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無の文化と教育4 as/1344.html
森川林 2011/09/01 20:21 



 もし、私たちが今突然、学校も先生もいない中で、もちろんお金もなく、一日中働きながら子供の教育をしなければならなくなったらどうするでしょう。私だったら、自分の頭の中にある文章を、子どもにも同じように唱えさせる形で子供の教育を行っていきます。

 実は、これが古代からどの民族も行ってきた原初的な教育法なのです。古代の民族は、口から口へと伝承を伝える形で子供たちの言語教育、つまり人間として成長するための教育と、民族の文化教育を行ってきました。伝承するテキストは、ひとつはその民族の昔話で、もうひとつは宗教の教典でした。

 有の文化の教育が成立する前は、どこでも自然に無の文化の教育が行われていたのです。

 ところが、有の文化の発想は、反復するという方法よりも、何を反復するかという教材の方に目を向けます。しかも、その教材が宗教の教典になると、教典の内容を覚え理解することが教育の目標のようになってきます。

 そのようにして、世界の無の文化の教育の多くは、有の文化の教育によって駆逐されていきました。しかし、広大なインドや中国の一部と、海によって隔てられた島国の日本には、無の文化の教育がそのまま残っていったのです。



 それでは、無の文化の反復する教育には、どのような効果があるのでしょうか。それは、有の文化の理解し身につける教育よりも効果があるのでしょうか。

 寺子屋時代の教育風景を当時の絵で見ると、子供たちはふざけて遊んでばかりいたようです。教える先生は、自分の好きな本を読んでいるだけで、特に教えたり注意をしたりすることはありません。このような雑然とした教育環境で、素読と手習いという反復学習が行われていました。

 これに対して、当時の欧米の教育風景は、子供たちが真面目な顔をして並び、先生は手にムチを持っています。

 この光景の違いを見ると、欧米では日本よりも教育の仕方が徹底していたように見えます。しかし、実際は正反対で、日本の子供たちの方がはるかに優れた教育を受けていたのです。

 優れたというのは、ひとつは量的にということです。江戸時代の日本人の大多数は読み書きができました。しかし、当時のヨーロッパ人の大多数は逆に読み書きができませんでした。しかし、それとともに大事なことは、日本の教育にはムチが必要なく、どの子も笑顔で教育を受けていたということです。



 同じものを反復するという教育法が、さまざまなものを身につけるという教育法よりも優れているのは、比喩的に言えば、反復の教育が根を育てる教育であるのに対して、理解し身につける教育が花を咲かせる教育だからです。

 反復する教育は、反復して何かを身につけるというところに目標があるのではありません。反復することによって曇りを取るというところに目標があります。だから、反復する教材は、特に固定したものでなくてもよいのです。

 塙保己一は、青年のときに般若心経を千日間暗唱する誓いを立てました。しかし、暗唱する教材は般若心経でなくてもよかったのだと思います。

 空海は、青年期に虚空蔵求聞持法の真言を暗唱しました。しかし、これも実は、暗唱する言葉は何でもよかったのです。

 有の文化の見方で見ると、暗唱する教材そのものに何か意義があるように見えますが、実は暗唱するという方法にこそ意味があるのです。(つづく)

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Sogame 20110901  
暗記することだったんですね。暗記するということは、潜在意識に入れるということでしょうか。習うより慣れろという結論でよろしいのでしょうか。

森川林 20110902  
 暗記というのは結果なので、暗記自体が目的ではなかったようです。
 目的は、反復することだったのだと思います。

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無の文化と教育3 as/1343.html
森川林 2011/08/31 17:04 



 素読には、孔子の「読書百篇意自ずから通ず」と同じような学習法がとりいれられています。大事なのは、繰り返し読むことであって、読んで理解できないところを誰かに解説してもらうという学習法ではありません。

