読書という勉強は、だれでも自分に合ったものができます。易しい本から難しい本まで、多様な本を自分の興味に合わせて自由にに選ぶことができます。この読書によって、国語力がつきます。
読解力の土台は、読「感」力です。文章を知的に理解するための前提は、その文章を感情を込めて読み取れることです。文章を読んでその内容を素直に感じることができるためには、読むことが自分の手足を動かすことのように自由にできなければなりません。魚が水の中で泳ぐときに、水の存在を意識しないように、読書をしているときに言葉の存在を意識しないから、読んだものに感情を移入することができるのです。
そういう読む力は、どこでつくのでしょうか。それは、読んだ量に比例して身につきます。ピアノや水泳のような技能の習得でも、いろいろな技術を学ぶ以前に、まずその練習に時間をかけることが習得の条件になります。
読書の場合も、読んだ時間に比例して読書力の裾野が広がります。この広がった裾野の上に、難読(難しい本を読む)という高い山頂を形成することができます。易しい本を自由に読む力があるから、難しい本も読むことができるようになるのです。
では、その裾野を広げるための方法は何でしょうか。よく、幼児期からの読み聞かせが大事だと言います。しかし、それ以上に大事なのが、小中高それぞれの時代に日常生活の中で読書の時間を作ることです。
生活の中での読書の時間として自然にできるのが、夕食後です。食後、又は夕方の勉強のあと、読書をして、その本が面白ければ寝るときまで読んでいるというのが、読書のある生活の姿です。
小学生の場合、こういう習慣がつくのは、小学校1年生のときです。小学1年生のときに、毎日、夕方に読書の時間があるという生活をしていれば、その習慣はずっと続きます。
その読書によって国語力がつき、その国語力によって学力全体がついてきます。勉強は、学校でするものであると同時に、それ以上に家庭の生活の中でするものなのです。
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ファクスで四行詩を送ってきてくれたみなさんの作品の中から、いくつかを紹介します。
4行ですから、いずれも100字に満たない作品ですが、中には思いがけず新しい発見や創造の世界が生まれているものもあります。
P331 名古屋市 NA
トキやイリオモテヤマネコを復活させても
人間は自然を戻せない。
なぜだろう?
生活が困る事にだれも賛成しないからだ
P338 名古屋市 NA
私が子供の時、
三月は
冬の終わりに近いと
どれだけ感じた事だろう。
P181 ナエトル・ヨッシー
里山とは、「里山」という山ではなく、
人と自然が交錯するころ、
自然と人間のせめぎあいの産物、
という意味深いものである。
P188 ナエトル・ヨッシー
かつて胡瓜は夏の季語であった。
しかし今一年中食べられる胡瓜は
他の季節の季語となるばかりでなく
季節を感じないと思われている。
P196 ナエトル・ヨッシー
科学は、
科学者の好奇心や偶然の発見などで進歩し、
技術は、
経済や人間社会の必要によって発展する。
P197 ナエトル・ヨッシー
景観は、生活者によって作られ維持されて
きたものだから誇りと愛着がある。ゆえに、
生活者が誇りと愛情をもって育てなければ、
来訪者を感動させることはできない。
では、おまけに、私の四行詩(笑)。
なぜ、四行詩か 森川林
文章を読んだあと、問題を解くことも、要約することもできる。
しかし、植物が日の光を受けて花を咲かせるように、
人間の自然にいちばん近いのは、
何かを吸収したら、自分も表現したいと思うことだろう。
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小学校低中学年のころは、教える内容については、親が圧倒的に豊富な知識を持っています。計算練習も、漢字練習も、親はすっかり教える内容を熟知しています。
だから、教えることそのものには問題がありません。大事なのは、その教え方です。なぜなら、子供は、勉強の知識を学ぶよりも、親の教え方を無意識のうちに学ぶからです。
どの親も、子供が将来だれからも好かれるようになってほしいと思っています。勉強ができるが嫌われる子よりも、勉強が多少できなくてもみんなから好かれる子になる方がよい、もちろん、できれば両方できた方がよい、とだれもが思っています。
しかし、好かれ方を教えるような教材はありません。子供は、親の人間関係から、自分の人間関係を学びます。
ここで、褒めることと叱ることが重要になってきます。
例えば、子供が簡単な勉強なのになかなかできないときです。実は、こういうことは普通によくあります。算数の問題でも、昨日教えたばかりのことが今日できない。今日教えたことが、また明日もできない、ということはだれにも普通にあることです。親は、自分も子供のころ、そのように何度も間違えながら学んだことを忘れているだけなのです。
このときの対応で、「どうして、こんな簡単なこともできないの」と言うか、優しくにっこり笑って、「じゃあ、もう一回説明するよ」と言うかによって、子供の将来の人間関係が形成されていきます。子供が成長したときに、相手のちょっとしたミスにも嫌な顔をするか、明るく笑って済ませられるかの差が生まれてくるのです。
