小学生のころは、親に言われて勉強するので、退屈な勉強でもそれほど抵抗なく取り組めます。
しかし、中学生になると、親の指示で勉強する生活ではなくなり、本人任せの勉強になるので、思うように勉強できなくなる子も増えてきます。
しかし、だからと言って、塾に入れ、無理矢理やらせるというのはよくありません。
自分で工夫して勉強するという姿勢が育っていないと、高校生以上になったときにかえって困るからです。
そこで、家庭でひとりで勉強に取り組むときに役立つ方法として、タイマーと色塗り自習表を考えました。
タイマーというのは、10分なら10分と指定しておくと、10分後にベルが鳴るというものです。
これで、自分が何かをするときに、見込みの時間を決めて取り組むのです。
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勉強の中には、ほんの短い時間でできるが、あまり魅力を感じないものというのがかなりあります。
例えば、問題集読書の音読などは、わずか3分でできますが、続けられる人はなかなかいません。それは、続けることに目新しい面白さが感じられないからです。
その反対に、新しい問題集の新しいページを初めてやるというのは、時間はかかっても珍しさにひかれて無理なくやれます。
ところが、本当に身につく勉強は、同じものを短い時間であっても繰り返す勉強で、身につかないものは、新しいものをたとえ長時間であっても一度だけやるような勉強なのです。
ここでタイマーを使うと、この数分の勉強というものに目標ができます。
やり終える見込みの時間を3分なら3分と決めてボタンを押すと、すぐにその勉強をやる気持ちに切り替わります。。
時間内にできたからといって、褒美が出るわけではありません。自分で決めて自分でやるだけですから、何の報酬もありませんが、それでも目標があって、その目標を達成したということは喜びになるのです。
しかし、タイマーだけだと、その勉強が終わればそれで終わりです。
タイマーの勉強法が微分的な意欲の持てる勉強法だとすると、勉強をやり終えた蓄積があとに残るような積分的な意欲の持てる勉強法が必要です。
それが色塗り自習表です。
この色塗り自習表で使うのは、7×7の49マスぐらいの表と、それを塗り分ける赤と青のペンです。
1つのマスを2色で塗り分けるパターンは、1つのマスについて18通りありますから、毎日やっていても、同じ色塗りの模様になることはまずありません。
そして、どの模様も、何かストーリーが感じられるような不思議な意味のある模様になるのです。
小さな課題をひとつやり終えるたびに模様ができてくるというのは楽しいものなので、自然に決めたことを最後までやり遂げたくなってくるのです。
勉強でも、仕事でも、自分の創造性が発揮できるようなものはほんのわずかで、大部分の時間は面白みのない作業のようなものです。
しかし、そういう作業を能率よく進めるために、外からの強制や、褒美や、賞罰や、競争に頼るのではなく、自分で工夫できるものを探していくといいのです。
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以前、「家庭で問題集などをやるときは、子供が自分で答え合わせをして○×をつけた方がよい」という記事を書いたことがあります。それに対して、保護者の方から質問がありました。「そのやり方だと、あまりできていないものまで○にしてしまう」というのです。
これは、どの子でも多かれ少なかれあることだと思います。
それは、現在の社会が、「○がつくことがよいことだ」という価値観で運営されているからです。
学校でも、家庭でも、○がつけば褒められ、×がつけば注意されます。
しかし、教育の本当の目的は、その子供が成長することですから、本当は×をもらってきた方がよいのです。
勉強の中で、そういう人間の生き方に関することまで言えるのが家庭です。
学校や塾では、大勢の生徒を相手にしているので、なかなか勉強の本当の目的のようなところまでは話ができません。
しかし、家庭では、多少時間がかかって遠回りになっても、勉強以外のことも話す余裕があります。そこで、お父さんやお母さんが折にふれて、「○よりも×になった方が、本当の勉強になる」ということを教えてあげるといいのです。
もちろん、こういう説明はすぐには子供に定着しません。習慣や価値観というものは、何度も繰り返してやっと身につくものだからです。
しかし、いったんこのような勉強の真の目的というものが理解できた子は、中学生や高校生になっても、勉強に対する取り組みが違ってきます。
例えば、曖昧な問題に対して適当に答えて、運が良ければ○がもらえるだろう、というような考え方はしません。それは、ただ点数がよくなるだけであって、自分にとっては何もプラスにならないからです。
