後の1年間です。
 受験のときに、頭のいい子はぐんぐん成績を上げます。
 一方、成績だけがよかった子の成績は、横ばいかわずかの上昇で推移します。
 こうして、静かな逆転が起こるのです。
 大学入試で逆転があるように、社会に出てからも同じような逆転があります。
 成績をよくする勉強は、知識を詰め込む勉強です。
 頭をよくする勉強は、考える勉強です。
 考える勉強の代表は、読書と作文です。
 ただし、読書は考える読書、作文は考える作文である必要があります。
 言葉の森で作文の勉強をしていると、自然に頭がよくなります。
 しかし、頭がよくなったことは、点数がつくわけではないので、なかなか外からはわかりません。
 外見からのわかりやすい目安は、本を読むのが好きになること、文章を書くのが好きになることです。
 そういう子は、自然に難しい本を読み難しい文章を書く方向に進みます。
 
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 3月1週は、作文のテストです。
 今やっている課題の字数と項目が全部できることが条件です。
 字数の目標は、学年の200倍ですから、
小1は200字以上
小2は400字以上
小3は600字以上
小4は800字以上
小5は1000字以上
小6以上は1200字以上
となります。
 必要な字数を書く力は、作文の実力と高い相関があります。
 普段、長く書けない場合でも、テストをきっかけに、がんばって目標の字数まで書くと、それからその長く書けた字数が自分の実力となります。
 作文に入れる項目には、項目マークもつけておいてください。
 項目は1種類について、1つつけてあればいいです。
 例えば、たとえをいくつか書いている場合でも、その中にひとつに項目マークをつけておけばいいです。
・構成は「枝」のマーク
・題材は「葉」のマーク
・表現は「花」のマーク
・主題は「実」のマーク
です。
 パソコンで作文を書いている人は、項目の該当する箇所に、
< <構成> >又は< <こうせい> >
< <題材> >又は< <だいざい> >
< <表現> >又は< <ひょうげん> >
< <主題> >又は< <しゅだい> >
と書いておいてください。
※「<」と「>」は、全角の山カッコで、それを2つ並べます。
 日本語キーボードの「ね」と「る」のところにあります。
 半角の「<<」「>>」や「《」「》」ではありません。
 作文テストの提出締切は3月8日(土)です。
 遅れないようにがんばってください。
 
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 犬も人間との生活が長くなるとだんだん人間に似てくるものです。
 昨夜は、何回もくしゃみが出て目が覚めてしまいました。
 こんなことは滅多にないので、どうしてかなあと考えました。
 そして、ふと思い出したのです。昨日、ママがお布団を干していたことを。
 ママは、布団を干すとき、北風が強いことも花粉のこともすっかり忘れていたようです。
 ただただお布団がぽかぽかになることを期待して、朝からベランダに干したのでした。
 よく晴れてはいたけれど、強風のため布団はめくり上がり、一度は布団ばさみをしていたにも関わらず下に落ちてしまいました。
 まさに「布団が吹っ飛んだ」です。
 でも、反対側に落ちなくてよかったです。反対側は川だからです。
 それでも、ママはめげずに布団を干し続けました。
 途中で、裏返しにすることも忘れませんでした。
 でも、午後になって布団を取り込んだ時、期待に反してお布団は全然ぽかぽかになっていませんでした。
 むしろ、北風にさらされて冷たくなっていました。
 そのときになって初めて、ママはこんな日に布団を干したことを後悔したようです。
 遅すぎます。
 でも、まだこのときは花粉のことは忘れていました。
 花粉のことを思い出したのは夜中になってからです。
 ママも私も寝苦しい夜になりました。
 我ながら犬なのに花粉症ってどうなのって思いますが、長いこと人間の中で生活をしていると影響を受けてしまうようなのです。
 花粉が飛んでいる季節は布団を干さないことを家訓にしてほしいです。
 (ちょっと厳しいダジャレでごめんね。(^^ゞ)

