小学校高学年の生徒のお父さんやお母さんからときどき質問されるのが、記述問題の勉強の仕方です。塾の模擬試験などを受けると、記述問題の答えは一応書けているが小さな減点のあることが多く、親がどういうふうに説明していいかわからないというのです。
しかし、これは、実は採点している人もよくわかっていないことが多いのです。模擬試験の記述問題の採点や小論文の採点は、かなり割り引いて考える必要があります。
高校生の場合、入試直前に小論文の模試を受けて、それが予想以上に悪い点数だとかなり落ち込んで見せに来ることがあります。しかし、そういう子が入試の小論文の本番ではほとんど合格しています。模試の採点の仕方を見ていると、文章全体の構成力(思考力)よりも、ちょっとした表現の巧拙から感じられる雰囲気で点数がつけられているような感じがします。
中学入試の問題の場合は、単純に、親が説明できないようなことは、子供ができなくても大丈夫と考えていくぐらいでいいと思います。
先日は、小学6年生の生徒本人から、「記述問題がうまく書けない」と質問がありました。東京都のある公立中高一貫校の昨年の問題と模範解答がインターネットに載っているのですが、その模範解答のような文章が書けないというのです。そこで、インターネットでその模範解答を見てみると、その子の書いた文章よりも模範解答の方がレベルが低かったのです。なぜそういう解答が載っているのかわかりませんが、この模範解答ではかえって減点されるだろうと思いました。
同じようなことは、大学入試の場合はもっと頻繁にあります。東大の国語の入試問題は、すべて50字や100字の記述問題です。東大の過去問ですから、模範解答にも力を入れているはずですが、実際には教室で勉強している高校3年生が書いた解答の方が、模範解答の文章よりも優れているということがときどきあります。
では、記述の勉強は、家庭ではどのようにしていったらいいのでしょうか。
第一は、読む力をつけることです。読む力をつけるためには、入試問題に出てくる文章を読みなれておくことが必要です。できれば、その文章を読んで親子で対話して理解を深めておくといいでしょう。
第二は、書く力をつけることです。これは、書きなれるということです。例えば、国語の問題文を読み、それについて、50字なら50字と決めて、すばやく感想を書くというような練習です。この場合、あれこれ考えたり、読み返したり、書き直したりせずに、一気に50字書く力をつけていきます。この、すばやく必要な字数まで書くというのは、考える力があるだけではできません。やはり、書きなれていることが必要になります。
子供が書いた記述の解答を親が見るときに、どういう点に注意しておくかというと、まず内容が大体合っているかどうかです。次に、密度濃く書いてあるかどうかです。これは、同じ表現や同じ内容が繰り返されていないということです。そしてもうひとつは、必要な字数の最後の方まで埋めているかどうかです。記述問題の解答で半行以上スペースが空いているのは、文章力がないということになります。
記述問題の練習は、書きなれることが大事ですから、質よりも量で勉強していきます。ですから、親が見るときもあまり細かいところまで見る必要はなく、大体の内容、密度の濃さ、文字数をどこまで埋めたかという三つの基準で簡単に見ていくといいと思います。
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公立の中高一貫校を設置する県が年々増えています。
この入試は、塾で受験用の勉強をしないと入れないような問題は出さないという方針で行われています。だから、問題を作成する方は大変だと思いますが、考える力を試す良問がかなりあります。
公立中高一貫校の作文試験も、最初のころは、初歩的な題名課題が出されていましたが、最近は、複数の文章や資料をもとに、短い時間で長い文章を書かせるような形のかなり難しいものになっています。
この公立中高一貫校の試験対策は、どのようにしたらいいのでしょうか。
いちばん大事なことは、考える力を見る入試問題に対応できるような思考力をつけるということです。そして、難度の高くなった作文試験に対応するために、時間内に必要な字数の作文を書く練習をしておくことです。作文力のもとになるのは思考力ですが、作文試験対策はただ考える力があるだけでは不十分で、やはり書きなれておくことが大切です。
