今日は午後から子育て講座。
 今日のテーマは、家庭学習の進め方、家庭での対話の仕方、です。
 家庭学習で大事なことは、形の残らないものができるということです。
 学校や塾でやる勉強は、どうしても問題を解いて答え合わせをするような形の残るものが中心になります。
 しかし、本当に身につくのは、音読、読書、CD聴取、対話など形の残らないものです。
 形の残る勉強は、いつでもできますが、形の残らない勉強は、習慣がつくまでは決まった時間にやらないとなかなかできません。
 その方法は、朝ご飯前にするか、アラームをセットしておくかです。(このアラームのセットが意外と効果的)
 家庭学習の基本は、先取りよりも定着120%を目指すことです。
 勉強は、むしろ後取りぐらいでいいのです。(ただし、漢字の読みは先取り、英語の聴取は小4からの先取りで)
 授業で習ったことをしっかり定着させていれば、受験前の集中学習ですぐに受験に対応した学力がつきます。
 先取りでも、後取りでも、基本になるのは、できないところがなくなるまでやることです。(これが120%という意味です)
 しかし、プリントや問題集を次々にこなす学習では、できるところもできないところも同じように繰り返します。
 今の子供たちの勉強の多忙さは、ここから来ています。
 できるところは、もうやらずに、できないところだけ繰り返すという工夫ができるのが家庭学習です。
 そのためには、問題集は1冊に絞り、それを何度もやり直すことです。(参考書も1冊、CDも1枚。すべてシンプルに)
 これからの勉強の中心は、家庭での学習になります。
 しかし、今の家庭学習は、学校や塾でやっている勉強と同じことを家庭でやるようなものになっています。
 だから、親も多忙になり、子供も多忙になり、多忙なわりに実力もなかなかつかないのです。(T_T)
 子育て講座では、楽にできて実力のつく家庭学習の話をしていきたいと思います。
 もうひとつは、家庭での対話の仕方。
 ただのお喋りでも楽しいのですが、中身のある対話をするためには、それなりの準備が必要です。
 その準備のひとつは、子供が毎日長文の音読をしていて、その音読の話題をもとに話をすることです。
 すると、対話の話題そのものが高度になってきます。
 親の心構えとしては、子供と同じ水準で話すこと、親自身の体験をもとに話すことです。
 知識の量では、親の方が子供よりも圧倒的に多いので、知識を披露するような話では、子供は聞き役になってしまいます。
 親が自分の体験をもとに話せば、子供は聞き役から自分も話し役になろうとします。
 対話はディベートではありません。
 相手の意見と違うところを論じ合うのではなく、似た例を出し合うのが対話です。
 時に意見の違うところがあっても、その違いは保留にして、一致点だけを生かしていけばいいのです。
 対話の意義は、次のようなものです。
1、理解力、思考力が育つ
2、表現語彙が増える(作文と似ています)
3、似た例を聞くことで人生が豊かになる(読書と似ています)
4、家庭での対話の文化が育つ(対話で育った子が親になれば、もっと対話はしやすくなるでしょう)
5、音読の目標ができる(これはおまけ(笑))
 今日は、曇り空で涼しい風が吹いています。
 ときどき、夏の暑さを思い出して、あらためて季節は移りかわるのだなあと思う今日このごろ。
 四季があるっていいですね。
 それでは、今日も秋の静かないい一日をお過ごしください。
 (中根)
 
