ゲストさん ログイン ログアウト 登録
 Onlineスクール言葉の森/公式ホームページ
 
記事 1284番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/25
読書グループ(facebookページの話題から) as/1284.html
森川林 2011/07/02 05:29 



 言葉の森のfacebookページでは、いろいろなグループが運営されています。

 今回は、そのひとつ。「読書の好きな子になる庭」の話題を紹介します。(以下、投稿された記事のみ。関連するコメントは省略)



 子供を読書の好きな子になるにはどうするか、また、読書の好きな子にはそのあとどう対応していくか、ということを話します。

 具体的な本の紹介などもしながら進めていきたいと思います。


 読書好きな子を育てる方法は、ある意味で簡単です。

1、読み聞かせをして、耳から聞く言葉をたくさん入れておくこと

2、しかし、テレビやビデオのような機械的なものではなく、必ず生身の人間が関与すること

3、大人から見てややくだらないと見えても、子供にとって面白いものを優先すること

4、何しろ毎日読む時間を確保すること

5、折に触れて、「本を読むのが好きだねえ」と言って、子供に自然な自覚を持たせること

 これで、小学校時代は完璧です。

 しかし、中学生、高校生の場合は、またちょっと違うと思います。


 お母さんから質問がありました。

「小2になる子供が本を読まない。母親が読んできかせてあげるから、自分で読めなくなったのではないか」

ということでした。

 これは、逆で、読み聞かせが足りなかったから、自分で読む力が育っていないのです。

 こういう子に対しては、

1、今からでも、親が毎日読み聞かせをする

2、マンガぐらいの易しい面白い本でいいから、毎日読むようにする

ということになります。

 低学年の場合は、マンガも読書力にとってプラスになるのです。


 かつて、言葉の森子供たちに、一斉で感想文の書き方を教えたことがあります。

 でも、ちゃんとした作品に仕上げるためには、小4までは、かなり優秀な子でも、大人の必要以上のアドバイスが必要でした。

 だから、小5になるまでは、感想文の勉強は不要だというのが持論になりました。

 小4までは、感想文を書く意味はありません。だから、そういう宿題はやらないのがいちばんです(笑)。

 でも、それでもどうしても書きたいという子には、いい書き方を教えますね。


長女が小1のころ、PTAのお仲間に頼まれ、近くのマンションの集会所をお借りして読み聞かせの会を開いていました。紙芝居や読み聞かせに向く本をいくつか用意し、2時間程度の会。本にあまり興味がない子も来るので、国旗ゲームやカルタも用意し、読み聞かせのあとのお楽しみタイムもちょっぴり作ったりしていました。懐かしい思い出です。

 みんなが大好きだったのは、めっきらもっきらどおんどん。


毎日の読み聞かせ、大体寝る前に2冊読んでいます。基本娘(年中)の好きなものを持ってこさせていますが、私が選ぶときには少しだけ内容が難しいものを選んで読むようにしています。最近読んであげたは、小学生の時教科書で読んだがまくんとかえるくんのシリーズ。絵が全て内容に合っているわけではないので、最初は戸惑っていましたが、今では大好きになりました。少しだけ背伸びをするような本が欲しいなと思っているので、他に小学1年生くらいを対象としたオモシロイ本があれば知りたいです。


皆さん、読書好きなお子さんばかりで羨ましい・・・わが娘は高1なのですが、恥ずかしながら、読書嫌いなんです。2つ上にもう一人娘がいますが、こちらは本の虫と呼ばれるくらいの本好きです。幼い頃は2人とも同じように読み聞かせをし、図書館にも連れて行きました。なのに、次女が読書をしている姿って見たことないんです(涙) 長女との違いといえば、次女は体育会系、そして国語より数学が好き(つまり理系)。 読書を強制させようとすると不貞腐れます。そして、そのせいか、かなりのボキャ貧です・・・。もう、高校生、これから読書好きにさせるのはやっぱり難しいでしょうか?