思考力をつけるような勉強は、学校や塾の一斉授業ではなかなかできません。それは、思考力というものが、それぞれの子供の個性に根ざした個人的なものだからです。
ある程度パターンの決まった勉強であれば、「こういう問題は、こういう解き方で考える」というような教え方ができます。しかし、公立中高一貫校の試験は、考える力を見るために、あえてパターン化できないような問題を出しています。
ここで生きてくるのが、家庭での対話です。一般に、両親とよく話をする子は、同年代の子供と比べて思考力が高くなります。特に、小学校時代は、本を読むよりも親と話をする方が考える力が育ちます。それは、親が子供の理解度に応じて話をすることができるからです。大人との会話の中で、自分の知っている知識の周辺により高度な語彙があるのを知ることが思考力を育てることになります。
したがって、中高一貫校の試験対策は、家庭で次のように取り組むことができます。
まず、全国の中高一貫校の入試問題の過去問を買ってきます。全国ですから、かなり分量があります。その中から1問ずつ取り出し、親子で読み合わせてディスカッションをするのです。しかし、親と子だけの話では、親が一方的に話すことが多くなり、対話の密度が薄くなります。できれば、父親と母親と子供(兄弟がいればもちろん兄弟も)で、いろいろな立場から意見が交わせるようにします。
父と母がそろう時間がなかなかとれない場合は、近所の同じ学年の子供と親で集まって話をしてもいいと思います。こういう対話は、慣れてくると、知的で創造的で人間どうしの交流も図れる楽しい時間になります。
そして、このようにして育った子供は、成長して大人になったときに、やはり自分の子供に対していろいろな対話のできる親になっていきます。家族での対話は、子供の思考力を育てるとともに、家庭の文化をつくるという役割も持っているのです。
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東日本大震災で、日本人の勇気と助け合いの精神が明らかになりました。今後の経済復興に、この精神を貴重な資源として生かすことができます。
しかし、もし逆に、日本がこの精神を忘れて、みんなが自分個人の利益を守ることに走るならば、経済復興が困難になるばかりか、投機マネーによる攻撃から日本を守ることも難しくなります。そして、日本が没落することは、世界経済が更に没落することですから、究極的な解決として戦争を志向する勢力が現れてきます。
日本が着実に経済を復興させることが、世界の平和と発展のための大きな一歩となります。日本の前途には、二つの異なる道が開かれています。
ひとつは、日本人ひとりひとりが個人の利益を守ろうとして行動する道です。
政府は、大規模な増税を行います。国民は、節約し合います。企業は、売り合うための競争を始めます。そして、みんなが自分の利益を守るために、互いに相手を貧しくすることによって、自分自身も貧しくなり、国家全体が衰退していく道です。
そして、このようにある国が貧しくなれば、その貧しさは他の国にも波及し、互いの貧しさを押しつけ合おうとして戦争に頼ろうとする国が出てきます。
もうひとつは、日本人ひとりひとりが相手を助けようとして行動する道です。
政府は、米国債や国の持っている資産を担保にして復興国債を発行します。国民は、その復興国債を買います。国民の中には、内部留保を抱えている企業も含まれます。そして、復興国債を購入した国民や企業には、その復興国債を担保に金融機関が長期低利子の融資を行います。
そして、復興を行うとともに、日本の新しい産業を作り出すために、国は、国民や企業の中から新しい価値あるものを見つけます。日本の隅々から新しい創造の芽を見つけるのです。そして、マスコミは、その情報を知らせます。企業は、新しい価値あるものを作り出します。
もし、企業が自社の利益を守るために、新しい創造や現状の改善よりもまず宣伝や営業の強化によって自分の商品だけを売ろうとすれば、競争によって互いが貧しくなり、最後にわずかの企業が生き残るだけになるでしょう。しかし、企業が、まず新しい価値あるものを作り出そうと考えれば、それによって社会全体が豊かになるのです。
