●中高大いずれの入試も記述力重視に
中学入試、高校入試、大学入試とも、入試の傾向は、○×式の選択問題から、記述力を重視した問題に移っています。この傾向は、難関校ほど顕著で、国語に限らず数学、英語、理科、社会も、すべて記述力が必要な問題になっています。
また、融合問題と言われる複数の教科の内容を横断したものも増えているので、これまでのように単純に理科や社会の教科別の勉強をしていたのでは答えられない問題も出てきています。つまり、単なる知識の再現をテストする問題ではなく、その問題を自分なりにどう理解し、どう考えるのかという思考力が問われる問題になっているのです。
生徒の思考力は、表現力として表れます。ある問題についてどのように書くかということが、その生徒がどのように考えているかという内容と結びついています。だから、これからも記述力、作文力を重視した問題は確実に増えていくのです。
●言葉の森の作文で読解力も表現力も
言葉の森の作文の学習は、単に作文を書かせるだけの学習ではありません。長文を読み、家族と対話し、実例を増やし、より広い視野で作文を書くという学習です。
書く力は、読む力に支えられています。読む力の育成を伴わない学習では、作文力の向上はすぐ頭打ちになります。例えば、語彙力のない生徒は、いつも同じようなありきたりの言葉で文章をまとめてしまいます。語彙力のある生徒は、それぞれの文の流れに合わせて多様な語彙を使うことができます。語彙力のない生徒に、作文の評価の上だけで多様な語彙を使うように言っても指導は空回りするだけです。書く練習をする以上に、読む練習をする必要があるからです。
言葉の森の作文の課題となる長文は、それぞれの学年に応じたレベルの文章よりも一段階難しいものになっています。だから、家庭で事前にその長文を音読し、その長文をもとに家族と対話することが、よりよい作文を書く準備となっています。この音読と対話が、作文力のもととなる読む力を育てるのです。
●中学入試から大学入試まで作文専科
言葉の森の生徒は、下は幼稚園年長から、上は高校3年生、大学生、社会人まで幅広い年齢にわたっています。中学入試で作文の試験を受け、言葉の森の受験作文コースで勉強した生徒が、学年が上がり、今度は大学入試でも小論文試験を受けるために受験作文コースに切り換えて勉強するということがよくあります。それだけ、言葉の森の作文指導を信頼しているのです。
作文や小論文を教えてくれる塾や予備校は数多くあります。しかし、子供たちの文章を見て評価したり添削したりすることと、その生徒の文章力を上達させることとは全く別のものです。
言葉の森は、長年の作文指導の蓄積があるので、苦手な生徒から得意な生徒まで、どのような課題にも対応できる指導をしています。
受験には合否がありますが、言葉の森の作文指導を受けた生徒は、受かった生徒はもちろん、落ちた生徒でさえもほぼ全員が、「作文の試験はよくできた」と言ってくれます。受験の合否を超えて、真の実力をつける練習をしているからです。
●文章力は社会に出てからも役に立つ
言葉の森の作文指導は、作文小論文の試験はもちろん、記述力の試験にも、読解力の試験にも役立ちます。しかし、本当に役立つことが実感できるのは、社会に出てからです。
社会生活は、仕事の上でも、仕事以外の分野でも、文章を書く機会は意外と数多くあります。特に、責任ある立場になれば、それだけ表現力のある文章を書く力が要求されるようになります。
言葉の森の作文指導は、小学校低学年までは事実中心の作文練習ですが、その事実中心の作文で書く力をつけ、その土台の上に感想文や論説文を書く練習をしていきます。
社会に出てから役に立つ文章力は、どちらかと言えば、小説を書くような文章力ではありません。自分の意見をわかりやすく説得力を持って書くという論説文的な文章力です。
言葉の森で作文の練習をすることによって、その論説文を書く力が育ちます。それは、その人の生涯の無形の財産ともなるのです。
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再び、宣伝っぽい記事(笑)。
しかし、受験で作文があるのなら、言葉の森の作文指導が一番です。
ただし、高校入試、大学入試は、もう先生の時間があまり取れないので新しい受け入れは難しいです。
そのかわり、指導のできない分、サービスで書き方のコツを教えます。
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facebookページ「言葉の森ネットワーク」で、遊びのグループを紹介しました。
こういう親子の遊びや季節の行事を、低学年の作文の実行課題集に載せています。
https://www.mori7.net/jk/
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子供は遊びが大好きです。
それに敢えて理由をつけるとすれば、自分の自由な意思で創意工夫ができて、友達と交流ができるからだと
思います。
言葉の森ネットワークでは、「親子で遊ぼうワンワンワン」という子供の遊びを紹介するグループを作っています。
前にあった面白い記事が、ダンボールの空き箱で家の中に子供の隠れ場を作ろうというものでした。
家の中にキャンプ用テントなどを張ると、その狭い中にわざわざ入って、遊んだり本を読んだり、時には勉強をしたり(笑)します。
子供向けの遊びに興味のある方は、ぜひご参加ください。
▽非公開グループ
「親子で遊ぼうワンワンワン」
https://www.facebook.com/groups/wanwanwan/
(写真は教室のペットワンワン「ゆめ」)