 読書は、自分の好きな本を、毎日読むというのが基本ですが、そのほかに、だれでもが夢中になる良書というものが確かにあります。

 これまで、ほぼひとりの例外もなく、小学生(小3ぐらいから中高生や大人でもOK)が夢中になって読んだ本が、「宇宙人のいる教室」でした。たいていの子が、読み始めてからすぐに止まらなくなり、1日で全部読み終えてしまいました。

http://tinyurl.com/432bn5u

 今、アマゾンで見てみたら、中古品はなんと1円からありました(笑)。


 読書は何冊か並行して読んでいくとはかどります。

 よく、こういう子がいます。

 親から、名作をすすめられたが、面白くないのでなかなか進まない。しかし、その本を読み終えるまでほかの本を読むのには抵抗がある。

 こういうとき、何冊かの本を並行して読んでいっていいのだとわかると、子供は、面白い本から先に読み出します。その勢いで難しい本にも進む場合もあるし、そうでない場合もあります。

 大事なことは、ブレーキのかかる本は保留にしておいてもいいのだと、子供に教えてあげることです。


この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
facebook(29) 読書(95) 

記事 1283番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/25
5月清書の森リン大賞から as/1283.html
森川林 2011/07/01 18:31 



 5月清書分の森リン大賞の中から、小6~中3の代表3作品を掲載します。

 毎月の森リン大賞は、ホームページの「森リンの丘」に掲載されています。

https://www.mori7.net/oka/moririn_seisyo.php

小6の部(120人中)

   日本語ッテムズカシイデス

かこちゃん

 どこの言語も初めは内輪の言語、部族言語だが、それが外国に広まりだすと、外の視点が入ってきて言語の刈りこみが行われてくる。だから、日本語を世界へ広めるためには、まず、外の視点を取り入れた日本語辞典をつくることだ。そのためには、日本はこらからどうやって日本語を刈りこんでいったら、国際普及の日本語になるかということを考えなければならない。わたしがこの話を読んで、一番そうだなと思ったのは、日本語を世界に広めるためにはもっと分かりやすくしなければならないといううことだ。なぜなら、テレビでも外国人が

「日本語ッテムズカシイデス。オモシロイノデスガ、複雑デス。」

と言っているのを見たことがあるからだ。

 わたしの通っている英語教室の先生は、外国人だ。日本語は少しくらいなら話すことができる。ある日、英語の文章を日本語に訳したときのことだ。「No,itisn’t.」 という文章を先生が、日本語でこういう意味だということを教えようとしてくれた。先生は慣れない日本語で、

「いいえ、そうですまん。」

と言った。わたしと一緒に習っている友人は、急いで頭をフル回転させて、先生は何を言いたいのか考えた。そして声をそろえて、

「いいえ、ちがいます。(?)」

と言った。先生は、

「そうそう、そう。日本語はムズカシイ。」と困った顔をした。

 また、外国人が日本語を学ぶとき、困ってしまうと思うのが方言である。なぜなら、方言というものは、一部の地いきで使われるもので、日本中で使われるものではないからだ。ある日わたしは、「はじめての秋田弁」というマンガを読んだ。秋田県へ引っ越してきた女子高校生が、周りの友達や先生から秋田弁を教わるというストーリーだ。よく使われるのが、「がっこ」、「せば」、「けれな(けねが)」だ。

「がっこ」とは単に、「漬け物」のことだ。「せば」というのは、「そうしたら」という意味だ。例としては、

「これをどうする?」

「せば、こうするか。」

という感じだ。「けれな」は、「~してね!」という意味だ。「けねが」は、「~してくれないか?」という意味だ。例として、

「わたしに何でも頼んでけれな!」

「せば、これを持っていってけねが?」

という感じだ。おもしろくてどんどんマンガを読んでいくうちに、これは日本語なのか!?と疑ってしまうような言葉まであった。

 わたしはこの話を読んで、日本人にとって日本語というものは、地方によっていろいろな方言があって、とてもなじみのあるものだと思う。しかし、それを広めていくとすると、もっと分かりやすく、外の視点を取り入れていかなければならないものだと思った。

中1の部(97人中)

   個人と集団

ミス・バニー

 小さな個人の集まりが、大きな社会を作っているということはつまり、個人をなしにして大きな社会はないということである。しかし砂粒集まって砂山を作り、動物や植物の体が無数の細胞から出来上がっているのと同じではない。一人一人の人間は、喜ぶことや悲しむことができ、自分が中心になって他のものまで動かすことができる。それが人の個人の集まりであって、喜ぶことも悲しむこともできない砂粒や、生きていても自分で考え行動することのできない細胞とも違うのである。