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 読書の量だけ多くても、国語の成績は上がらないという人がいます。
 しかし、ここに重要な勘違いがあります。
 確かに、読書の量を増やしても、国語の成績にはあまり大きな影響はありません。(短期的に言えばほとんど影響ありません)
 その理由は、(1)子供たちが読む本は、入試問題を解くのに必要とされる読解力よりも易しいのが普通で、(2)また、読書が読解力に反映するまでには、思っている以上に時間がかかるからです。
 しかし、大事なことは、読書は国語の成績を上げるためにするものかということです。
 その子の人生という大きな視野で見た場合、国語の成績を上げることと、読書によって何かを得ることと、どちらが豊かな実りをもたらすでしょうか。
 国語の成績とは、人為的に作られた重箱のようなものです。
 読書とは、自然に広がる大きな海や山のようなものです。
 だから、国語の成績を上げるコツは、すぐに教えることができるのです。
 しかし、そんな重箱の隅をつつくテクニックに習熟するよりも、広い海や山で遊んだ方が楽しいから、本好きな子は読書をするのです。
 国語の成績を上げることと読書をすることは、十分に両立します。
 それは、自分の好きな面白い本を読みながら、その一方でもっと難しい文章を繰り返し音読したり暗唱したりすることによってです。
 その結果は、作文に現れてきます。
 国語の成績は、目的ではなく結果です。
 国語の得意な子は、国語の勉強などをとりたててしていない子です。
 読書をしても国語の成績は上がらないという言葉を真に受けて(笑)、読書をやめてしまうことのないようにね。
 ということで、facebookグループ「読書の好きな子になる庭」。
http://www.facebook.com/groups/118437524908264/
 前回の関連記事「国語力と読書の関係」はこちら。
https://www.mori7.com/index.php?e=1625
 昨夜の突然の雨も去って、今日は快晴。
 でも、だんだん日が昇るのが遅くなってきました。
 夜が長いと、日中にえさを食べる小鳥たちはお腹がすくだろうなあ。(と余計な心配を)
 その点、人間は恵まれています。
 それでは、今日もいい一日を過ごして、秋の夜長はたっぷり読書でも。
 (中根)
 写真は、ベランダに朝ご飯を食べに来たスズメたち。
 
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 人生の基本は学力です。(学歴という意味ではなく)
 学力の基本は国語力です。
 国語力の基本は読む力です。
 読む力はどうしたらつくかというと、毎日続けることによってです。
 以上のことを逆に言うと、
 人生の基本は、スポーツや芸能ではありません。(そこでがんばっている人は、もちろんそれでいいのですが)
 学力の基本は、英語や数学ではありません。(それらは点数の差がつきやすいということなのです)
 国語力の基本は漢字を書く力ではありません。(むしろ漢字を読む力を含めた読む力です)
 読む力はどうしたらつくかというと、集中して国語の特訓をすることによってではありません。
 以上、いろいろ差し障りがありそう……。(^^ゞ
 だから、いちばん大事なのは、読むことを中心にした学習を毎日続けることですが、毎日続けるために大事なことは、楽にできる分量にとどめて無理せず気長にやることです。
 言葉の森の勉強を始めたばかりの人がよくやってしまうのが、最初からがんばりすぎることです。
 例えば、作文を書くのに3時間もかけるとか、毎週の長文の音読も、読解マラソン集の音読も、暗唱長文の暗唱も、読書も、問題集読書も、最初からすべてやってみるとかいうことです。
 生活の中での勉強のスタイルには個人差があり、また勉強の能率にも差があります。
 楽に続けるために大事なことは、身近にいるお母さんが子供の様子を見て、随時判断し、早めに軌道修正してあげることです。
 しかし、軌道修正をする一方で、大きな原則というものも必要です。
 子供が何を言おうが、これだけは続けるというものがあると、子供の気持ちも安定するのです。
 その原則の第一が読書です。どんな本でもいいから(「怪傑ゾロリ」でもいいから)毎日10ページ以上の読書をすることです。(ちなみに、「怪傑ゾロリ」は文章も内容も優れたいい本です。)
 最低限、この読書だけを毎日欠かさずに続けていればいいのです。(この方法はまたいつか説明したいと思います)
 そして、読書はできるので、もう少し何かをしたいという場合の第二が、毎日の長文の音読です。長文の音読のような2、3分でできる短い勉強を毎日続けるために大事なことは、朝ご飯前などの確実にできる時間を確保することと、最初のうちはアラームなどをセットして習慣がつくまでアラームを開始の合図にすることです。
 この読書と音読が続けられれば、国語力は確実に向上します。
 更に、もう少し何かができる余裕があるという場合の第三が、長文の暗唱です。暗唱は、小学校低学年のころは楽にできます。しかし、中学年、高学年と上がるにつれてだんだん暗唱ができなくなり、中学生、高校生では暗唱はかなり難しくなります。それは、決められた回数を声を出して繰り返すだけという単純なことをせずに、理解して覚えようという気持ちが出てくるのがこの小学校高学年以降の時期だからです。
 しかし、音読で回数を繰り返して暗唱するというコツをつかんだ子は、英文の暗唱なども楽にできるようになります。
 以上の読書、音読、暗唱までできれば、家庭学習としては、もうほかに何もしなくてもいいぐらいです(笑)。
 しかし、更にもう一歩進めて勉強をしたいし、またそういう余裕があるという人の場合は、入試問題集の問題文を読書がわりに読む練習です。
 この問題集読書は、黙読でも傍線を引きながら読むとか、又は声を出して読むとか、又はいい文を抜き書きするとか、という作業をしながら読むことが大事です。難しい文章は、ただ黙読しているだけでは続かないからです。
 しかし、くれぐれも注意したいのは、最初に書いたように、たくさんやることではなく長く続けることです。
 がんばって数か月しかできなかったというのでは力がつきません。
 物足りない分量だが何年も続いているというときに初めて力がついてくるのです。
 
