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12月の森リン大賞(小6・中1の部) as/1135.html
森川林 2011/01/22 13:07 
 12月の清書をもとにした森リン大賞です。
 手書きの清書だけの生徒は、この森リン大賞のランキングの中に入っていませんが、「清書の谷」の方には掲載されています。





12月の森リン大賞(小6の部131人中)

夢中になれば無敵である
ミス・バニー

 人が生まれながらに持っている能力は、その人の経験と、努力で、ある程度変えることができる。また、自分が生まれながらに持っている資質というものは、うっかりして気がつかないことが多い。この資質はその人だけの泉である。そして、魚が喰らいつけば、じっくり引けばいいのだ。一歩辛抱強く、青春の目標に向かって進めばいいのだ。どんなにむちゃくちゃな夢でも、ビックスケールに描けばいいのだ。若い私たちには、無限の可能性があるのだから。

 私が夢中になる場合は、三つある。本を読んでいる時と、次に進む喜びを知った時、好きなことをしている時だ。その中で、私は五年生の時にバスケットボールに夢中になった。それは、ちょうど,K小との練習試合が迫っていた時だった。K小は、バスケットボール部があるくらいで、その手に関してはとても強い。勝てるわけも無いのに、私たちチームメイトは、休み時間をつぶして、全力投球したのだった。毎日毎日くたくたになるまで練習できたのは、K小に勝つという目標があったからだった。結果は、あと一分あれば同点というところで負けてしまった。しかし、練習をしなければ、ぼろぼろに負けていただろう。目標があったから、練習できた。練習したから、あと少しで勝利に手が届くところまでいった。こう思うと、夢を描くことは大切だと思う。ただ頑張るのではなく、具体的に目標を立てたならば、どれだけの夢をかなえる人が増えるのだろうか。夢のかなえ方①は、まずヴィジョンを描くことではないだろうか。

 私が毎日夢中になっているものは、本だ。この時代は本を読む子が少ないというが、私は本を読まない子が信じられない。その子はまだ面白い本に出会っていないのだろうが、他の、楽しく面白いゲームという遊びぐらいしか知らないのだろう。本は自由である。どんな時にも、どんな人にも夢見ることができる無限の世界が中に詰まっているのである。これが、私が毎日本に夢中になっている理由の一つだ。

 人間にとって何かに夢中になるということは、その分野においては、大きく成長できるチャンスではないだろうか。しかし、片よりすぎてもならない。どんなことにも、面白いと思えてくる節はあるのだろうから、夢中になることが無い人は、まず知ってみてはいかがだろうか。好きこそ物の上手なれ。勉強を知ってそれが楽しいと思えるようになれば、それはもう苦しいものではなく、いつの間にか遊びに変化しているのではないだろうか。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1大切な「つとめる」、不必要な「しいる」ブレイド86122557748687
2夢中になれば無敵であるミス・バニー82101959647381
3おいしいおにぎり さめてもGOOD!さきぽん8194154647781
4あきらめずにやり通すちはや80116547748587
5野菜いため入りちくわの卵&チーズ巻きかねめ8098444638187
6大人になるともじろう80102443668180
7勉強@たのしい?コレルリ80108249617986
8あの日の時間に戻りたい!元親791278536811087
9朝寝坊かふた791153476410183
10夢中という喜びはるりん79105744718680



12月の森リン大賞(中1の部88人中)

社会情勢が進むにつれて
あまぐり

 語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化を来すことがある。漢語の場合には、それに使われた漢字が忘れられると、意味用法の転ずるこよが少なくない。つまり、話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしないから、意味を支持するものがないためにとにかく変化しがちである。たとえば、「馳走」「遠慮」「結構」「世話」等の漢語は話言葉で使われているうちに原義とかなり違った意味用法になっている。語源のとおりでは社会情勢の変化に合わなくなるものが多い。そうかといって、一々言葉を言い換えるのも大変なことだろう。私は私は社会情勢に合わせて言葉をかえていくべきではないと思う。