 私は去年、小学校の時の運動会で「心を一つに」の真の意味をはじめて知った。それまではただ、「心を一つに」を運動会などの団体で協力する場でキャッチフレーズに入れるとかっこいいと思っていた。そして去年のリレーチームの目標として「心を一つに」を入れた目標をクラスで立てた。表面上は、響きもいいし様になっているので私たちクラスメイトは満足していた。しかしそこで、当時担任の金八先生の様なTeacherが、「それじゃあ、お前たちは心をもぎ取って合体させるんだな?」といってきた。もちろん私たちは困惑した。そんなことを言う先生とは初めて出会ったし、大概の先生はこんな目標を立てたら「やっぱり○組は違う!すごい!」と絶賛してくれていたからだ。そこで、Teacherがあるゲームをしてくれた。そのゲームで分かったことが、何かの目標に向かってお互いが努力した結果、心が一つになるということであった。はじめから心を一つにすることが目標ではなく、努力して頑張ったら心が一つになるということをTeacherは言いたかったのだ。

 学級では毎日とはいかなくとも、話し合いや討論の時間があるだろう。討論をするにあたって一番良いのは一人の意見がもっとも最適なものであることだ。しかし、実際そううまくいくことはめったにないし、一人の意見を採用するのであれば誰かが決めるのと同じで、討論とはいえないだろう。ではなぜ討論をするのか。それは一定の考え方の個人個人の意見を知り、自分の思いもよらない奇想天外な意見から自分の考えを客観的に見るためだと思う。三人寄れば文殊の知恵。個人では堅い考え方を集団は柔らかくする。

 人間にとって集団社会というのは、ひろい考え方ができる場所だ。一人一人の力は弱く、小さい。しかし、一人が二人に、二人が三人の集団になることによって、強い大きな力が生まれる。日頃すべてを集団社会で暮らせということではなく、固い考え方の殻を破って沢山の考え方を知り、する事ができる集団生活の場も大切にしていきたい。

中3の部(56人中)

   原石に輝きを

さくら

 人々が毎日のように出すゴミは本当にもう役に立たないものなのだろうか。不要なものなのだろうか。空のペットボトルから私たちが着る洋服に変化したり、古紙が新しいコピー用紙にできるようになった今、ゴミも大切な資源の一つになっているのだろう。もう何にもリサイクルできないように見える生ゴミでさえ、堆肥として使えるということを総合の授業を通して改めて実感した。後日、家庭科の調理実習で調理した総合学習の一環として生ゴミを混ぜて作った土から収穫できた野菜は新鮮だった。人工的に作られた肥料を大量に使うより、環境にとっても良いのではないか。わたしはゴミや美しくない原石に輝きを与えられるような人になりたい。

 第一の方法としてはそこにあるものの良い面を見つけようとする心構えでいることだ。球技大会でクラス内で作ったソフトボールチームは、スポーツが得意な人が多いとはお世辞にも言えなかっただろう。むしろ苦手な人が多く、最初からベンチ入りを希望する人が何人もいる程だった。しかし、ルールさえ知らない人が多かった私のチームが、年上の、最終的には優勝したチームと互角に戦えるようになることができたのはなぜか。それはメンバー全員がほかのメンバーそれぞれの良い面を探すことができたからだ。悪い面を探すことは簡単で、人は悪い面が先行してしまうが、その裏には、必ず良い面が隠れている。チームの空気も最初は微妙な空気が漂っていたが、本番が近づくにつれ、一致団結していったと思う。ある人は走ることは得意でなかったが、送球された球を取るのが得意だった。したがってその人のポジションは一塁になった。これは話の一部分でしかないが、私は個人の力が最大限に発揮できるようなチームになりたいと思っていた。結局、ゲームは無念に終わったが、何ヶ月も経った今、後悔はあまりない。

 第二の方法として、マイナス面を見つけては直す減点主義の教育のような今の社会風土を変えていくことだ。あの偉大な発明家エジソンは幼い頃学校の先生に些細なことで質問することを繰り返して、授業の妨げになったため、学校を辞めることとなった。しかし彼の発明は世界各国の人々を幸せにしたであろう。これは幼少期の不明な点はどこまでも追及していくといった彼の探究心のおかげだと思う。学校ではエジソンはマイナスな評価をうけていたが、エジソンの行動が本当の意味でのマイナスであったか、と考えるとそうではないだろう。結果的に文明の発展に貢献した彼の人生でに発明をみると、その行動は世界の人々にとってプラスであったといえる。

