△図は日本経済新聞より
7月20日の日本経済新聞に、「子の読書量、親に比例」という厚生労働省の調査が載っていました。
こういう傾向があるだろうことは、これまでだれもが漠然と感じていたと思います。それが3万6千件のデータの裏づけで明らかになったということです。
しかし、これだけでは、この調査の結果を現実に生かすことはできません。「子供に本を読ませるためには、親がまず読め」と言うに等しいからです。
親が読まないのは、そういう読まない状態で生活がこれまで滞りなく運営されていたからであって、その生活をすぐに変えるわけにはいきません。
「年収と成績」の調査についても同様です。年収と成績が比例していると言われて納得しても、それで現実が変わるわけではありません。
ここで大事なのは、調査における例外です。親の年収が低くても成績がいい子がいるように、親の年収が高くても成績の悪い子はいます。同じように、親が本を読むのに、子供が読まないケースと、親が本を読まないのに、子供が本を読むケースという例外があるはずです。この例外の中にこそ、現実を変える鍵があります。
実際、昔の父親や母親(今の親の親の世代)は、忙しくて本を読む時間などあまりありませんでした。しかし、それらの家庭でも、多くの子供は本を読むようになりました。それは、なぜかというと、夕方の食事の時間のあと、ラジオ、雑談、宿題などの時間が過ぎると、子供にとっては本を読むぐらいしか時間の過ごし方がなかったからです。
ところが、今では、テレビ、ビデオ、ゲーム、ケータイ、インターネットなど、家庭の中に時間つぶしの娯楽がふんだんにあります。本を読まない親は、その読まないことが問題なのではなく、読まない時間にテレビを茶の間で見ているということが問題なのです。親が惰性でテレビを見ている中で、子供が読書をするというのはほぼ不可能です。
この対策は、テレビを見ないことです。見るとしても、茶の間ではなく、個人用のテレビをイヤホンなどで親が自分だけで見るようにすることです。又は、テレビよりもインターネットを利用するということになるかもしれません。
テレビ以外に読書の時間を奪うもう一つのものは、子供のゲームです。ですから、ゲームの制限も重要です。これは、ある時間が来たら強制的に片付けるか、読書を1時間したらゲームを15分などというように、読書とゲームをセットにすることです。いずれにしても大事なことは、親の断固とした決定と実行です。
問題は、読書をするかしないかということにあるのではなく、テレビやゲームの時間をいかに制限するかということにあるのです。
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最初に暗唱を始めたころ、よどみなくすらすらと暗唱できた子が、慣れてくると、だんだん思い出しながら言うようになることがあります。また、意味は合っているが、表現が微妙に違っているということもあります。例えば、「……したら」を「……すると」と読むなどの例です。
これは、「暗唱の手引」に沿って暗唱の練習をしていないからです。つまり、毎日の反復練習の回数が少なく、「覚えたからいい」、「言えるようになったからいい」、というふうになっているからだと思います。
暗唱は、「大体言える」という程度では、あまり力がつきません。完璧にすらすらと言えるぐらいになっていることが大事です。
それは、なぜでしょうか。
人間と道具との関係を考えてみます。例えば、人が、楽器を使う、絵筆を使う、ペンを使う、剣を使う、という場合です。
最初は、人が道具を媒介して世界と対峙するという関係になっています。
しかし、その道具を反復して使っていると、やがて、長期間の練習を経て、人と道具が一体化するようになります。「普通に道具を使う」という段階から、「自分の手足のように使う」という段階になるのです。
すると、そこで、自分が表現的に拡大するという状態が生まれます。眼鏡が自分の目を拡大し、補聴器が自分の耳を拡大するように、自分の表現力が「道具を使っている」という意識なく、拡大するようになります。
道具と自分が一体化して、道具による表現が自分自身の表現であるようにできるようになると、その表現力の拡大に合わせて、実は感受性も拡大します。例えば、詩を書く人は、世界を詩的に見ます。詩を書かなかったら感じなかったような細部を感じるようになるというのが、表現力が感受性を規定するということです。
