△鎌倉の朝の海
 英語の勉強が、小学生の段階から本格的に始められるようになります。
 しかし、これまで中学生になってから始めていた英語の勉強を、同じように小学生の頃から始めるというのでは工夫がありません。
 中学生は、文法的な知識をもとにした英語の勉強をします。
 小学生は、文法の知識以前にもっと身体感覚的な英語の勉強をしていく必要があります。
 それが英語の暗唱です。
 言葉の森では、現在、日本語の暗唱検定試験を行っています。
 この暗唱検定の最初の文章は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」ですから、誰でも多少は聞いたことがあるのですぐに暗唱できるようになります。
 暗唱検定の級が進み、途中から古事記の一部が暗唱に出てくるようになると、中には初めて聞くような神様の名前が次々と出てくる文章にになります。
 しかし、暗唱に慣れた生徒は、それをいとも簡単に暗唱できるようになってしまうのです。
 言葉の勉強は、知識の勉強よりも前に、運動感覚的な慣れのようなものが必要です。
 英語の場合も、文法的な理屈を通して理解するのは中学生から上の段階であって、小学生まではもっと感覚的に身につけていく土台が必要なのです。
 英語の文章の流れに慣れるという意味で、英語の暗唱は小学生段階で最初に取り組んでいく勉強になると思います。
 言葉の森では、以前アメリカの出版社の英語の教材をもとに、希望する生徒に暗唱の練習を行っていました。
 ところが、最近、日本でも子供向けの優れた英語の教材とその音声ファイルがそろうようになりました。
 そこで、現在日本語の暗唱検定の5級が終わった生徒は、英語の暗唱も選択できるようにしています。
 この英語の暗唱の音声は、その出版社のホームページからダウンロードして聞くことができます。
 「暗唱のよさはわかるが、家でやらせるのは難しい」と思われるお母さん方は多いと思います。
 その場合は、寺子屋オンラインの少人数クラスに参加すれば、すぐに暗唱ができるようになります。
 ただし、現在、寺子屋オンラインはクラスの再編成を行っていますので、その受け入れ体制が整いましたら、また改めて募集を行う予定です。
▽英語暗唱のページ
https://www.mori7.com/teraon/tanngenn_eiann.php 
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 野口悠紀雄さんは、中学生のときに英語の弁論大会に出たことをきっかけに、英文の丸暗記を始めました。
 中学、高校の英語の教科書も同じように暗記すると、英語の勉強は苦労もせずに得意になったそうです。(「超英語法」P226<私は英語をどう勉強してきたか>)
 「暗唱」と聞くと、難しそうと思う人が多いと思いますが、実は暗唱はとても簡単で、大人でも子供と同じようにでき、しかもやっていると楽しくなります。
 寺子屋オンラインのクラスでは、親子で暗唱に取り組んでいる家庭もあります。
 本当はこれが理想で、子供ひとりにさせるより、兄弟も、お母さんも、家族みんなで一緒にやっていくといいのです。
 小学生時代に暗唱力をつけておけば、国語だけでなく、数学も、英語も、勉強的なことはどれも簡単にできるようになります。
 それは、今の受験勉強のほとんどは、記憶力でカバーできるからです。
 そして、人間は、もっと大事な創造力を発揮することに時間を費やしていくべきなのです。
 よく、「思考力を問う問題」などと言われるものがありますが、その対策は、解き方のパターンを覚えることだけです。
 これからの子供たちは、そういうところに力をいれるのではなく、もっと自分らしい考えを深めることに力を入れていくことです。
 だから、暗唱と創造は、ひとつのセットとして取り組んでいく勉強なのです。
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 先日、92歳で亡くなられた西澤潤一さんの本を読みました。
 「背筋を伸ばせ日本人―『信念』と『創造力』の復活」という本で、教育の問題についてもかなりスペースがさかれていました。 西澤さんは、現在の日本の社会の問題を、大きく教育の問題として捉えていたようです。
 私がこれまで関心を持って読んでいた著書のほとんどが、やはり日本の教育の問題を提起しています。
 そこに共通するものは、ひとつが煩瑣な知識の詰め込み勉強の弊害、もうひとつが勉強以外の人間教育の不足です。
 人間教育とは、例えば勇気とか思いやりとか向上心とかいったものに対する教育です。
 つまり、今の教育では、成績として表れる勉強ばかりが優先され、成績に関係しない部分が忘れ去られているというのです。
 成績に関係しないものは、例えば、勇気です。
