野口悠紀雄さんの勧める英語の勉強法は、教科書の音読でした。
中学生のころの教科書は、あまり面白い文章がなかったそうですが、高校生の教科書になると読み応えのある文章が増え、それを毎日楽しんで音読しているうちに英語が得意になったそうです。
そして、野口さんは、こんなに簡単な勉強法をなぜみんながしないのか不思議に思うと書いていました。(「超英語法」より)
勉強の基本は、英語に限らずこの「楽しんで続ける」ところにあります。
ところが、今の学校や塾の勉強は、知識を詰め込み、その詰め込み具合をテストするような形で行われていることが多いので、学力のある生徒にとっても学力のない生徒にとっても、熱中できるような面白い勉強とはなっていません。
子供たちが遊びに熱中するのは、遊びには、勉強にはない創造性と自由度と友達との交流があるからです。
それでは、勉強も遊びと同じように創造性を発揮できる自由度の高いものにして友達と交流する機会を作ればいいのではないかと思いました。
それが、今進めているオンライン少人数クラスの作文と学習です。
新しい仕組みの勉強なので、試行錯誤の期間がかなりありましたが、ここのところ大体の流れが固まってきました。
自主的な発表、発表の持ち時間制、保護者との懇談、生徒どうしの交流、そして学習内容は、答えのあるものよりも、自分で問題を作るような創造的なもの、ということで進めていこうと思っています。
この連休中にシステムを作り直して、連休明けから本格的に取り組んで行く予定です。
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勉強は、本来楽しいものだというのが私の持論です。
しかし、今の勉強は、つまらないものを、競争や褒美で面白く思わせようとしているところがあります。
何かの見返りがないと、面白いとは思えない勉強になっているのです。
これに対して、遊びは何の見返りも求めずに面白いものです。
そういう遊びのような勉強ができるようにしたいと思っています。
言葉の森が最初に作文教室を始めたときも、毎週のようにやり方を変えていました。
当初思っていたことが、実際にやってみると、意外と実態に合わないということが多かったからです。
海幸彦と山幸彦の昔話にもあるように、頭で考えている分には簡単に見えることでも、実際にやってみると、世の中にはそう簡単なことはないのです。
こういうのが三次元の世界なのだろうなあと思いました。
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不足の時代には、入れる勉強が必要でした。勉強とは、何かを吸収することでした。
しかし今は、いろいろなものを入れすぎて消化不良を起こしているのが現状です。
それが、忙しさの原因になっています。
入れる勉強には、テストが必要でした。
そして、テストのために、更に入れる勉強をしていました。
出す勉強には、テストのようなものは必要ありません。
出す本人が、自ずからわかるからです。
しかし、出す勉強には、一緒に学ぶ友達が必要です。
だから、出す勉強には、遊びのような雰囲気があります。
この遊びのような勉強が、本来の勉強の姿です。
友達との遊びのために、子供たちは一生懸命準備をします。
それは、テストのために一生懸命一夜漬けをするよりも楽しいことだと思います。
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これまでの勉強は、知識をいかにたくさん吸収しているかで評価されていました。
しかし、そういう評価が、あまり役に立たないことがわかってきたのです。
むしろ大事なのは、何を作り出せるかということです。
しかし、作り出したものの評価には、手間も時間もかかります。
だから、今は、ちょうど教育の踊り場のところにいるのです。
自分自身の小中学校時代をふりかえり、なぜ学校が退屈だったのかを考えると、それが授業を聞くだけの勉強だったからです。
先生の授業は、youtubeのように早送りでは見られなかったからです。
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ちょうど天外伺朗さんの本が届いたので、今日は午後、その本を読んでいました。
天外さんの言う「世界は分離から統合へと向かっている」ということは、私もうすうす感じていました。
教育についても、これまでの主流は分離の教育でした。
社会に出たあとに特に役立つわけでもない煩瑣な知識をなぜ詰め込むのかというと、それは子供のためというよりも、むしろ評価のためでした。
なぜ評価が必要なのかというと、評価による差をつけて、限られた資源を傾斜配分する必要があったからです。
その限られた資源とは、いい教材、いい先生、いい教育環境という資源です。
しかし、インターネットによる情報のオープン化によって、それらの資源は既にありあまるものになりつつあります。
これまでの教育は、いかによいものを吸収するかということでした。
しかし、吸収が誰にとっても制約でなくなった時代において、大事なことは吸収よりもむしろ創造になります。
では、創造を伸ばすために必要なものは何かと言えば、それは、自由な精神を持った友達と、自由な創造を許容する空間なのです。
教育において、最も価値あるものは、いい教材でも、いい先生でも、いい学校でもなく、いい友達集団と過ごした長い時間ということになっていくのだと思います。
