やや時間が空いてしまったので、前回の話の引用から。
【前回の話】
習い事が多くて時間がとれない、という子がいます。
インターネットの情報過多と同じで、自然に任せれば、見なければならないと思うものが次第に多くなってくるのです。
そこで、断捨離が必要になります。
そのときの基準は、今の役に立つだけでなく、生涯役に立つものかどうかということです。
もちろん、それは、あとになってみないとわからないことです。
しかし、どの子にも基本的に大事なものは、読書と作文と対話と自由な時間です。
要するに、理解力と思考力と表現力と創造力を育てることが基盤となって、ほかのものも生きてくるのです
そして、そのほかに、自分がすごく好きなものがあれば、それを大事にしていくことです。
始めてから3か月で成果が出て、次に移るという忙しいやり方ではなく、小学1年生から始めて、高校3年生まで、更には大学生、社会人になってからも続けられるものを第一の基準としていくのです。
また、今の社会では、人工的な環境で一日を過ごしてしまうことも多いので、生き物を飼ったり、自然に触れたり、友達と遊んだりする時間も意識的に大事にしていくことです。
学校の今の勉強に役立つかどうかということよりも、その子の将来の生き方にプラスになるかどうかということを第一に考えていくのです。
以前、小学校低学年で、学校の宿題が多くて勉強が忙しいからと、読書は家でしないで行き帰りの電車の中だけで済ますという子がいました。
低学年のころは成績がよかったのですが、高学年になるとどんどん成績が低下していきました。
読書のような根を育てることを後回しにして、そのときのテストや宿題という表面に出る花や葉を育てることを優先していたからです。
しかし、もちろん人間はいつでも変化できます。
その子もたぶん、すぐには表面に出ないものの大切さに気づいて、いつか本格的に何かに取り組むだろうと思います。
しかし、そういう遠回りをしなくて済むように長期的な目でものを見ることができるのが、人生経験のある親の役割だと思います。
(つづく)
(ここからつづきです。)
習い事のことで、もうひとつ思い出すのは、昔、おじいさんと若いお母さんが一緒に言葉の森に訪ねてきたことです。
おじいさんの話では、その若いお母さんが子供に勉強させすぎているので、それが子供にとってどういう(マイナスの)影響があるのか説明してやってほしいということでした。
私はもちろん、いつもの持論で、子供時代は勉強よりももっと大切なものがあるという話をしましたが、そのお母さんはあまり納得していないようでした。
おじいさんの方は、自分の長い経験から、勉強などは普通にできていればよくて、それよりも子供時代はもっと自由に遊ばせた方がいいという考えだったのだと思います。
ところで、私のうちの子二人は、勉強は必要最低限のことしかしていませんでした(自慢にも何もなりませんが)。
塾にも予備校にも行かず、二人とも自分の好きなことばかりしていました。
勉強の方も、時間がないときは、読書だけでいいという方針でした。
二人とも、言葉の森を小1の途中から始めましたが、習い事はそれだけで、その言葉の森も、たまたま用事があって休んだときはふりかえの授業などは受けずに、そのまま休みでいいとしておきました。
もちろん、休まずに皆勤賞を目指すというのも、それはそれで一つの生き方で、その子にとってプラスになることだと思います
しかし、私は、自分が子供だったら嫌だろうと思うことは、なるべく子供にさせないようにしていたのです。
そのかわり、躾はやや厳しくて、玄関で靴をそろえていないときや言葉遣いが悪いときは、しっかり叱りました。
言葉遣いと言っても大したことではなく、当時流行っていた「ムカつく」などという言葉は使わないようにしていたぐらいですが。
そういう、全体的には子供に甘い生活をしていましたが、二人とも、受験などで勉強が必要になったときは、自分から進んで勉強するようになりました。(それは、普通、誰でもそうですが。)
そして、普通に大学に入り、普通に卒業して、今は普通の社会人です。
まだ人生の途上ですが、ときどき会って話をすると、年齢相応に自分なりによく考えていることがわかります。
これは、私のうちの子だけの特殊な話ではなく、どの子も、子供時代、特に小学校時代は、勉強がどのような状態にあろうともみんなまともに成長していくのです。
小学校時代までは、詰め込みの勉強をしようがしまいが、その後になれば、みんな同じようなところに落ち着きます。
むしろ大事なのは、本人が自覚する年齢になってからの勉強です(中3以降だと思いますが)。
