性格もよくて、成績もよくて、スポーツも得意で、友達関係もうまく行ってというような何拍子もそろった子がいます。
そういう子のお母さんは、なぜかあまり教育論をぶたないのです。
教育について自分なりの考え方はあるのだと思いますが、その教育論を取り立てて論じるようなことがあまりないのです。
誰でも、子育ては初めての経験ですから、子供の育て方についていろいろな試行錯誤があるはずです。
しかし、そういうお母さんは、周囲の声に流されるようなこともなく、自分の方針を淡々と貫いているような印象を受けます。
そのような家で育った子が、勉強も、運動も、性格も、バランスの取れた子になるようです。
話は少し変わりますが、昔読んだ本で、「経営者が本を書くようになると、経営がうまく行かなくなる」ということが書いてあるのを読んだことがあります。これは、納得できるところがあります。
それまでうまく行っていた人が、何かを論じるようになると、だんだんと実行の方がうまく行かなくなることがあるのです。
クロネコヤマトの中興の祖と言われる小倉昌男さんも、確か、最初の著書である「小倉昌男経営学」にそのようなことを書いていたと思います。自分が書くのはこの1冊だけだ、というようなことを書いていたのです。
しかし、その後何冊かの本を出しているのを見ると、その後の数冊は、依頼を断りきれないような事情もあったのだと思います。
では、なぜ論じることと実行することが違うかというと、実行にはさまざまな例外があるからだと思います。
子供の成長には、多様な逆説のようなものがあります。褒めて育てることがよいという原則があったとしても、厳しく叱られることで急に成長する子もいます。
決められたルールどおりに真面目にやることが正しいとしても、たまに脱線することによって人間の幅が広がることもあります。
そういう多様な例外や逆説を見ていると、子育てを一律に論じるようなことはとてもできません。
だから、子供の成長を真面目に考えていると、子育て中のお母さんは、教育を論じるようなことは自然にしなくなるのではないかと思います。
本を読んで、本のとおりに子供を育てるようなことはできません。
いろいろないい話を聞いたとしても、大事なことはその話の方ではなく、実際に生きて動いている子供の方にあります。
子供の様子をよく見て、子供に合ったことをときどき軌道修正をしながら行っていくというのが、平凡ですがいちばんまともな子供の育て方になるのだと思います。
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「子供が素直に育っているなあ」と思う子育てをしているお母さんは、なぜかもの静かな人が多いです。
聞けばいろいろ話してくれますが、自分から積極的に教育論をぶつようなことはないのです。
たぶん実践に専念している人は、現実は理屈で割り切れるものではないという大きな教育観があるのだと思います。
どうして、実践家はあまり理屈や理論を言わないかというと、自分の言った理屈に実践が引っ張られてしまうことがあるのを知っているからです。
だから、日本では、そして昔の中国では、巧言令色鮮し仁なのです。
しかし、欧米では、口も達者で実践も達者という人が多いような気がします。
その理由は何かというと、たぶん日本人は、言葉に引っ張られやすいところがあるのだと思います。
だから、何かに真剣に取り組んでいるときは、無口になりがちなのです。
情報に流されず、自分が納得する子育てをしたいですね。
単純にひとことで割り切れると思うときが危ない。これは、自戒の言葉。
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受験作文には、コツがあります。
それは、わかりやすく書くことです。何を今更と言われそうですが、わかりにくく書いてある作文も意外と多いのです。
わかりやすさのいちばんのポイントは、構成がすっきりしていることです。
起承転結でも、序論本論結論でも、どういう形でもいいのですが、自分が意図した構成で書かれていることが大事です。
ところが、学校の作文では、構成を意識して書くということはあまりやりません。
構成メモを書いてから作文を書くというやり方はよくやられていますが、その内容の多くは、メモを先に書くよりも直接書いた方が早くできるというようなあまり意味のないものになっているようです。
特に、小学校低中学年では、構成メモを書く意味はほとんどありません。
それは、作文に書くことが事実に基づいたものであることが多いので、時間の順に書いていけばそれで間に合うからです。
言葉の森の作文構成指導も、低学年のときは、中心を決めて書くということだけです。
中学年になると、構成を立体的にするために、途中でお父さんやお母さんに取材した話、又は、自分の昔の話などを入れたりします。
しかし、基本は時間の順序で書いていく形です。
小学校高学年になると、構成の意識をもっとはっきり持てるようになります。
それは、小学5年生ぐらいになると、全体の構造を考える能力がついてくるからです。
文章を要約する力がつき始めるのも、この小学5年生からです。
この時期には、複数の実例を組み合わせて、一つの感想でまとめるという書き方になります。
複数の実例を書くときは、できるだけ、それらの実例の長さが大きく違わないようにすると読みやすくなります。
中学生以上になると、実例ではなく、理由や意見や方法や原因を複数に分けて書く形になります。
このころになると、構成をもとにして考えること自体に頭を使うようになります。
言葉の森で作文を勉強している生徒が、予備校の模試などを受けると、構成のところがよい点になることが多いのは、普段から構成を意識して書く練習をしているからだと思います。
構成をわかりやすく書いたあとで大事なことは、実例と表現の工夫です。