 いくら成績がよくても、戦う必要があったときにが戦う力がなければ、その成績は価値あるものにはなりません。
 特に男の子は、いじめられたらやり返す力が必要です。
 それが社会人として生きるために必要なことだからです。
 またいくら成績がよくても、弱い者に対する思いやりがなければ、やはりその成績は価値あるものにはなりません。
 思いやりは人間として当然のことで、社会はその思いやりで回っているからです。
 またいくら成績がよくても、成績に表れる以外のことに対する向上心がなければなりません。
 テストが終わったら、又は志望校に合格したら、あとは遊び呆けるというような姿勢ではなく、テストが終わったら、又は合格したら、本当に自分でやりたかったことに取り組むというような子でなければならないのです。
 私はこれまでいろいろな子供たちを教えてきて、成績だけの一面的な教育というものの弊害をいくつも見ています。
 成績が悪くてもそれが問題になることはほとんどありませんが、成績だけがよくて他の人間力が不足している場合、つまり成績がよすぎる場合は、かえって大きな問題になってしまうことがあるのです。
 今の子供たちの父母や祖父母の世代は、いい学校に入ることが、いい社会生活を送る前提になっていた世代ですから、いい学校に入ることだけが目的のようになっています。
 しかし本当の目的は、いい社会生活を送ることで、学校生活はそのひとつの通り道にすぎません。
 理屈ではこういうことがわかっているはずなのに、実際に子供がテストの結果を持ってくると、それに目を奪われて成績だけを考えてしまう親が多いのです。
 それが例えば、成績さえよければ勇気などはなくてもどうにかなるとか、成績さえよければ思いやりなどなくてもなんとかなるとか、成績さえよければ成績以外のことに対する向上心などは特に必要ないとかいう考え方になるのです。
 ところが、社会人になって仕事をするときに最も大事になるものは、勇気や思いやりや向上心の方であって、決して学校生活で獲得した成績ではありません。
 成績はその子の全体の向上心のひとつですから、本人に向上心があれば、成績は必要になったときすぐに上げることができます。
 成績がなかなか上がらないというのは、成績が上がらないのではなく、その子の向上心が不足しているからか、向上心が成績以外方に向いているからかだけなのです。
 だから、言葉の森は、現在、成績も含めた向上心、勇気や思いやりという文化力、そして創造力というものを総合的に育てる教育を目指しています。
 それが、作文を中心として子供たちの発表と交流と自学自習位を生かす、森林プロジェクトの寺子屋オンライン教育です。
 森林プロジェクトで、日本のこれからの教育についていろいろなことを話し合い、日本によりよい教育を作っていきたいと思います。
 
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 勉強さえできれば、とりあえずほかのことには目をつぶるというお母さんが多いように思います。
 昔は、「人様に迷惑さえかけなければ、とりあえずほかのことには」ということだったのです。
 この大きな価値観の転換は、主に教育とマスコミによって作られたものですが、そういうものを受け入れる素地が私たち自身にあったのです。
 それは、やはり戦争によって、多くの家庭で文化が断絶したからだと思います。
 私の父と母も、自分たちはしっかりした戦前からの日本文化の中に生きてきたのに、私たち子供には躾らしいことをほとんどしませんでした。
 当時は、みんな生きることに精一杯だったからです。
 そして、文化のなくなった荒れ果てた日本に、アメリカ文化という雑草が生い茂ったのです。
 これからの教育は、新しい日本文化を育てる教育にしていく必要があると思います。
 これからの教育は、学力をつけるだけでなく、文化を取り戻す教育にしていく必要があります。
 そして、もうひとつ大事なのは、創造する教育です。
 この思考力、創造力、文化力を育てる教育の基盤は家庭になります。
 それを寺子屋オンラインの教育で実現していきたいと思っています。
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 言葉の森の作文指導は、小学校低中学年では主に表現項目の指導をしています。
 例えば、「たとえと会話と感想とことわざを入れて書く」というような指導です。
 小学校高学年から中学生、高校生にかけては、主に構成の仕方の指導しています。
 例えば、「第一段落には要約と意見を書き、第二段落には理由を書き、第三段落には方法を書く」というような指導です。
 これまで学校などで行われている作文指導では、子供たちにテーマを与えて自由に作文を書かせ、そのあと、書かれた文章の添削をするというのが主なやり方でした。
