国語の読解問題の解き方のコツを身につけるには、子供が解いたものを親も一緒に解いてみることです。
そして、選択問題については、なぜその答えが正しくて、それ以外の答えが正しくないかを理詰めで説明してみることです。
このときに大事なのは、なぜそれ以外の答えが正しくないかの方です。
つまり、合っていることが大事なのではなく、間違っていないということが大事なのです。(これが消去法の解き方)
しかし、問題を解いていると、親でも説明できないものが出てきます。
そのときはどうしたらいいのでしょうか。
親の友人に聞いてみるというのでもいいのですが、基本的には、その問題はできなくてもいい問題だと考えればいいのです。
日本語を何十年も使っている大人が説明できない国語の問題は、できなくてもいいか、答えが間違っているかのどちらかです。
実際に、生徒がときどき持ってくる正答率の低い国語の問題の中には、答えがおかしいというものもかなりあります(笑)。
この考えをもっと広げると、国語以外の勉強についても、同じことが言えます。
社会生活を立派に営んでいる大人が教えられない勉強は、もともとする必要のない勉強です。
少なくとも、小中学校の義務教育の間の勉強は、親が教えられる範囲までのものを徹底することに力を入れることです。
そして逆に、社会生活を送るために必要なことで、学校や塾では教えていないことがあります。
それを教えるのが、親子の対話です。
勉強は、受験のためにするものではなく、よりよい人生のためにするものです。
この原点を忘れないようにしていきましょう。
注意しない。直さない。あるがままを褒める。
これが、子供を伸ばす秘訣です。
今週行っている作文発表会で、見学に来たお母さんたちは、自分の子供の発表をしっかり褒めてくれたようです。
注意したり直そうとしたりすれば、そういうところはいくらでもあるはずです。
しかし、そういうことは、誰でもできます。
難しいのは、今のあるがままを褒めるということで、特に自分の子の場合は、これは決心しなければなかなかできません。
しかし、この単に褒めることが子供たちの実力を伸ばしていきます。
植物になぞらえれば、褒めることは太陽の光のようなものです。
毎日の読書や音読や対話は、水やりのようなものです。
太陽の力と水の力で植物はしっかり成長して花を咲かせます。
直したり注意したりすることは、花が咲いたあとに、その花に注文をつけているようなものです。
先日、小学校3年生の子で、塾から帰ってくるのが8時過ぎなので、そのあとは何もできないから、作文の勉強は土曜か日曜に時間をかけてじっくりやっているというお母さんの話を聞きました。
そういうやり方をすると、大抵親子喧嘩になり、親も子もくたびれてしまいます。
塾から帰ってくるのが8時過ぎというところに問題があるのであって、そんな塾などには行かせずに、家で楽しく読書と遊びと対話をしている方がいいのです。
そして、そういう毎日の太陽と水やりの積み重ねの上に、作文の勉強は平日の夕方に1時間か1時間半で済ませてしまえばいいのです。
毎日の積み重ねがあれば、作文はすぐに書けます。
毎日の積み重ねがない中で、作文だけをうまく書かせようとするから、無理に引っ張ってやらせるような形になるのです。
ほかの勉強であれば、無理にやらせれば一応できることはできます(長い目で見ると実力はつきませんが)。
しかし、作文はメンタルな勉強なので、無理にやらせようとすると、ますますできなくなります。
例えば、子供を叱って、「さあ、今日の『楽しかった思い出』という課題の作文を早く書きなさい!」というようなものです。
大事なことは、何か月かがんばってやることではなく、長く続けてやることです。
そのために大事なのが、直したり注意したりせずに、ただ褒めることと毎日の自習を続けることなのです。
※ただし、言葉の森では、子供が作文をなかなか書き出せず、お母さんの手ではどうしていいかわからないときは、教室に電話をすればすぐにその子に追加の説明をするようになっています。
書けないときにすぐに電話をしてくれればいいのですが、ときどき、親子でさんざん喧嘩をして収拾がつかなくなって電話をかけてくる場合があります。そういうときは、まず子供を立ち直らせるのに一苦労(笑)。
そして、たまには、お母さんやお父さんに、「今日はもう書かなくていことにして(考えただけで勉強になっているので)、親子で仲直りをしておいしいものでも食べに行ってください」というアドバイスになることもあります。