 その理由は第一に、頻繁に言葉を変えると社会の中で混乱が起きるからだ。今の社会情勢だと語源のとおりで話すと意味が少し通じなかったりと多々、不便が生じる。だが、社会がどのようになったらこの言葉を変える。などの線引きが非常に難しい。更に、近代化が進む都会では言葉が変わったとしても田舎の人たちには伝わらない。今は高齢化社会とも言われている日本。高齢者はどんどん田舎のほうに移住する一方で都会では近代化が進む。それにつれて言葉の変化が生じてしまうと、都会と田舎の格差が生まれてきてしまうかもしれない。そして、都会から田舎に移住する人がいたとしても、そこで語源の違いと格差によるによる混乱を招く可能性があるからだ。

 その理由は第二に、日本の文化に慣れ親しんだ言葉には日本人ならではの感情を抱えているからだ。日本は他の国にはない方言という日本独自の文化を背景とした言葉がある。それは、昔からの語源が今も変わらずにあるからこそ成り立つ言葉である。ところが、その語源を社会情勢によって変えてしまうとその方言が崩れてしまうというように考えられる。つまり、その言葉の変化によって人々のコミュニケーション不足が生じ、日本という国の活気が失われてしまうかもしれないのだ。

 確かに、今の社会情勢に合わせて言葉を変化させ、近代化が進むことも必要だ。しかし、「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という名言があるように自分になじんでいる日本古来の言葉などを使ったほうがお互いに意味が通じ合うし実感が湧くのではないか。さらに、外来語の定着度における理解度のデータによると、一番多くて70%前後で一番低いと3%程度。どれも大体は低い。つまり、人間が新しい言葉や外来語を使う上でそのことばをあまり理解していないのだ。そして、新しい言葉ばかり発達してしまうと日本独自の文化や伝統などを後世に伝えることも厳しくなってくるかもしれない。つまり、言葉のちょっとした違いだけでいろいろな規則や習慣が変わってきてしまうのだ。そう考えると、言葉というのはあること自体に意味があり、人間が生きていく上で欠かすことが出来ないものなのだ。つまり、社会情勢が進むにつれて言葉というのは安易に変えるべきではないのであるのである。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1社会情勢が進むにつれてあまぐり89123073657699
2命の締め切りきぬこ88123459688490
3死の緊張感織田信之助87101968788190
4言葉ポセイドン86117559909584
5ことばは時代と共にことのは86133561738986
6期限の大切ささおりん86109663678083
7言葉の変化真理子さん85122158799590
8行列の良さチョコボ85104661848989
9生と死の意識しちみ85124461728884
10行列にもルールがあるピクシー85111753698195


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森リン(103) 

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笠地蔵の文化―知のパラダイム(その5) as/1134.html
森川林 2011/01/21 19:58 


 有の文化と無の文化を図式的に説明すると、次のように言うことができます。例えば、投げられた石は、質量、速度、方向などに分解されます。同じように、生きている人間も、内臓、筋肉、骨格、感情、意識などに分解されます。その分解をつきつめて最小単位にまで分解し、その最小単位を理解して、再度組み合わせれば全体がわかるというのが分析哲学の考えです。

 無の文化は、そうではありません。人間というものを考えるとき、日本には、「カゴに乗る人、かつぐ人、そのまたワラジを作る人」という言葉があります。自分は、自分以外の、つまり自分の無であるところの、カゴと、カゴをかつぐ人と、ワラジを作る人とによって初めて存在すると見るのです。

 日本にある「おかげさま」文化は、この無の文化のひとつの表れです。「おかげさまで」という言葉は、何か具体的な利益を受けたことに対して言うのではありません。そのような自分と他人という有の関係を前提にした「サンキュー」ではなく、自分以外のすべてのものが自分を支えてくれているはずだということを前提にした、見返りのない「おかげさま」です。

 有の文化は、「有るから有る」という考え方です。無の文化は、「無いものによって支えられているから有る」、つまり無とのつながりにおいて有が存在するという考え方です。



 さて、今なお世界は、デカルト哲学の有の文化の延長で運営されています。そして、日本には、世界のほとんどの国々で消滅した無の文化が、今も日常生活の中で生きています。しかし、有の文化と無の文化が直接対峙すると、有の文化は一方的に収奪する側に回り、無の文化はやはり一方的に収奪される側に回ります。

