言葉の森の通学教室のある港南台で、ミニチュア・シュナウザーのユメ(メス1歳)という犬を飼っています。生徒が900字の暗唱ができたとき、その賞状を渡すために、ユメが賞状を運んできます。と言いたいところですが、まだあまりうまくいっていません。賞状の入れ物をそのまま別のところに持っていって、中に入っているお菓子を食べようとするからです。▼・ェ・▼/
ユメはいたずら好きで、普段も、やんちゃな顔をしてスリッパをくわえて、「あそぼうよ」という雰囲気で人を呼びます。
このユメを見ていて、ふと、犬のような肉食獣がいたから、生物はここまで進化してきたのではないかと思いました。もし、地球が、草食動物のウサギやシカばかりであったら、争いのない平和な星にはなりますが、生き物は今のようには進化していなかったでしょう。犬のような肉食の動物がいたからこそ、外の世界に働きかけるという生物の積極性が出てきたのです。
手塚治虫は、「ジャングル大帝レオ」の中で、肉食をやめて平和を志向するライオンを描きました。これは手塚治虫のヒューマニズムでしたが、もしアフリカにいるライオンなどの肉食動物が最初からみんな草食であったら、アフリカの草原は、コアラのような動物ばかりで占められていたでしょう。 ▽(・o・)▽
日本人の多くは、相手の善意を信じる国民性を持っています。しかし、世界の標準は性悪説です。そういう性悪説の人々によって人間の社会は進化してきました。
アダム・スミスは、個人の利益が全体の利益に通じるという神の手の世界を発見しました。ドーキンスは、愛や自己犠牲の中にも、実は利己的な遺伝子の意図が働いているという説を提唱しました。これらの西欧的な世界観は、日本人には違和感を感じるものです。
しかし、現実は、エゴイズムに基づいた性悪説が、現代の社会の根底に流れています。
人類は、たぶんこれからもっと進化して、今の社会を克服していくでしょう。しかし、ミネルバのフクロウという認識は、現実の世界が夕暮れになってからでなければ飛び立ちません。今、大事なことは、性悪説の理論に対して性善説の理論を対置させようとすることではなく、性善説が成り立つような社会を作っていくことだと思います。
さて、では、肉食獣や性悪説が果たしてきた役割は、どのように考えられるのでしょうか。
肉食やエゴイズムを否定するのではなく、もちろんそのまま肯定するのでもなく、それらを歴史的な役割として評価していくことが大切です。
生物も人間も、肉食や争いを通して進化してきました。しかし、それは、肉食や争いが生き物の本質であったり、それらが生き物の目的であったりするのではありません。より大きな目的を実現するための自分たちが向上する手段として、そのような否定的な契機が必要であったということなのです。
このことを教育にあてはめてみると、次のようなことが言えます。人間の本質として大事なことはあるが、その本質とは往々にして異なる形で、子供の成長にとって必要なことがある、ということです。
その代表的なものは、一つは強制であり、もう一つは無駄ではないかと思います。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。教育論文化論(255)
ここ1、2日、ホームページの記事が滞っていました。
7月からの新学期の教材発送をするために、2日間ほど、課題の手直しなどで時間がとれなかったためです。
そこで、今日は、その教材印刷の話を。
言葉の森の教材の作り方には、特徴があります。
一つは、教材をすべてHTMLで作っていることです。これは、クラウドな環境を意識したもので、全世界どこからでも、リアルタイムで生徒の使っている教材とまったく同じものが見られるようになっています。したがって、PDFのようなリアルタイム性のないものは使っていません。
しかし、HTMLは仕様がアバウトなので、ブラウザによって印刷画面がかなり違います。
いちばん困るのは日本語の縦書き表示のできないブラウザがあることで、マックのサファリ、ファイアーフォックス、オペラ、グーグルクロムなどは今でもだめですが、今後も改善される見通しはありません。日本人の参加の度合いが少ないのだと思います。