 しかし、こういうやり方では作文は上達しません。
 上手な子は最初から上手に書き、上手でない子はいくら添削されても上手になる道筋がわからないからです。
 そのため、教える側は、子供たちに上達する道筋を示すかわりに、上手な子の作文を見せるというやり方をしてきました。
 ところが、上手な子の作文をいくら見せられても、それがほかの子の書く作文の参考になるわけではありません。
 かえって上手な子の作文と比較してやる気をなくすのがせいぜいなのです。
 作文指導に熱心な先生のいるクラスほど、作文が苦手な子が増えるというのはそういう事情があったからです。
 一方、作文の試験をする学校側では、作文の評価は一歩進んだ形をとっています。
 それは、言葉の森と同じように、構成の枠を決めて書かせるという形になっているのです。
 例えば、段落の数を決め、1番目の段落にはどういうことを書き、2番目の段落にはどういうこと書き、3番目の段落にはどういうことを書くか。そして、どういう言葉を入れるかというようなところまで指定している作文試験もあります。
 なぜこのように構成の仕方や表現の項目を指示するかというと、そのことによって作文の評価が客観的に行えるようになるからです。
 そして実は、この構成と表現を指示するやり方は、言葉の森が昔からやっていたやり方なのです。
 ですから、言葉の森に作文を習いにくると、どんな子でも書き方がすぐに分かり、迷わずに書き出すことができます。
 苦手な子も、すぐに書き出すことができ、難しい課題でも、すぐに書き出すことができるというのが、構成と表現を指示する事前指導の特徴です。
 だから、上達する道筋もおのずからわかってくるのです。
 言葉の森の構成指導と表現指導の特徴は、作文試験の模範解答作りにも表れています。
 世間で出されている作文の書き方の参考書はほとんどすべて、模範解答に子供が実際に書いた上手な作文を使っています。
 しかし、こういう模範解答をいくら読んでも、子供は作文をどう書いたらいいのかわかりません。
 それは、構成の仕方にも、表現の仕方にもルールがなく、ただ偶然上手に書けたものを載せているだけだからです。
 これに対して言葉の森で作っている作文の模範解答は、一定の原則をもとにした構成と表現に沿って書かれています。
 だから、この模範解答を見れば、どう書いたらいいのかということがわかるのです。
 実際に、言葉の森で勉強している生徒は 、作文の構成がしっかりしているという評価をよく受けます。
 それは、構成を重視した作文を指導しているからです。
 そのために、受験で出される作文とは相性がいいのです。
 
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 作文というものを、漠然と文章で書かれたひとまとまりのものと考えていると、評価も指導もできません。
 全体に上手だとか上手でないとかいう、感覚的な印象を言うだけになってしまうからです。
 作文は、構成、題材、表現、主題、表記、字数、速度という、それぞれの側面に分析して見る必要があります。
 この分析が、作文指導と作文評価の鉄則です。
 しかし、分析は方法であって、目的ではありません。
 作文の目的は、個性と創造という内容の方にあるからです。
 昔、作文指導について書かれた本を読んだところ、「事前に構成を指示して書かせるのは、できたらいいが、それはまず無理だ」ということが書かれていました。
 その無理なことをずっとやってきて、今の受験作文にも生かしているのです。
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 もし、働かなくてもよい社会が来たら、今、人生で必要だと思われていることの多くが必要ではなくなります。
 すると、人間はもっと自由に自分の本当にしたいことをして生きるようになるでしょう。
 人類の生産力の総体は、すでにすべての人の生活を養うのに十分になっています。
 それが今そうなっていないように見えるのは、豊かさが不要なところに消費されているからです。
 しかし、すべての人が、そういうことに気づき始めています。
 インターネットの普及は、正しい情報をさらに大きく広げていくでしょう。
 私たちが生きているのは、その端境期です。
 だから、子供の教育も、今の社会の必要と、将来の社会の理想との両方を考えていく必要があります。
 今、「かたい」仕事と思われているものが前提にしている社会は、未来の社会とは正反対にあるものです。
 嫌いなことを我慢してやる力よりも、好きなことを楽しくやる力の方が、やがて大事になってきます。
 答えのある勉強を人より早くできるようにすることよりも、答えのない世界を楽しく創造する力の方が重要になってきます。