それなら、小さいころはできるだけ楽しい子供時代を送った方が、本人にとっていい思い出になるのではないかと思います。
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受験真っ最中のときは、こんなのんびりしたことは言っていられません。
それはもちろん当然で、勝負のときは全力で勝負する必要があります。
しかし、親はそういうときでも、いつも長い展望をもって子供を見ていく必要があると思います。
子供時代にいちばん大事なことは何かと言えば、幸福な子供時代を過ごすことです。
それは、勉強を取るか、遊びを取るかということではありません。
勉強でも、遊びでも、幸福な気持ちで取り組んでいればいいのです。
ただし、子供は、親を喜ばせるために、無理をしてがんばることがあります。
親は、それを察してあげることです。
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昔、数学でベン図というものを習いました。
そのときは、あたりまえのことを言っているだけような気がしていました。
しかし、ある高校入試の問題を見て、それなりに役に立つのだと思いました。(一種の頭の体操に過ぎないのかもしれませんが)
問題は、こういうものです。(都立新宿高校の小論文の問題の一部)
https://www.mori7.net/izumi/gazou/2018/12300617270.jpg
これは、言葉の上で考えても頭が混乱するだけです。
しかし、ベン図を書くと、図形的にわかるのです。
それがこれ。
https://www.mori7.net/izumi/gazou/2018/12300617271.jpg
やはり、教科書に載っているようなことは、それなりに先人の知識の積み重ねとして意味があるのだと思いました。
ただし、今の教科書の難点は、独学ができないことです。
先生が教えることを前提に作られているので、説明が少なすぎるのです。
塾の教材でも、そういうものが多いと思います。
いちばんよくないのは、問題だけが載っていて答えは先生が持っているという問題集です(笑)。
そして、授業に出てから答え合わせをするのです。
ひとりで答え合わせをして先に進む勉強の仕方に比べると、何倍も能率の悪いやり方だと思います。
ところで、私が、仕事の上で数学が役に立つと思ったのは、ホームページでいろいろな図形を作っているときでした。
図形で円グラフを作るときや、あるデータから傾向線を引くときに、昔の高校の数学の教科書を取り出して、円の方程式や最小二乗法の考え方を復習したのです。
そんなものは、習ったことさえすっかり忘れていたので(笑)。
文系に進む人でも、数学の確率の素養はこれから必要になります。
理系に進む人でも、日本史や世界史の知識は役に立ちます。
就職試験の一般教養問題は、中学の教科書があればほとんど対応できます。
中学、高校の教科書は、特に高校の教科書は、卒業してからも捨てずに残しておくと、いつか役に立つときがあると思います。
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昔の作文小論文試験はのどかでした。
「○○時代にいちばんがんばったこと」のような課題が与えられて、それで作文を書いていればよかったからです。
こういう課題でしたら、少し練習すれば、すぐに合格作文が書けました。
しかし、今はそうではありません。
まず、問題文の量が膨大です。そして、時間が限られています。
しかも、複数の文章を読ませるスタイルが増えてきました。
そこに、資料を読み取る要素や、数学的な考え方をする要素が盛り込まれて、どんどん複雑化していったのです。
たぶん今は、出題している人自身が、合格レベルの作文を書けないのではないかと思います(笑)。
では、どこで合否を決めているかというと、みんなが同じようにできない中で、比較的できのよかったものが合格になるということなのです。
本当は、こういう難しすぎる作文試験の課題を1題だけ出すのではなく、普通に書けるやや難しいぐらいの課題を2題か3題出した方が、実力は正しく評価できます。
しかし、それでは時間がかかりすぎるのと、それ以上に採点に手間がかかりすぎるので、今のような難しすぎる課題になっているのです。
ゴルフでは、プロとアマの差は、うまく行っているときはあまりないのだそうです。
うまく行かないときに、プロとアマの差が出るのです。
作文試験も似ています。
書きやすい課題のときは、実力の差はあまり出てきません。
書きにくい課題になったときに、実力のある子は根性で書き上げてくるのです。……根性って(笑)