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 昨日に引き続き、対話の話です。
 対話のきっかけは、子供からの説明がベスト。
 子供がちょっと難しい長文を毎日音読していて、その内容を週末の家族の団欒の時間にお父さんやお母さんに説明します。
 そのときに大事なことは、その説明がどんなに下手でも短くてもわかりにくくても、それをそのまま認めてあげることです。
 間違っても、「そんな説明じゃわからない」「もっとくわしく」などと言ってはいけません。
 でも、最近、いろいろな子に話を聞いてみると、ほとんどの家庭でそういうことを言っていたようです(笑)。
 まったく……。注意されてがんばる子や、間違いを指摘されて上達する子などいないと何度も言っているのにね。
 お父さん、お母さんは、自分の子供のころをふりかえって、どういうときにやる気が出たかよく考えてみてください。
 親に小言を言われてから急にやる気が出てきたなんて人いないでしょ(笑)。
 言葉の森で、先日、作文発表会をやりました。
 みんなの前で、自分の作文を(できれば暗唱して)発表するのです。
 中には恥ずかしがり屋で、やりたくないと言っていた子がいましたが、それはそれで参加不参加は自由です。
 しかし、リハーサルでみんなの発表を聞いているうちに、そういう子も、「やってみる」と言い出しました。
 それは、なぜかというと、リハーサルで、一切何も注意せず、どんな発表の仕方も全部褒めてあげたからです。
 これが、「もう少し声を大きく」とか「姿勢をよくして」とか「もっとゆっくり」などといちいち言っていたら、みんなもっと緊張する暗い真面目な発表会になったでしょう。
 子供時代に、そんな真面目なことをする必要などありません。
 どんなことも、面白おかしくどんどん褒めて明るくやっていくのがいいのです。
 だから、もちろん叱ることがあっても、明るく強く元気いっぱいに叱れば、その叱り方は一瞬で、いつまでも尾を引きません。
 対話の命は脱線です。
 子供がひとこと説明したら、お父さんお母さんがそれに尾ひれをつけて、自分の好きなことをどんどん喋っていけばいいのです。
 すると、子供も、「なるほど。そういう適当なことでいいんだ」と負けずに自分の言いたいことを言い出します。
 だいたい、人前で自分の言いたいことや自慢話を言って、認めてくれるところなど家族以外にありません。
 と言っても、お母さんと子供が一対一でまるで面接か何かのように話すだけでは、雰囲気が盛り上がらないということもあります。
 そういうときは、近所の子供やお母さんお父さんも入れて、対話の会です。
 子育てには、親の企画力もちょっと必要なのです。
 ゴニョゴニョゴニョ。木の実の秋は、リスも対話です。
 「だから、対話リスって言うんだ」
 「そりゃ、違うでしょ」
 
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 日本人の対話は、欧米人のディベートとは違います。
 意見の異なる部分を論破し合うのではなく、実例の異なる部分を認め合うのです。
 だから、子供との対話も同じ。
 子供が、「こんなことがあって、こう思った」と言ったら、親は、「お母さんは、そう思わないわ」などと言わずに、「お母さんも、(それと似た話で)こんなことがあったわ」と言うのです。
 すると、お父さんがやってきて、「パパは、ちょっと違うけど、こんなことがあったぞ」などと言うのです。
 そうして、互いに異なる実例を共有し合うのが対話です。
 ときどき、似た例を探すのに、インターネットで検索してホームページをコピーして渡す人がいます。みんなやっていると思いますが(笑)。
 でも、いちばんいい実例は、そういう正確ないデータよりも、お父さんやお母さんの体験談です。
 ところで、お父さんは物事を説明的に理解しているので、なかなか体験談が出てきません。
 しかし、子供が喜ぶのは、お父さんの自慢話です。
 ここで、お父さんが自慢話を始めたときも、お母さんは、「私は、そうは思わないわ」などと言わずに、「私にも、似た例があるわ」と続ければいいのです。
 似た例を広げていくことで、子供の創造力も広がります。
 なぜかというと、子供は、自分の体験と異なる似た例を知ることで、その隙間を埋めようとするからです。
 そして、対話は子供の思考力も育てます。
 対話の中では、「どうして」という言葉がよく出てきます。
 異なる実例を理解しようとするとき、子供はそれを自分の知っているメタ言語で理解しようとするからです。
 今日は、昨日にもまして更に快晴。(超快晴とでも言うのかなあ)
 まだ朝ですが、秋の夜長はみんなの自慢話で家族の対話を楽しんでください。
 それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
 (中根)
 