 確かに今ある悪い面を直すことは大切である。しかし「勝負に勝つためには、苦手をなくすことよりも、得意技を持つことである。」という名言があるように、もともとある良い面を伸ばすことはそれ以上に大切なことだ。その方法をいかに上手にするかが問題であると思う。私は一見ゴミのように見えるものの役割を見出し、豊かに発展させていけるような人になりたい。原石は時間をかけて磨きつづけて初めて美しい宝石になるのだから。


この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
森リン(103) 子供たちの作文(59) 

記事 1282番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/25
玄海原発の再開を認めれば、日本人は何も学ばなかったことになる as/1282.html
森川林 2011/06/30 22:54 



 原発の安全を一体だれがどういう根拠で保証できるというのか。
 だれにも安全が保証できないことが今回の事故でわかっていながら、
 夏場の電力を確保するという目先のことだけの動機で
 原発の再開を認める政治家がどこにいるのか。

 このような愚かな選択を認めるならば、日本人は何も学ばなかったことになるだろう。

補足説明「言葉の森と政治」(2011年7月1日追加)

 言葉の森は、作文教室です。子供たちの個性、知性、感性を育てることを目的にしています。
 だから、子供たちの未来が脅かされる可能性については、教育の分野を超えることであっても意見を明確にしたいと思っています。
 しかし、既に多くの人が述べている事柄については、それ以上自分の意見を追加するつもりはありません。それは政治団体がすることだからです。
 玄海原発については、まだほとんどの人が自分の考えを述べていないうちに、政治の意向だけが表明されました。

 政治的な力を持っている人は、議論をするよりも自分たちに都合のよい既成事実を積み重ねようとします。
 たとえそれが実行されたとしても、そこで国民が声を上げれば、その事実を黙認したことにはなりません。
 歴史は、左右に揺れ動き、時に逆流しながら進歩していきます。
 政治的な立場は人それぞれに違いますが、日本がよりよい社会になるようにオープンな議論の中でともにがんばっていきましょう。

【参考「玄海関係のニュース」】
http://news.google.co.jp/news/search?pz=1&cf=all&ned=jp&hl=ja&q=%E7%8E%84%E6%B5%B7

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
日本(39) 

記事 1281番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/25
facebook会員五千名以上。これから対話の教育を as/1281.html
森川林 2011/06/30 15:09 



 言葉の森のfacebook会員が五千名以上になりました。(6月30日現在5737名)

http://www.facebook.com/kotobanomori

 言葉の森のサイトの特徴は、facebookを単なるウェブサイトのひとつとしてではなく、つながりのあるメッシュのひとつとして位置づけていることです。

 これから、このfacebookを利用して、従来のインターネットではできなかった新しい教育のシステムを作っていきたいと思っています。



 今回は、その応用例のひとつとして、「対話の教育」を取り上げます。



 親子の対話というと、親と子がただお喋りをするだけのように聞こえると思います。実際、そういう面もありますが、それだけではありません。

 親子の対話は、年齢と話の質との関係で、話をすることがきわめて強力な学習の要素を持つことがあるのです。

 その最も顕著な例は、幼児期に表れます。



 0~2歳の幼児期は、まだ対話を交わすようなレベルではありません。しかし、この時期に実は、対話の核となる能力が急成長しています。

 幼児期に、親との生きた会話のかわりに、テレビやCDの音声が流れている環境で成長すると、対話の能力が阻害されるおそれがあります。おもしろくもないのに笑い声が聞こえてきたり、悲しくもないのに泣き声が聞こえてきたりすると、幼児は、対話を感情のないものとして学習してしまうのです。

 いったん最初の学習が成立すると、あとは、人間が話しかけても、その話を感情のないものとして聞くようになります。こういう子供が人間との人間らしい対話の能力を回復できる時期は、3歳ぐらいまでと言われています。

 幼児期の対話というのは、それほど重要なものなのです。



 音楽の世界では、幼児期に絶対音感を育てる方法があります。同じことが、音楽だけでなく言葉についてもあてはまります。

 幼児期は、絶対語感の育つ時期です。この時期に、親が実物とかかわりのある状態で、いろいろな話しかけを行うと、子供の思考力が大きく成長します。

 しかし、その場合に大事なのは、できるだけ実物との関連を持たせて話をするということです。その点で、絵本の読み聞かせよりも、実際に何かをきっかけにして話をすると方が話の中心になります。