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けん玉の動画、理科実験の話、古典の暗唱、読んでいる本の紹介など、一見脈絡のない流れのように見えますが、共通しているのは、みんな自分なりに決めたことを自由に発表していることです。
こういう勉強は、遊びに似ています。
先生に褒められるからとか、いい点数がつくからとかいう動機ではなく、友達が面白いことをやっているから、自分も負けずに面白いことをやろうという動機で勉強をしているのです。
論語にもあります。
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」
真面目な子は、義務感で勉強できます。
だから、真面目な子は最初から成績がいいのです。
しかし、義務感でやっていることは、義務がなくなれば自然にやらなくなります。
一方、楽しみでやっている子は、それが楽しいと思う限り続けることができます。
その差は、先に進むほど大きくなり、いつの間にか、楽しみでやっていた子の方がずっと先に行っているということが多いのです。
だから、子供時代は、楽しさを味わうことが第一で、義務感で我慢することは第二です。
そして、その楽しさを、学問の楽しさや創造の楽しさへ発展させるのが社会の役割なのです。
▼けん玉、暗唱、読んでいる本の紹介
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カリキュラムがあって、覚えることが決まっていて、それをテストでチェックしてできるまでやらせる、という勉強の仕方であれば、誰でも安心できます。
しかし、そういう勉強ばかりであったら、子供は勉強というものはつまらないものだと思うでしょう。
今の教育は、そのつまらない勉強に砂糖をまぶして面白く見せようとしているように思えます。
勉強は、工夫をすれば、その勉強の中身そのものが面白くなる可能性を秘めているのです。
発表学習で大事なことは、全員が発表することです。
そのためには、それぞれの子が事前に準備をすることが必要になってきます。
準備なしに、ただ授業を聞きにきて、問題を解いて帰るという勉強に慣れている子は、最初は戸惑います。
発表を楽しめるようになるためには、低学年のうちから発表に慣れておくといいのです。
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子供の好きなものは、人それぞれに違います。
親にとっては、そのどこがいいのか全然わからないようなものが好きな子もいます。
よくあるのが、電車の好きな男の子で、一般に母親はその心理がよく理解できません。
しかし、その好きなものが、その子の探究心の源になります。
だから、その好きなものを生かして、それを学問の方向に発展させていくといいのです。
これまでの世の中は、覚えなければいけない体系的な知識が先にあり、子供の興味は後回しでした。
しかし、これからは、子供の興味関心が先にあり、その興味関心を生かして体系的な知識を身に着けていくようになります。
そのために大事なことは、子供の好きなものに、親も一緒に関わってみることです。
すると、その子供の興味を学問の方向に発展させる道筋が見えてきます。
そして、その学問を更に創造の方向に発展させていくのです。
今回の動画で紹介する小3の男の子は、電車好きです。
電車に乗った動画の紹介のあと、モーターの仕組みと電気の流れについての発表をしてくれました。(動画にはその研究発表の部分は入れてありません)
▼電車の好きな子のクリスマスプレゼント
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勉強の出発点は、子供の興味や関心です。
強制や褒美ではありません。
いちばんの理想は、同じ興味や関心を持っている子供どうしが、共通の話題をもとに、その興味や関心を学問の方向に発展させていくことです。
子供がゲームばかりしていると嘆くお母さんは多いと思います。
しかし、ゲームによっては、かなり頭を使うものや創造的な工夫を必要とするものがあります。
また、体を動かすゲーム、外に出かけるゲーム、友達と協力するゲームなども生まれています。
これからのゲームの世界は、次第にそういう文化的なものになっていくでしょう。
だとしたら、ゲームの禁止を考えるより前に、お母さんやお父さんも一緒にゲームをやってみるといいのです。
すると、そのゲームへの興味を、学問や創造へと発展させる道筋が見えてきます。
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