「材料七分に腕三分」という言葉がありますが、作文の場合は、「準備七分に腕三分」です。
これは、作文だけでなく、スピーチや対話や仕事にも共通することだと思います。
受験に合格する作文を書く力も同じです。
作文力は、上達するのにかなり時間がかかるので、実力で合格作文を書くレベルまで行くには最初からある程度文章力があることが必要になります。
そこまでの実力がまだない人はどうしたらいいかというと、それが準備なのです。
毎回の作文で、テーマに合わせて、自分で考えたり、調べたり、お父さんやお母さんに取材したりするのが準備です。
準備をすれば、材料が豊富になります。
その材料を組み合わせて作文を書くので、長くも書けるし、読み応えのある作文も書けるようになるのです。
そういう練習を行っていると、作文の試験のときにも使える材料が蓄積されていきます。
蓄積される材料の中には、実例だけでなく、表現や主題も含まれます。
それらの実例や表現や主題は、そのテーマのときだけに使えるのではなく、ある程度応用範囲があります。
受験作文コースでは、過去問に沿った課題で勉強しますが、過去問とそっくり同じ課題でやる必要はありません。
例えば、ロボットの話がよく出る学校でも、科学技術一般の課題で材料を増やしていけばいいですし、音楽の話が出る学校でも、藝術一般の課題で材料を増やしていけばいいですし、歯科の話に絞られた学校でも、医療一般の課題で材料を増やしていけばいいのです。
材料を豊富に持っている子は、受験作文のときも、課題に合わせた材料を自分の過去の蓄積の中からすぐに取り出せます。
これが、合格する作文を書くコツです。
この受験作文の準備と同じことを、小学校低学年からやっていくといいのです。
小学校低学年の生徒には、実行課題集という教材があります。小学3年生から6年生までは題名課題と感想文課題に合わせた予習シートがあります。
これらをもとに、子供が親に聞くだけでなく、親が子供によりよい材料を見つける機会を作ってあげるのです。
この親子の関わりは、確かに親にとって負担になる面があります。
しかし、その負担を楽しむつもりでやっていくといいのです。
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子供が成長する場は家庭です。
学校でも塾でも何かの習い事の教室でもありません。
家庭でのお父さんとお母さんの関わり方が、子供の成長のエネルギーになっています。
子育てに手がかかって大変だというのは、あとからふりかえればほんのわずかの時期です。
そのわずかの時期に手をかけることが、あとで親にも子にも何倍にもなって戻ってくるのです。
では、具体的にどうしたらいいかというと、それは、読書と対話と経験です。
お金をかけてどこかのレジャーランドに連れていくようなことではなく、日常の生活の中で、子供が興味を持つようなことを一緒にやってみるのです。
先日の小2と小3の思考発表クラブで紹介した話は、「ジグも釣り」でした。
今日の新小4の思考発表クラブでで紹介した話は、「山菜採り」でした。
こういう実際の自然の体験をもとに、親子でいろいろなことを話してみるのです。
「どうして、ジグモは土の中に巣を作るような生活を始めたんだろう」とか
「どうして、タラの木には棘が生えているんだろう」とかいう話です。
今の社会には、答えのある質問にどれだけ早く答えられるかいう評価が溢れています。
だから、家庭では、答えのない考える対話を親子でたっぷりしていくといいのです。
では、答えのある問題に早く答える力はどう育てたらいいかというと、それは自学自習です。
勉強の基礎と先取りは、自学自習でしっかり身につけ、その結果余裕のできた時間は、読書と対話と経験で充実させていくといいのです。
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新聞のコラムで、いろいろな識者が持ち回りで書くようなものがあります。
職業を見ると、文章のプロであるような人が書いたものは意外と面白くなく、かえって科学技術者や経営者のような文章を書くことがプロでない人の書いたものの方が面白いことが多いのです。
その面白さの差は、文章力の差ではなく材料力の差です。
子供の作文も同じです。
表現を工夫するよりも、材料を工夫する方がずっといい作文が書く近道なのです。
子供の作文課題についても、子供から聞かれてその場で考えて答えるというのでは、あまりいい話はできません。
課題は、ウェブで見ることができますから、お父さんやお母さんは子供に聞かれる前に、ある程度その課題について考えておくといいのです。
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言葉の森合宿所の周辺に、クヌギやナラの木がうっそうと茂っていました。
晴れている日も、空がところどころしか見えないぐらいです。
そこで、日当たりをよくするために、樹木の伐採をしてもらいました。
クレーン車で木をつるしながら、伐採するのです。
さすがプロです。
自分がやったら、1日で1本もできないだろうと思いました。
渡部組土木さん、ありがとうございました。
記念に、木の切り株を一つもらってきました。
でも、何に使うかなあ(笑)。
クレーン車到着。
木に登って電動ノコギリで伐採。
事前に、枝は切ってもらっていたので、今日は幹の部分です。