 読書の場合は、それぞれの年齢に応じた発達段階があります。

 好きなものを読むのが基本と言っても、年齢相応よりも易しいものを読み続けると、逆に読む力が低下する場合があります。例えば、漫画は小学校低学年では、読む力を育てる面の方が強いのですが、高学年になると逆に読む力を低下させます。

 それは、ちょうど、やわらかいものばかり食べているとあごが丈夫にならないと同じようなことです。絵の助けを借りて読めるようなものばかり読んでいると、文字だけの文章を読む力が育ちません。

 高校生以上になると、本をよく読んでいるといっても、それが小説のような本ばかりであれば、やはり読む力はあまり伸びません。



 同じことが、対話の場合にもあてはまります。

 対話というのは、ただ親子でお喋りをすればいいというのではなく、考える喜びを育てるという面を重視して話していく必要があります。

 だから、子供が小学校低学年から中学年、高学年とだんだん成長していったときに、その子供の成長に応じて、親が考える楽しさを伝えられるような話をしていくことです。



 そういう話が自然にできる人もいます。しかし、ほとんどの人は、準備や努力なしにそういう話をすることができません。

 しかし、いったん中身のある知的な対話を親子でできるようになると、それは、その家庭の文化となり、その子供が大人になったときにも受け継がれていくようになります。

 食事中にみんなでテレビを見ながらごはんを食べるというようなこともひとつの文化です。そういう環境で育った子供は、自分が大人になり親になったときにも、やはり同じように子供たちにテレビを見せながら食事をするでしょう。

 逆に、食事中に、年齢の違う親子がそれぞれ自分なりに話をしながらごはんを食べるということができればそれもひとつの文化です。

 子供の教育のほとんどは、この家庭の文化の中で行われます。家庭の文化が崩壊している中で育った子が、学校や塾の教育で成長するというのは難しいのです。反対に、学校や社会環境がどんなに悪くても、家庭の文化さえしっかりしていれば、子供はのびのびと成長します。



 その家庭の教育文化を作ることに、facebookが活用できます。

 今、言葉の森のfacebookサイトには、「読書」や「遊び」や「季節の行事」のグループがあります。グループというのは、参加者が自由に投稿やコメントを交わせる掲示板のようなものです。

 このグループの中に、今後、課題の長文をもとに子供が作文の勉強をする際に、親子でどういう対話ができるかという情報交換のページを作っていく予定です。

 対話というのは、対話自体と目的として行うものではありません。そういう対話ができるのは、よほど趣味や関心が一致している場合ですし、その場合も毎日話せば話題はなくなってしまいます。

 作文の勉強という毎日の新しい課題があって、その課題に沿って対話をするということができれば、話題は尽きることはありませんし、何よりも考える喜びの感じられる知的な対話ができます。

 幼児期の語りかけのあと、子供が小学生になったら、その年齢に応じて自然に知的な対話が交わしていけるような発展性のあるサイトをこれから作っていきたいと思っています。



※5月からfacebookサイトの更新に取り組んでいたため、ホームページの更新が遅れていました。

 言葉の森のfacebookは、ほかのサイトにはないユニークな取り組みがいくつもあります。まだ会員になっていない方は、ぜひ言葉の森のfacebookページの会員になってくださるようお願いいたします。

http://www.facebook.com/kotobanomori

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
インターネット(25) 対話(45) 

記事 1280番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/25
インターネットを金本位制に戻すfacebook(フェイスブック) as/1280.html
森川林 2011/06/16 21:11 


 言葉の森では、facebook(フェイスブック)を情報提供の場としてだけでなく、コミュニケーションの場として活用していきたいと思っています。そこで、現在、行っているのは、さまざまなグループ活動です。

 これは、facebook内に、メンバー制によるグループを作り、その中で日常的に話ができるようにしていく仕組みです。グループに参加すれば、自分の関心のある分野に特化した情報でコミュニケーションを交わすことができます。

 今あるのは、36グループです。活発なところもそうでないところもありますが、自分の気が向いたときに、グループの記事を読んだり書いたりすればいいので気が楽です。

 そして、そういうゆるいつながりで参加しているグループであっても、そのグループでのやりとりは、ときどき自分のウォール(自分用の掲示板のようなもの)に表示されるので、つながりが切れてしまうことはありません。