そういう観点で、今の少人数オンラインクラスを運営していきたいと思っています。
そして、その子たちが成長して大きくなったあとも、ときどき那須の合宿所で同窓会をするのです(笑)。
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子供の教育を考えるには、これからの世の中がどういう世の中になるかを考える必要があります。
これからの世の中は、今よりももっとよい世の中になります。
そのよい見通しを前提に、よりよい世の中で生きる子供を育てて行く必要があるのです。
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ウサギとカメの話ですが、日本人はこの倦(う)まず弛(たゆ)まず努力するという姿勢を文化的に身につけているようです。
「転石苔を生ぜず」という言葉は、日本と欧米では正反対の意味でとらえられています。
ところが、今の社会は、情報も豊富でさまざまなツールやソフトも豊富なので、子供たちがつい目移りして次から次へといろいろなことに手をつけるという状態になってきました。
勉強の基本は1冊の参考書を5回読むことですが、多くの子は、それよりも5冊の参考書を1回だけ読むことを好みます。
時には、読みかけのものを更に何冊も読むということもあります。
子供がまだ親の言うことを聞く小学校低学年のころから、この1冊を5回という勉強の姿勢を習慣にしておくと、あとでその姿勢が必ず役に立ってきます。
この継続には、一緒に勉強を続ける友達というのも大事です。
言葉の森が、作文のオンライン少人数クラスを始めたのは、退屈になりがちな勉強を友達どうしの交流で活性化していこうと考えたからです。
▽関連記事
「長く続けられる習い事で「GRIT(やりぬく力)」を育てる」
https://www.mori7.com/index.php?e=2825
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「やり抜く力 GRIT(グリット)」という本に、成果をもたらすものは、才能ではなく、「やりぬく力」だと書かれています。
これは、実証的な調査研究なので、説得力があります。
日本には、「石の上にも三年」という言葉があります。
結果が見えないようなものについても、やり続けていると、そこから自ずから開けてくるものがあるということです。
こういう人生観は、その人の生活すべてにわたっていると思います。
これまで見てきた子供たちについても、やりぬく力のある子は、そのときは特に優れているように見えなくても、長い年月の間に必ず力をつけ、最初から才能があるように見えた子を追い越していきます。
このように考えると、子供に何か習い事をさせるときも、長く続けられるものを選ぶことがいいのだと思います。
小1から始めて高3まで続けられるようなものがあれば、それを中心にして子育てをしていくのです。
ただし、それは子供が好きなものであることが前提になります。
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世の中には、画期的ないい方法というものは滅多にあるものではありません。
勉強でも、仕事でも、長く続けることがいちばんいい方法です。
そして、その時間をかけたものが、その人の個性になっていくのです。
情報機器が発達した便利な世の中では、時間をかけずに済ませることのできるものが増えてきました。
しかし、だからこそ何に時間をかけるかということが大事になってきます。
子供の勉強も、能率よく全部やろうとするのではなく、大事なものに絞って時間をかけていく方が結局は本当の実力がつくのです。
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少人数クラスやオンライン学習用の分科会場を作りました。
Zoomの会場なので、zooにかけて動物広場としました。
https://www.mori7.net/teraon/zoo.php
これは、オンラインで何人かのグループ勉強している生徒が、そのグループからいったん出て個別に話をしたいときなどに使います。
動物広場の会場に入るときは、名簿に生徒コードを入れてもらいますので、どの会場が利用されているかわかります。
ですから、まだ使われていない会場を使うことができます。
こういうZoom会場を多数作れば(100か所ぐらい)、生徒と先生の話も、電話やskypeを使わずに分科会場に移動して行うことができるようになります。
この分科会場/動物広場は自由に使って結構ですので、ご興味をお持ちの方は試しに入ってみてください。
その際、ほかの人とぶつからないように、生徒コードのある人はできるだけ生徒コードを入れておいてください。(ぶつかっても別にかまわないと思いますが)
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生徒のペースで、分科会を自由に利用できるように分科会場を作りました。
これで、先生とのオンラインの授業が終わったあとも、生徒どうしで集まって勉強の話の続きをすることができます。
だんだん部活のノリになってきました(笑)。
今後、この分科会場を100か所ぐらい作る予定です。
将来は、言葉の森の全講師がその分科会場で授業をするようになると思います。
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