表現力がなかったときには、見えなかったもの、感じなかったものが、表現力の拡大に伴って、見たり感じたりすることができるようになります。これは、道具を単に道具として意識して使っているときとは、レベルの違う見方、感じ方です。外見上は、「普通に道具として使うこと」と「自分の手足のように使うこと」との間に、あまり差はないように見えますが、自己の拡大という点で、実は質的な差があります。その質的な差が、感受性の差になります。
暗唱の場合も同じです。思い出しながら言う暗唱と、自分の体の一部になったかのように言う暗唱との間には、質的な差があります。
自分の一部となった暗唱ができるようになると、そこで言葉の把握力が増してきます。だから、暗唱の力がついてくると、読書をしたときの吸収度も違ってきます。暗唱が理解力を高めるというのは、こういう関係があるからです。
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6月の清書の森リン大賞です。
6月から、手書きの清書もサーバーに保存するようにしました。このため、小学校低学年のみなさんは、手書きの清書だけにした人が多く、パソコン清書が少なくなりました。
手書きの清書は、「清書の谷」で見ることができます。(ただし、自分の清書のみ)
https://www.mori7.net/seisyo/
★6月は手書きの清書を送ってくれた人が多かったため、パソコンの清書が少なくなりました。(清書は、手書きとパソコンの両方を送っていただいても結構です)
6月の森リン大賞(小1の部46人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●うんどうかい | きよれ | 59 | 131 | 39 | 44 | 53 | 87 |
2位 | ●はっぴょうかい | きしせ | 59 | 376 | 38 | 43 | 52 | 84 |
3位 | ●あめのひ | せがわみずき | 58 | 114 | 38 | 43 | 48 | 96 |
6月の森リン大賞(小2の部103人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●ほたる | みるく | 66 | 487 | 39 | 54 | 67 | 81 |
2位 | ●開校記念集会をしたよ | ひゆあ | 66 | 574 | 44 | 46 | 63 | 87 |
3位 | ●どんなぼうしにしようかな | ゆこぷん | 66 | 617 | 48 | 43 | 58 | 96 |
4位 | ●ヤゴがたくさん | みりまりん | 65 | 514 | 39 | 51 | 62 | 89 |
5位 | ●のぼりぼう、だあいすき | リリー | 65 | 425 | 39 | 43 | 57 | 93 |
6位 | ●がんばっている九九のこと | レモン | 65 | 650 | 39 | 43 | 56 | 97 |
7位 | ●リスーピアにいったこと | アリス | 65 | 573 | 42 | 44 | 55 | 95 |
8位 | ●ほうねんえび | みやま | 64 | 399 | 41 | 43 | 66 | 86 |
9位 | ●日直でほめられた | ダイアナ | 64 | 503 | 41 | 44 | 64 | 92 |
10位 | ●ちびっこずもう | きりる | 64 | 519 | 41 | 43 | 59 | 76 |
6月の森リン大賞(小3の部150人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●わたしがもっとがんばらないといけないこと | レモネード | 73 | 946 | 48 | 56 | 72 | 90 |
2位 | ●がんばったこと | ゴールド | 71 | 530 | 41 | 56 | 79 | 92 |
3位 | ●遠くへたびする鳥の感想文 | かめに | 71 | 938 | 46 | 53 | 78 | 86 |
4位 | ●ナメちゃんとカタちゃん | りすっぴ | 71 | 1149 | 44 | 48 | 68 | 92 |
5位 | ●鳥と遠い外国へ行きたい | ひなた | 71 | 790 | 48 | 46 | 68 | 92 |
6位 | ●遠くへたびをする鳥 | かゆか | 70 | 564 | 47 | 52 | 62 | 84 |