いちばんいいのは、日本人が日本語のブラウザを開発することですが、それがまだできない現在では当面、マイクロソフトのインターネットエクスプローラが基準のブラウザになります。IE8であれば、縦書き表示に対応しているので、世界中どこからでも、言葉の森の教材が印刷できます。
もう一つの特徴は、この教材を生徒別にプリンタで出力して教材を作っていることです。生徒の学年と進度によって課題の組み合わせが微妙に違うので、人間の手作業は行わず、すべてデータベースでコントロールしています。
1人約30ページの教材を、個人ごとにプリンタで出力してそれを製本するようにしています。全生徒の分約3万ページを京セラのプリンタでがんがん印刷します。
今回は、3台半のプリンタで、15日の午後1時から印刷を始め、夕方の8時ごろまで印刷しました。その後、いったん休憩して、翌朝午前1時ごろから印刷再開。途中でプリンタの予備のトナーがなくなるなどのハプニングがあったために、最終的に全部の印刷が完了したのは、朝の9時ごろでした。
3台半のプリンタが、のべ16時間フル回転なので、印刷しているところはまるで熱帯のジャングルのようでした。(エアコンを入れていなかったので^^;)
16日の午前10時ごろから、教材の封入を開始して、ようやくその日の午後2時ごろに、ヤマトによるメール便の発送に間に合いました。
生徒のみなさんの手元には、早ければ17日に、7月からの教材が届くと思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。生徒父母向け記事(61) 言葉の森の特徴(83)
現在、7月からの新学期の教材を作っています。7月からは、暗唱用の長文を毎週の課題の長文にも拡大します。具体的には、毎週の課題の長文に100字ごとの区切りを入れています。
これまでのような形で暗唱用の3つの長文を選択してもいいですし、課題の長文12週分の中から選択してもかまいません。
ただし、課題の長文は、説明文の文章が多いため、暗唱が難しくなると思います。
そこで、暗唱のコツを再度説明します。
暗唱は、覚えることを目的としません。繰り返し音読する結果として覚えることになるということです。
第一のコツは、暗唱用紙を使うことです。このやり方が、いちばんわかりやすいと思います。暗唱用紙を横に1回ずつ山折りするときに縦に谷折リをしておくと、形が固定するので、回数を数えやすくなります。
第二に読み方です。100字の暗唱は、ほぼノンストップで、句読点であまり区切らずに、早口で一息に、自分の耳に聞こえるぐらいの声を出して読みます。しかし、最初の数回はゆっくり読んでもいいので、できるだけ一文字も間違えないように読みます。最初に読み間違えると、その間違いが定着してしまうからです。
第三は、100字と次の100字の間のつなぎです。100字の文章は一息に歌のように読めるので、途中で詰まることはありませんが、次の100字の文章に移るときの出だしが思いつきにくいのです。事実文であれば、自然にストーリーがつながりますが、説明文はストーリーにはなりません。そこで、出だしの言葉をイメージ記憶で覚えて、自分でストーリー化します。このときに、ダジャレの感覚が必要になります。
以上のようなやり方ですっかり暗唱できるようになったら、早口ではなく普通の読み方で、イメージも使わずに読んでいくようにします。
1日10分の暗唱で、頭脳が活性化します。頭のラジオ体操のようなつもりでやっていくといいと思います。
よく、「数回で覚えてしまうので、そうしたら、もうそれ以上読まなくていいですか」という質問があります。
このように、覚えることが目的のようになってしまうと、文章が難しくなって覚えにくくなったときに、逆に暗唱ができなくなってしまいます。
この場合は、次のいずれかの方法で対応していってください。
(1)覚えられたかどうかに関わらず、決めた回数だけ読むようにする。
(2)当面は覚えたらよいとするが、文章が難しくなって覚えられなくなったときは、回数を決めた読み方に戻る。
(3)回数を少なくして決めなおす。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。暗唱(121) 生徒父母向け記事(61)