 日本では、まだfacebookが広がっていないので、参加する個人や団体の中には、毎日きわめて頻繁に記事をアップロードするところと、ほとんどfacebookを開かず何日かに一度見にくるだけのところとの両極端があるようです。

 アメリカのようにfacebookが普及して日常的なプラットフォームになれば、1日1、2回定期的にチェックするというような使い方が多くなってくると思います。そういう無理のない生活に溶け込んだ使い方がされるようになって初めて共通のプラットフォームとして使いやすくなっていくと思います。



 さて、ここで、facebookの持つコミュニケーションの特徴を少し考えてみたいと思います。

 インターネットは、これまで一部の人や組織でなければできなかった情報発信を、誰の手でもできるように解放しました。

 その典型的なブログやyoutubeです。情報を提供するということは、それまでは新聞社やテレビ局のようなところでなければできませんでした。しかし、技術の制約とコストの制約が急速になくなった結果、今では誰もが特別の苦労なしに、自分で創造した情報を世界中の人に向けて発信できるようになりました。

 しかし、これらの情報を自由に情報を発信する人や組織が増えた結果、今度は、求めている情報がどこにあるかを探すための検索エンジンの必要性が増してきました。

 ところが、検索エンジンの利用が広がるにつれて、検索エンジンのアルゴリズム(計算方式)の裏をかくSEO対策が現れてきました。

 単に裏をかくSEO対策に対応するだけなら話は簡単です。しかし、問題は、そういうSEO対策を意識的に行っているあまり品質のよくないサイトと、SEO対策をほとんど行っていない品質のよいサイトとが混在していることです。

 そのため、現在、googleやYahoo!の検索の上位に来ているサイトは、必ずしも上位にふさわしいサイトではないという結果になってきました。

 こうなると、インターネットで何かを探す人は、検索エンジンが登場する以前の世界に戻ってしまったことになります。

 情報は年々増えていく。しかし、検索エンジンはあまり使えなくなってきた。このような状態で頼りになるのは、信頼できる個人のクチコミです。そこで、facebookのような特定の個人とつながることのできるコミュニケーションサイトが価値を持つようになってきたのです。



 googleの検索結果を上位にするためには、被リンク数をかせぐ必要があります。つまり、検索結果の上位に来るのは、ほかのサイトからリンクされている数の多いサイトだということです。

 しかし、今は匿名でいくらでもブログが作れる時代ですから、例えば、ある人がいろいろな名前で100個のブログを作り、そこから自分のサイトにリンクをはれば、一挙に100ヶ所のサイトからリンクされたホームページが登場することになります。

 そこで、このSEO対策に対応するために、検査エンジンの側が、今度は被リンク数だけでなく、中身のコンテンツの量を評価するようにしたとしても、コンテンツは、いくらでもコピー&ペーストで作ることができます。

 バーチャルな世界を前提にするかぎり、人間が作ったアルゴリズムであれば、人間が裏をかくのは容易なのです。

 ところが、facebookには、実名制というリアルな世界が結びついていました。これまでのインターネットが、金(きん)の裏づけのないマネーシステムだとすると、facebookは一昔前の金(きん)の裏づけのあるマネーシステムに戻ったというふうにも言えると思います。

 実名の裏づけのある個人が評価しているサイトは、匿名のブログから多数のリンクされているサイトよりも評価が高いはずです。(今はまだfacebookも過渡期なので、そうは言いきれない面もあると思いますが)

 こうして、多くの人が、googleやYahoo!の検索結果よりも、facebookでの知人の評価の方を信頼するようになっていったのです。

 金本位制が復活したら、金(きん)の裏づけを持たないマネーをいつまでも持っていようと思う人はいません。同じ金額が表示されているなら、金(きん)と交換できるマネーを持ちたいとだれもが思うはずです。

 facebookがこれから脚光を浴びると思われるのは、こういう時代の大きな流れが背景にあるからなのです。



 この言葉の森のホームページをごらんのみなさんも、ぜひfacebookに登録して、言葉の森のfacebookサイト、 言葉の森作文ネットワークにおいでください。


主なグループ紹介


読書の好きな子になる庭  子供を読書の好きな子になるにはどうするか、また、読書の好きな子にはそのあとどう対応していくか、ということを話します。 具体的な本の紹介などもしながら進めていきたいと思います。