また、テスト前に山を張って、それがたまたま当たってよかった、というようなこともしません。それも、点数がよくなるだけであって、自分にとってはやはり何のプラスにもならないからです。
高校生ぐらいになると、ほとんどの生徒は、こういう物事の本質のようなところからものを考えるようになります。
しかし、こういう姿勢は、小中学生のなるべく早い時期から身につけておく方がいいのです。その姿勢を身につけさせるのが家庭の文化力です。
だから、「×にせずにすぐ○にしてしまう」という子に対して、言葉の上での注意はあまり効果がありません。
その子がこれまで持っていた価値観を作り変えるぐらいの大仕事なのですから、親の方も忍耐強く何度も同じように繰り返し教えていく必要があります。
また、親の方も、子供がテストで×をもらってきたら、「間違っていたところがわかってよかったね」と褒めてあげるぐらいに、自分の対応の仕方を作り変えていく必要があるのです。
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親の方も、子供がテストで×をもらってきたら、「間違っていたところがわかってよかったね」と褒めてあげるぐらいに、自分の対応の仕方を作り変えていく必要がある……親にも心の余裕が必要だということ。
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1月から暗唱検定を行うことにしました。
これは、3ヶ月分の暗唱文約3000字を5分で暗唱するというのが目標です。
これまで言葉の森の自習でやっていた暗唱は、1ヶ月で約1000字の文章を2分で暗唱することが目標でしたが、これは暗唱の自習をしているほとんどの子ができていました。
毎日10分の練習で誰でもできるようになるのですが、そのために大事なことは毎日欠かさずにやることです。
ところが、家庭ではこの毎日やるということがなかなかできません。
既に毎日の習慣としてやれるようになった子はいいのですが、これから新しく暗唱の自習に取り組むという子は、軌道に乗せるまでのきっかけが必要です。
そこで、現在の寺子屋オンエアと同じ仕組みで、暗唱クラブを作ることを考えました。
これは、時間を決めて、暗唱をする子が集まり、それぞれ自分の暗唱範囲を暗唱したあと、順に発表するというものです。
しかし、暗唱というものは、直前に別の文を聞くと、せっかくできるようになっていたものができなくなってしまうので、同じ部分を暗唱している子どうしが一緒にやる必要があります。
ただし、すべての暗唱文をこのように分けると、分け方が多くなりすぎてしまいます。
暗唱は、最初の300字ができるようになれば、あとはやり方がわかるので、ひとりでも続けていけます。
そこで、例えば、午後6時から1番めの100字、6時15分から2番めの100字、6時30分から3番めの100字、6時45分から300字全部などと分けていきます。
すると、自分のやっている部分に合わせてその時間に暗唱クラブに参加すればいいのですから、初めての暗唱でもやりやすくなります。
日本語の暗唱に慣れてきたら、中学生は英語の暗唱もやっていいと思います。これも、コツがわかればひとりでもやれるようになります。
問題は、時差のある海外の生徒ですが、これも、その国で暗唱の自習をする参加者を募れば、そこの時間帯に合わせた暗唱クラブができるようになります。
海外で暮らしていると、子供の日本語教育が不十分になるので、暗唱クラブに参加を希望する人は多いと思います。
暗唱は、やったことがない人は、大変なことのように思うかもしれませんが、実は、やっていると楽しくなるものなのです。
百人一首の百首暗唱を行っていた小学校の校長の杉田久信さんによると、暗唱の勉強が進むにつれて子供たちが明るく元気になっていったそうです。
たぶん、今後行う予定の暗唱クラブも、子供たちの活発な声が響く集まりになると思います。
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子供たちは、生き物が大好きです。
言葉の森の港南台の通学教室に、犬と鳥とメダカがいますが、初めて教室に来た子は、犬の出迎えに驚きます。鳥も、ときどき放し飼いにするので、教室を飛び回ることがあります。
こういう動物との触れ合いは、子供にとって楽しいものですが、残念ながら今の住宅事情では、ペットはなかなか飼えません。
また、生き物を飼うとなると、その世話は大体お母さんの仕事になってしまうので、親の方があまり積極的になれないという事情もあると思います。
しかし、飼うのにそれほど負担がなく、誰でもすぐに飼えてよくなつく生き物もいます。その代表が、手乗り文鳥です。雛のときから人間がえさをやっていると、人によくなつくようになります。
オカメインコも、人間好きでよくなつきますが、欠点は、コードをかじったり、パソコンのキーボードをはずしたりすることです。