木のてっぺんまで登ってやるのです。
一日がかリの作業でした。
建物の周辺はもうすっきり。これで日当たりがよくなりました。
山のように積もっていた枯れ葉も片付けたので周囲もすっきり。
連休あたりから、もう使えそうです。
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31日に那須の合宿所に行ってきました。
前回は、鹿の湯で48度のお湯に入ってきましたが、その熱いこと。
今回は44度でゆっくりのんびりしてきました。
という話じゃなかった(笑)。
今回の目的は、スズメバチのトラップを設置することと、建物周辺の樹木の伐採を見ることでした。
木を伐採してもらったあと、夜中に表に出ると、これまで樹木しか見えなかった空に、満月が明るく浮かんでいました。
12月に行ったときは吹雪で、最初の仕事は雪かきでした。
今回は、落ち葉の掃除。
地上に落ちたドングリが、あちこちで根を出していました。
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言葉の森が今、寺子屋オンラインの少人数クラスで目指しているのは、これまでのような知識を詰め込む勉強ではありません。
現在でも、辞書持ち込み可の試験があるように、将来は、スマホでもノーパソでも何でも持ち込み可の試験をするところが出てくると思います。
それは、実際の仕事や生活では、何でも持ち込んでやっているからです。
そうすると、調べればわかるような知識よりも、何が必要かを判断する力の方が重要になってきます。
その判断する力が、問題を発見し作り出す力です。
では、そういう力はどこを見ればわかるのかというと、それは、作文と読書と対話のレベルを見ればわかります。
しかし、それらは指導にも評価にも手間がかかるので、学校ではあまりやられていないだけなのです。
寺子屋オンラインの作文の少人数クラスで考えているのは、作文の準備段階の充実です。
今はまだスタートしたばかりなので、生徒が書いた作文の発表などを行っていますが、それらは発表交流会のときにできるので、今後の毎週の授業では、どういう準備をしてきたかという準備のレベルを充実させていく予定です。
そのためには、毎週の作文の課題に合わせて(低学年の場合は実行課題集を参考にして)、生徒がお父さんやお母さんに取材し、自分で調べたり考えたりして材料を集めてくることが家庭での学習の中心になります。
互いの交流の中でよりよい作文を書くということが勉強の目的ですから、目に見える目標としては、試験に合格する作文、コンクールに入賞する作文を目指します。
そのために、コンクール入賞作文の紹介や、受験作文の問題と解説の紹介なども行います。
この紹介では、それをもとに特に何かをするということではありませんが、これらの紹介を通して、入賞や合格にどういうことが要求されるのかがわかってくると思います。
この少人数クラスの作文の中で身につくものは、第一に作文力です。どんなテーマでも、読み応えのある作文を書く力が身につくようにします。
ですから、作文が苦手だという子の場合は、少人数クラスよりも、担当の先生との一対一の電話指導で書く力をつけていく方が向いています。
しかし、もちろん苦手な子でも、やる気さえあれば、準備の段階を充実させることでいくらでも読み応えのある作文を書くことができるようになります。
第二に、家庭力です。これは、家庭でお父さんやお母さんと子供が、日常的に対話をし協力をする習慣を作ることです。
だから、保護者の関わりが特に重要になってきます。先生にお任せするという勉強では、知識や技術は身につきますが、肝心の思考力や創造力や共感力は育ちません。
子供時代は、過ぎてしまえば短い時間ですから、子供の勉強に関わることを負担と思わずに、子供と触れ合う楽しい機会だと思うことが大事です。
第三に、発表力です。これは、作文以外のほかの少人数クラスの勉強でも共通していますが、5、6人の少人数で全員に発表する機会があると、どの子も必要なことを的確に話す力が身につきます。
今の子供たちの中には、何かを聞かれても、すぐ「わかりません」とか「ありません」とか言う子がいます。それは実際に、わからなかったりなかったりするよりも、考えて答えるという面倒な作業をさぼっている場合が多いのです。
これからの試験は、ペーパーテストよりも、口頭試問のような形が増えるはずですから、必要に応じてすぐに発言できる力を育てておくことが重要になります。
第四は、創造力です。これは、言葉の森の作文指導の方針として、表現の上手だけでなく、内容のよさを重視しているからです。
内容のよさとは、個性、挑戦、感動、共感などがあることで、更にその先に、その子らしい個性的な発見や創造があることです。
これからの世の中は、与えられた問題で正しい答えを出すようなことは、人工知能がいくらでもやってくれるようになります。
今、プログラミング教育や英語教育が流行っていますが、プログラミングの技術も、英語の翻訳技術も、やがて人工知能の守備範囲になってきます。
「こういうことをプログラミングしてほしいんだけど」「……ジー……。ハイ、デキマシタ」という具合です。
そうすると、プログラミングができるということよりも、何のためにどういう問題を解決したいのかという問題創造力が大事になってくるのです。
その問題創造力は、社会人になれば仕事創造力になります。
