「コボちゃん作文」という方法があります。四コマ漫画を見せて作文を書かせるという指導法です。
作文指導というと、このように面白い課題を工夫することを多くの人は考えがちです。
例えば、物語の続きを書かせるとか、物語の主人公を変えて書かせるとかいう方法も、課題を工夫した指導法です。
「浦島太郎という物語をカメの立場から書いてみる」などという課題は、子供たちの想像力を刺激します。
これらの指導は、子供の意欲を引き出すために工夫されたものですから、もちろん大きな価値があります。
言葉の森でも、昔、そういう指導をしていたことがあります。しかし、今はあまりそういう工夫はしていません。
なぜかというと、工夫した課題は、そのときは面白いとしても、そのあとに続くものがないと、単に面白いだけのものになってしまうからです。
また、指導と評価の観点がはっきりしていないと、ただ面白く書かせるだけのものになってしまいます。
つまり、課題を工夫して面白くするのはいいのですが、そこで何を目指すのかをはっきりさせることの方が作文指導では大事だということです。
面白い課題の作文による成果は、子供が熱心に書くということですが、目先が変わったことによる熱心さは、目先が変わらなければすぐ飽きることにつながります。
では、どうしたらいいのでしょうか。
作文の力をつけるためには、読む力をつける学習が必要です。
そして、勉強の面白さとは、前に習ったことが、より高いレベルで後になって生きたと実感できることです。
そこで、言葉の森で今考えているのは、例えば、幼稚園年長のときに昔話の暗唱を行い、それが、中学2年生で書く意見文の社会実例の昔話に生かせるというような仕組みです。つまり、作文指導の中で、読む学習と書く学習が発展的に結びつく面白さを作っていくことです。
目先を工夫した面白さも必要ですが、それ以上に、勉強の本質に結びつく面白さを追求していきたいと思っています。
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都会では、塾や習い事の教室がたくさんあります。子供によっては、1日に2つも3つも習い事を掛け持ちする子もいます。このような状態が続くと、「教室で教えてもらう」という発想になりがちです。
言葉の森の通学教室でも、教材だけ持ってきて、「さあ、教えて」という感じで待っているだけの子もいます。教室に来る前に、家で暗唱や読書の自習をして、その週の課題で作文に書くことを決めてくることが大事なのですが、教室に来て初めて課題を見て、「書くことがない」というような子もいます。
もちろん、そういう子は少数です。大多数の子は家で書くことを決めてきて、中にはその日に書くテーマで、お母さんやお父さんに取材してくる子もいます。
全国の学力テストでわかった教育先進県の秋田県では、学校が家庭での宿題出し、家庭がその宿題をもとに毎日の家庭学習を行うという習慣があるようです。ところが、学力テストの平均点が軒並み低かった都会の県では、いろいろな習い事があるので、その習い事に行った日は、毎日の家庭学習ができないという状態になっているのだと思います。
多くのIT技術者を輩出しているインドでは、夕方から遅い夕食の時間まで、子供たちが家庭で朗読をしたり計算の練習をしたりすることが家庭学習の中心になっているようです。日本でも、一昔前までは、子供は学校から帰ると、外で夜暗くなるまで遊び、家に帰ってから宿題や読書をして過ごすという生活でした。しかし、その時代の子供たちの方が、今の勉強漬けの子供たちよりも学力が高かったようなのです。
義務教育の時期においては、優先順位は、毎日の家庭学習→学校で出された宿題→習い事の順になると思います。つまり、家庭で毎日行う勉強(読書や暗唱など)を優先的に確保して、その時間の空いているところで宿題や習い事をするということです。
現代の都会で、毎日の家庭学習を確保するためには、早朝の時間を活用する必要があると思います。朝起きたら、音読や暗唱や読書の自習を行い(読書は夕方も行いますが)、それから朝食をとるというようなスタイルが作れれば、習い事のある日でも、土日で学校が休みの日でも、旅行に出かけたときの宿泊先でも、毎日同じように基礎的な家庭学習をすることができます。
もちろん、そこで行う学習は、日本語を中心としたものです。その中でも特に日本語の読みを中心としたものです。算数のドリルや漢字の書き取りなど知識的な勉強は、必ずしも毎日やる必要はありませんが、日本語の文章を読む勉強は、毎日休まずに続けることで学力がついてきます。
また、読む勉強というのは、問題を解くような形の勉強と比べると、日常の生活習慣と同じようなものですから、子供にとっては勉強をしているという負担がありません。暗唱や読書の勉強は、毎日やる習慣がついていれば、キャンプなどに遊びに行ったときでも、朝起きたらテントの中で暗唱をしてからそれから遊ぶ、というようなことも無理なくできると思います。
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これまで、作文は評価を入れて返却しているだけでしたが、もっと面白い企画をと思い、通学教室で全員の作品を展示することにしました。
あまり考えずに、全員の展示発表会としましたが、展示を始めてみると、室内には貼り切れないことがわかりました。(^^ゞ