 そして、それぞれの人が創造によって作り上げた豊かさをすべての人が共有することによって、未来の社会は更に豊かになっていくのです。
 
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 人間は、先のことを考えられる存在です。
 しかし、子供は、先のことは考えません。
 子供は、今を生きている存在だからです。
 だから、大人がすでに見える未来だけでなく、まだ見えない未来も考えておく必要があるのです。
 これまでの社会は、勝ち負けのある社会でした。
 だから、人間は負けないことを第一の目的にして生きざるを得なかったのです。
 しかし、未来の社会では、勝ち負けはゲームの中で行われるだけになるでしょう。
 誰もが思い思いに好きなことをして、そこで得たものを誰もが共有できる社会になります。
 それは、人類がすでにそういう豊かさを達成しているからです。
やりすぎ都市伝説の話どんどん実現してくれ
働かない社会実現してくれ
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△写真は、那須合宿所の庭になっていた赤唐辛子
 第1回の寺子屋オンライン作文講師育成講座が、本日の夕方終了しました。
 実践的な講習会ということで、教室の理念のような話から始めてZoomの実際の操作まで、延々4時間半の講習会を行いました。
 Zoomのブレイクアウトルームの操作に関しては、こちらの説明が分かりにくかったため、あまりスムーズにできませんでしたが、このあと、各自が自分でパソコンとスマホを使うなどして、複数の端末で操作する練習を行うことにしました。
 これは、慣れればすぐにできることなので、今後、実際の授業見学などの中でも行うようにしていきたいと思います。
 これで一通り寺子屋オンラインクラスの指導の基礎はできたので、これからは、作文クラスも、発表クラスも、自習クラスも、どの曜日や時間も参加できるような体制で生徒募集を行っていきたいと思います。
 この11月に、言葉の森の本部の教室が引っ越しすることになったので、移転先の教室では、通学でありながらパソコンを使った、全国の生徒とのオンラインの学習を行うスタイルを作っていく予定です。
 通学教室でオンライン学習を利用する形ができると、現在、森林プロジェクトで作文教室を開いている人たちも同じ仕組みで学年別の生徒指導を行うことができるようになります。
 また、個人で作文教室を開いている人たちも、臨時の休講などに対応できるようになるので、教室の運営がしやすくなると思います。
 このオンライン教室の学習内容は、これまでの答えのある勉強を人より早く見つけるという古い形の学習ではなく、自学自習の土台の上に自分らしい発見と創造のある学力を育てるというものですから、作文の学習以外にいろいろなところに応用ができると思います。
 当面、今日の講習会に参加した人たちを中心にして、子供たちの新しい教育に関心のある人の輪を作っていきたいと思っています。
 
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 昨日の午後、寺子屋オンライン講師育成講座を行いました。
 4時間半もの長い間、講義を聞いてくださった方々、ありがとうとざいました。
 このあと、参加者には、希望の時間に担当のクラスを持っていただく予定です。
 寺子屋オンラインという勉強のスタイルは、大きな可能性があるので、これから参加者を募り広げていきたいと思っています。
 この実践的な講座を多数の人に受けていただけるように、現在インターンシップ制を考えています。
 これは、講習費用なしで(又は少額の頭金だけで)講座を受けていただき、インターンとして授業を担当していただくという形です。
 詳細は、改めて講師育成講座のページで掲載する予定です。
 寺子屋オンラインのよいところは、通常の通信教育と違って手応えがあることです。
 それは、先生と生徒だけでなく、生徒どうしのコミュニケーションがあるからです。
 今後、そういう活発な授業の様子を、生徒のプライバシーに配慮しながら紹介していきたいと思っています。
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 本日、10月27日(土)13時から15時半まで(予定)、寺子屋オンラインの作文講師育成講座を開催します。
 寺子屋オンラインというズームを使った少人数クラスでで行う作文やその他の教科の勉強は、これから大きな可能性を秘めています。
 それは、第一に、これまでの知識の詰め込みのような勉強ではなく、考える勉強で、しかも自分で新しいものを作り出す勉強だからです。