これからは、与えられた仕事をこなす人よりも、仕事を創造する人が必要になってきます。
そのためには、子供時代から、創造的なことの価値を意識する機会を増やしておく必要があるのです。
以上のような、作文力、家庭力、発表力、創造力を目指すのが、寺子屋オンラインの作文少人数クラスです。
(次は、自主学習クラス、思考発表クラスについて書く予定です。)
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短期的に考えればマーケティングが大事になりますが、長期的に考えればビジョンが大事になります・。
これは子育てでも同じです。
短期的には、明日のテストの勉強をすることが大事ですが、長期的に考えれば、もっと大事なことがあります。
明日のテストには答えがありますが、ビジョンには答えはありません。
その答えのない世界を考えることが楽しいと思っていくといいのです。
結構自由な国のように見えるアメリカでも、学校に行かずに家庭学習(ホームスクール)だけで勉強している人は少数です。
しかし、その家庭の子供たちに共通していることは、学力が優れていることもありますが、それ以上に自由な時間がたくさんあることなのです。
このことからわかることは、子供の学力は、先生に教えてもらっているときにつくのではなく、家庭での自学自習の中でつくということです。
その自学自習に、親子の対話が加わるから、単に勉強ができるだけではなく、思考力も共感力もある子が育っていくのだと思います。
今は共働きで、多忙なお母さんが多いと思います。
しかし、小学生時代には、あらゆることに優先させて、子供と関わる時間を確保していくといいのです。
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勉強もよくでき性格もよいという子からときどき聞く言葉に、継続の大切さということがあります。
家庭で、折に触れて継続ということを言われているのだと思います。
よくできる子は、何か特別な方法を集中して身につけたのではなく、平凡なことを毎日欠かさずにやってきたのです。
例えば、毎日音読を続けているとか、毎日読書を続けているとかいうことです。
生活面で言えば、毎日決まった時間に起きるとか、決まった時間に勉強するとかいうことです。
ある時期に熱中して取り組むとか、新しいやり方を試すとかいうことももちろん大切ですが、基本になるのは誰でもできる平凡なことを毎日欠かさずに続けるということです。
江戸時代の寺子屋の勉強法も同じでした。
基本となる学習法は、素読という、四書五経などのテキストを何度も繰り替えし音読しその言葉を自分のものにするという方法でした。
その平凡な誰でもできる勉強法で育った子供たちが、明治期の日本の急速な近代化の推進力となったのです。
その原則は、今の時代も変わりません。
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「どんな子でもできるようになる勉強法――そのコツは毎日続けること」
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あるとき、全然作文が書けない、書けても間違いだらけ、しかも字数もほんのわずか数行だけ、そして、何よりも文章がほとんど読めないという小学校高学年の子が、言葉の森の教室に来ました。
本人もお母さんも、どうしたらいいか途方に暮れていました。
その子とお母さんに説明した勉強法は、何しろ毎日、長文を音読すること、できれば暗唱するぐらいまで読むことでした。
音読は、ただいろいろな文章を音読すればいいのではありません。
その文章を暗唱できるぐらいまで同じものを繰り返し読むことが大事です。
ところが、大抵の子は、同じものを繰り返し読むのは退屈するので、次々に新しい文章を音読したがります。
それでも音読をしないよりはましですが、繰り返し読むのに比べて効果はぐんと落ちます。
学校で音読の宿題を出すところが増えてきましたが、全体に繰り返しの回数が少ないのではないかと思います。
その子の学校はそういう宿題がなかったので、言葉の森の長文の音読だけを毎日続けました。
その子は漢字がほとんど読めなかったので、言葉の森のサイトで全部ルビ振りにしたものを印刷して、同じものを1週間読むということにしました。
そして、それに加えて毎日の読書も必ずやってくるようにしたのです。
すると、ある時期から急に作文が長く書けるようになり、数年たつと同学年の生徒よりも語彙の豊富な立派な文章を書けるようになりました。
そして、高校入試では、数年前には考えることもできなかったような第一志望の高校に合格したのです。
その間、やっていたことは毎日の音読と読書だけです。
大事なことは、その音読と読書を毎日一日も欠かさず続けたことです。
勉強でうまくできないことがある子の勉強の仕方には特徴があります。
それは、お父さんやお母さんが、あるとき集中して教えるような勉強の仕方をしていることです。
休みの日に数時間集中してそのことを教え込むような勉強の仕方をすると、確かに何とかできるようになります。
しかし、そこで、親も子もくたびれ果ててしまうのです。
そして、しばらくすると、またもとの何もしない状態に戻ります。
ある時期集中して勉強するという勉強スタイルは、お父さんやお母さんの教え方だけでなく、子供の勉強スタイルにも出てきます。