 読んでわからないところを解説してもらうと、わかったような気がしますが、その理解は表面的なものにとどまります。

 繰り返し読むことによって全体を把握し、それが自分の成長ととともに次第に深まっていくというのが素読の学習法です。



 江戸時代の寺子屋の学習の中心は、日本語の読み書きの学習でした。今の教科で言えば、国語の時間がほとんどで、そこに算盤という計算の練習が加わったような形でした。

 読み書きというのは、社会生活を行う上で欠かせないものですが、特に読み書き教育が重視されたのは、それが人間の成長と深く結びついていたからです。



 教育において、言語教育を重視するのは、言語脳が人間の進化の最もあとから発達した機能だからだと考えられます。

 教育の分野には、音楽教育、運動教育、絵画教育などもあります。しかし、それらの教育では、個々の分野の教育にとどまり、全人的な教育には広がりません。

 言語教育は、言語の習得にとどまらず、人間の成長全体に影響する教育になります。それは、最も新しい言語機能が活性化することによって、脳の他の機能も活性化するからです。

 アメリカの教育実践で、脳に先天的な異常があり身体の動作が不自由だった子が、幼児期に読み書きの練習をすることによって身体機能までも回復したという報告があり、再現性が確認されています。

「赤ちゃんに読みをどう教えるか」

http://www.amazon.co.jp/dp/4925228013

 言語の教育は、それだけ教育の重要な柱なのです。



 ところが、これまでの欧米流の有の文化の言語教育は、一般に次のような形で行われていました。

 まず最も単純で易しい文字を覚えます。次に、単語を覚え、短い文を読み、その文が理解できるようになったら、長い文章を読み、次第に難しい文章を読んでいくという流れです。易しいものから難しいものへ少しずつ進んでいくという方法です。

 これに対して、無の文化の言語教育は、正反対とも言っていいものです。

 まず、難しい漢字が使われていて内容も難しい論語などのテキストを、そのまま丸ごと音読します。そして、それを暗唱できるまで繰り返し読んでいくのです。文章の内容の理解とは無関係に、ただ声を出して読み続けることが素読という学習法です。

 手習いも同じです。ただ手本となる文字を何十回何百回となぞり書きするだけです。その手本となる文字は、ひらがなについては「いろは」、漢字については千字文という中国の詩などでした。内容が子供向けかどうかという配慮などはなく、大人の社会に通用しているものをそのまま丸ごと自分のものにすることが求められたのです。



 欧米の有の文化の教育法では、子供向けの教材が必要になります。そして、その教材をどういう手順で発展させていくかというカリキュラムが必要になります。すると、そこで、教材とカリキュラムに精通した先生が必要になり、先生の教える場所としての学校が必要になります。

 その結果、欧米の教育は、金銭的な余裕のある一部の上流階級の子弟だけに限られたものになりました。欧米では、教育を受けた人だけが社会を動かすエリートで、教育を受けない人は家畜と同じようにただ受け身で命令を聞く存在であればよいと思われていたのです。そして、その文化は、今も続いています。

 これに対して、日本の無の文化の教育は、教材もカリキュラムも先生も学校も必要ありませんでした。大人は、自分が子供のころ習って身についている「いろは」や論語を、同じようにただ子供に伝えればいいだけでした。ただ、ある程度分業した方が能率がいいからという理由だけで、寺子屋というシステムができていたのです。決して、寺子屋方式という教材、カリキュラム、先生、教室が教育に欠かせなかったわけではありません。これが、欧米の教育と日本の教育の大きな違いで、この違いが、欧米と日本の大衆の識字率の驚くほど大きな差を生み出していたのです。

 日本の教育では、教育はエリートだけではなく、誰もが等しく同じように受けられるもので、反復して曇りを拭い取るという同じ教育法によって、誰でも同じように本来の人間としての能力を発揮できるようになると考えられていました。

 欧米流の有の文化の教育は、今の世界の教育の主流です。子供が学びやすいように、学年別に細分化された教材を作ります。子供がつまずくところは更に細分化して教材を完備します。そのようにして、大量の複雑化した教材に囲まれて勉強する形なので、学校と先生がなければ教育が行われないと考えてしまうのです。

 日本の無の文化の教育は、学校や先生がなくても成り立ちます。吉田松陰は、下級武士の子で貧しかったので、山の畑で父の農業を手伝いながら勉強しました。

 欧米では、学校に行けないということは、そのまま教育を受けられないことを意味していました。日本では、学校に行こうが行くまいが、家庭の生活の中で教育を受けることができたのです。(つづく)

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無の文化と教育2 as/1342.html
森川林 2011/08/30 19:11 


 無の文化における方法論の主なものは、自然、喜び、反復などです。

 日本人は、解決しがたい大きな問題にぶつかると、自然の中に戻って答えを探そうとする傾向があります。人や文献に頼るのではなく、自分で直接、自然や現場に赴いてその問題と一体となろうとするのです。

