これから受験の作文小論文に臨む人の最後の勉強法を説明します。
これまでの言葉の森新聞にも関連する記事がありますので、読んでおいてください。例えば、「
言葉の森新聞2010年11月3週号」の記事などです。
これまで作文を書く練習をしてきた人は、もう今から新しい課題に取り組む必要はありません。自分がこれまで書いたものが最も優れた教材です。自分が書いてきたものをファイルして、それを毎日繰り返し読み、いい表現やいい実例だと自分が感じたところに赤ペンなどで線を引いておきます。
作文を書く感覚に慣れておくために、毎日1本、指定の字数の作文を書くようにするといいのですが、新しい課題ではなく、これまで書いた課題と同じものを書いていきます。その際、時間制限を課して、できるだけ早く書き上げるようにしていきます。
受験する人は、ほかの教科の勉強もあるので、時間の余裕がなかなかないと思いますが、時間のあるときにはできるだけ本を読んでおきます。本のかわりに問題集読書でもいいです。説明的な文章を読んでいると、作文の課題として使えそうな実例に偶然出合うことがよくあります。
作文試験の会場では、試験の始まる直前まで、これまでに自分が書いた作文のファイルを読んでおきます。時間があれば、持ってきた本も読んでおきましょう。
作文試験は、教科の試験と違い、出された課題と自分との相性によって書きやすさが大きく変わってきます。しかし、言葉の森で勉強した人は、構成的に考えて書く書き方を身につけていますから、書きにくい課題が出たら、逆にチャンスと考えていくとよいと思います。自分が書きにくいと思うときは、みんなもそう思っています。だから、書きにくいなりに、全体の構成がはっきりわかるように書いていけばいいのです。
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無の文化は、日本の社会の中でしか存在することができません。無の文化と有の文化が遭遇すると、無の文化は、有の文化によって一方的に収奪され消滅してしまうからです。
かつて無の哲学が生まれたインドや中国においても例外ではありません。極東の端にあり海から隔てられた日本だけが、かろうじてユーラシア大陸の有の文化とは距離を置いた無の文化を保ち続けてきたのです。
しかし、日本は、これから好むと好まざるにかかわらす国際化していきます。しかも、その国際化が、これまでと違うのは、従来の国際化が、日本の工業生産物を海外に輸出する、あるいは人間が海外に学びに行くという外に出る国際化であったのに対し、これからの国際化は、海外からの移民が日本に入ってくるという内に入る国際化であることです。
有の文化に住む人間にとって、無の文化に住む人間は、一種のカモです(笑)。笠地蔵がのんびりと平和に暮らしている里に、次々とハゲタカがやってくるというのが、これからの国際化のイメージです。穏やかな文明人の老人が暮らしているところへ、武器を持った野蛮な若者が押し寄せるイメージと言ってもよいでしょう。
古代の日本の社会では、これまでも同様の移民の流入がありました。しかし、海に囲まれた日本には、流入する人口に制約があったために、年月を経るうちに、少数の侵略的な有の文化は、日本の無の文化の中に解消し、有の文化の知的技術的な刺激だけが日本の文化の中に取り込まれていきました。
ところが、今後予想される海外からの移民は、これまでとは規模が異なります。そのような中で、日本は、自国の無の文化をどのように守り、発展させていったらいいのでしょうか。
鎖国という選択肢は、進歩を否定することにしかなりません。日本が自らも有の文化に変身するという選択肢は、日本のよさを否定することです。優しい文明国の老人の無の文化が、武力を持った野蛮な若者の有の文化を包み込む中で、有の文化も生かした無の文化を作っていくことがこれからの課題です。
有の文化が、なぜ一方的に無の文化を収奪することができるのでしょうか。それは、有の文化が、相手を対象物として見ているのに対して、無の文化は、相手を自分と結びついた全体の一部として見ているからです。
相手を利用の対象と考える文化と、相手を共感の仲間と考える文化では、利害関係の相違は、そのまま支配被支配の関係につながります。正直者のインディアンは、策略を弄する白人の前で、多くの場合無抵抗で居住地を奪われ文化を滅ぼされていきました。
有の文化が無の文化を一方的に支配できるのは、有の文化には、無の文化があまり持っていない独自のツールがあるからです。そのツールの一つは策略で、もう一つは強力な武器です。
有の文化は、互いの抗争の中で、武器を発達させることに強い関心を持ってきました。しかし、無の文化は武器を発達させることにはほとんど関心を持ちませんでした。
織田信長の時代、日本は、ヨーロッパよりも優れた鉄砲の技術と戦術を持っていました。しかし、天下が統一され無の文化が復活すると、鉄砲の技術は発達を停止し、日本刀の芸術的な面だけが進化していきました。
武器を持たない平和な無の文化が、優れた武器を持つ野蛮な有の文化を包容し、正直な無の文化が、策略にたけた有の文化を包容するためには、何が必要なのでしょうか。(つづく)