意見文の場合、意見で個性を出すということはまずできません。意見というものは、誰が考えても同じようなものになることが多いからです。
では、どこで個性を出すかというと、その意見の裏付けとなる実例と、その意見をどう表現するかという表現の工夫の部分です。
意見は、あまり凝ったことは考えずに、自分が最初に思いついた平凡なことでかまいません。その平凡な意見の実例として、自分らしい実例を入れていくのです。
自分らしい価値ある実例の要素は、個性、感動、挑戦、共感などがあることです。
あまりよくない実例は、「最近、テレビを見たが、こんなことがあった」というような、ただ見ただけ聞いただけの実例です。
やはり、自分が何かしたという要素が大事なのです。
また、社会実例の場合でも、誰でも思いつくようなよくある話ではなく、自分なりに本を読んで得た知識などが書いてあれば、それが価値ある実例になります。
表現の工夫とは、輪郭のはっきりした光る表現を入れることです。
光る表現は、「○○はAではなくBである」というような形になることが多いのですが、特に形にこだわる必要はありません。
これは、普段から書く練習をしていると、たまに、「われながらいい表現になった」と思うものが時どき出てきます。それを覚えておいて、使えるようにしておくといいのです。
小学生の場合は、たとえやことわざが光る表現に近いものになりますが、これらは中学生以上の意見文で使ってもあまり効果はありません。
事実中心の作文で書くときには、光る表現になるのです。
入試で作文試験がある場合の対策ですが、この実例と表現をたくさんストックしておくことがいちばんの準備になります。
準備があれば、作文試験のような出来不出来が不安定になりがちなものも、コンスタントに自分の実力が発揮できるようになるのです。
」
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日常生活の中で、光る表現を作る練習をするのも楽しそうですね。
実例と光る表現をストックしておくと、安心して試験に臨めますね。
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国語の読解問題で選択肢がいくつかある場合、簡単な問題であれば、合っていそうなものを選べば○になります。
しかし、そうすると、普通に日本語の文章を読み取れる生徒だと、みんなが○になってしまいます。
本当はそれでいいのですが、受験で選抜するテストの場合は、みんなが○になったらテストになりません。
そこで、読解問題を難しくするために、選択問題の出し方を工夫します。
それが、「合っているものを選ぶのではなく、合っていないものを選ばない」という問題の出し方です。
これは、その問題を出す学校がどの程度の難しい問題を出すかという傾向によってもかなり変わってきます。
難しい問題だと思って深読みすると、実は易しい問題だったので、深読みしすぎて×になるということもあります。
だから、志望校の過去問は、あらかじめやっておかないと作戦が立てられないのです。
しかし、全体に、「合っていないものを選ばない」という発想で問題を見ると、選択問題は正解率が高くなります。理詰めで読むことができる人は、どういうテストでも読解問題は満点近く取れるようになります。
この選択の仕方は、一般に消去法を呼ばれています。
合っていないものを消していって、残ったものが合っていることにするという選び方だからです。
現在、中学生対象のオンエア講座では、この消去法の演習をしています。
答えが合っているかどうかというのは、二の次で、自分が合っていないと思って消去した選択肢が、なぜ合っていないかを言うのです。
これを単なる勘で答えたのでは勉強になりません。理屈が通るように、「この選択肢の文のここのところがこういう点で合っていない」と言うのだから大変です。
これは、考える勉強とともに、語彙力の勉強にもなります。
昔、ワインの話が題材になっている漫画で、ワイン通の人が、ワインを飲みながら、「フランスの田園の暖かな春の日差しの味わいがする」とか何とか言っているのを見ましたが、ヨーロッパでは、そのように言葉にしにくい感覚を言葉にして表そうとする伝統があるようです。
日本の文化は、言挙げをしない文化なので、そういうことを言葉であれこれ言おうとする人は、どちらかと言えば敬遠されます。
昔、「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありましたが、何も言わずに不言実行というのが好まれる文化があるのです。
しかし、消去法の場合は、理詰めで考えることが第一ですから、合っていない理由をちゃんと言葉で言わなければなりません。
この言葉にしにくいことを言葉にしようとすることが、ある意味で思考力を育てていることになるのでず。
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読解問題の解き方には、コツがあります。それは、合っているものを選ぶのではなく、合っていないものを選ばないという選択の仕方です。
合っていないものを消していって、残ったものが合っているものにするのです。
このコツを知るだけで、国語の成績はかなり上がります。
また、そういう読み方をして読むと、文章を深く読み取る練習になります。
しかし、日本の社会は、言挙げをしない文化なので、合っていないものの合っていない理由をわざわざ言うという習慣があまりありません。
だから、多くの人が、国語は勘で解くものだと考えているのです。
過去問は早めに着手し、選択問題は、合っていないものを見つける練習をしていくとよさそうですね。
※国語の成績を上げたいとおっしゃる親御さんへ面談でのアドバイス。
覚え書きとして。
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