 
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慶応大学総合政策学部  K.N.さん
<担当講師より>
 小学生の頃から、テスト期間や受験期間も休まず受講してくれました。
「毎週、言葉の森の課題で、いろいろなことを考えていたから、受験当日に出された小論文の問題にも、迷いなく対応できたのだと思う」と言ってくれました。
受験という環境も、学ぶこと自体も楽しんでいる生徒さんですので、今後の活躍を楽しみにしています。
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https://youtu.be/A41nJ8Iopxo
●作文学習の意義
 勉強は成績がよくなるだけだが、作文と読書は頭がよくなる。
 頭がよくなれば、学年が上がるにつれて成績も上がる。
 逆に言うと、成績だけ上げていると、学年が上がるにつれて成績は下がる。
●小学校低学年のうちは、コントロールしすぎない
 親のペースで子育てをしていると、勉強のよくできる子になるが、やりすぎると、小4のころから反発するようになり、かえってうまく行かなくなることがある。
 低学年のころは、直したり指示したりすることは少なくして、褒めることと自主性を活かすことを中心に、。
●小学校中学年は、家庭学習の習慣をつけ、毎日決まったことをやれるようにする。
 そのためには、勉強の量は少なく、決まりきったことができるようにする。
 勉強以外のお手伝いの習慣も同じ。
 そういう習慣がつくと、夏休みの宿題なども計画的にやるようになる。
●中学生高校生は、読書が重要。
 特に、小説ではなく説明文意見文の読書を中心に。
 難しい本の読書をしていると、読書とは関係ないように見える数学や他の教科の成績も上がる。
 その理由は、読書によって考える力がつくので、数学の解法なども考えて理解できるようになるから。(読む力がないと、解法を読む気がしなくなることもある)
●勉強の目標を、大学入試に置くのではなく、その先の独立起業に
 昔は、いい大学に入ることが勉強のゴールだったが、これからはそうではなくなる。
 本当のゴールは、社会に出て第一人者になることで、わかりやすく言えば独立して起業すること。
●ベーシックインカムの時代は、遠い先の話ではないから、メシの食える大人になることよりも、楽しい人生を送る大人になることが目指す目標になる。
 楽しい人生の条件は、常に向上心を持ち、創造的に生き、社会に貢献すること。
●学力の基礎は日本語。
 日本語の力をつけるには、読書と対話と作文と暗唱。
 読書には読み聞かせも含む。
 日本語の力がつくと、精神が安定し、人の言うこともすぐに理解するようになる。
 学校でなにかのお知らせのプリントが配られるようなときに、すぐに読み出すような子は読む力がある。
 逆に日本語の力がないと、落ち着かない、言うことを聞かない、怒りっぽくなるなどの問題が出てくることがお多い。
●今後の学力はAIで大きく変わる。
 わからないことは先生に聞くよりもAIに聞くようになる。
 勉強を発展させたいときも、AIと相談するようになる。
 勉強は、家庭学習+AIが基本になる。
●AI時代のオンラインクラスの意義
 基礎学力クラスは、低学年からの勉強仲間作り。
 総合学力クラスは、能率のよい国語算数英語創造発表の学習。
 全科学力クラスは、同じく能率のよい国語数学英語理社の学習。
 プログラミングクラスは、これまでのコード学習から、これからはAIを使った作品づくりへ。
 創造発表クラスは、理科・社会・プログラミングの勉強をAIで発展させて発表する学習に。
●AI時代の作文
 作文の本質は考えることで、書くことはその結果。(書きながら考える面はあるが)
 構想メモを手書きで書くことが作文の中心になる。(考える作業は手書きと相性がいいので)
 将来は、人間が、構成と実例と意見と名言を考え、それを書くのがAIという役割分担になる。
●AI時代の英語
 英語教育は、伝達のための英語から、文化を身につけるための英語になる。
 英語以外の外国語も、文化のための外国語を学ぶ学習になる。
 文化のための外国語の学習には、外国語の文章の暗唱が重要になる。
●AI時代の入試
 知識のテストは基本的なことがわかっていればいいということになる。
 具体的には、オール4の成績か、共通テストで7~8割の成績。
 あとは、自分の得意分野があり、それに熱中した実績など。
 ただし、得意分野は、スポーツ的音楽的なものよりも学問的なもので。
 将来は、作文小論文が入試の中心になる。
 現在、作文が入試の中心になっていないのは、評価に手間がかかるから。
 作文検定試験が広がれば、作文力が学力と見なされ、読解や記述の試験も作文に統合されるようになる。
 
