●動画:
https://youtu.be/LfURGth0Tb8
国語の勉強として、問題集を解くことを考える人が多いと思いますが、問題集をいくら解いても力はつきません。
なぜかというと、問題を解いて正解だった問題は、やらなくてもできた問題だったので、その問題を解くだけ時間の無駄だったということです。
では、正解でなかった問題はどうかというと、ほとんどの人は、解答や解説を見て、なるほどと思うだけで終わりにします。
なぜ、自分が間違えたのかを理詰めに説明できなければ、同じような問題が出ても、同じように間違えるだけです。
大事なのは、正解と不正解を理屈で説明できることですが、そこまでやれる人はほとんどいません。
問題集を解く勉強と反対に、国語の力をつけるために読書をすすめる人も多いと思います。
しかし、読書なら何でもいいというのではありません。
易しい本は、読めば読むほど読解力が低下します。
その生徒の力相応に、ある程度難しい文章を読まなければ、読む力はつかないのです。
しかし、読書は、国語の力をつけるためにだけ読むものではありません。
簡単に言えば、読書の楽しさを味わうために読むものです。
だから、読書の基本は、その子が面白く読めるかどうかです。
その面白く読める読書自体が不足している子は、意外と多いのです。
読書で国語力がつくわけではありませんが、読書が好きであることは、国語の力をつける前提です。
読書は、大人になっても必要です。
もちろん、社会生活のほとんどは、特に読書をしなくても間に合います。
しかし、読書の習慣がなければ、学校時代に身につけた知識やものの考え方のまま成長しません。
現代のように、次々と新しい技術や新しい考え方が生まれる時代には、学校で学んだ知識でいることは、時代に取り残されることなのです。
言葉の森の国語読解クラスの勉強は、次のようなやり方です。
まず、毎日の家庭学習として、問題集読書をします。
これは、自分にわかる程度の音読です。朗読ではありません。
だから、保護者は近くで聞いていても、決して読み方を注意しないことです。
時々、「間違っていても注意しないのですか」と質問されるお母さんがいますが、最初のうちは間違っていても注意せずにほめるだけです。
そして、音読に慣れてきたら、読み方をたっぷり褒めたあと、1日に1回と限定して注意するといいと思います。
しかし、その場合も、子供が明らかに理解できる範囲の注意に限定することです。
子供が理解できない注意とは、「しっかり読みなさい」とか「心を込めて読みなさい」とかいう、抽象的な注意です。
親の前で音読をしたがらない子は、低学年のころに音読を注意された子です。
同じように、作文をなかなか書けない子は、低学年のころに親に注意された子です。
注意されたのは、親ではなく、先生からという場合もあります。
人間は、欠点を直して上達するのではありません。
長所を認められて上達していくのです。
問題集読書は、1冊を5回以上繰り返し読みます。
つまり、最後まで読んだら、また最初に戻って読むということです。
このように繰り返し読んでいれば、先生が口頭試問で質問したときに、頭の中にある範囲ですぐに答えられます。
質問されたときに、問題集の問題文を見直さなければ答えられないという場合は、まだ読む回数が少ないということです。
なぜ繰り返して読むことが大事かというと、子供でも大人でも同じですが、1回読んだだけでは、自分がすでに大方わかっているレベルのことしか読んでいないからです。
2回、3回と繰り返し読むと、1回目に読み取れていなかったことが読めるようになります。
文章を深く読むというのは、ゆっくり読むことでも、語句の意味を調べながら読むことでもなく、ただ繰り返し読むことです。
だから、精読とは復読のことなのです。
問題集は、ただ読むだけでなく、自分なりによく理解できたところに傍線を引いて読むようにします。
読んだ文章に線を引くという習慣ができると、試験などで国語の問題を解くときも、自然に傍線を引いて読めるようになります。
毎月の読解検定は、受けても受けなくてもどちらでもかまいません。
国語読解クラスでは、読解問題が表示されるので、それを自分で解いて採点すればいいからです。
しかし、読解検定という形でないと、子供はなかなか真剣に取り組みません。
国語の問題を解くには、真剣に読むことが必要だからです。
読解検定の問題を解いたあと、なぜある答えが正解で、他の答えが不正解であるかということを理詰めで説明します。
大事なのは、なぜ正解が正解なのかではなく、なぜ不正解が正解でないのかということの方です。
この発想ができるようになると、国語の成績は急に上がります。
子供がひとりでは説明できないときは、親も一緒に考えてあげてください。
親もよく説明できないというときは、言葉の森に聞いてください。
しかし、あまり多くの説明できない問題があるときは、学年を下げて読解検定を受けるようにするといいと思います。
逆に、その学年の読解検定で100点を連続して3回取った場合は、学年を上げて受検してもいいかもしれません。
そういう生徒は、国語はもう心配ないので、他の教科に力を入れるか、読書を発展させるかしていくといいと思います。
例えば、国語読解のオンラインクラスでは、生徒と先生が共通の問題文をもとに、楽しくお喋りをします。
それは、先生による生徒への口頭質問なのですが、先生と生徒が一対一で話をするので、先生はその生徒の答え方の度合いによって、生徒が答えやすくしたり、逆に生徒により難しい質問を出したりできます。
しかし、外見から見れば、それは先生と生徒とのただの楽しい対話に見えるでしょう。
だから、生徒は、できが悪いときでも暗くなるようなことはありません。
しかし、それで、何も問題はありません。
これが、もし、30人学級のような規模であったら、先生は生徒との一対一の対話などはできませんから、全員一斉のテストをすることになります。
そのテストの出来不出来によって、生徒を評価するようになります。
すると、やがて、先生は、生徒を点数を通して見るようになり、生徒は、自分がそういう見られ方をされていることを漠然と理解するようになります。
これで、勉強が楽しいものになるとは思えません。
だから、勉強の楽しさは、他の生徒との競争の中で勝つ楽しさのようなものに変化してしまうのです。
オンラインクラスは、競争で勝つ楽しさのようなものはなく、ただ対話をする楽しさの中で勉強が進みます。
その楽しいだけの勉強で実力がつくのは、先生が、テストのようなものを通さずに、生徒の実力を把握しているからです。
国語読解クラスの生徒の、今年の4月から9月までの点数の推移を見ると、ほとんどの生徒が読解検定の点数を上げています。
問題集読書と理詰めの読解検定をセットで勉強すれば、早い遅いの違いはあれ、誰でも国語の成績は上がるのです。
国語に限らず、勉強はすべて、厳しい授業で力がつくのではありません。
正しい勉強法と、生徒の自主的な学習と、先生が生徒を把握できる少人数クラスの個別指導で力がつくのです。