メジロ2羽
●動画:https://youtu.be/K7P3JTdihYc
齋藤孝さんの「こども作文力」があまりにもレベルの低い内容だったので、参考までに齋藤孝さんの「こども読解力」という本も読んでみました。
言葉の森は、作文指導以外に、国語読解指導もしているからです。
「こども読解力」の本には、もとの文章に、赤や青や緑で線が引いてあり、解説のようなことが書いてあります。
一目見て、これでは読解力はつかないと思いました。
それどころか、読解力のある生徒は、このようなわずらわしい解説は読みません。
もとの文章だけ読んでいた方が、ずっと頭に入るからです。
読解力のない生徒は、もとの文章も解説もどちらも読まないと思います。
この本には、「読解力」と書いてありますが、読解の問題はどこにもありません。
これでは、読解力は身につきません。
読解力は、読む力と解く力のふたつからできています。
このふたつは、似ていますが、全然違うものです。
だから、読む力があっても解く力がない生徒や、逆に解く力があっても読む力がない生徒は、どちらも読解の点数が上がりません。
第一に、読む力をつけるためには、入試問題に出てくるような文章を繰り返し読むことです。
それが、言葉の森が行っている問題集読書です。
ただし、小学生の場合は、難しい文章を読む以前に、読書の量を確保しておく必要があります。
第二に、解く力をつけるためには、理詰めに問題文を読むことです。
その解き方のコツは、「
小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」に載せています。
これは、「小学生のための」となっていますが、小学生がひとりで読むには難しすぎます。
保護者が読んで、子供の読解のテストを分析するときに使うものです。
また、この本は、本当は、小学生向けではなく、中学生、高校生向けの本です。
大学入試共通テストの対策として使うのがいちばんいいと思います。
昔、私が教えていた高校3年生にセンター試験国語の現代文を解かせたところ、最初はみんな60点ぐらいしか取れませんでした。
そこで、1人について2時間ぐらい解き方のコツを説明すると、翌週からみんな100点近い成績を取れるようになりました。
どうして説明に2時間ぐらいかかるかというと、その生徒の間違えた部分についてだけじっくり解説するからです。
だから、一斉指導はできないのです。
読解検定で高得点を取っている生徒は、お母さんが同じようなやり方をしています。
問題文に沿って、その選択肢のどこが合っているのか違うのかということを理詰めに考えるようにすると、必ず読解の成績は上がります。
ただし、解き方のコツで成績が上がるのは、読書力のある子の場合です。
読解力がないという生徒の場合、多くは解き方のコツを理解する以前に、読む力をつけておく必要があります。
その力をつけるのが問題集読書です。
更に、問題集読書をやる以前に、読書量自体を増やすことが必要な子もいます。
最近は、そういう子の方が増えています。
小学校低中学年の国語力は、国語読解クラスで勉強するよりも前に、まず家庭で本を読む習慣をつけることが大事です。
ところで、私は、毎回書いていますが、人を批判することは好きではありません。
批判よりも大事なことは、創造だからです。
ただ、言葉の森が指導している作文と国語読解に関連して、あまりにも低レベルな本が出ているのを見ると、日本の作文教育、国語読解教育の質を下げないためにも、一応説明をしておく必要があると思いました。
それで、あえて批判的なことを書きました。
ガーデンシクラメン
●動画:https://youtu.be/0hTL8dcP5sk
寺子屋教育の本質は、ひとことで言えばコミュニティ教育です。
子供たちは、成績や競争や賞罰によって勉強するのではなく、友達と一緒だから楽しくて勉強したのです。
今の教育、特に受験教育は、子供たちを個々ばらばらに孤立させて、競争によって意欲化させるという方法で行われています。
ここに、根本的な違いがあります。
そして、寺子屋教育の勉強の方法は、精選された教材を元にした音読、暗唱、書写、算盤の反復学習でした。
しかし、ただそれだけを続けていては、学習が単調になってしまうので(マンネリ化という言葉よりも単調化の言葉の方が日本語らしい)、季節ごとに街に出て多くの人に自分の書写を見てもらうというような企画も用意されていました。
寺子屋時代の子供たちは、コミュニティを楽しんでいたので、いろいろな悪ふざけやいたずらもしました。
それが行き過ぎると、先生は叱らなければなりませんでした。
しかし、叱る方法は、単純な禁止や罰という方法は少なく、子供たちが傷つかないような工夫した叱り方が行われていました。
例えば、先生が悪いことをした子供をひどく叱ったあとに、近所のおばあさんが出てきて、「私に免じてどうか許してやってください」と頼むというような打ち合わせが事前に仕組みとして考えられていたのです。
子供たちは、朝早くから寺子屋に来て、みんなで大声で暗唱するような勉強をしたあと、午後は家に帰り、そのあとは子供たちどうしで楽しく遊びました。
当時のヨーロッパでは、限られた貴族階級の子弟たちが、先生に鞭で脅されながら勉強をしていました。
日本の当時の識字率は、世界でも最も高いものでした。
その子供たちが、明治時代に日本の近代化を急速に成し遂げる人物に育ていったのです。
勉強は、楽しく主体的にやるものです。
競争で煽られながら、言われたことをただひたすらやって、その結果を競争で評価されるようなものではありません。
言葉の森が目指しているのは、かつての日本の寺子屋教育の伝統を、現代のITテクノロジーを生かして、高度に復活させることです。
そのプラットフォームが、現在、500人以上の生徒が参加しているオンライン少人数クラスの教育です。
オンライン教育は、しばしば対面式の通学教育と比較されますが、言葉の森のオンライン少人数クラスは、通学教育よりも更に対面式の密度が濃くなったオンライン教育です。
このオンライン少人数クラスの教育を生かすためには、同学年の同レベルの生徒が5人以内の少人数で集まるクラス運営を無数に増やす必要があります。
そのためには、生徒数は、1万人を超える必要があります。
この規模になれば、現在の通学式の集団一斉指導の学校教育は、少人数の対面式オンライン教育に置き換わるでしょう。
それが、寺子屋教育を現代に復活させるということです。
教育改革の第一歩は、先生がどうしたとか、教材がどうしたとか、教え方がどうしたとかいうことではなく、理想のプラットフォームを作ることです。
そのプラットフォームを作ったあとに、先生や教材や教え方の問題が出てくるのです。
こういう言葉の森のビジョンと同じようなことを言っている人は、まだ誰もいません。
しかし、言葉の森には、毎日楽しく勉強している子供たちと、言葉の森の教育を理科してくれる保護者の方と、長年言葉の森で指導を担当してきた多くの優れた講師がいます。
日本によりよい教育を作り上げ、そして、日本をよりよい国にするためにこれからも努力していきたいと思います。