 日本の昔話に「笠地蔵」があります。里まで笠を売りにいったおじいさんは、ひとつも売れなかった笠を持って家路につきます。途中で、雪に降られている地蔵たちを見ます。おじいさんは、自分の持っていた笠を地蔵にかぶせますが、最後の一体の地蔵にはもうかぶせてあげる笠がありません。そこで、おじいさんは、自分のかぶっていた手ぬぐいを地蔵にかぶせて家に帰るのです。こういう昔話を聞いて育った子供は、笠地蔵の文化を身につけます。それは、ギブ&テイクの文化とは次元の異なる思いやりの文化です。

 しかし、そこへハゲタカが飛んできます(笑)。ハゲタカは、自分の利益を第一に考えていますから、笠も地蔵もおじいさんも、自分の外側にある単なる対象です。もし、おじいさんが里から帰る道に、雪に降られたハゲタカがいたら、おじいさんはそのハゲタカにも笠をかぶせてあげたでしょう。しかし、そのハゲタカは、ほかの地蔵たちの笠も奪いに行くかもしれないのです。

 笠地蔵とハゲタカでは、勝負の次元が違います。笠地蔵は一方的に奪われ、ハゲタカは一方的に奪います。では、笠地蔵が収奪されつづけ、世界がハゲタカだけになることが世界の平和かというとそうではありません。また、笠地蔵が立ち上がって自らもハゲタカになり、元のハゲタカを駆逐することが世界の平和になるかというとこれもそうではありません。

 今必要なのは、日本の無の文化のパラダイムで、欧米の有の文化のパラダイムを包み込む工夫なのです。(つづく)

 話が更に大きくなった(笑)。

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知のパラダイム(15) 

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小1から始める作文の勉強が学力を育てる as/1133.html
森川林 2011/01/21 12:03 


 言葉の森では、幼稚園年長や小学校1年生から作文の勉強を始めることができます。しかし、幼稚園のころは、家庭で楽しくお父さんやお母さんと話をしているだけでも十分です。年齢的に無理なく始められるのは、ちょうど幼稚園から小学校に上がるころです。

 しかし、これから小学校1年生になる子は、文字がやっと書けるぐらいです。書けても、「く」の字が左右逆になっているようなこともよくあります(笑)。また、読むことにもまだあまり慣れていないので、声を出して読むことによって自分の耳で聞いて初めて理解するような読み方です。

 ですから、作文を書いても、最初に書けるのは2、3行です。また、書き方を先生や親が説明しても、一度で理解することはほとんどありません。会話をカギカッコで書いて行を変えるというようなことも、何度言ってもできないというのが普通です。しかし、それを無理にできるようにさせる必要はありません。

 では、そういう勉強で何が身につくのでしょうか。2、3行しか書けない作文を書いているぐらいなら、国語の問題集を解いたり、漢字の書き取りをさせたりする方がいいのではないでしょうか。ところが、そうではないのです。逆に、問題を解いたり、漢字の書き取りをしたりという勉強的なことをすると、かえって国語の力がつかないことも多いのです。

 それはなぜかというと、勉強というものを生活から分けて考え、勉強が済んだからあとは遊んでいいということで、テレビを見たりゲームをしたりしてしまう生活になりやすいからです。国語の力は、国語の勉強の中でつくのではなく、国語的な生活の中でつくのです。

 低学年からの勉強で、もっと問題なのは、勉強のときだけは親と子の接触があるが、勉強が終わると親は親の生活に、子供は子供の生活に分かれてしまい、親子の対話が少なくなってしまうことです。子供の国語力は、日常生活における親子の対話の中で育ちます。親子の対話が少ないのに、国語の勉強だけをしても、言葉の力は発達しません。

 子供が子供どうしで遊ぶというのはよいことですが、そこで楽しく遊んでいるときに交わす会話は、子供どうしのきわめて限られた語彙で通じるような内容です。語彙力のある子と語彙力のない子が一緒に楽しく遊ぶためには、その遊び仲間のいちばん語彙力の少ない子に合わせた会話をしなければなりません。小さい子供は、親との対話がなければ語彙の力を豊かに育てることができないのです。

 しかし、テレビやCDやDVDのような機械による音声で日本語に接するというのは、もっと大きな弊害があります。機械による学習は、子供の感情を破壊する面を持っています。特に、CDやDVDで聞かせる音声が、日本語でなく外国語であるような場合は、感情だけでなく知力の発達も抑制するようになります。