インコ類は、セキセイインコなどもよくなつきますが、やはりくちばしが丈夫なので、いたずらをすることがあります。
文鳥を放し飼いで飼うときに注意することは、ドアの開け閉めです。また、床の上を歩いていると、うっかり足で踏んだり、椅子の脚でひいたりしてしまうことがあります。
しかし、これは最初のうちだけで、そのうち人間が自然に鳥の存在を意識して安全に行動するようになります。
ところで、最近考えているのは、鳥を飼うよりももっといい方法です。
放し飼いで飼っている鳥は、夏などうっかり窓を開けていると、飛んでいってしまうことがあります。慣れている鳥ほど、人間のあとをついて回るので、うっかりドアを開けた拍子に人間と一緒に表に出てそのまま飛んでいってしまうことも多いのです。
部屋の中で育った鳥は、屋外での距離感がわからないので、戻ってくることができません。
文鳥は、自然界で冬越しをする場合もあるようですが、基本的に南国生まれの鳥なので、日本の冬は厳しいようです。
そこで考えたのが、スズメをペットがわりにすることです。
と言っても、野性の鳥を飼うことはできませんから、ベランダなどにスズメ用のエサ台を作ってやるのです。
スズメにえさをやるつもりが、ハトやカラスまで来ると面倒ですから、もしハトやカラスも一緒に来るようでしたら、えさ台の上に、スズメだけが入れるぐらいの大きさの網を設置しておきます。ハトやカラスもかわいいのですが、フンの掃除が大変になるからです。
このエサ台にスズメがたくさん来るようになったら、近くに巣箱を作ります。その巣箱に、あらかじめ、赤外線ランプとウェブカメラを入れておけば、巣箱の中のスズメの観察できるでしょう。
動物がかわいいのは、近くでその仕草が見られるからですから、必ずしもカゴの中で飼う必要はありません。
自然界のスズメをペットがわりに飼うということができれば、旅行に行くときも、餌や水やりの心配が要りません。
日常の中で親子で楽しく遊ぶというときに、こういう動物との触れ合いも考えていくといいと思います。
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音読というのは、文章のリズムに沿って読むことですから、句読点で区切って普通に読む読み方でかまいません。
しかし、暗唱の文章も同じように読むと、何度繰り返してもなかなか暗唱できません。
暗唱の読み方は、できるだけ早口で、棒読みで、句読点でもほとんど区切らず、しかしリズミカルに読んでいくのがいいのです。
棒読みでリズミカルにというのがわかりにくいと思いますが、お経のような読み方に似ていると思うといいでしょう。
もちろん、これは最初の暗唱が定着するまでの間で、暗唱がすっかりできるようになったら、句読点で区切る普通の読み方でいいのです。
なぜ、句読点で句切らない方がいいかというと、句読点で区切ると、意味のつながりで読もうとしてしまうからです。意味のつながりで読むと、説明文の場合はストーリーがありませんから、次の言葉が出てきません。
句読点で区切らずに読むと、一連の文章の流れが、音楽の歌詞のような形で次々に浮かんでくるようになるのです。
しかし、早口で読むと言っても、最初から早口で読むのではありません。
よく、助詞の「てにをは」を読み間違える人がいます。「どこどこへ行く」を「どこどこに行く」などと読んでしまうのです。
最初に間違えて読むと、この読み間違いはなかなか直りません。最初の読み方は、できるだけ正確にゆっくり読むことが大切です。
正確な読み方が確実にできるようになってから、だんだん早口で止まらずに読むようにしていくのです。
暗唱は、暗記ではありません。
覚えることが目的ではなく、文章が自分の身につくことが目的です。だから、何とか覚えて読めればいいというのではなく、無意識のうちに最初から最後まで一息で読めるようになることが大事です。
道を歩いているときなどに、ふとその暗唱の一部が思い出されるようになることが暗唱の目標なのです。
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暗唱にはリズムが必要。がんばります♪
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算数数学の勉強に、時間をかけている人がいますが、答えのある勉強に時間をかけるのは時間の無駄です。
考える時間は、答えのないもののために使うべきであって、その考える力をつけるために、答えのある勉強はすぐに答えを見ることなのです。
更に言えば、問題を見て解けそうだとわかる問題は、わざわざ解く必要はありません。解かずに答えを確認するだけで充分なのです。
勉強は、わからないことがわかるようにすることであって、わかることを何度も繰り返したり、わからないことを何時間も考えたりすることではありません。