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人間の脳には、かなり高い可塑性があるようです。脳力は、生まれつきという面ももちろんありますが、その後の教育の仕方で大きく変わる面も持っています。
生物の成長には臨界期というものもありますが、人間の場合は、その臨界期もある程度修正できるようです。
「赤ちゃんに読みをどう教えるか」(グレン・ゴードン)という本の中で、いくつかの参考になる実例が挙げられています。
一つは、脳の生まれつきの障害で、大脳の半球を切除した子供たちのその後の経過です。特別の教育をしたわけではないのに、成長してから平均以上の知力を示した子が何名もいました。また、中には、きわめて高度な知能指数を持つようになった子もいたそうです。
もう一つは、教育によって、生まれつきの脳障害が著しく改善した例です。生まれながらの重度の脳障害で、2歳のとき、医者から、将来歩くことも話すこともできないだろうと診断された子が、3歳から両親の話しかけ、読み聞かせ、そして文字を読ませる教育によって、5歳になったころには、健常児よりもすぐれた理解力を示すようになり、6歳には普通の子同じように歩けるようになったということです。
これらの例を見ると、脳は決して能力の貯蔵庫のようなものではなく、一種のアンテナのようなもので、脳の細胞の数に比例して脳の力が決まってくるというようなものではないようです。
以上は、脳に障害のある子の例でしたが、器質的な障害がある場合にも、その後の教育によって脳の機能が大きく改善し障害を克服できるとしたら、健常児の場合も、教育によって更に大きな進歩があるはずです。
世間でよく言われる頭のよい子というのも、決して生まれつきのものではなく、読み書きの教育によって成長する能力なのだと思います。
また、脳の活性化は、子供の教育ばかりではなく、大人の教育や更には老人の介護にも役に立ちます。
肉体の機能は、使わなければ退化していきます。走る練習をすれは、筋力や心肺機能が鍛えられるように、脳の力も、脳に適した方法で働かせることによって、より鍛えられていきます。
脳の運動として、最も活発な運動を必要とするものは、やはり、進化的に脳の最も最後になって発達した言語の機能です。
老人の脳の活性化のために、子供の教育と同じような方法が使えるとすれば、話しかけること、質問すること、読み聞かせをすることなどが脳の運動につながります。
このような理由で、本を読む生活、文章を書く生活をしている人の脳力は、いつまでも若々しい状態を保っているのです。
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こんにちは
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無の文化を、教育の分野にあてはめて考えてみましょう。
教育の中で、育てることが共通して期待されている人間の資質は、勇気、知性、愛、創造だと思います。これらのそれぞれに、有の文化的な考え方と、無の文化的な考え方があります。
以下の説明は、わかりやすく図式的に書いているので、現実には多くの例外もありますが、基本は変わりません。
有の文化における勇気とは、我慢の勇気です。人間という主体が、障害物や外敵という対象に遭遇したとき、それらの外部の対象に負けないようにがんばるということが有の文化の勇気です。
これに対して、無の文化における勇気とは、「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という無私の勇気です。自分を、自分よりも大きいもの、名誉や主君や祖国や仲間のために投げ出すことが無の文化の勇気です。
有の文化における知性は、論理の知性です。Aという対象とBという対象がどのような論理でつながっているかという関数の知性です。
これに対して、日本の無の文化の知性は言挙げしない非論理の知性です。それは、ある対象が、その対象をとりまくすべての世界、つまりその対象にとっての無とつながっていることを静かに観照する観察の知性です。
有の文化における愛は、合理主義の愛です。愛が、結局は、自分にとっても相手にとってもプラスになると判断した上での愛が最初にあり、それを「最後の審判」という評価によって天国の世界にまで拡大したものが有の文化における愛です。もちろん、イエス・キリストに見られるような無償の愛もありますが、このような愛はむしろ例外的なものだと思います。
これに対して、日本の無の文化における愛は、共感の愛です。自分が、自分以外のものによって生かされているように、相手もまた相手以外のものによって生かされていると考え、自分も相手も味方も敵も、更には人間も動物も、等しく全体の一部だと考えるところから来る共感の愛です。
有の文化における創造とは、ビジョンの創造です。主体である人間が、人間をとりまく世界に対して、自己を主張するビジョンを打ち立てるというのが欧米の創造です。