 しかし、もしこれまでそういう生活をしてきた場合でも、今からやり直せば間に合います。そのやり直しの基本は、親子で対話をする機会を増やすことです。そして、更に、本を読む時間を確保していくことです。

 ここで、言葉の森の作文の勉強を生かすことができます。言葉の森の勉強は、毎週1回作文を書く勉強ですが、そこに毎日の生活の中での読む学習、親子で対話をする学習を結びつけることができます。それが、長文の音読と暗唱、読書、作文を書く前の対話、作文を書いたあとの対話、子供の音読や暗唱をもとにした対話という学習です。

 毎日の生活の中で、日本語を読む機会、聞く機会、話す機会を増やし、しかも、その内容を意識的にレベルの高いものにしていくというのが、国語力を育てる最も優れた方法なのです。

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国語力読解力(155) 言葉の森の特徴(83) 

記事 1132番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2026/2/5
問題集読書で力のつく子つかない子 as/1132.html
森川林 2011/01/20 21:03 


 言葉の森では、小学校高学年以上になると、問題集読書の自習を選択することができます。問題集は、小学5・6年生が中学入試用、中学生が高校入試用、高校生が大学入試用のものです。いずれも、昨年度のものを使います。市販の問題集のように何年も前の文章が載っているようなものだと、物語文はまだいいのですが、説明文では時代後れになってしまうことがあるからです。

 この問題集読書は、毎日4、5ページずつ読んでいき、1回読み終えたらまた最初から同じように読み、全体を1年間を通して4、5回繰り返すという読み方をします。ただ読むだけでは、つまらないので、自分らしい記録ができるように、読んだ文章をもとに四行詩を書くという形にしています。

 ところが、ここで、四行詩だけはしっかり書いてくるが、文章を読むよりも書くことが勉強の中心になってしまうような子も出てきます。

 小学校5、6年生から中学生にかけては、勉強の意義がいちばんあいまいになる時期です。小学校低中学年では、親や先生が言ったことを忠実にやるので、問題はありません。高校生になると、今度は自分で自覚的に勉強をするようになるので、これも問題はありません。しかし、小学校高学年から中学生にかけては、勉強の自覚がないのに要領だけはよくなるという時期で(笑)、勉強が中身のない外見だけのものになりやすいのです。

 問題集読書で大事なのは、文章を読むことです。その副産物として四行詩があるのですが、中学生のころは、四行詩という形が残ることを優先して、肝心の文章を読むことを二の次にしてしまう人も多いのです。

 問題集を読むときは、印象に残ったところに線を引きながら読んでいきます。物語文では、あまり線を引くようなところはありませんが、説明文では、線を引いておきたいところはかなりあるのが普通です。問題集読書が内実のあるやり方で行われているかどうかは、問題集の問題文にどれだけ線が引いてあるかということを見ればわかります。問題集読書を家庭でチェックする場合は、問題文にしっかり線が引いてあるかどうかということを見ていくといいと思います。

 問題集読書で力のつく子は、毎日線を引きながら読んでいる子です。毎日といっても、読むのにかかる時間は1日10分程度です。力のつかない子は、毎日ではなく時々まとめて読むような読み方だったり、線を引かずに読んでいたり、読むことよりも四行詩を書くことを中心にしている子です。

 国語力をつける基本は、まず毎日読むこと、そしてできれば難しい文章を読むこと、という基本を忘れずに勉強をしていってください。

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国語力読解力(155) 

記事 1131番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2026/2/5
中学入試、高校入試の志望理由書の書き方 as/1131.html
森川林 2011/01/20 11:31 


 書き方の大事なポイントは、3つあります。
(1)字数を調整しやすくするために、パソコンで下書きをすること
(2)裏付けとなる数字や固有名詞のデータを入れること
(3)子供本人に任せずに必ず親が見てあげること

 志望理由書の書き方ということで、書店にはいろいろな本が出ています。書く内容は、それらを参考にしていただくことにして、ここでは、それらの本にはあまり書いていないことを説明したいと思います。