 また、日本人は、暗いことは悪いことで、明るいことがよいことだというもともとの価値観があります。だから、議論をして勝つようなことは、議論すること自体に暗さを感じてしまうのです。

 多数決で決めることも同じです。多数決で少数者の声を否定して決めざるを得ないことに、本来の姿ではないものを感じるので、日本人の最も理想とする決定の仕方は、満場一致になります。決をとるのではなく、全体の雰囲気で決まるともなく決まるというのが理想の決まり方です。この根底にあるのは、だれもが明るく納得することがよいという価値観です。

 日本の無の文化にあるもうひとつの特徴的な方法論は、反復の重視です。道元は、只管打坐という座禅の方法を確立しました。理屈による理解や技術の段階的な修得という方法ではなく、ただ黙って最初から最後まで座り続けるという方法を方法論として定式化したのです。

 日本の仏教に見られる念仏も同じです。念仏においては、同じ言葉を唱え続けることが方法なのです。欧米の有の文化が、修行を何かを得るためのものと考えているのに対し、日本の無の文化は、修行を曇りや汚れを拭いとるものと考えています。このため、無の文化の方法は、ただ拭うために繰り返すことになるのです。

 これは、日本の運動やスポーツの技能に対する考え方にも生かされています。例えば、日本では、野球でも剣道でも素振りという練習をよく行います。相撲でも、四股を踏むという繰り返しの練習が行われます。

 テニスの練習法の素振りは、欧米の人にとっては、なぜそういう練習をするのか理解に苦しむところがあるようです。欧米の有の文化ででは、運動とは技能を身につけるものですから、技術を理解し修得する練習が中心です。日本の無の文化では、同じ動作を繰り返すことによって不純物を拭い去り、その運動に必要な本来の自分の姿を明らかにするということが中心になるのです。

 学習についても同様です。日本では江戸時代の国語教育の中心となった方法は、素読と手習いでした。素読とは、同じ文章を何度も声を出して読み、暗唱するまで繰り返し読むことです。手習いとは、手本となる文字をなぞり書きし、紙が墨で真っ黒になるまでそのなぞり書きを繰り返すことです。

 有の文化では、文章は一度読んで理解できたらそれでよしと考えます。文字は書き方を理解し書けるようになったらそれで練習は終わりです。なぜなら、文章も文字も、自分の外側に「有る」ものですから、それが自分の身についたら学習は完成なのです。

 日本の無の文化では、読めるようになるとか書けるようになるとかいうこと自体が教育の目的なのではありません。文章や文字は、自然と同じように本来人間と一体のものであるはずだからです。ところが、人間は生きる過程で曇りや汚れをつけてしまうので、自分の中に本来ある文章や文字が自分のものとして出てきません。だから、同じものを繰り返し読み、繰り返し書くことによって、自分の表面にある不純物を拭い去り、その文章や文字との一体感を取り戻すということが教育の目的になっているのです。

 日本人は、念仏にしても、素振りにしても、写経にしても、千羽鶴にしても、同じ動作を繰り返すことが好きです。それは、なぜかというと、同じことを繰り返すことによって何かが浄化されていくという感覚があるからです。

 有の文化は、自分が「有り」、対象が「有る」ことを前提にして、自分がその対象を獲得することを目的とします。これは、誰でもわかる論理です。デカルトの「我思う。故に我あり」は、デカルトの青年期の思索の結果でした。だから、欧米の有の文化の論理は、よく言えば青年の論理、悪く言えば子供の論理なのです。

 無の文化では、自分というものは世界のさまざまな面から既定された関係であって、それ自体が実体のある何かではないということを暗黙の前提としています。同様に、対象も実体ではなく関係にすぎません。色即是空という言葉は、日常生活で使うことはあまりありませんが、日本人は誰でも心の中で物の実体は空であることを感じています。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」という方丈記の一節に多くの人が共感するのは、河や人生は実体ではないという感覚を持っているからです。



 ところで、日本の江戸時代では、教育における反復の手段に、素読や手習いという主に言語的なものを使っていました。素読は、読む力、聞く力、話す力を必要とします。手習いは書く力を必要とします。これだけで国語教育がすべてカバーできていたのです。(つづく)

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