 第二は、参加する生徒全員が自分の作品をみんなの前で発表し、またその発表に対して参加する生徒全員がそれぞれに質問や感想を述べるという、全員のコミュニケーションを重視した授業を行っているからです。
 子供たちは、小学4年生を過ぎると先生や親の言うことよりも友達の言うことに関心を持つようになってきます。
 勉強も、友達と一緒にやっているから楽しいというものになってきます。
 この少人数クラスの講師を多数採用するために、毎月第2第4土曜日の午後に講師育成講座を開きます。
 子供たちの新しい学力を育てる未来の教育に関心のある方はぜひご参加ください。(ただし有料です。)
 必要な持ち物は特にありません。
 ウェブカメラのついたパソコンで、直接会場にお入りください。
▼会場
https://zoom.us/j/104606743
 うまく入れない場合は、お電話で。電話0120-22-3987(045-830-1177)
▼案内
https://www.mori7.com/sikaku/ 
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 全4時間半の講座ですから、参加される方は大変ですが、そのかわり、明日からすぐに指導に参加できるようにします。
 寺子屋オンラインのいいところは、Zoomで、オン・ザ・ジョブ・トレーニングができることです。
 多数の寺オン講師を養成して、日本全国に寺子屋オンラインの未来の学習を広げていきたいと思っています。
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 都立の日比谷高校の2018年の東大合格者は48人でした。
 その他の都立高校も、国立高校26人、西高校19人、戸山高校11人と、進学実績を大きく伸ばしています。
 この都立高校の復権という現象を支えているものは、それまでの学校群制度が廃止されて、東京都全域が一学区になったことによるものです。
 2000年代以降は、全国的に公立高校の学区が拡大される傾向にあります。
 ところで、言葉の森の課題の長文の中に、「島の動物と大陸の動物」の話があります。
 小さい島では、競争相手が少ないので、ネズミは大きくなり、ゾウは小さくなります。
 その反対に、競争相手が多い大陸では、ネズミは小さくなり、ゾウは大きくなるというのです。
 もともと大きかった動物が、更に大きくなるというのが、広い大陸に棲む動物の特徴です。
 公立高校の復権は、学区が拡大されたことにより、広い範囲の優秀な生徒が少数の学校に集まったことによるものです。
 母集団が大きくなれば、それだけよくできる生徒も、よくできない生徒も人数が増えます。
 そのよくできる生徒が、一つの学校に集まれば、その学校のレベルが上がるのは当然です。
 この大きな学区ということから考えてみると、言葉の森の生徒は全国から来ていますから全国一学区です。
 今は、海外からの生徒も多いので、全世界一学区とも言えます。
 そのため、作文が好きで得意だから来たという、もともと作文がよく書ける生徒もかなりの割合でいます。
 その反対に、作文が苦手で全く書けないから来たという生徒も、同じようにいます。
 すごく得意な子も、すごく苦手な子も、どちらも言葉の森の生徒になっているのです。
 これまでは、この全国一学区制をうまく生かすことができませんでした。
 それは、言葉の森の通信指導が、担当する先生と生徒との一対一の個別指導だったからです。
 だから、どういう実力の生徒にも対応できるのですが、生徒どうしの交流のようなものはほとんどありませんでした。
 ところが、言葉の森では、数年前に寺子屋オンラインという少人数クラスを始めました。
 まだ年数の浅い、多少実験的なクラスですが、このクラスの中で、参加する子供たちが活発に交流できることがわかってきました。
 中には、学力も発想力もある優秀な生徒がたまたま集まったというクラスもあります。
 その反対に、苦手な子の割合が比較的多くなったというクラスもあります。
 そして、そのいずれの場合も、生徒どうしが互いの影響を受けて、意欲的に勉強に取り組むようになっているのです。
 これは、先生と生徒の一対一の個別指導ではできない、少人数クラスならではの長所です。
 寺子屋オンラインに参加している生徒はまだ60名ほどですから、言葉の森の生徒のごく一部です。
 そのために、クラス分けなどが十分にできていませんが、今後参加生徒が増えれば、同じような実力の子が集まるクラスを作ることができます。
 また、勉強する教科も、その子の得意分野や苦手分野に合わせたクラスとして作ることができます。
 この大きな可能性のある寺子屋オンラインクラスをまだ本格的に募集していないのは、1時間の枠を指導できる講師が不足しているからです。