これに対して、日本の無の文化における創造は、すべては既に完全なものとしてあるという世界観を前提にしています。その完全なものを発見し、模倣し、それを人間の生活に合わせて微調整することが、無の文化における創造です。日本人が、革新的な大発明よりも、小さな改良的発明が得意なのは、創造というものに対する文化が違っているからなのです。(つづく)
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12月の森リン大賞(中2の部68人中)
言葉の重要性
チョコ
何をするにしろ、どうしたら失敗するか、ということを知っていて失敗することはめったにない。そこで、次に同じことをするときに、「また失敗するかもしれない」と思うと、ほんとうに失敗してしまう。「失敗は成功の母」といわれるように、失敗を重ねることによって、次第に成功に近づいてゆくのが脳の自然の働きだ。ところが、失敗を恐れると、脳も人間も発展しないのだ。もちろん、「今度は絶対に成功するぞ」と思い込んでも「失敗した」らたいへんだ」ということには負けてしまう場合がある。成功した経験がないと、「成功」ということばでは脳は成功に向かってはたらかないからだ。どうしたら成功するかは、本人にも自覚されていないが、以前に成功した経験があると、その時の脳のはたらきがひとりでに進行して、成功を重ねることになるのだ。この文章は千葉康則さんが書いた「ヒトはなぜ夢を見るのか」の一部である。千葉さんはこの文章で、人の言葉がその後の行動にどう影響するかということを述べている。その言葉とは良いものなのか、悪いものなのか。
まず良いものだという意見。理由は、自分に自信がついたり、モチベーションが上がる時があるからだ。私は今年の九月に英語のスピーチコンテストに参加した。自分で決めた文章を、三分以内に暗唱するというルールだった。夏休み中は覚えるための音読がとても大変だった。なぜかというと、声に出す音読だけでなく、心の中での音読もしたからだ。ある日は、「三分以内に音読する!」。そしてある日は「五位くらいまでに入賞する!」。心の声は大きくなるばかりだった。果たしてこの音読の効果はあったのか。それがもうアリアリだったのだ。そのおかげで発表直前に、今まで心の音読をしてきたすべての言葉達が頭の中でぐるぐる回転して、不安な私に自信を与えてくれたのだった。だが結果は、三分以内も五位入賞も果たせなかった。とても残念だったが、発表直前にあったことがなかったら、もっと他にも果たせなかったことがあったと思う。
次に、悪いものだという意見。理由は、もう駄目だという在りもしない結果を言葉にしてしまって、その結果にしようと体が態勢を整えてしまう時があるからだ。私は陸上部に所属しているにも関わらず、陸上関係のほとんどが苦手だ。学校の体育の授業で走り幅跳びをした。これも私の苦手なものの一つだ。他の陸上部の子はもちろん、運動部の子のほとんどが三メートルを超えていたのが普通だった。二メートル台というと、吹奏楽部などの文科系の部活に所属する人が多くいた。私は陸上部だというのにその域にいた。恥ずかしかったが、私はすぐに開き直った。なぜかというと、自分は幅跳びが嫌いで苦手だということを知っていたからだった。そうやって決めつけていたからだった。いつも幅跳びの時間になると、「どうせ」という言葉が頭の中で響いている。だから心が開き直るのを見た体も開き直って、私を二メートル台に跳ばせていたのかもしれない。
行動に影響する言葉は良くも悪くもある。一番重要なのは、人間が言葉をプラスかマイナスかの方向に選ぶことによって、行動もプラスかマイナスかの方向に左右するということを、私たち人間が知っておくことだ。「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである」。その「時と場合」とは、言葉のことだ。『うさぎとかめ』のうさぎのようにプラスの言葉を考えていたとしても、結果はマイナスになってしまうこともある。全てが言葉で結果が決まると思ってはいけないということを、私達もこのうさぎも思い知った。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●言葉の重要性 | チョコ | 85 | 1481 | 56 | 69 | 82 | 80 |
2位 | ●個人意識と地球意識 | たけたけ | 85 | 1043 | 57 | 78 | 75 | 90 |
3位 | ●いいえと言えるか言えないか | なまず大使 | 85 | 1328 | 64 | 58 | 66 | 90 |
4位 | ●プラス面を増やそう! | まりい | 84 | 1061 | 56 | 62 | 78 | 87 |
5位 | ●私と我々 | ひよこ | 84 | 1013 | 62 | 67 | 77 | 86 |
6位 | ●言葉と行動 | さくら | 84 | 1232 | 56 | 64 | 74 | 96 |
7位 | ●朝寝坊 | サッカー | 83 | 1110 | 54 | 63 | 82 | 84 |
8位 | ●言霊 | 柏もち | 83 | 1062 | 59 | 64 | 70 | 95 |