 第一は、子供任せにしないことです。志望理由書は本人が書くという建前になっていますが、小6や中3の子供に任せて、いいものが書けるはずはありません。と書くと言いすぎですが、ここはやはり親が全面的に協力して内容を煮詰めていくことです。

 第二は、明るい内容、面接で話題にしてほしい内容に絞ることです。明るさというのは、志望理由書以外に、作文の試験の場合も重要です。文章がうまければよいというのではなく、自分の好ましい人柄がにじみ出るように書いていくことが大事です。

 第三は、勉強の話を中心にしていくことです。学校は勉強をするところです。それなのに、部活や友達や趣味の希望をたっぷり書いてしまう人がいます。学校で青春を楽しみたいという気持ちはわかりますが(笑)、勉強をしにいくのだという原点を大事にしておかなければなりません。その学校に入ったら、どんな勉強を何のためにどういうふうにやっていきたいかということを書いていくことです。

 第四は、書くスタイルです。よく直接鉛筆で書いて、手書きの原稿を推敲している人がいますが、それでは十分な推敲はできません。まず最初に、自分が普通に書くぐらいの字の大きさで、読み手にとって見にくない程度の文字で2、3行手書きで書いてみます。そして、1行の平均的な字数を数えます。そのあと、その字数と行数に合わせてパソコンで下書きを書いていきます。パソコン上で推敲を十分に行ってから、最後は手書きで清書をするようにします。

 第五は、書いたものは、必ず書いた本人以外の他人に見てもらうということです。本人がアピールしたいと思っていることと、相手に実際にアピールすることとは違います。どういう内容がアピールするかというと、ひとつは挑戦したことがわかる話、もうひとつは継続したことがわかる話で、これらに客観的な裏づけのあるデータを入れて書きます。客観的なデータとは数字や固有名詞のことで、例えば、「○年間、○○の委員長を務め、○○という工夫をして、○○パーセントの成果を上げた」というような書き方です。

 志望理由という言葉から、自分の希望を中心に書いてしまいがちですが、未来の話はだれも同じようなものになりがちです。自分らしい過去の実績を盛り込みながら書いていくことが大事なのです。

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受験作文小論文(89) 

記事 1130番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2026/2/5
本物の国語の力をつける言葉の森の勉強 as/1130.html
森川林 2011/01/19 16:52 



 言葉の森では、毎週1回の作文の勉強以外に、毎日家庭で取り組む自習の課題があります。

 その自習は、問題を解くようなものではなく、同じ文章を繰り返し読むという自習です。この同じ文章を繰り返し読むということが、国語力の最も確実な土台となっています。

 その一つは、暗唱用長文です(ただし、本人の希望により、自習として取り組むかどうかを選択できます)。暗唱の勉強というと、文章を覚える勉強と考える人がいますが、そうではありません。覚える勉強ではなく、何度も繰り返して声を出して読んでいるうちに、結果として覚えてしまうという勉強です。

 この暗唱の方法は、言葉の森が独自に開発した暗唱用紙を使って行います。仕組みはきわめて簡単で、100字の文章を30回読んで覚えることを基本に、1ヶ月で約1000字の文章を暗唱できるようにするという方法です。

 最初は、どの子も、そんなことは難しくてできないと思うようです。しかし、実際にやってみると、わずか10分でほとんどの子が、100字の文章をすらすら暗唱できるようになります。あとは、手順を追って毎日10分の自習を続けていけば、1ヶ月でだれでも簡単に1000字の文章が暗唱できるようになります。

 この暗唱によって、どのような効果があるのでしょうか。読む力と書く力と理解する力がつくのです。もちろん長い文章を覚える力もつきます。暗唱の練習をした子は、中学生や高校生になって英文や古典の文章を覚える必要が出てきたときも、暗唱の仕組みを知っていますから気楽に取り組むことができます。しかし、暗唱の本当の目的は、記憶力ではなく、理解力をつけることにあります。

 どうして暗唱によって理解力がつくのでしょうか。それは、長い文章を丸ごと自分のものにすることによって、その文章の中にあるさまざまな因果関係も丸ごと自分のものとして消化できるようになるからです。理解力は、初歩的な段階では文を理解することですが、高度な理解力になると、文の理解ではなく、文章の中に盛り込まれた考え方の理解になります。この考え方の理解が、理解力の本質で、それがすべての学力の土台となるのです。