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奈良県立大学付属高校普通科・奈良育英高校普通科選抜コース  N.N.さん
<担当講師より>
 
 中2のうちに『発展新演習英語中3』の全単元を終了して英検3級に合格。中3になってからは同問題集の入試対策問題や中根先生のお勧めで購入した高校入試過去問題集の問題に取り組んできました。今も3月の第一志望校入試に向けて英語はライディングを中心にがんばっています。
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 それぞれの語彙の点数が、どれくらいの学年相当になるかという表を作りました。
 2月の作文を送信すると見られるようになっています。
(この表は、まだ「山のたより」には表示していません。)
 それぞれの語彙力の点数に応じて、今後どういうところに力を入れていったらいいかという解説も載せる予定です。
 
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 11月の森リン大賞、
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2024&tuki=11
12月の森リン大賞に引き続いて、
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2024&tuki=12
1月の森リン大賞を掲載しました。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2025&tuki=01
   日本における社会
      中1 あおらえ
 社会は個人から成り立つものとされている。しかし、日本人の大部分は、社会を構成する個人としてよりも、世間にいる、一人の人間として行動している部分のほうが多い。ときには身内以外にさしたる世間とのつきあいもなく暮らしている人もいるが、それでも世間の評判は気にかかるのである。世間は快適な暮らしをする上で必須に思えるが、それが持つ排他性や差別閉鎖性は公共の場に出た時にはっきりと表れる。電車の中で宴会を始めたり騒いだりする人たちに対して、日本人には公徳心が足りないなど言われるが、この仲間意識を多くの人が是認している点にある。日本人には、排他的な空間を作っている意識がほとんどないのである。だから、世間にとらわれすぎるのは良くないと思う。
 