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 点数ではなく中身を見よう。
 点数を見るからどうしていいかわからなくなり、他人に任せるようになり、
 長期的なことも短期的なこともまとめてやらせるようになるのです。
 数値化された情報は、しばしば現実の本当の姿を覆い隠します。
 しかし、数字がなければ大きな流れを見ることはできません。
 数字を生かしながら数字に流されない自分なりの見方が必要です。
 子供がテストを持って帰ったら、点数を見るのではなく、その中身を見るようにしましょう。
 そして、時には、その問題を親も同じようにやってみて答えを出してみるのです。
 すると、自ずから何をすべきかということがわかってきます。
 先日、facebookグループ「帰国子女の原」で、海外に暮らす方の投稿に参考になるものがありました。
http://www.facebook.com/groups/189776334405898/
 その人は、日本語補習校が近くにないので、家庭で子供たちの日本語学習を工夫したそうです。
 その方法は、現地の子供たちと一緒に日本語で遊ぶ企画、日本の漫画や、日本語のアニメやドラマを楽しむ工夫など、生活の中で自然に日本語に触れる機会を増やすことでした。
 私はその記事を見て、日本語補習校が近くになく宿題やテストのようなものがないことが、かえってよかったのではないかと思ったのです。(あればまたそれを生かす工夫もできたかもしれませんが)
 子供の教育の中心となる場は家庭で、その担い手は親、特にお母さんです。
 点数のような外から与えられた評価は、たまに大局を見るときに利用すればいいのです。
 基本は、親が自分の目で見る子供の姿だと思います。
 今日は、10月14日。
 何の日かと思って調べてみたら、大政奉還のあった日でした。
 私たちの祖先、と言ってもほんの数世代前の祖先は、国難を自分たちの工夫で切り抜けてきました。
 これから日本と世界が遭遇するさまざまな問題も、すべて他人や他国に頼らずに自分たちで切り開いていきましょう。
 それでは、今日も静かな秋のいい一日をお過ごしください。
 (中根)
 (写真は、数前の秋訪れた岐阜県苗木城址の石垣)
 
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 学力には、記憶力と理解力と創造力とがあります。
 記憶力とは、外にある情報を自分の中に取り込む力です。
 理解力とは、内部化された知識を抽象的な概念で統合する力です。
 創造力とは、その知識や概念を組み合わせて新しい概念を作り出す力です。
 記憶力が横に広がるお皿のような平面の広さだとすると、理解力はその上に積み重なるトンガリコーンの高さです。(あまりいいたとえじゃないか)
... すると、創造力は、お皿の下に生えてくるトンガリコーンの深さです。(更に変なたとえになった)
 人間には、ある知識を知るだけでは飽き足らず、知識と知識の間にある関係を知りたいという気持ちがあります。
 だから、子供はすぐ、「どうして」と聞くのです。
 この「どうして」が、子供が新しい概念を獲得するチャンスです。
 家族の対話の中で、子供が、「どうして」と聞いたら、お父さんやお母さんがそれを一緒に考えてあげるのです。
 たとえ答えの出ないことであっても、考えること自体が考える力を育てます。
 間違っても、「そんなこと考えている暇があったら、宿題でもやりなさい」などと言わないこと(笑)。
 考える子供を育てるためには、親も一緒に考えることが好きになる必要があるのです。
 ところで、今の勉強には、この理解の仕方そのものを記憶させることで成績を上げるという方法もあります。
 この方法は受験勉強には役立ちますが、本当の考える力をつけることには役立ちません。
 なぜかというと、理解の仕方を記憶させるためには、その問題がパターン化されている必要があるからです。
 社会で遭遇する問題の多くは、過去問のない新しい問題ですから、解法を記憶するという発想では対応できないのです。
 参考記事「創造性を育てる作文 2」
https://www.mori7.com/index.php?e=1543
 今日も、きれいな青空です。
 自然の中に出かけると、いろいろな「どうして」が見つかります。
 図鑑を持っていくのもいいのですが、いちばんいいのは自分の頭を持っていくことです。(最初からついているけど)
 今日も楽しい一日をお過ごしください。
 
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