 というのは、言葉の森の講師は、すでに個別指導でいろいろな時間帯の生徒を教えているので、1時間のまとまった枠を取ることが難しいからです。
 いずれ、今教えている生徒も、寺子屋オンラインクラスに移行するようになると思いますが、まだすぐには難しいところがあります。
 そのために、森林プロジェクトで、寺子屋オンライン講師育成講座を行うことにしました。
 少人数クラスを教える講師が増えれば、生徒も同じように増やすことができます。
 そうすれば全国一学区制の長所を生かして、同じ学年、同じ興味や関心、同じ実力の子供たちが5、6人で切磋琢磨しながら勉強する環境が作れます。
 5、6人というのは、全員が話に参加できる人数ですが、その少人数クラスを横断するもっと大人数の企画も当然できます。
 4週目に行っている発表交流会は、普段の少人数クラスの枠を超えて交流できるようにするための企画です。
 言葉の森では、今後、全国一学区制の通信教育という条件を生かして、寺子屋オンラインの少人数クラスを広げていきたいと思っています。
 
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 小さな島に、大きな動物はいません。
 それは食糧がないからではなく、大きな動物どうしが集団を作れないからです。
 だから、日本にはゾウもキリンも動物園にしかいませんが、アフリカ大陸には自然の中にそういう大型動物がいます。
 そして、アフリカ大陸よりももっと広い海には、更に大きいシロナガスクジラやジンベイザメがいます。
 公立高校の復権は学区が広がったことによるものだと言われています。
 広い範囲から優秀な生徒が集まるようになったので、自然に進学実績の高い学校が生まれる条件ができたのです。
 そう考えると、全国の生徒を対象にした通信教育は全国一学区です。
 しかし、通信教育では、生徒は集まっても、生徒どうしの交流はできません。
 その生徒どうしの交流を可能にしたのが、Zoomによるオンラインの少人数クラスの授業だったのです。
 寺子屋オンラインの本格的募集を始めようとしていた矢先、これまで生徒の作品発表に使っていたGoogle+のコミュニティが廃止されることになってしまいました。
 そこで、今考えているのは、ワークプレイスなどの参加者を限定できるSNSの利用です。
 また、ちょうど言葉の森の通学教室の引越しも決まりそうなので、新しい通学教室では、通学でありながらオンラインで授業を受けるクラスもスタートしたいと思っています。
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 ひらがなばかりで漢字を書く子がいます。
 男の子に多いのですが、漢字で書けないわけではなく、漢字で書くのに時間がかかり面倒だからひらがなで書くということです。
 これを、「習ってる漢字は全部使って書くように」とか、「辞書を引きながら書くように」とかいう形で指導すると、書くスピードが落ちるので嫌がります。
 どうしたらよいかと言うと、漢字で書けそうなところはふりがなを振るような形で小さい字でマス目の横に書いておくといいのです。
 作文を一通り書き終えた段階で、その原稿をgoogleドキュメントの音声入力で読み上げます、。
 すると、ほとんどのふりがなの部分は正しい漢字に直るので、それを見ながら作文を漢字の部分を書き直すのです。
 このように、作文を書く作業と漢字を書く作業を分けて行えば負担はなくなります。
 両方を一度にやろうとするから、面倒に思ってしまうのです。
 作文だけを先に書き、漢字に直す作業をあとでまとめてやるようにすると、次第に最初から書けそうな漢字は漢字で書くようになります。
 子供の勉強をしやすくするために、ITの技術をどんどん利用していくと良いと思います。
 
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 男の子は、概して面倒くさがり屋です。
 だから、作文を書くついでに、漢字を使って、ていねいに書くようにして、姿勢も正しくなどといろいろなことを要求すると、すごく嫌がります。
 それは、いろいろなことを同時にやらせようとするからです。
 作文を書くときは作文だけに集中させ、漢字を書く練習はそのあと別にやっていけばいいのです。
 面倒なことを嫌がるというのは、物事を能率よく済ませたいという気持ちの表れです。
 だから、むしろその気持を生かす工夫をしていくといいのです。
 もし逆に親の力で、面倒なことを面倒なままさせようとすると、だんだんと形だけのやり方をするようになります。
 長い時間をかけて、ただ書き写すような紅鏡をしている子は、そういう形だけの勉強に慣れてしまった子です。
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