facebook記事より。
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スイカの水分は、生きている水分で、長く体内にとどまって、水分としての役割を充分に果たすように思えます。
それに対して、水道の水は、普通の水で、すぐに体内を素通りしていく気がします。
同じように言葉も、術語集やことわざ集で身につけたものは、すぐに体内を素通りしていきますが、父や母の話の中で聞いた言葉は、生きた言葉としていつまでも体内に残っています。
国語の勉強の根本には、こういう生きた言葉の蓄積があります。
人間には、誰でも、読めるほどには書けないという面があります。
わかりやすいのが、英文で、英語の文章を読み取れても、同じような英文を書くことはまずできません。
英文読解>英作文なのです。
日本語も同じです。
例えば、国語の教科書に書いてある文章を読み取れても、同じような文章を書くことはできません。(書き写しだけならできますが)
読めるようになっているだけの言葉は、まだ充分に生きた言葉ではありません。
書けるようになって初めて言葉は、自分が使える生きた言葉になるのです。
それにしても、スイカは偉いなあと思う、今日このごろ。
今日も水分補給をたっぷりして、いい一日をお過ごしください。
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6月の森リン大賞(小5の部127人中)
知識のありかた
なむな
人によって感じ方は様々である。日本だとコオロギの音が「リーリー」と表現されるが。決して世界中の人がみんな「りーりー」と感じるわけではない。知識、習慣は、現実の見方感じ方を変える力がある。例えば、アオマツムシが外来虫という知識によって、アオマツムシの声がうるさいと感じてしまうことなど、自分の物の見え方や感じ方が絶対のものだと思わないようにするのも大切だ。
私はこの話を読んで、知識のすごさにびっくりした。現実の物の見え方や感じ方を変えられるのだ。だが、本当に知識があったほうがよかったいいのだろうか。
例えば、本を読むとき。今、本が映像になっていることが多い。映画、アニメ、ドラマ・・・・。私が大好きなリンドグレーンやケストナーの作品も映像化されている物がある。この間、私は「レ・ミゼラブル」の映画を観た。岩波少年文庫の本を先に読んでから、観た。本は大人用でなくとも上下にわかれていて、簡単に読めるものでなはい。だが、私は本を先に読んだ。
「レ・ミゼラブ」の本と「レ・ミゼラブル」の映画。同じ「レ・ミゼラブル」でも私の中では少し違った。本を先に読めば、場面や登場人物の様子をイメージする。それは一人ひとり違う。読みとり方は多種多様だ。映画はそのいろいろな想像のなかの一つを映像化したものだ。だから、私のイメージとはかなり異なることがある。
まず、監獄の様子だ。本文にはこの場面はのっていないが、話を読みながらもっと暗いところでじめじめしていて、まるでカビが生えそうな地下に鎖でつながれているところだと思っていた。でも、映画は外での重労働となっている。
エポニーぬはあまり美しい感じではないイメージがあったのに、美しい女性だった。
テナルディエは背が高く人を見下ろすような感じの人だと思っていたが、かなり太っていて社会の底辺をさまよっているような人だった。
このようにイメージが合わないことが多かった。
私の友達には、映画をみないと本を読めない子がいる。けれど、私は何も知らずに読むからこそ、イメージをして本をより楽しめるのだと思う。映画等の映像を観てしまったら、本の楽しさが減ってしまうはずだ。
しかし、このように知識が絶対あったほうがいいわけではない。オペラやミュージカルを観るときには話を知っていたほうが面白い。
「魔笛」というオペラは有名な歌がたくさんあるが、あらすじを知らないと分からなくなり、お話を楽しめない。音楽にも集中できなくなってしまう。しかも日本語ではないので、さらにわからなくなってしまう。これは、知識があったほうがいい。
知識の有無は時と場合によってどちらがよいかが変わる。大切なのは考え方や見方を深く掘り下げるために知識を使うといいということがわかった。そして、それを実際にやりたい。
| 順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
|---|
| 1位 | ●知識のありかた | なむな | 84 | 1166 | 54 | 80 | 78 | 81 |
| 2位 | ●平和 | 湖れいくん | 81 | 1037 | 53 | 60 | 75 | 79 |
| 3位 | ●国がちがえば感じ方もちがう | くあゆ | 81 | 1030 | 57 | 62 | 75 | 86 |
| 4位 | ●楽しいクラス | アリス | 79 | 1465 | 44 | 77 | 85 | 87 |
| 5位 | ●楽しい先生おもしろい先生(清書) | ゆめく | 78 | 1005 | 47 | 73 | 100 | 79 |
