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これまで書いた自分の作文をファイルにとじて、自分なりによく書けたと思うところに線を引いておきます。
その線を引いたところを、繰り返し読んでおきます。読むといっても、眺める程度。
そうすると、試験が始まってからも、書きたいことがうまく出てくるようになります。
もうひとつは、試験会場に、自分の好きな読みかけの説明文の本を持っていき、時間のあるときに読んでおくことです。
なぜか、その読んでいた本に関連した問題が出ることが多いのです。
不思議ですが、よくある偶然。
受験生は、今が大詰めの時期です。
これまで自分がやってきたことに確信を持って、それを繰り返していきましょう。
今日も快晴。
明るい日が続きます。
一年中咲いているゼラニウムの花が、今日も元気に咲いていました。
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「その読んでいた本に関連した問題が出ることが多いのです。
不思議ですが、よくある偶然。」
これはよく聞く話です。
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すぐに、そういう時代が来る。
地球上のすべての人が、皆それぞれに自分の得意技を伸ばして生きる社会が。
そのとき、人は昔を思い出して言うだろう。
なぜ、あのころは、儲けることばかり考えていたのだろう。
なぜ、あのころは、競争で勝つことばかり考えていたのだろう。
なぜ、あのころは、いい点数を取ることがそんなに大事だと考えていたのだろう。
最初から、自分の好きなことをしていれば、それでよかったんだ、と。
そして、続けて思う。
あのころは、才能を発揮する人間は、世の中には一握りしかいなくて、ほとんどの人は、退屈な仕事に耐えることで生活の糧を得ていると考えていた。
しかし、今になってみると、それは全くの逆で、みんなが自分の才能を伸ばして生きていくのが本来の社会のあり方だったのだ、と。
スーパーの人混みの中で、買い物をしながら、ふとそんなことを思いました。
人間は、誰も皆、天才です。
ただ、今はそれぞれに仕事や生活が忙しいので、その才能を発揮するのを後回しにしているだけなのです。
今日も、明るい朝日が昇ってきました。
寒い風の中で、プランターの撫子が元気に咲いていました。(ちょっとピンボケ)
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因数分解の練習は、なぜするかというと、それが将来仕事に役立つからではありません。
因数分解は、論理の世界は美しくできているということを感動するために勉強するのだと思います。
(ただの計算練習としてやっているところがほとんどですが。)
同様に、ニュートン力学は、世界はものの見方によっていかに異なる理解ができるかということを感動するための学問だとも言えます。
しかし、現実には、物理の勉強のほとんどは、哲学としてではなく計算の仕方として学ばれています。
人間には、もともと知的好奇心があります。
点数で煽らなくても、感動さえあれば、本当は自分から進んで学んでいくものなのです。
だから、将来、先生という職業は、そういう感動を教える仕事になると思います。
そのためには、最初から勉強が得意な人よりも、途中から得意になった人の方が向いているのかもしれません。
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勉強の基本は感動です。
その学問の面白さに目覚めた子は、自分でどんどん勉強を進めていきます。
昔、私がプログラミングの本を読み始めたころ、forループの数行で、百ます計算のような表が一瞬で作れるのを知って感激しました。
パソコンの黎明期にソフトを作り始めた人は、みんな、こういう感動を味わった人なのです。
数学はできるようになれば面白くなる、読書は読ませれば好きになる、というのも、やはりそこに理解による感動があるからです。
人類の学問は、テストによってではなく、この感動によって発展してきたのです。
先生の役割は、勉強を教えることではなく、学問の感動を教えることではないかと思う今日このごろ。
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小学校低学年の子は、作文を長く書くのが好きです。時に、競い合って書くこともあります。
しかし、学年が上がると、自然に自分に合った字数になってきます。
では、長さが重要でないかというとそうではありません。
中高生の場合、作文の字数と実力の間には、高い相関があります。
しかし、大人になるとまた違ってきます。
今度は、簡潔に書くことが重要になってきます。
メールでも、手紙でも、できるだけ短くまとめた方が喜ばれます。
ところで、欧米の人は、本でもブログでもやたらに長いものを書きます。
それは、同音異義語がないので、音声入力などが簡単にできるからだと思います。
しかし、日本語の同音異義語の多さには長所もあります。
それは、ダジャレがすぐに作れることです。
▽参考ページ(というほど参考にならないか)
「ダジャレの木」
https://www.mori7.net/ki/dajare/
近所の花屋さんに、真っ白なサクラソウが売られていました。
昨日は、強風でしたが、春一番はまだ先のようです。
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