https://youtu.be/RkmSI9JOV28
●曖昧な指導は、子供を迷わせる
「指導は曖昧な言葉では教えない」とは、次のようなことです。
例えば、「もっと具体的に」とか「もう少し分かりやすく」とか「もっと自分の個性を出して」とか、言われた方は、分かったような分からないような指導を受けることがあります。
●「中心」ではなく「いちばん何とかなのは」
言葉の森では、「中心を決める」ということよりも、「いちばん何とかなのは」という言葉を使おうということを、小学校低学年の子には話しています。
例えば、動物園に遠足に行った作文を書く場合、小学1・2年生は、最初から最後まで書こうとします。
それはそれでいいことなのですが、時間がないと、朝起きてから出かけていくまでで力尽きてしまうこともあります。
●感想を一段深める「一般化の主題」
小学校高学年では、作文に出来事と感想を書く場合、その感想が「とても楽しかったです」で終わるようになる子は少ないですが、それに近い個人的な感想でまとめてしまうことはよくあります。
そこで、より大きい視点からその出来事を考えるために、「人間は」とか「人間にとって」という言葉を使うということを、「一般化の主題」という言葉で指導しています。
●情景を生き生きさせる「会話を入れる」指導
また、子供の作文が出来事の平板な事実経過だけで終わらずに、そのときの情景を描写的に書くことをすすめるために、「会話を思い出して書こう」という指導もしています。
男の子は、一般に数字や名前をしっかり書くことに関心があり、「何時何分にどこどこの駅からどこどこの場所に行って」というような書き方をしますが、そのときの動作や情景にはあまり関心がありません。
そこで、「会話を入れて書く」という説明をすると、その作文に具体的な描写が生きてくるのです。
●数字や名前を意識させる指導
女の子は逆に、情景や動作を書くのは得意ですが、数字や名前のようなものにはあまり関心を持たない子が多いです。
そこで、「作文の中に数字や名前が分かることがあったら書いてみよう」という話をしています。
このように具体的な指導をすれば、子供たちが作文を書いたあとの先生の評価も具体的になります。
●運転教習に学ぶ、具体的な教え方
私は昔、自動車教習所で運転を教わっているとき、隣にいる指導員が、「窓ガラスのどこに何の標識が見えたらハンドルをあっちに切って、次にバックミラーのどこに何が映ったらハンドルをこっちに戻して」という、あまりにも分かりやすい教え方をしてくれたので、すぐに縦列駐車ができるようになりました。
そして、いったん形だけできるようになってしまえば、新しいところでも、同じような感覚で、目印がなくてもできるようになるのです。
●結果だけを見る評価の危うさ
文章を書くことが得意な人が作文を教える役割になると、往々にして子供の作文の未完成の部分を直そうとすることが多いものです。
例えば、子供が書き出しを工夫するために会話で始める作文を書くと、「会話の書き出しはワンパターンだ」などと言うのです。
書き出しの工夫は、子供たちの文章力の成長に応じて、書きやすい「会話の書き出し」から始めて、「情景の書き出し」や「動作の書き出し」や「名言の書き出し」などに進む可能性があるのですが、子供の作文を成長の過程として見ずに、結果だけを見て評価してしまうことがあるのです。
●欠点指摘が生む萎縮
ところが、そういう結果中心の評価をされた子はどうなるかというと、作文が苦手になるのです。
よく言われるのは、作文指導に熱心な先生のもとでは、作文嫌いの子が増えるということです。
子供たちの作文の良いところを褒める先生であればよいのですが、欠点を直すことを中心にする先生の場合は、子供たちが欠点を指摘されないようにと、作文を書くことに萎縮するようになります。
●保護者の関わり方も同じ
これは先生でなく、保護者が作文を教えるときも同じです。
子供が作文を書きながら、近くにいるお母さんに、「次はどう書くの」と聞いてくることがあるようです。
それは、そのお母さんがこれまで子供の書いた作文の結果を見て、間違いや弱点を指摘していたので、子供は、「書いてから注意されるよりも、書く前に聞いておこう」と判断するようになったのです。
こういう子供の心理を理解するためには、お母さんお父さんが、自分が子供だったころを思い出してみるとよいと思います。