親子で遊ぼうワンワンワン  主に小学生ぐらいの子供と、お父さんお母さんが楽しく遊ぶための方法を考えるグループです。 もう子供が大きくなった方も大歓迎。経験談を教えてください。 まだ子供が小さい方、まだ子供がいない方もぜひどうぞ。

教育の丘コミュ  子育て、教育、勉強に関する雑談、親睦、交流を行ってます。 お気軽にご参加ください。


高校大学入試小論文の岸  最近増えている、高校、大学の入試小論文。かなり書きにくそうなテーマも出されています。そういうテーマにどう取り組むか、という実践的な話を中心に。 実際の小論文課題を取り上げながら話をしていきたいと思います。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

ファンレター 20110623  
横浜市教育委員会、学校給食会は、放射線量も測らず小学校の給食に福島県の計画避難区域内の牛肉をたべさせています。
誠実な市議でも時間がかかっております。
中根先生の作文でなんとか横浜を説得できないでしょうか。
ヒントを下さい。

森川林 20110630  
 お返事遅れてすみませんでした。
 国民の大多数は、正しい情報があれば正しい判断をすると思います。
 しかし、今はまだ、マスメディアが情報をゆがめ、政治が判断をゆがめるという状態が続いているようです。
 その原因は、利権と脅迫です。
 そのことに、多くの人が気づきはじめたので、これから世の中は大きく変わっていくと思います。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
インターネット(25) 
コメント1~10件
森リンベストの 森川林
じすけ君、ありがとう。 統合失調症のような、また似たような 4/21
森リンベストの じすけ
こわばんは 今日は元気一杯、体験発表をさせて頂きます。 4/20
国語読解問題の 森川林
 あるとき、高3の元生徒から、「国語の成績が悪いのでどうした 3/28
今日は読書3冊 森川林
苫米地さんの「日本転生」は必読書。 3/25
共感力とは何か 森川林
言葉の森のライバルというのはない。 森林プロジェクトで 3/23
3月保護者懇談 森川林
 いろいろ盛りだくさんの内容ですが、いちばんのポイントは、中 3/22
中学生、高校生 森川林
 意見文の書き方で、もうひとつあった。  それは、複数の意 3/14
【合格速報】栃 森川林
 おめでとう!  受験勉強中も、硬い説明文の本をばりばり読 3/13
受験作文と入試 森川林
将来の作文入試は、デジタル入力になり、AIで自動採点するよう 3/13
大学入試が終わ 森川林
大学生になっていちばん大事なことは学問に志すこと。 18歳 3/12
……次のコメント

掲示板の記事1~10件
毎日新聞に言葉 森川林
 しばらく前に、毎日新聞の人が取材に来ました。  そのとき 4/24
テスト送信 森川林
https://www.mori7.com/za2024d0 4/24
4月保護者懇談 森川林
シラン ●今後の「森からゆうびん」の学習デ 4/22
マスクにしても 森川林
マスクにしても、ワクチンにしても、消毒にしても、 自分たち 4/21
イエスも釈迦も 森川林
イエスも釈迦も、理想の社会を築きたいと思っていた。 しかし 4/21
日本復活の道筋 森川林
 工業製品を経済発展の原動力をした資本主義は終わりつつある。 4/17
メモ 森川林
https://www.mori7.com/za2024a0 4/16
単なる作業 森川林
勝海舟は、辞書を買うお金がなかったので、ある人から夜中だけ辞 4/8
勉強は、人に教 森川林
勉強は、人に教えてもらうのではなく、 自分で学べばよい。 4/7
タイマー勉強法 森川林
 勉強も、家事も、仕事も、やらなければならない細かいことがた 4/2

RSS
RSSフィード

QRコード


小・中・高生の作文
小・中・高生の作文

主な記事リンク
主な記事リンク

通学できる作文教室
森林プロジェクトの
作文教室


リンク集
できた君の算数クラブ
代表プロフィール
Zoomサインイン






小学生、中学生、高校生の作文
小学1年生の作文(9) 小学2年生の作文(38) 小学3年生の作文(22) 小学4年生の作文(55)
小学5年生の作文(100) 小学6年生の作文(281) 中学1年生の作文(174) 中学2年生の作文(100)
中学3年生の作文(71) 高校1年生の作文(68) 高校2年生の作文(30) 高校3年生の作文(8)
手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
●国語読解クラスの無料体験学習