ヤマバトが餌台で餌を食べているので、仕方なく地面で餌を食べているスズメたち(笑)
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=7ADLUJJQgec
言葉の森では、作文の構成を立体的にするために、自分の今の話だけでなく、次の段落で自分の昔の話や、自分とは違う別の人の話や、調べたデータの話などを入れるような指導をしています。
作文の構成を立体的にするために、最もいいのは、保護者への取材です。
場合によっては、おじいちゃん、おばあちゃんへの取材もあります。
例えば、「がんばったこと」という題名で書くとしたら、お母さんやお父さんに、「子供のころ、がんばった思い出はある」と聞くのです。
ここで、お母さんやお父さんが、子供時代の面白い失敗談などを話します(笑)。
すると、子供は喜んでその話を聞きます。
子供は、日常的に大人と話をする機会があまりありません。
友達と話すときと比べて、お母さんやお父さんと話をすると、語彙が自然に増えます。
大人と話すことによって語彙が増えると、感想を書く部分が充実してくるのです。
子供の作文でよくある結び方は、「とても楽しかったです。またやってみたいと思います。」というようなパターン化された書き方です。
なぜ、こういうありきたりな感想を書くかというと、感想を書くための語彙がないからです。
親子の会話が増えると、この感想の部分が長く書けるようになります。
中学入試の作文でも、差がつくのは感想の部分です。
体験実例は、誰でもそれなりに書けます。
しかし、感想の部分は、抽象的な語彙を使う力がなければ、「とても楽しかったです」のような書き方になってしまいます。
ところで、お母さんやお父さんがすごくいい話をしてあげたのに、子供はそれを聞いただけで、作文の中に書かないことがあります。
それは、その話を子供が消化し切れていないからです。
しかし、それは子供の心の中に確実に残っています。
だから、話を聞いただけで十分なのです。
この親子の対話が、作文教育の最も重要なところです。
小学5、6年生は、感想文の課題が、中学入試の説明文のレベルの文章になります。
「読書とは」「勉強とは」「遊びとは」「多様性とは」「日本の文化とは」というような抽象的なテーマになるのです。
こういうテーマで親子が対話できることは、子供にとって貴重な経験になります。
本当は、中学生、高校生になっても、親子の対話が続けばいいのですが、中学生は自立する時期なので、親との対話を避ける子も出てきます。
だから、中学生、高校生は、データ実例として、ネットなどを検索して探した似た話を組み合わせて構成を立体てきにしていくといいのですが、検索は時間がかかります。
そこで、今考えているのは、ChatGPTと対話をして、構成を立体的にすることです。
Gmailは、13歳からは自分のアドレスが作れます。
すると、そのアドレスで、ChatGPTのアカウントが作れます。
自分の体験実例だけで物足りないときは、お母さんやお父さんに似た話を聞くか、ChatGPTに似た話を聞くようにするといいのです。
たぶん、近い将来、勉強に関する質問は、AGI(汎用人工知能)でカバーできるようになります。
先生に相談したり質問したりするよりも、AGIに相談したり質問したりするようになります。
すると、大事なことは、結局、本人の個性と創造性になります。
知識のベースは、だれも同じになります。
個性と創造性のもとになるものは、身体的なところに根ざした知識と経験です。
身体的な知識の代表的なものは、読書と作文と数学と歴史(特に日本史)です。
身体的な経験は、個性と挑戦と感動と共感です。
作文の勉強を通して、どの子も豊かな教養を身につけていくといいと思います。
ジャーマンダー セージ
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=MDdTFAalCKw
野口悠紀雄さんの「
『超』創造法 生成AIで知的活動はどう変わる?」という本を読みました。
この中で、野口さんは、キーワード文章法という文章の書き方を説明しています。
これは、キーワードをいくつか書き、とりあえずそのキーワードをもとにChatGPTに文章を作ってもらい、そのあと、それを参考にして自分で文章を書くというような方法です。
(詳しくは、本書の112ページをごらんください。)
私が、この話を読んで、最初に感じたのは、「野口さんのような文章を書くプロでも、最初のきっかけを作るのが大変なのだなあ」ということでした。
野口さんは、このきっかけ作りが難しいという理由を「慣性の法則」と呼んでいます。
作文を書くというのは、実は、最初の書き出しを始めるところがいちばんエネルギーを必要とするところです。
書き始めれば、次々に文章が続いていきますが、最初の書き出しのところで、慣性の法則を破るだけの力が必要になるのです。
(高校の物理で学びますが、静止摩擦力は運動摩擦力よりも一般に大きいということです。)
作文クラスの場合は、みんなが一斉に書き出すので、この慣性の法則を打ち破りやすいところがあります。
通信教育で、自宅で自分ひとりで勉強する場合は、この最初のきっかけがなかなか作れません。
慣性の法則は、家庭学習にもあてはまります。
勉強は、他人に教えてもらうよりも、自分ひとりでやる方がずっと能率がいいのですが、自宅で自分ひとりでやるときの最初のきっかけ作りが難しいのです。
そこで、受験生などは、よく図書館に行って、そこで勉強を始めるということをします。
予備校の自習室に行って勉強するということもあります。
「勉強を始める」ということには大きなエネルギーが必要としますが、「行く」ということには、エネルギーを必要としません。
「行く」がきっかけになり、いざ図書館や自習室に着いてみると、その流れで「勉強する」も無理なく始められるのです。
言葉の森では、このきっかけ作りのために、昔、自習室を作りました。
現在、1日に2、3人が自習室を利用していますが、参加者が多い方がきっかけ作りには役立ちます。
自習室に入るには、「何時から、何を始めて何時までやる」という記録のページがあります。
この記録が蓄積できると、自分の勉強の経過が残ります。
経過が残るということ自体が、勉強を続けるきっかけになります。
冬休みは、自由時間が多いので、つい惰性的に過ごしがちです。
自習室は、朝から晩まで、土日も含めていつでも開いています。
学校に行くときと同じように、朝起きて8時になったら自習室に入って勉強するという流れができれば、勉強のきっかけをつかみやすくなります。
自習の記録を続ければ、自分がどれだけやったかということが残るので、それも励みになります。
この自習室を活用するために、今後、問題集のページが進んでいない生徒や、読書が進んでいない生徒には、自習室の参加を義務づけるようにしたいと思っています。
ただし、ここで保護者に注意しておきたいことは、子供はすぐに勉強を始めるわけではないということです。
言葉の森の通学教室時代、教室に来た中学生や高校生は、最初はパソコンに入っているゲームをひとしきりして、それから作文を書き始めました。
みんな、よくできる子たちです。
人間は、機械のように、ボタンを押せばすぐにスイッチオンになるというものではありません。
時々息抜きをしたり、寄り道をしたりしながら、少しずつ本道を進んでいきます。
そういうおおらかな気持ちで、子供の勉強の様子を見ておくといいと思います。