したがって、算数数学の最もよい教材は、自分にとって適度に難しい問題があり、問題よりも解法のページの方が多いぐらいに充実している教材です。
そして、最もよい勉強法は、その問題集を百パーセント、解けない問題が1問もなくなるまでく繰り返すことなのです。
そのためには、問題の答え合わせは、本人が自分でやることです。
問題の答え合わせを、お母さんがやるようにしていると、答えが合っていることがよい勉強のように思ってしまいます。
答えが合っているということは、その勉強はもともとやる必要がなかった勉強で、ただわかっていることを確かめるために時間をかけただけになるからです。
また、答えが間違っていた場合、一度や二度の説明でその問題が次からできるようになるという保証はありません。
間違いというものは、本人のものの考え方に根ざしていることが多いので、何度も繰り返さないと身につかないことが多いからです。
今の子供たちの多くは、勉強というものを問題を解くもののように考えています。
解くまでが自分の仕事で、○×をつけるのは他人の仕事、教えてくれるのも他人の仕事と考えているのです。
本当の勉強は、自分で答え合わせをすることです。自分で答え合わせをして正しい答えを理解することが勉強です。
こういう勉強をするためには、お母さんは、子供の算数数学の勉強が終わったときに、その中のひとつの問題について子供に解説してもらうといいのです。
「難しかった問題はどれ」と聞いて、「その答えはどうやって出すの」と聞いてみるのです。
その説明がわかりにくくてもかまいません。子供が一生懸命に説明してくれるなら、それはよく理解できるようになった問題です。
そして、子供がうまく説明できなかったときだけ、その問題を一緒に考えて教えてあげるのです。
こういう子供中心の勉強の仕方をすることによって、子供は勉強というものが他人のためにするのでなく自分のためにしているのだということを理解していくのです。
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勉強の順番から言うと、国語が一番です。
しかし、この国語は漢字の書き取りや、国語のドリルのような勉強ではありません。まず本を読むこと、そして親子で対話をすること、更にできれば文章を書くこと、つまり文化としての国語なのです。
この国語力さえしっかりしていれば、それ以外の勉強はあとからいくらでも間に合います。
例えば、想像をたくましくして考えてみるとわかりますが、歴史上の有名な人物が、今の社会に突然登場したら、その成績はどんなだったでしょう。
聖徳太子が、突然、現代の中学生になって勉強したとすれば、国語は言葉の使い方にギャップがあるとしてもそれでも高得点でしょう。
しかし、数学は、たぶん0点でしょう。英語も、まず0点でしょう。
しかし、聖徳太子が一念発起して、数学と英語に取り組めば、数年もせずに高得点になるはずです。
例は聖徳太子でなく、西郷隆盛でも、勝海舟でも誰でもかまいません。
つまり、知識的な勉強は、時間はかかるとしてもあとからでも間に合います。しかし、思考的な勉強は、考える力の土台ですから、あとからでは間に合わないのです。
確かに、数学的なものの考え方は大事です。
物事を生まれつき理詰めに考える人もいますが、数学の勉強によって理詰めに考える力が育ちます。
また、これからの社会で仕事をするためには、数学的な素養がさまざまなところで必要になってきます。
外国語は、自分の文化を相対化して考えるために役に立ちます。
また、今はコミュニケーションの道具としても、英語は役に立ちます。
しかし、今の数学と英語の勉強が、学校でなぜ重要になっているかというと、受験で差がつきやすい教科だからという理由の方が大きいのです。
その証拠に、社会に出たら、特に数学や英語を使わなくても日常生活を支障なく送れるという人の方が圧倒的に多いのです。
さて、勉強で大事なのは国語力だとしても、人間は勉強の力だけで生きているわけではありません。
昔から言われているように、知育、徳育、体育のバランスが、人間の生活を作り上げています。
徳育の基本は、正直に生きることと、思いやりを持つこと、勇気ある行動をとれることです。
体育の基本は、健康な生活をすることです。
これらは、いずれも家庭が中心になって行うことです。
だから、国語力を中心とした知育も含めて、子供の教育のほとんどは家庭で作られ、その表面の仕上げのようなところだけが学校や塾で行われているのです。
このように考えると、子育て全体については、1に躾、2に健康、3に読書と対話、あとは自由に、ということになるかもしれません。
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作文の客観的評価というものは、難しいものです。