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小学1、2年生の子で、自由な題名の作文に毎回「きょうのこと」と書く子がいます。
それは、もちろんそれでいいのです。低学年のころは、毎日の日常が楽しい経験だからです。
しかし、家庭でもう少し工夫すれば、作文の新しい題材が見つかります。
何も、家族で旅行に出かけて豪華に遊ぶ必要はありません。
ちょっとした工夫で、子供は夢中になって遊ぶのです。
そのひとつが、家の中にテントを張ること(笑)。
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教育に関するブログを、ここ数日よく目にしました。
一つは、In Deepさんのブログの記事でした。
もう一つは、アゴラというサイトの池田信夫さんの「学校は教育に向いていない」と、中沢良平さんの「学校は勉強するところではない」という記事でした。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51957877.html
記事の内容は、学校は学力をつける場所ではなく、不自由な集団行動に同調する姿勢を作る場であり、社会に出るときの学歴を発行してくれる場である、というものです。
これは、実感として多くの人が感じていることだと思います。
私(森川林)も、小中学生のときは、学校の授業で机に向かって先生の話を聞いているのが退屈で退屈で、いつも窓の外を見ては、自然の生き物は自由でいいなあと思っていました(笑)。
昔の子供たちで、塾や予備校に行く人はほとんどいませんでした。学校以外にそういう不自由な場所に行くというようなことは、誰も考えつきもしなかったのです。
私が学校の授業で唯一ほっとする時間が、テストの時間でした。テストは、自分から進んでやればいいからです。だから、授業のときと違ってテストは退屈しませんでした。
こう考えると、勉強は家でしてきて、学校はテストをする場だけでもいいのではないかと思えてきます。ちょうど今の反転授業のようなものです。
子供たちは、勉強が嫌いとよく言いますが、単純に勉強が嫌いなのではありません。
人間にはもともと向上する意欲があるので、勉強をして自分が賢くなるのは好きなのです。嫌いなのは、無意味な知識を覚えこむことと、それが外からの強制として行われることです。
だから、基本的な学力をつけるために自分のペースで勉強するということであれば、そういう勉強は苦になりません。
この場合の基本的な学力とは、決して初歩的な易しいレベルの学力というのではありません。東大の推薦入試で、学力の担保して見ると言われている「センター試験8割」の学力です。
こういう基本的な学力を子供が自分の力でつけるというのが、これからの勉強に求められているのです。(つづく)
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ここのところ、続けて教育を話題にしたブログを目にすることがありました。
まず、In Deepさんのブログから。
「世界大学ランキングの日本の大学の順位の急落からさえも思う「もう詰め込み教育から子どもたちを解放させて、遊ばせてやれ!」…の想いは強まるばかり」
http://oka-jp.seesaa.net/article/427109409.html
東大の世界大学ランキングからの順位低下は、子供の塾通いが始まり出したころから始まっているというグラフをもとに、成績をよくするよりも頭をよくしよう、子供は勉強などせずに遊ぶことだ、と述べています。
ここに書かれていることは確かにそのとおりで、今の勉強の仕組みの中では、成績をよくすることは頭を悪くすることにつながっています。もちろん、本を読むとか九九を覚えるとかいう段階では、そういうことはありません。成績をよくすること=頭をよくすることだからです。
しかし、受験勉強に近づくにつれて、成績をよくすることと頭をよくすることは反比例してくるのです。
例えば、こんな問題です。
「次の中で体温が変化する動物はどれですか。ア.シャチ イ.サバ ウ.カケス エ.マムシ」(朝日小学生新聞「受験理科」より2015/10/2)
小学生で、生きたシャチ、サバ、カケス、マムシなどを見ているような子は、ほとんどいません。実物の実感がないところで、名前という記号と、それに合った図や写真という記号と、恒温動物という知識としての記号を、ただ頭の中で結びつけているかどうかを見るだけなのです。
もちろん、こういう知識もあっていいのです。しかし、それは本を読んだり、図鑑を見たり、実物に触れたりすることによって、自然に身につけるものです。自然に身につけたものであれば、「生き物の中には、体温が変わるものと変わらないものがあるんだなあ」という理解ですから、一瞬で頭の中に入ります。そして、具体的にどの動物がそうなのかということは、必要なときに調べればいいのです。
ところが、これを知識として覚えようとすると、ただ大きな理解をしただけでは駄目です。特に試験に出そうな間違えやすい例を重点に何度も反復して頭に刻みつけなければなりません。これが頭を悪くします。
身につける必要のない、そして自分でも興味がない知識を、何度も反復して頭に入れておく子が成績のよい子になってしまうのです。(つづく)
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昔の子供は、みんなそうだと思いますが、学校から帰ったらランドセルを家の中に放り投げて、すぐ近くの原っぱに。
暗くなって夕飯の時間になるまで、誰もたっぷり遊んでいました。
それで、みんな頭がよくなっていったのです。(かなあ)