同じように、子供がよくできたときにも、親の対応の仕方が大事になります。例えば、子供がよい点数を取ってきたときに、親がそれをからかってしまうということはよくあります。親は、つい、「珍しい」「まぐれでしょう」「雪が降るかも」などというひねった褒め方をしがちです。しかし、これはシンプルに、「わあ、すごい」「よかったね」だけにしておいた方がよいのです。こういう褒め方の差も、子供の将来の人間関係の形成に影響します。
人間は、よそ行きの場面では、みんないい顔をしています。しかし、自分よりも弱い立場の人に接するときに、その人の地の人柄がつい出てきます。
しかし、無意識に身についたものは、本人が自覚して直すまで、かなり遠回りをしなければなりません。
勉強の教え方は、勉強の内容よりもずっと大事なのです。
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昨日、中2のK君が、高校入試の問題集読書をもとに四行詩を書いてファクスで送ってきてくれました。
同じように四行詩を書いている人の参考になると思いますので、その中からいくつかを掲載します。
P361
僕たちは今、
亡き人たちが作った社会に生きている。
先人の知恵を利用して、
日々を過ごしていこう。
P366ー367
エッセイの筆者は「嘘」はつかないはずだ。
小説では、宇宙のように広々とした
「創造」を著すことができる。
いくらでもジョークが記される。
P369
「ビリッ」
今日もどこかで
障子は破れている。
僕の家の障子は、ときどき張りかえられる。
そして、今日、さくらんぼさんも、問題集読書の四行詩のファクスを送ってきてくれました。
本の読み方とスローリーディングの実践
スローリーディングはゆっくり読むこと
本を価値あるものにするかは、読み方次第
旅行は、魅力を堪能できたかに意味がある
読書は発想を転換しなければならない
魂のみなもとへ―時と哲学のデュオ
好きなのはきれいな水で汚い水はきらいだ
波は、倦きることなく、寄せては返す
見るほうが倦きてくる
人間の忍耐心は自然の忍耐心にかなわない
食卓の向こう側 生ごみは問う
自然の摂理を無視した給餌は論外
有機物を活用して食物に変える産業
私たちは、社会貢献しているのに評価が低い
結果で過程を見ない社会が変わってほしい
ほかの生徒のみなさんも、四行詩が書けたら、できれば今週いっぱいまでにファクスで送ってください。
ファクスは、 0120-72-3987 (電話の番号と少し違います)
問題集読書と四行詩の自習は、7月ごろから本格的にスタートする予定です。
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日本文化の特徴を一言で言えば、勇気と知性と愛において日本独特の性格があることです。もちろん、世界の他の国々も、それぞれの国なりの勇気と知性と愛の文化を持っています。しかし、日本は、ほかの国にはないような特徴を持っているのです
勇気については、「葉隠」にあるように、死をも恐れない無私の勇気が特徴です。なぜ、無私の勇気を持つことができるかというと、日本人は、自分個人を超えた家族や郷土や国家を自分と一体のものと考えることができるからです。
知性については、日本語の特色が色濃く反映されています。ひとつは、日本語は語尾のニュアンスが豊富なので、聞き取るときに微妙な感受性を必要とします。これが日本人の注意力や集中力という、わずかな差異も識別する精度の高い知性を育てました。もうひとつは、漢字かな混じり文という特色から来るものです。物事を視覚的にとらえる言語によって、時系列的な論理ではなく、空間的創造的な論理を得意とする知性が育ちました。日本文化における知性は、日本語の特徴と深く結びついています。
愛については、特定のものに対する愛というよりも、自然や他人に対する一体感という広い愛の意識が特徴です。だから、日本人は、他人に対しても、動植物に対しても、もちろん外国人に対しても、自分と同じ魂を持ったものだという感覚を持って接することができます。
勇気と愛という特徴がなぜ生まれたかというと、日本という国が民族の興亡をほとんど経験しなかったからです。日本は歴史上のほとんどの時代を同じ民族で平和のうちに経過してきました。それは、例えば天皇制が世界最長の歴史を持つというところにも現れています。民族どうしの興亡のない平和な国では、民族の精神年齢が成熟する傾向があります。これが、無私の勇気と、自分以外のものに対する一体感という日本文化の特徴を育てていったのです。
興亡の激しい若い文化では、言葉や理屈が優先され、個人の意識が前面に出てきます。日本では、言葉を超えたものを大切にし、全体の調和を先に考える文化があります。それは、日本人の魂が成熟しているためです。若い文化では、競争が活力の源になりますが、成熟した文化の活力は、助け合いの中から生まれてきます。
したがって、日本文化を今後発展させていくためには、日本語を大切にするとともに、言葉を超えたものにたいする尊敬の念を大事にしていく必要があると思います。
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