9位 | ●経験とことば | きやの | 82 | 1008 | 51 | 69 | 73 | 92 |
10位 | ●二つの利益 | フェアリー | 82 | 1112 | 53 | 63 | 70 | 86 |
12月の森リン大賞(中3の部53人中)
我愛する。故に彼と我あり
ハーマイオニー
現在、新聞、テレビ等のメディアでは、中国の人名・地名は日本語の漢字の読みで伝えられる。中国国内でも同様に日本人の名前も中国の読み方をする。それに対して、韓国・朝鮮の名前は現地での発音どおり、もしくはそれに近い読みをカタカナ表記するようになっており、あちらでも同様である。これは、それぞれの国との話し合いでそういうことにしているらしい。このように、漢字の文字とカタカナの音が分かれる場合、紙の上だけの関係であれば文字で済むが、愛を伴った関係であれば、相手の名前を正しい音で呼ぼうとするのではないか。
私は、自分のつかう言葉に愛を込められるような人間になりたいと思う。そのためには、具体的にどうすればよいだろうか。考えられる方法としては2つあると思う。
第一に、当たり前だが、相手の名前など、大事なことは忘れないようにすることだ。ただ、当たり前と言っても、これは容易なことではない。社会生活を送る中で、人は、毎日多くの人間に出会うだろう。その立場や職業によって、相手人数の多寡はあるだろうが、何かしら他人と交流し、あるときは共に、またあるときは競って活動することになるはずだ。そういった場合、相手のフルネームを知っているのと、知らないのとでは、全く印象が変わってくる。相手を知りたいと思う気持ち、相手への興味の度合いは、すなわち、相手への愛情である。私もそうだし、誰もがそうだと思うが、「かっこいい」「かわいい」「すてき」「おいしい」「おもしろい」など、自分にとって好ましいと思える人や物は、その名前をすぐに覚える。たとえ、ビジネスマンがそのような必要に迫られて取引相手の名前を覚えるとしても、やはり同じことだと思う。名前を覚えることは、まずその対象への最初の関心の表現ではないか。そこから愛ある人間関係がスタートするのだ。
第二に、国際交流、異文化交流の場においても、いや、そのような場において特に、相手の国や文化を尊重することが大事になるだろう。田中角栄は、人の名前を覚える天才だったそうだ。彼が大蔵大臣だった時代に、大蔵省に入省した野口悠紀雄氏は、新人全員の名前を、メモも見ず、他の職員や秘書にも聞かず、すらすらと呼んだという田中大臣の逸話を披露していた。当然、これは若い職員たちの心をとらえた。田中角栄の仕事には、功も罪もあろうが、このような彼だからこそ、大胆かつ繊細な外交政策を可能とし、日中国交正常化を成しえたのではないか。今日の中国との関係を考えると、彼の政治から学ぶことは少なくないと思われる。
確かに、言葉を記号として扱うようなドライなやり方の方が効率がいいかもしれない。人を名前で呼ばず、番号を付けて処理するような発想は、コンピューター上では役に立つだろう。しかし、人間であれば、言葉に愛を込めることができるはずだし、そのような生き方が必要であると思う。「家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである」という言葉がある。人間もまた、外から眺めていればいいのではなく、自分と相手が愛情を持って交流するからこそ、相手の存在も、また自分自身の存在も生きてくるのだ。デカルトの言葉になぞらえれば、「我愛する、故に彼と我あり」である。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●我愛する。故に彼と我あり | ハーマイオニー | 96 | 1334 | 77 | 100 | 98 | 86 |
2位 | ●違いの理解 | だるまー | 90 | 1273 | 62 | 72 | 85 | 92 |
3位 | ●死に対する意識 | ちえのわ | 88 | 2040 | 72 | 69 | 76 | 90 |
4位 | ●日本語の曖昧さ | トウモロコシ | 87 | 1611 | 64 | 62 | 77 | 90 |
5位 | ●untitled | (^ω^#)ピキピキ | 86 | 1917 | 68 | 62 | 73 | 87 |
6位 | ●名前の重要さ | むさし | 85 | 1042 | 63 | 71 | 83 | 87 |
7位 | ●意思 | かはふ | 85 | 1079 | 62 | 76 | 81 | 81 |
8位 | ●自分の意見を持つこと | 嵐ちゃん | 85 | 1402 | 58 | 60 | 72 | 87 |
9位 | ●気持ちを込めて | さえピ | 82 | 964 | 54 | 69 | 78 | 87 |
10位 | ●言葉に愛を込める | えむや | 81 | 1054 | 53 | 77 | 84 | 92 |
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