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●作文の学習は、毎週書くことで上達
作文力は、数多く練習することで上達します。回数が少なければ、いくら懇切丁寧な添削を受けても、実力はつきません。作文は、知識や理解の勉強ではなく、体力をつけるような勉強だからです。
言葉の森では、週に1回のペースで作文を書き、次の週には先生の講評が届きます。毎週の作文の間の1週間は、感想文のもとになる長文を読み、似た例を取材し、親子で対話をして自分の考えを深める時間です。
この1周間のサイクルを続けることで、作文力は上達していきます。
また、臨時に休んだ場合は、ほかの日時に先生の解説やアドバイスを聞く振替授業を受けることができます。このため、ほとんどの生徒が毎週コンスタントに作文を書いて提出しています。
だから、通信教育でありながら、通学教室と同じように続けやすい勉強になっているのです。
●電話指導があれば楽しく続けられる
作文は、負担の大きい勉強です。夏休みの読書感想文の宿題なども、多くの子供は締め切りぎりぎりまで取り組もうとしません、これが、やろうと思えばすぐにできる算数数学や英語や理社の勉強との大きな違いです。文章を書くことは、それだけ精神的な負担が大きい勉強なのです。
この傾向は、学年が上がるほど強くなってきます。小学校低中学年のころは、作文の内容も事実経過が中心ですから、誰でも何とか書けますが、高学年になり、説明文や意見文になると、難しさは倍加してきます。
そのときの勉強の助けになるのが、先生からの電話指導です。毎週決まった時間に担当の先生からの電話があると、その電話の説明がきっかけになり、無理なく作文に取り組む姿勢ができます。
また、寺子屋オンエアとセットで作文の勉強を行えば、作文を書いている最中も先生が見ていてくれ、作文の終了時にも先生と対話することができます。
担当の先生とのつながりがある中で勉強ができるので、誰でも楽しく続けられるのです。
●作文検定試験の目標で意欲的な学習を
作文指導というと、赤ペン添削を連想する人が多いと思います。しかし、赤ペンによる添削が有効なのは、既にある程度の文章力を持った大人です。文章力の勉強の途上にある小中学生は、赤ペン添削よりも、事前に、何をどういう方向で書いたらよいのかを指示することが大切です。
言葉の森の事前指導は、字数と表現項目と構成方法と表記注意で成り立っています。表現項目とは、比喩や描写や名言などを使って表現上の工夫をすることです。構成方法とは、理由を書くとか方法を書くとかいう文章の展開部分の構成の仕方です。表記注意とは、段落の付け方や読点の打ち方などの注意です。
このような事前指導によって、生徒は作文を書く際の目標がわかります。そして、この事前指導があることによって、作文検定試験という客観的な評価ができるようになります。更に、高学年の作文検定では、自動採点ソフト森リン(言葉の森の特許)によって語彙力の総合的な評価もできるようになっています。
●プレゼン作文発表会で全国の友達と交流
作文を書くことに慣れてくると、自分の作文を発表したくなってきます。特に、小学4年生からは、子供自身によりよい作文を書こうという気持ちが出てくるので、発表することへの意欲も強くなってきます。
しかし、今の世の中にある発表の機会は、コンクール応募など、一部の優秀作品しか評価されないものが多く、誰もが参加を楽しめるものになっていません。
プレゼン作文発表会は、それぞれの生徒が自分の個性に合わせて、作文に絵や写真や音楽を組み合わせて発表するという企画です。
通信で勉強している生徒も、インターネットを利用して自宅のパソコンから発表会に参加できます。
発表会は、10人未満の小グループを多数作って行うので、それぞれの生徒が自分の作文をじっくり発表でき、その発表を通して全国の友達と交流することができます。
作文は、書くだけで終わりにせず、発表することまで含めて初めてひとまとまりの表現活動となるのです。
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作文の勉強で大事なことは、作文を書いたあとの赤ペン添削ではありません。作文を書く前の事前指導です。
赤ペン添削が有効なのは、既に文章力が確立している大人です。
文章力が発達途上にある子供は、赤ペン添削では上手にならないのです。
なぜかというと、作文は答えのない勉強だからです。
計算練習や漢字の書き取りや理科や社会の勉強では、答えは決まっています。だから、間違えたところを赤ペンで指摘すればそれがそのまま勉強になります。
これに対して、答えのない作文の勉強では、まずその作文で何が求められているのかを子供に伝える必要があります。これが事前指導です。
しかも、その事前指導は一律ではありません。その生徒の実力にあった事前指導でなければ、効果がないのです。
更に大事なことは、たとえその子にあった事前指導をしたとしても、すぐに結果がでるわけではないということです。
作文は、書き方を理解すれば書けるというものではなく、その書き方を実行するだけの書く力がないと、書き方が生きてきません。
例えば、「たとえを使う」という表現項目は、書き方の上では誰でもできます。
しかし、同じようにたとえを書いても、いつもパターン化されたたとえを書く子と、いつも新しい自分なりのたとえを書く子がいます。
この差は、書き方の差ではなく書く力の差です。
その書く力は、読む生活によって作られます。
だから、読書と長文の音読と家族の対話が、作文力の土台となっているのです。
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