人によって評価が違うことはもちろんですが、同じひとりの人が評価しても、その日の気分や、前後の作品の影響によって評価が微妙に違ってきます。
といって、評価があてにならないわけではありません。複数の人が評価しても、大体同じようなところに落ち着くからです。上手な作文とそうでない作文に関する、おおまかな合意はありますが、それを厳密に客観的評価として打ち出すことはできないということなのです。
言葉の森は、この評価の仕組みを当初から考えていました。
そして、その評価の方法として、二つの仕組みを考えました。
ひとつは、項目評価と呼ばれるもので、その作文にどういう表現や内容を盛り込むかを、作文を書く前にあらかじめ指示しておくというものです。
公立中高一貫校の作文試験問題にも、こういう形の問題があります。そこは、作文の評価についてよく考えているところです。
これに対して、ただ題名や文章だけの課題を出しているところは、作文の評価についてあまりよく考えていない学校だと思います。
この項目評価によって何がわかるかというと、実例となる材料の豊富さと、構成を組み立てる思考力とがわかるのです。材料の豊富さは、経験の豊富さと読書の豊富さによって成り立ちますが、同年齢の子供たちの経験はそれほど差があるわけではありません。だから、材料の豊富さは、その子の読書経験の豊富さと比例していると言ってもよいのです。
構成を組み立てる思考力というものは、学校のテストなどではあまり評価の対象にならないので、その子の思考力がどのくらいかということはよくわからないものです。
しかし、例えば、大人と話していて話がよく通じる子と、あまり通じないので大人の方が子供に合わせて話をしなければならい子とがいます。この話の通じやすさが思考力です。
言い換えると、作文の中で、理由や方法や実例や原因などという言葉で表せる内容を説明できる力が思考力です。だから、大人が子供に対して、「それはどうして?」とか、「例えばどんなこと?」とか、「どうしたらいいと思う?」などと聞いたときに、自分なりに考えて答えることができれば、それは思考力があるということです。
この項目評価だけでも、ある程度の客観評価はできますが、あるレベル以上の作文になると、項目評価だけでは不十分になります。
例えば、「たとえを入れて書く」という項目の場合、低学年ではこのたとえを入れることができるかどうかで、その子の表現力がわかりますが、高学年の生徒では誰でもそれなりにたとえを入れられるようになるので、この評価だけでは差が出ません。
しかし、同じたとえでも、ありきたりのたとえしか書かない子と、自分なりに工夫したとえを書く子との違いがあります。
この違いを評価する方法が、森リン点による評価です。
森リンというのは、言葉の森が開発した作文の自動採点ソフトです。
このソフトが何を評価しているかというと、主に、その文章の中の語彙の多様性です。それ以外に、語彙の難易度や、語彙の性質も評価していますが、中心になるのはどれくらい多様な語彙が使われているかということです。
すると、同じたとえでも、ありきたりのたとえの場合は多様性が低くなり、ユニークなたとえの場合は多様性が高くなるという傾向があるのです。
受験作文コースの作文を見ると、共通する弱点として、同じ言い回しの表現を使いすぎるということがあります。それは、作文に書く内容が、その学年の生徒にとっては難しいので、それに合う語彙が不足しているためにどうしても同じような感想や説明を何度も書くことになるからです。
これらの作文を人間が見たときにどう感じるかというと、同じ言い回しが多い文章は密度が薄く感じられ、いろいろな言い回しが使われている文章は密度が濃いと感じられるのです。
しかし、この密度の濃さというものは、人間の主観ですから数値では表せません。ところが、森リンの評価にかけると、それが多様性の点数の差として出てくるのです。
作文検定は、このように、項目評価の点数と森リン評価の点数によって数値化されています。
自宅で作文を書く練習をしている人は、自分の作文がどれくらいのレベルかわからないと思います。森林プロジェクトで作文指導をしている場合も、子供たちの評価に確実性を持たせたいと考えていると思います。
そういうときに、言葉の森の作文検定を活用するといいのです。
作文検定は、個人でも受けられます。ただし、その場合は、googleハングアウトやskypeによる作文検定試験会場との接続が必要になります。と言っても、用意するものはウェブカメラだけで、パソコンに内蔵されているものでもかまいません。
8名以上の団体で受ける場合は、インターネットによる接続は特に必要ありません。
詳しい案内は、作文検定のページをごらんください。
https://www.mori7.com/sakken/
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