●作文の学習は、毎週書くことで上達
作文力は、数多く練習することで上達します。回数が少なければ、いくら懇切丁寧な添削を受けても、実力はつきません。作文は、知識や理解の勉強ではなく、体力をつけるような勉強だからです。
言葉の森では、週に1回のペースで作文を書き、次の週には先生の講評が届きます。毎週の作文の間の1週間は、感想文のもとになる長文を読み、似た例を取材し、親子で対話をして自分の考えを深める時間です。
この1周間のサイクルを続けることで、作文力は上達していきます。
また、臨時に休んだ場合は、ほかの日時に先生の解説やアドバイスを聞く振替授業を受けることができます。このため、ほとんどの生徒が毎週コンスタントに作文を書いて提出しています。
だから、通信教育でありながら、通学教室と同じように続けやすい勉強になっているのです。
●電話指導があれば楽しく続けられる
作文は、負担の大きい勉強です。夏休みの読書感想文の宿題なども、多くの子供は締め切りぎりぎりまで取り組もうとしません、これが、やろうと思えばすぐにできる算数数学や英語や理社の勉強との大きな違いです。文章を書くことは、それだけ精神的な負担が大きい勉強なのです。
この傾向は、学年が上がるほど強くなってきます。小学校低中学年のころは、作文の内容も事実経過が中心ですから、誰でも何とか書けますが、高学年になり、説明文や意見文になると、難しさは倍加してきます。
そのときの勉強の助けになるのが、先生からの電話指導です。毎週決まった時間に担当の先生からの電話があると、その電話の説明がきっかけになり、無理なく作文に取り組む姿勢ができます。
また、寺子屋オンエアとセットで作文の勉強を行えば、作文を書いている最中も先生が見ていてくれ、作文の終了時にも先生と対話することができます。
担当の先生とのつながりがある中で勉強ができるので、誰でも楽しく続けられるのです。
●作文検定試験の目標で意欲的な学習を
作文指導というと、赤ペン添削を連想する人が多いと思います。しかし、赤ペンによる添削が有効なのは、既にある程度の文章力を持った大人です。文章力の勉強の途上にある小中学生は、赤ペン添削よりも、事前に、何をどういう方向で書いたらよいのかを指示することが大切です。
言葉の森の事前指導は、字数と表現項目と構成方法と表記注意で成り立っています。表現項目とは、比喩や描写や名言などを使って表現上の工夫をすることです。構成方法とは、理由を書くとか方法を書くとかいう文章の展開部分の構成の仕方です。表記注意とは、段落の付け方や読点の打ち方などの注意です。
このような事前指導によって、生徒は作文を書く際の目標がわかります。そして、この事前指導があることによって、作文検定試験という客観的な評価ができるようになります。更に、高学年の作文検定では、自動採点ソフト森リン(言葉の森の特許)によって語彙力の総合的な評価もできるようになっています。
●プレゼン作文発表会で全国の友達と交流
作文を書くことに慣れてくると、自分の作文を発表したくなってきます。特に、小学4年生からは、子供自身によりよい作文を書こうという気持ちが出てくるので、発表することへの意欲も強くなってきます。
しかし、今の世の中にある発表の機会は、コンクール応募など、一部の優秀作品しか評価されないものが多く、誰もが参加を楽しめるものになっていません。
プレゼン作文発表会は、それぞれの生徒が自分の個性に合わせて、作文に絵や写真や音楽を組み合わせて発表するという企画です。
通信で勉強している生徒も、インターネットを利用して自宅のパソコンから発表会に参加できます。
発表会は、10人未満の小グループを多数作って行うので、それぞれの生徒が自分の作文をじっくり発表でき、その発表を通して全国の友達と交流することができます。
作文は、書くだけで終わりにせず、発表することまで含めて初めてひとまとまりの表現活動となるのです。
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作文の勉強で大事なことは、作文を書いたあとの赤ペン添削ではありません。作文を書く前の事前指導です。
赤ペン添削が有効なのは、既に文章力が確立している大人です。
文章力が発達途上にある子供は、赤ペン添削では上手にならないのです。
なぜかというと、作文は答えのない勉強だからです。
計算練習や漢字の書き取りや理科や社会の勉強では、答えは決まっています。だから、間違えたところを赤ペンで指摘すればそれがそのまま勉強になります。
これに対して、答えのない作文の勉強では、まずその作文で何が求められているのかを子供に伝える必要があります。これが事前指導です。