 毎日の自習として、小学校高学年や中学生、高校生の生徒が行っているものは問題集読書と四行詩です(ただし、本人の希望により、自習として取り組むかどうかを選択できます)。これも、言葉の森の独自の勉強法で、入試問題集を読書がわりに読むことで、難しい説明文を読む力をつけていくものです。(つづく)

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記事 1129番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2026/2/5
新たな知のパラダイム(その4) as/1129.html
森川林 2011/01/19 10:34 


 デカルトの分析哲学は、個の哲学であり、有の哲学でした。それは、物が個として有るというところから出発していました。

 例えば、石を投げたとすると、その石は物として有り、その物を分析すると、質量と速度と方向に分けることができるとします。有る物を分析して、分析しきれなくなるまで分けていったところに、抽象的概念や定理があります。抽象的概念はデジタル的なものなので、数値として取り扱うことができます。こうして、ニュートンの物理学をはじめとする科学の世界は、分析哲学の土台となったのです。

 この科学は、物理学にとどまらず、社会科学や、政治、経済、産業にも発展していきました。ルソーの社会契約論、産業革命、進化論、植民地主義などは、もとをたどればこの「有の哲学」にもとづいて生まれてきたものです。

 ヨーロッパ諸国が植民地を拡大したとき、ヨーロッパ以外の地域では、その「有の哲学」に対抗できる知的枠組みを持っていませんでした。そのため、植民地主義はきわめて短期間に世界中に広がりました。

 有色人種の国の中で、ただひとつ日本だけは、かろうじて和魂洋才として「有の哲学」を自分の文化の中に移植しました。それまでおだやかに全く別の知的文化的枠組みで暮らしていた日本は、欧米の野蛮な植民地主義に対抗するために、自らも野蛮なヨーロッパ文化の仲間入りをせざるをえなかったのです。

 しかし、日本はもともと野蛮には向いていませんでした。和魂洋才の才の部分はヨーロッパの科学技術として消化吸収することができましたが、魂の部分は日本の文化に取り込むことができませんでした。それは、自分と相手を対立するものと見て、相手を単なる対象物として扱う文化です。

 例えば、奴隷の文化や、肉食の文化や、策略の文化は、日本人にはなじまないものでした。肉食は、その後、明治政府の政策によって広がりましたが、日本人の多くは、今も食用のために動物を殺すことに抵抗を持っています。また、ペット犬などでも耳を切ったり尻尾を切ったりする文化は、もともと日本犬にはありませんでした。それは、日本が「有の文化」とは対極にある自他同一視の共感の文化、思いやりの文化を持っていたからです。それを「有の文化」と対比する意味で、「無の文化」と呼べる思います。

 有の文化を象徴する言葉が、デカルトの「我思う故に我あり」だとすると、無の文化を象徴する言葉は、鴨長明の方丈記にある「(人の世は)水の泡にぞ似たりける」です。これは、インドの空の哲学、中国の老子の無為の哲学と共通するアジアの世界観で、更には、アメリカインディアンや南米のインディオの世界観とも共通するものの見方でした。

 一本道で、デカルトが「我思う故に我あり」と言いながら歩いてくるところを、反対側から鴨長明が「水の泡にぞ似たりける」と言いながら歩いてきて、二人がぶつかりそうになったとき、先によけるのは長明の方でしょう(笑)。そして、その一本道に食べ物と棍棒があり、二人とも空腹であったとき、先に棍棒を手に取るのはデカルトの方だったでしょう(デカルトさんごめんね(^^ゞ)。これが、ヨーロッパが、世界中の有色人種を支配した構図だったのです。(つづく)

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記事 1128番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2026/2/5
国語力をつける作文 as/1128.html
森川林 2011/01/18 16:05 



 国語力は、あらゆる勉強の基礎です。英語を勉強するにも、数学を勉強するにも、最初にあるのは国語的な力です。そして、国語力の必要性は、最初にあるだけでなく、勉強が高度になるにつれてますます大きくなっていきます。

