音読の役割は、言葉を、文章という文脈の中で読む読み方を身につけることです。
文章は、単語の組み合わせとして理解されるよりも、文脈として理解されて読むことによってより深く理解できるようになります。
黙読の場合は、文章の中で理解するというよりも、単語を組み合わせで理解する読み方になるので、難しい単語は理解を飛ばして読むようになります。
だから、黙読は、自分の理解できるものしか読んでいないことになりやすいのです。
音読の場合は、難しい単語も、地の文章の中の一連の流れとして読むので、その単語の大まかな輪郭を了解しながら読むようになります。
この、単語の組み合わせとして読む読み方ではなく、文脈の中で読む読み方のできるのが音読という方法です。
音読をすると、同じ文章を何度繰り返して読んでも斜め読みになることがありません。
黙読は、自分の理解しただけのものを読む読み方ですから、2度目3度目は斜め読みで全体が理解できるので、繰り返し読む必要がないと感じてしまいます。
しかし、それは知識を身につけ理解する読み方であって、文章を文脈の中で考えて読む読み方ではありません。
音読で、同じ文章を4回も5回も繰り返して読む練習をすると、言葉を自分の理解の中で読むのではなく、その言葉が書かれた文章の文脈の中で読むので、自分を超えた新しい考える力と表現する力が成長していきます。
ところが、音読をさせようとする人の多くは、音読のそのような意義を知りません。
また、たとえ知っていたとしても、自分が実際に子供時代に経験したことのないことは、子供にさせることが難しいので、音読は毎日の学習として定着させることが難しいものとなっているのです。
そこで、言葉の森では、音読の代わりにもなるものとして、暗唱の方法と暗唱検定という仕組みを作りました。
読解力、思考力、表現力の勉強として最もよいのは、課題フォルダの文章を毎日音読し、暗唱検定の文章を毎日暗唱し、作文の次の週の課題について親子と対話をし、毎日学年の10倍ページ以上の本を読み、そして週に1回作文を書くことです。
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文章を情報処理として読むためには黙読が最適です。
世の中のほとんどの文章は、そういう読み方をすればいいものです。
しかし、思考力や表現力をつけるために読む、教育として読む読み方は音読です。
だから、子供時代は、黙読と並行して音読をすることが必要になるのです。
黙読は、速読ができます。
それは、自分の理解できたものを読む読み方だからです。
音読は、自分の理解できないものも含めて読む読み方です。
だから、考える力が育つのです。
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子供に音読の練習をさせる際の学年は、ほとんどの家庭が小学1、2年生のころまでだと思います。
小学生4年生になっても音読を続けている子は少なく、5、66年生になると音読を続けられる子が滅多にいません。
しかし、音読は中学3年生まで続けていく価値があります。
中学3年生までは、新しい語彙が次々と出てくる時期ですから、それらの語彙を文脈の中で理解する練習をしていくために音読は必要な勉強なのです。
試しに、中学生の生徒に、課題フォルダの長文を音読させてみると、読み間違える字がかなりあるはずです。
高校生や大学生になると、必要な語彙力は大体備わってきているので、音読よりももっと別の勉強に切り替えていく必要があります。
それが難読です。
古今東西の古典と呼ばれるような評価の定まっている本、例えば学校の歴史の教科書や倫理社会の教科書に出てくるような人の本を読んでいくことによって、自分で物事を新しく考え出す考え方の流れがわかるようになってきます。
高校生、大学生の難読は、もっと勉強の中心に位置づけられるべきものですが、今の高校や大学ではそういう勉強がなされていません。
知識を分かりやすく整理した教科書を読むような勉強がほとんどなので、考える力が育たないのです。
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子供に音読を続けさせるためには、どうしたらいいでしょうか。
それは、読み方を決して注意せず、いつも読み終えたあとに、「難しいのを読んでいるね」とか、「読むのがだんだん上手になってきたね」とかいう褒め言葉だけをかけることです。
「間違いは直さなくていいのですか」とか、「ふざけて読んだり、早口で読んだり、小さい声で読んだりしているのですが、それでもいいのですか」という質問がよくありますが、それでいいのです。
ふざけて読んでいたら、「面白い読み方ができるんだね」と褒めていればいいのです(笑)。
音読をさせて、読み間違える字や、つっかえる字があった場合、それは黙読のときは飛ばして読んでいた字です。
黙読だと、知っている言葉だけを読んでいっても、本人にその自覚がありません。
だから、読む力が伸びないのです。
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子供には、できる子とできない子がいます。
先生が、同じことを同じように教えていて、できる子とできない子がいるので、教えている先生は次のように思いがちです。
「自分がちゃんと教えていてできる子がいるのに、できない子がいるのは、その子の問題であって教える自分の問題ではない」と。
これが、大多数の学校や塾で行われている授業の仕方です。
しかし、問題は子供にあるのではなく、やはり教える先生にあるのです。
しかし、その教える対象は子供だけではなく、むしろ保護者に対してなのです。
ときどき、生徒の保護者で、「私が言っても本を読まないので、先生から言ってください」という人がいます。
また、「私が子供に音読をさせると喧嘩になるので、先生がやらせてください」という人もいます。
毎日の読書や音読は、一緒に暮らしているお母さん以外にさせられる人はいません。
親ができないことを、週に1回接する他人ができることはないのです。
音読や読書を、先生に頼もうとは思わずに、自分で工夫してなんとかやり続けようという気持ちを持ってもらうのが、先生の役割です。
子供の教育の問題は、ほとんど親の問題です。
だから、先生がその子を必ず上達させたいと思えば親に働きかけざるを得ません。
親に働きかけることも含めて、すべて子供の学力の責任は、先生の側にあるという自覚を持つことが大切です。
「学力の経済学」(中室牧子)では、幼児期の教育が、その子の将来の学力を含めた人間力の形成に大きく影響していたということが書かれています。
しかし、これは単に幼児期のその子に対する教育だけに原因があったのではありません。
その子の親に対する働きかけが、その家庭の文化を変えることによって子供の教育に影響したということなのです。
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野口英世のお母さんは、無学でした。
しかし、そこから立派な学者が育ちました。
しかも、英世は、生涯お母さんを尊敬していました。
ここに、家庭の文化というものの大切さがあるのです。
「塾に任せてください。お母さんは何もする必要がありません」という塾があります。
その反対に、「親がちゃんとやってくれないから、先生がいくら教えてもだめだ」という先生がいます。
どちらも、同じことの裏表です。
子供は、家庭の文化の成長に伴って成長していくのです。
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