今、世界で、このような互いの助け合いによって経済を復興できる国は日本だけです。それが、今回の大震災によって証明されたのだと思います。
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言葉の森で勉強をして、どんなことが身につくのでしょうか。
まず、書くことが好きになり、苦にならなくなるこことです。これは、些細なことのように見えますが、実はとても重要です。
学校や塾で一斉指導の作文が行われると、多くの場合、先生は個々の生徒に個別的にアドバイスをするよりも、上手な作文をひとつ印刷して、「みんなも、このように書きましょう」というような指導をしがちです。
ところが、上手な作文を読んで、すぐに同じように上手に書ける子はひとりもいません。これは、大人が自分の身になって考えてみればすぐにわかることです。だれか、上手な人の文章を読まされて、これと同じように書いてごらんなさいと言われてすぐに書ける大人の人はひとりもいません。
ところが、先生も、親も、子供に作文を教えるときに、上手な作文を模範として書くような指導をすぐにしてしまうのです。子供は素直ですから、言われたとおりに努力しようとしますが、もちろん同じように上手に書けるはずがありません。
その結果、作文指導に熱心な先生や、熱心な保護者に教えられた子供ほど、作文が苦手になるという現象が起きてきます。特に問題なのは、こういう比較する指導が高学年で行われる場合はまだいいのですが、ほとんどの場合、低学年のときに重点的に行われることが多いということです。
学校によっては(特に、私立小学校に多いようですが)、年齢的に明らかに無理な作文指導を行っています。小学校低学年の生徒に、題名を与えて書かせたり、読書感想文を書かせたりする学校がときどきあります。しかも、それを家庭での宿題のような形でやらせると、熱心な親はかなり手助けをして子供に作文を書かせます。その結果、上手な作文がいくつかできあがると、担任の先生は、それを上手な作文の見本として印刷し、生徒に配るというような指導をします。このようにして、作文嫌いの子が次々と生まれてくるのです。
言葉の森の指導は、こういう教え方とは正反対です。ひとりひとりの子供に対して、他人の作文との比較は一切関係なく、「今日の作文では、これとこれをこれをがんばろう」というような説明をし、その目標ができていればたくさん褒めるという教え方をしています。
通学教室で体験学習をすると、最初のころは、どの子も、「作文の勉強なんてしたくないなあ」という顔をして緊張してやってきます。しかし、先生が、その日の作文の目標を教えて書き方を説明すると、どの子も喜んで作文を書き始めます。そして、体験学習を一緒に見にきたお父さんやお母さんが驚くほど、その子らしい作文をたっぷり書いて帰るのです。これは、通信教室の体験学習でも同じです。
このようにして小学校低学年で書くことが好きになった子は、毎週楽しく作文を書いているうちに、読解力と作文力がついてきます。そして、中学受験や高校受験や大学受験のときに作文や小論文の試験があると、これまでの言葉の森の勉強の延長で、安定した実力で合格圏内の作文を書いてくるのです。
ただし、これは、学校側の採点の仕方の問題だと思いますが、受験の作文では、ときどき、実力のある子が落ちて、実力のない子が受かるということがあります。本当は、森リン(作文自動採点ソフト)などで客観的に評価すれば間違いがないのですが、入試では短時間に人間が採点する形をとるので、中にはかなり疑問の残る採点の仕方もあると思います。
しかし、作文の実力のある子は、大学生になっても、社会人になっても、文章を書くことが苦にならないので、その文章力をさまざまなところで生かしていくことができます。
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4月1日から、福島県の新学期教材の再発送を開始します。
ただし、下記の地区はまだ配達できません。
双葉郡全地区(広野町・楢葉町・冨岡町・大熊町・双葉町・浪江町・川内村・葛尾村)。
いわき市の一部。南相馬市の一部。田村市の一部。相馬郡飯舘村の一部
なお、岩手県、宮城県の発送は、まだ予定が立っておりません。
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