7位 | ●サッカーをしたこと。 | かなろ | 70 | 807 | 47 | 49 | 62 | 87 |
8位 | ●兄のいない三日間 | ゆいゆ | 69 | 801 | 37 | 50 | 73 | 79 |
9位 | ●がんばるぞー | はーちゃん | 69 | 583 | 42 | 48 | 70 | 86 |
10位 | ●知恵を出し合った二人三きゃく | ふうこ | 69 | 636 | 44 | 46 | 69 | 76 |
6月の森リン大賞(小4の部139人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●楽しかった一宇荘 | スヌーピー | 77 | 980 | 39 | 61 | 94 | 83 |
2位 | ●怪我の功名 | まめっち | 76 | 834 | 43 | 59 | 74 | 87 |
3位 | ●川とどろんこの思い出 | ショコラ | 75 | 1320 | 47 | 53 | 76 | 86 |
4位 | ●うれしい時と悲しい時 | クリスタル | 75 | 1293 | 43 | 57 | 68 | 95 |
5位 | ●お父さんはすごい! | 海太郎 | 74 | 710 | 53 | 52 | 77 | 80 |
6位 | ●水泳教室の後のおにごっこ | なっち | 74 | 726 | 43 | 55 | 75 | 96 |
7位 | ●おもしろい体育 | ルナ | 74 | 1174 | 44 | 51 | 68 | 90 |
8位 | ●またやりたい砂遊び | ピカピカ | 74 | 799 | 49 | 45 | 68 | 93 |
9位 | ●いろんな水遊びはアニーとの思い出 | ダイヤモンド | 73 | 668 | 42 | 53 | 82 | 87 |
10位 | ●学校で遊んでいてよかった私 | 音ぷちゃん | 73 | 637 | 44 | 57 | 66 | 93 |
★1位の作品は、優れた内容でしたが、先生、友達、場所などが特定できる固有名詞が多かったため、表示しませんでした。次回は、名前を匿名にして清書を投稿するといいと思います。
6月の森リン大賞(小5の部138人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●ユーモアたっぷりな岩崎先生 | ききほ | 79 | 923 | 47 | 57 | 102 | 87 |
2位 | ● My favorite teacher (私の大好きな先 | みっくまっく | 79 | 1070 | 46 | 65 | 87 | 89 |
3位 | ●聞き方感じ方 | りょうたろう | 79 | 892 | 49 | 60 | 73 | 89 |
4位 | ●日本の生活は贅沢だ | なぞのたびびと | 78 | 940 | 54 | 58 | 82 | 81 |
5位 | ●大切に使えば長持ちするもの | まーりん | 78 | 1138 | 48 | 54 | 79 | 86 |
6位 | ●一本のえんぴつを最後まで | ピッピ | 78 | 1033 | 53 | 50 | 74 | 76 |
7位 | ●インド人は偉い!! | ほしのみか | 78 | 907 | 48 | 57 | 68 | 89 |
8位 | ●感覚の違いを乗り越えて | リラックマ | 77 | 873 | 54 | 54 | 64 | 89 |
9位 | ●先生おもしろい! | りっくん | 77 | 887 | 48 | 57 | 61 | 95 |
10位 | ●先生、サッカーをしたいです。 | かこちゃん | 77 | 1106 | 47 | 48 | 60 | 87 |
★清書の場合は自動的に満点になるので、項目のキーワードは入れなくてかまいません。内容本位で書いていって結構です。
6月の森リン大賞(小6の部133人中)
悪のヒーロー人間
ミス・バニー
トキ、イリオモテヤマネコ、メダカ。これらはある共通点がある。それが何だか分かるだろうか。そう、すべてレッドデータブックに記載されている、絶滅危惧種である。そもそもなぜ、地球に絶滅危惧種がいるのだろうか。それは、すべてではないが、人間が環境を破壊したために、生き物がすみかを追われ、激減してしまったのである。その絶滅危惧種、(動物、植物)を救おうと努力する人の姿は、人間の良い点で、ほこっても良い面だという。しかし私は、人間が自然を破壊して、生き物をおびやかしているのだから、それを止めて、元に戻すのは当たり前ではないかと感じる。最も良いのは、激減している動植物に対し、いち早く手を差し伸べることであって、絶滅危惧種に指定されたときから、救済活動をするのは矛盾していると思う。【構成】