| 6位 | ●MOTTAINAI精神を育め! | みんみ | 78 | 662 | 42 | 102 | 90 | 93 |
| 7位 | ●物を大切にする心 | にえに | 78 | 1349 | 41 | 60 | 71 | 83 |
| 8位 | ●楽しいな | ゆこぷん | 78 | 1239 | 43 | 59 | 65 | 87 |
| 9位 | ●ピカピカきれいな星空 | こゆり | 76 | 817 | 42 | 62 | 76 | 84 |
| 10位 | ●人間の本来の 生の姿 | レモン | 76 | 767 | 46 | 62 | 72 | 90 |
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人間は、喜びのために生きている。
この地上にたくさんの喜びを作るのが、人間の役割だ。
しかし、喜びは往々にして獣の喜びとなることがある。
獣の喜びの向こう側には、食べられるものたちの悲しみがある。
あらゆるものが喜びとなる人間の喜びを作るために、人間は豊かな知恵を持つ。
先日、スーパーローゼンで買ったガンモドキ。
たぶん、昔の人の中に、食べられるガン(雁)たちに心を痛めて、大豆たんぱくである豆腐を原料に、ガンをつかまえなくても食べる喜びを作り出そうとした人たちがいた。
歴史の彼方に消えて、もう足跡も見えないその人たちのことをふと思う。
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がんもどきとは豆腐の加工品のひとつである。
名前の由来については諸説あるが、最も知られているのは雁の肉に味を似せたとされることから「がんもどき」だという説である。
関西ではがんもどきを飛竜頭(ひりゅうず、ひりうず、ひろうす、ひりょうず)と呼ぶことが多い。
====Wikipediaより
(写真は
http://100plate.blog21.fc2.com/blog-entry-36.html より)
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「ユダヤ人とイスラエルを同列に論じるのはおかしい」というご指摘があったので、そのお返事です。
確かに、ユダヤ人=イスラエル国籍ではありません。
ノーベル賞の国別の受賞者で言えば、アメリカやイギリスが上位で、イスラエルはずっと下です。だから、いろいろな国籍のユダヤ人ということになります。
とは思ったのですが、ユダヤ人の教育の特徴は、家庭における教育にあると言われています。
家庭で読書や話し合いや聖書の朗読を大事にする文化があり、それがユダヤ人の学力の背景にあるのです。
すると、そういう家庭文化を共有するはずのイスラエルの子供たちの学力も、平均的にはもっと高いはずだと思われるはずですがそうではありません。
だから、平均的な学力の高さと、突出した創造力とは、似ているが別のものだと考えられるのです。
今の日本の教育の問題は、平均的な学力を高めることに力を入れすぎていることです。
だから、大学で学生に書かせるレポートも、どれだけいろいろな文献をきちんと引用できているかで評価されています。
独創的なことを述べると、「十年早い」と言われるような文化が日本の学問の世界にはあるのだと思います。
引き続き、コメントがあり、「イスラエルには、多様な民族多様な言語がある」という話でしt。
そこで、再度、お返事。
なるほど、そういう事情があるのですね。
子供時代にどういう言語環境で育つかということは、かなり重要だと思います。
母語を確実に定着させる環境があるということが大事なのでしょうね。
ところで、学力テストで上位を占めた秋田県、福井県などの教育と、大学入試に向けた受験勉強向けの教育とはかなり違います。
更に、受験勉強向けの教育と、ノーベル賞向けの教育(というものがあった場合)も、かなり違うと思います。
PISAで測られる学力は、学力テストの教育と受験勉強の教育の中間ぐらいにあるものだと思います。
つまり、基礎的なところでは、家庭の教育的な環境に支えられているが、ある程度は学校などの組織的な取り組みで向上するものです。
日本におけるPISAの学力の問題点は、その平均的な成績よりも、下位のグループの成績が低下し、学力格差が大きくなっていることです。
だから、下位の学力を上げるための家庭と学校の取り組みが必要なのですが、仮にそれが上がって平均点が上がったとしても、それで安泰というわけではありません。
PISAの点数や受験勉強の点数が上がることの延長に、創造的な学力があるのではないからです。
むしろ、今の問題は、受験勉強向けの無駄を省いた勉強で、学力の厚みのない、成績だけがよい子が増えているように思えることです。
だから、日本のこれからの教育の目標は、下位を引き上げることと、上位をより創造的な学力に発展させていくことであって、平均的な学力を高めることではないと思っています。
(話が広がりましたが)
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