しかも、その事前指導は一律ではありません。その生徒の実力にあった事前指導でなければ、効果がないのです。
更に大事なことは、たとえその子にあった事前指導をしたとしても、すぐに結果がでるわけではないということです。
作文は、書き方を理解すれば書けるというものではなく、その書き方を実行するだけの書く力がないと、書き方が生きてきません。
例えば、「たとえを使う」という表現項目は、書き方の上では誰でもできます。
しかし、同じようにたとえを書いても、いつもパターン化されたたとえを書く子と、いつも新しい自分なりのたとえを書く子がいます。
この差は、書き方の差ではなく書く力の差です。
その書く力は、読む生活によって作られます。
だから、読書と長文の音読と家族の対話が、作文力の土台となっているのです。
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先日、中学3年生の生徒の保護者から相談がありました。国語の模試の成績が悪かったのでどうしたらよいかというのです。
そういうときは、点数よりもまず実際の試験問題と解答用紙を見る必要があります。
点数が悪いと言っても、問題のない悪い点もありますし、重症と言える悪い点もあります。点数は二の次で、まずはその中身なのです。
試験問題と解答用紙を見てみると、いろいろな問題がありましたが、中でもいちばん重症だと思えたのは、試験問題をじっくり読みすぎていることでした。
文章の中の単語をいくつも丸で囲んで読んでいるのです。目だけで読んでいるのに比べて、手を動かすと読み方が格段に遅くなります。
遅くなる分じっくり読んでいるとも言えるのですが、そういう読み方は、時間制限のある試験向きの読み方ではありません。
国語の問題文は、日常的に読む文章比べると難しいものであることが多いので、繰り返し読む必要があります。繰り返し読むためには、傍線を引いて読む必要があります。傍線を引くのと丸で囲むのとでは、手を動かすスピードが全く違います。
傍線を引く箇所は、大事なところというのではありません。1回目の読みで、大事なところはよくわからないのが普通だからです。
では、どういうところに傍線を引くかというと、それは、自分なりによくわかったところ、面白いと思ったところ、何かピンと来たところ、という主観的な感じをもとにしたところです。
国語の試験問題は、結びの部分に全体の内容理解の鍵となる文章が入っていることが多いので、じっくり読むのではなく、スピードを上げてなにしろ最後まで一気に読むことが大事です。
これは、読書でも同じです。
本の内容を理解するには、何しろできるだけ早く最後まで読み切ることで、何日も時間をかけてゆっくり読めば読むほど、内容理解はしにくくなるのです。理解するということは、全体を把握することで、部分を積み重ねることではないからです。
試験問題の場合も、素早く最後まで読み切ると、全体像がおぼろげながらわかってきます。そこで、最初に傍線を引いた箇所だけを、飛ばし読みでもう一度読んでみるのです。
傍線を引いた箇所は主観的に引いたところですから、その傍線を引いた箇所をつなげるだけで、自分なりの全体把握ができてきます。
自分なりの全体把握ができれば、個々の設問を解くときも、傍線の箇所を基準に、どのあたりを詳しく読めばいいのかがわかってきます。
精読とは、ゆっくり読むことではありません。何度も繰り返し読むことです。繰り返し読むためには、できるだけ素早く読むことと、自分でいいと思ったところに傍線を引いて読むことが大事です。
本に線を引くというのは、慣れないとなかなかしにくいものですから、普段の問題集読書を利用して、傍線を引きながら読む練習をしておくといいのです。
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精読とは、ゆっくり読むことではなく、何度も繰り返し読むことです。
文章の理解は、個々の単語や文や段落を積み重ねてできるのではなく、全体を何度もなぞることによってできてきます。
部分の理解は、全体の理解のあとにやっていけばよいのです。
その全体を何度もなぞる方法が、音読です。
音読はひとりでは続けられません。近くで聞いてあげる人が必要です。
しかし、その人は、音読の仕方についてあれこれ注意してはいけないのです。これが難しい(笑)。
近所の草地に、ピンクのベゴニアの花が咲いていま
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