 第一に、周りと合わせようといつも気を使っていると、ストレスが溜まってしまうからである。日本人には尖っている人が少ないといわれるが、それは出る釘になるのを恐れているからであろう。私が中国にいた時、イギリス系のインター校だったが、誰も何も恐れずに発言していた。先生が質問をすればすぐに手が挙がるという環境だったが、日本に帰ってきてみると皆周りと意見が違うのを恐れて先生に指名された時以外にほとんど発言しない。その同調圧力に屈して、私も次第にそういう風になってしまった。だが、自分が良い案だと思っても手を上げられなく、ストレスが溜まることがままある。中学で国際学級に入って多少良くはなったが、日本人は周りを気にしすぎてしまうものなのだ。
 第二に、世間にとらわれないと、想像力が向上するからだ。新しいことを言い出すことについて恐れないからだろう。2014年にHarvard Business Reviewに掲載された調査によると、柔軟な勤務環境だと、社員の約30%が創造的な提案を行ったと報告したのに対し、固定された勤務環境では約15%にとどまったそうだ。柔軟な勤務環境はリモートワークや勤務時間が柔軟に決められること、固定された勤務環境とは制限された勤務時間や勤務場所を指し、創造的な提案が30% を超えた企業では、業績の向上が見られたという。これは企業以外でも同じで、メリットがデメリットを上回ると思う。例えば宿題においては効率が良かったり最適な時間帯が世間の常識では考えられなかった時間帯にあったりなどだ。
 確かに、世間でとがりすぎたり、伝統的な価値観を重んじなかったりすると相手と摩擦が起きたり、溝ができたりする。周りから批判を受ける中で、精神が不安定になることもある。共感されないことで、人間関係の持続が難しいこともある。しかし、「意志あるところに道は開ける」というエイブラハム・リンカーンの言葉がある通り、自分の意志を貫かなければならない。世間においても、周りから批判されるのが怖くても、意志を貫けば道は開けるはずだ。偉人はみな変人といわれるが、世間にとらわれずに生きたからだろう。私も、常識を疑うという思いを持ち、生活したいと思っている。世間にとらわれないように生きると、さらなる幸福が待ち受けているかもしれない。
   文章は決して謙虚な気持ちだけで
      高1 あああさ
 文章は決して謙虚な気持ちだけで書けるものではなく、経験の浅いうちは自惚れが先行する。そういう者に対しては、あえて苦言を呈し叱ることが必要である。厄介で複雑な成り立ちの歴史を持つ日本語を、適切に運用しようというのは、いい加減にではなく物を見、物と自分とを関係づけようという生き方の表れである。そうであるからこそ、言葉遣いに対する注意は先人が行うべき大切な義務である。私は、叱責が必要な際には、しっかりと的確で率直な指導をすべきであると考える。
 そのための方法としては、第一に、叱責が必要な際には躊躇せずに叱ることだ。他人に注意を促すことは勇気のいる行動であるが、いざという時には冷静かつはっきりとした物言いで指導をすることは最も相手のためになる。私の通学する学校は中高一貫校である。高校生と比較すると、中学生に対しては校則がより厳しく機能しており、自由度も低い。そして、全般的に校則の厳しい学校であるため、私たち高校生には、中学生の校則違反を目撃した際に注意を促さなければならないという義務が規則として定められている。しかしいくら規則とはいえ、下級生の違反行動を注意するとなると躊躇いが先行する。特に常習犯に出くわした時には、躊躇に呆れと無力感も相まって、黙認させてくれと切実に願ってしまう。実際に私は、校則破り常習犯の男子中学生が、スマートフォンを公然と操作しながら登校する場面に遭遇したことがある。私は一瞬躊躇ったものの、平静を装って彼に声をかけ、率直な言葉で校則違反を注意した。どんな反論か言い訳か、あるいは沈黙が返ってくるだろうと身構えていた私を前に、彼は驚いた顔をして、すみませんと素直に頭を下げた。常習犯として広く高校生の間に知られている彼だが、おそらく皆に愛想をつかされ、自らの違反を正面から咎められた経験が無かったのであろう。以後、彼の校則違反の噂を耳にすることはなくなった。他人を叱ることは勇気のいることであり、後味の悪さも少なからず感じるが、自分の言葉が一人の人間を変えたと考えると、あの行動はやはり必要なものであったと思う。
 第二に、自分自身に対しても厳しい姿勢を持つことだ。他人を叱る際には、自分が相手を指導するに相応しい人間であることが必要である。日本の武士道は、忠誠心や義務感を重視する倫理観である。武士の教育において、理念に沿った道徳観と資質を身に着けるために、師匠が弟子を厳しく叱ることは一般的であった。また武士道においては、自分自身の行動や考えを常に反省し改善する姿勢が重要視されており、これにより自己成長を促し、他者に対しても適切に叱ることができるようになったという。武士が長年に渡り歴史において重要な役割を果たしていたのは、他人に厳しいと共に自分にも厳しい姿勢を持つ彼らの精神に由来するものであったと思う。
 確かに、体罰やパワーハラスメントに該当する行為などの過度で極端な指導は、他者に負の影響を与えかねない。しかし、若者を叱り的確に指導することは、先人に課せられた社会的な責任である。叱ることの本質は人間性の否定ではなく、真の優しさである。よって私は、叱責が必要な際には、しっかりと的確で率直な指導をすべきであると考える。
 
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