そこで、教室の入り口までの階段の壁などを使った屋外展示に切り換えました。
粘着テープで壁に固定するので、日差しが強いとテープがはがれてきます。雨や風にも弱そうなので、1週間の展示期間中穏やかな天気が続くことを祈るばかりです。(-人-)
また、同じ期間に、授業開始の1時間前から「はやぶさ」のDVD上映会をすることにしました。
窓をビニールシートでふさぎ、教室の中を真っ暗にして、パソコンとつなげたプロジェクタによる上映です。
みんな熱心に見ていました。
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NHKより、8月15日にラジオ放送予定の「10代いのちの対話」に、10代のみなさんの声を聞きたいとのお話がありました。
言葉の森の生徒のみなさんでも、生徒以外のみなさんでも結構です。
10代のみなさんの声を「みんなの広場」にお寄せください。
https://www.mori7.net/nohara/mina/
(締め切りは8月10日。字数は100-150字ぐらいでいいと思います。他の人の声に対するコメントなども歓迎します。コメントの字数は短くてもかまいません)
なお、場合によっては、番組の中でお電話による質問などもあるかもしれません(ほとんどないと思いますが)。
したがって、生徒のみなさんは、差し支えなければ生徒コードを入れておいてください。
====▽引用ここから====
8月15日、終戦の日の夜、10代の皆さんと語り合う『10代いのちの対話』を放送します。「"いのち"の大切さ」を中心に「平和と戦争」「生きることの意味」「人間関係の悩み」などのテーマについて、お寄せ頂いたメールやFAXをご紹介し、10代のリスナーと電話をつないで、語り合います。10代の皆さんの「本当の考え」や「悩み」をぜひ、聞かせてください。
おたより募集中
番組では、10代の皆さんからのお便りをお待ちしています。
◆「どんなときに"いのち"を意識しますか?」
◆「どうすれば戦争がなくなると思いますか?」
◆「生きるのが嫌だと思うのは、どんな時ですか?」
◆「人間関係に悩むのはどんな時ですか?」
その他、「大人に注文したいことは?」「最近、感動したことは?」
====△引用ここまで====
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算数・数学は、答えが一義的にはっきりしています。もちろん、最先端の数学の勉強は、答えがまだないというところに面白さがあるのだと思いますが、普通の数学の勉強のレベルでは、答えがすっきり出るというところが勉強の面白さになっています。
国語力に関しても、数学と同じように答えの一義性を求めたものが、○×式や選択式のテストです。しかし、そういうテストで測られる国語力は、本当の国語力とはややずれています。
数学の勉強は、できなかった問題ができれば力がついたことになりますが、国語の勉強は、できなかった問題の答えが理解できてもできるようにはなりません。
記述式の問題や作文・小論文の問題では、更にその傾向は顕著で、模範解答を読んで内容がすっかり理解できたとしても、模範解答と同じものが書けるようにはなりません。
数学は、教科書にすべてが載っているので、教科書を完璧にマスターすれば、その学年の課題は習得できたことになりますが、国語は、たとえ教科書を完璧にマスターできたとしても、その学年相応の国語力がついたとはいえません。
そこで、言葉の森では、作文・小論文にも、客観的な評価ができるように、項目指導という方法を開発しました。しかし、項目指導という方法だけでは、評価がおおまかすぎるという弱点がありました。
例えば、小学校中学年で、「書き出しの工夫」「会話」「たとえ」「心の中で思ったこと」などの項目であれば、だれでもすぐにできるようになります。しかし、中学生に、「複数の理由」「伝記実例」「名言の引用」「反対意見の理解」などの項目を指示すると、今度は逆に、ヒントなしには書けない子がかなり出てくるのです。
その後、項目指導よりももっと細かい客観評価ができるように、自動採点ソフト「森リン」を開発しました。しかし、森リンは、客観性はあるものの、今日がんばったから明日点数が上がるという性格のものではありません。点数の上下を繰り返しながら、1年近くかけて少しずつ点数の平均値が上がってくるという評価です。
そこで、国語力の評価は、数学の評価とは根本的に違うのではないかと思うようになりました。
数学の面白さは、「世界は手順を踏めば解ける」ということがわかる面白さです。そこに、一種の美的な感覚もあります。しかし、国語、特に作文には、そういう面白さはあまりありません。
作文が好きな子は、何を喜びとして作文を書いているかと考えると、その動機は、いい点を取ることでも褒められることでもなく、書くことが楽しいから書いているのだということに気がつきました。
作文を書いて表現をすることが楽しいという感覚を持てるようになれば、それは国語の点数がよいという自信よりも、ずっと長く続く子供たちの財産になります。
今後、その発表の面白さを実感できるような評価方法を工夫していきたいと思っています。
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