そういう子は、やっているときはすごくがんばっているように見えます。
しかし、そういう勉強法では効果が出ないので、やはり自分はその勉強は苦手なのだと思ってしまうのです。
小中学生の勉強に、苦手ということはありません。ただ、毎日やる仕組みを作っていないだけなのです。
勉強の基本は、あるときたくさんではなく、毎日少しずつです。
言葉の森の自主学習クラスも、この毎日少しずつが自然にできるようになることを目的にしています。
特に、国語問題集読書のような勉強は、家庭でやるとすぐに飽きてしまいます。
成果がすぐに目に見えないような勉強こそ、この毎日少しずつという勉強の仕方が大事なのです。
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ときどき、どんな勉強の仕方をしたらいいか聞かれることがあります。
また、どんな本がいいか聞かれることがあります。
いい勉強の仕方も、いい本ももちろんありますが、何よりも大事なことはそれを続けることです。
だから、親の役割は、子供にあるひとつのことを続けさせることなのです。
大人でも、その人の持ち味は、何をがんばったかとかいうことよりも、何を続けてきたかということにあります。
これから、子供たちの教育にも、多くの高齢者が参加するようになると思いますが、そのときに役立つのは、学歴や資格よりもまず、その人がそれまで続けてきた仕事の経験です。
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忘れ物をしたり、遅刻したりする子がいた場合、その忘れ物をしたことや、遅刻したことを叱っても、あまり効果はありません。
人間は、叱られることによって、よい習慣を身につけるのではなく、褒められることによって少しずつよい習慣を身につけていくからです。
だから、親や先生の役割は、子供が失敗したことを叱ることではなく、子供に成功させるようなやり方をさせ、その結果成功したことを褒めることなのです。
評価の本当の役割もそこにあります。
テストというと、子供を冷たく評価して、できていないところを指摘することが目的のように考えている人も多いと思います。
しかし、テストの本当の役割は、そのテストの目標ができるようにさせて、その結果を褒めることにあるのです。
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「うまく行っていないときほど、その中でのよいところを褒める」
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勉強でも作文でも、うまく行っていないときは、本人でもわかります。うまく行ったときに比べて手応えがないのです。または、明らかにうまく行かなかったという感覚があります。
そのときに、周囲にいる人、特に身近なお母さんなどに、そのうまく行っていないところを指摘されると、わかってはいても、やはりがっかりするのです。
それは表面に出る注意だけではありません。お母さんが、渋い顔をして心の中で思っているだけでも、子供にはそういう感じが伝わります。
何も言われなくても、子供は自信をなくしていくのです。
だから、うまく行かなかったときや、失敗したときほど、お母さんはそのうまく行かなかった中でのよかったところを褒めてあげることです。
そして、子供が明るい気持ちになったところで、毎日の読書と音読とそのほかの自習を気長に続けていくのです。
そういう日常を何度も繰り返しているうちに、ある日ふと気がつくと、いつの間にか、こんなにできるようになっていた、と思うときが来るのです。
こういうお母さんの気長な忍耐力を支えるものは、お母さん自身の心の安定です。
そのお母さんの心の安定には、お父さんの協力と感謝が必要です。
しかし、たとえそういう協力的なお父さんがいなくても(笑)、お母さんは自分の力で自分の心を安定させ、子供にはいつも明るく褒めて接することです。
その方法は、そう決心することです。
「自分は、この子のいいところだけを見ていつも褒めていくようにしよう」と決心すれば、それが次第に自分の天性のようになっていくのです。
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作文のテストというと、できていないところを指摘することのように考えている人がよくいます。
しかし、テストというのは、そのテストをきっかけにして、これまでできなかったことをできるようにさせることにあります。
例えば、字数がなかなか伸びない生徒も、テストだからということで、先生が協力してこれまで書けなかった字数まで書くようにさせると、それが自信になり、その字数まで書く実力がつきます。
先生の役割は、冷たく評価することではなく、子供と一緒に目標を達成することにあるのです。
作文のテストのとき、「今日は、千字まで書かなかったら不合格だからね」と冷たく言う先生と、「今日はテストだから、先生と一緒に千字まで書くようにがんばろう」と熱く言う先生と、どちらいい先生かと言えば、もちろん一緒にがんばろうとする先生の方です。
そして、更にいい先生は、言葉だけでなく、子供に実際にその目標の字数まで書かせてしまう先生なのです。
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