 例えば、大学入試の英語力は、かなりの部分が国語力です。なぜかというと、大学入試に出てくるような英語の問題文は、問題文自体に考えさせる内容を含んでいるからです。このため、国語的な読み取る力のある人は、それだけ問題文を容易に理解します。英語の問題は、難しくなればなるほど、英語で書かれた国語の問題という性格を持つようになっていくのです。

 また、数学の勉強を志す人に、大学の先生などがこぞって言うのは、国語力のある生徒に来てほしいということです。これは、日本だけの現象ではなく、実は世界的な話です。物理学者でありながらノーベル化学賞を受賞したアラン・ヒーガー氏は、大学生のときに自分の進路を決めかめて、当時の物理学の教官に、「物理学者になるには、どんな資質が必要なのですか」と聞いたそうです。教官の答えは、「英語(つまり国語)がよくできることだよ」だったそうです。理科系の勉強をするにも、一流になるためには国語力が欠かせないのです。

 しかし、この国語力は、どのようにしてつくのかということが実はわかっていません。多くの人は、塾に行けば国語の成績が上がると考えていますが、そのようなことはありません。塾は、英語や数学や理科や社会など、知識によって成績が上がる教科の勉強には向いていますが、国語のような考える力を必要とする教科の勉強には対応していません。ただ全教科カバーしていないと塾らしくないので、国語の授業もあるという程度なのです。

 これは、学校の勉強を考えてもわかります。英語や数学などの教科の勉強は、その教科書をしっかりマスターすればそれだけで成績を上げることができます。しかし、国語については、教科書を一冊マスターして果たして成績が上がるでしょうか。国語の成績のよい子も、悪い子も、みんな同じように国語の教科書を読んでいます。勉強の仕方に違いは何もないのに、成績だけが違うのです。

 このように、国語の勉強は、力をつけるあてのない勉強です。かといって、国語の勉強は、家庭でもやりようがありません。国語の勉強として普通考えることは、漢字の書き取りです。確かに、漢字の書き取りは時間をかけて勉強すればだれでも成績が上がります。しかし、それは漢字の成績が上がるだけで、読解力や記述力の成績が上がるわけではありません。国語の勉強としてもうひとつ考えつくことは、国語の問題集を解くことです。問題を解くという勉強は、一見勉強らしい雰囲気があります。しかし、問題集を解いて国語の成績が上がるということはありません。それぐらいなら、学校でも塾でも、みんな国語の成績が上がっているはずです。問題集を解いても成績が上がらないというのが、国語の勉強が、他の英語や数学の勉強と違うところなのです。

 では、国語の勉強はどのようにしたらいいのでしょうか。ここで、言葉の森の作文の勉強が生きてきます。(つづく)

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できた君の算数クラブ
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小学生、中学生、高校生の作文
小学1年生の作文(9) 小学2年生の作文(38) 小学3年生の作文(22) 小学4年生の作文(55)
小学5年生の作文(100) 小学6年生の作文(281) 中学1年生の作文(174) 中学2年生の作文(100)
中学3年生の作文(71) 高校1年生の作文(68) 高校2年生の作文(30) 高校3年生の作文(8)
手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小学1、2年生は作文を始める適齢期です
●小学3・4年生は、作文がいちばん伸びる時期です
●小5・小6から、作文は「考える作文」に変わります。

●高校入試につながる作文力を、中学生から
●入試小論文に対応した作文評価を提供する作文検定(高校向け)
●入試小論文に対応した作文評価を提供する作文検定(塾高校向け)

●学校のための日本語作文検定(学校向け)
●学年ごとの「書く力」が一目でわかる(学校向け)
●総合型選抜・小論文評価業務に関するご提案(大学向け)

●学習塾のための日本語作文検定(塾向け)
●「書ける」ことが塾の強みになる(塾向け)
● 小1からのオンライン作文で、「読む力・書く力・考える力」を一生ものにします(生徒向け)

全国初の本格的な日本語作文検定作文の客観的評価で、誰でも作文が好きになり実力がつく。特許取得の独自のアルゴリズムとAIによる対話型600字講評。(学校塾向け)
●担任制で対話のある、5人以内の少人数オンライン教育 言葉の森
●詰め込む学習から、創造する学習へ。小1から高3のオンライン少人数教育。

●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
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●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

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●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
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●コロナ休校対応 午前中クラス
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