自然破壊によって減っている動植物は何か、と聞かれるとまず思い出すのは、身近な生物だろう。例えば、私の場合ミノムシを思い出す。このミノムシ、つい二、三年まえには、とても身近だった虫である。しかし、近ごろこのミノムシを全く目にしないのである。ミノムシは、私のことをムシしているのだろうか(笑)。この現状からも、日々身近な動物が、人間のせいで姿を消していることが分かる。 【題材】 【表現】
もうひとつ減っていると聞いた生き物がいる。ホタルだ。お母さんの小学生の頃には、ホタルはどこの川にもいたらしい。しかし、今は悲しいことに、ごく限られた、清流の上流にしかいないではないか。昔は電球のかずよりホタルの光のほうが多かったはずなのに。ここで一つ疑問を感じる。昔はどの川にもホタルはいた。今は清流にしかいない。ホタルは清流にしか住まない。ということは、昔はきれいだった川も、今では汚染されていると言うことになる。このまま、ホタルの命のともし火が消えませんように。
今、地球は、今までにない自然破壊による、動植物の絶滅の危機におちいっている。今、緊急に保護を要する動植物だけでも、三万七千種近くいる。この原因は何か。それは、人間が地球を独り占めしたことにある。この行動によって、破壊の方向へ進んでしまっているのだ。私たちの高度な技術や文化は、豊かな自然の恵みに支えられて発達してきた。ひとたび自然の利用方法を誤り、健全な生態系を傷つけてしまえば、取り返しのつかないことになってしまう。何事も、後悔先に立たず。私たちだけでなく、未来の子孫のためにも、真剣にこの問題に取りくまなければならない。 【主題】
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●悪のヒーロー人間 | ミス・バニー | 82 | 1051 | 57 | 73 | 89 | 86 |
2位 | ●余裕のなかった書道ガールズ | あんこ | 80 | 1195 | 42 | 71 | 86 | 84 |
3位 | ●絶滅の道へ一歩一歩 | ひろみ | 80 | 943 | 48 | 64 | 76 | 86 |
4位 | ●生態系 | コレルリ | 79 | 1301 | 46 | 68 | 105 | 92 |
5位 | ●腹痛薬が必要な学校生活 | はるりん | 79 | 1075 | 41 | 55 | 101 | 80 |
6位 | ●人間と環境 | ピロシ | 79 | 1181 | 49 | 75 | 95 | 87 |
7位 | ●自然と共存 | ともじろう | 79 | 929 | 54 | 90 | 91 | 81 |
8位 | ●人間と自然の調和 | けん道少年 | 79 | 910 | 48 | 65 | 84 | 84 |
9位 | ●「遊び」取扱説明書 | けん | 79 | 904 | 46 | 63 | 78 | 93 |
10位 | ●個々を尊重しあう | まかじろう | 78 | 1202 | 48 | 121 | 128 | 86 |
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言葉の森の作文指導の特徴は、小学校低中学年では項目指導、小学校高学年から中学生高校生にかけては構成指導を中心にしていることです。実は、ここに、日本の中学高校における作文教育の不足を克服するための鍵があります。(前回からつづく)
項目指導というのは、例えば、作文の中に、「たとえを入れる」「会話を入れる」「思ったことを入れる」という指導です。
今でこそ、そういう指導をするところも増えてきましたが、言葉の森が最初にこの項目指導を始めたとき、保護者からも専門家からも多くの批判がありました。それらの批判を一言で言うと、「何を書くかまだわかっていないうちから、『今日の作文に会話を入れる』という指導をするのはおかしい」というものでした。
なるほど、と思う人も多いと思います。しかし、この批判の根底には、「作品としての作文」という考えがありました。言葉の森が考えているのは、「教育としての作文」ということです。つまり、作文を書くのは、作品を作るためではなく、文章を書く力をつけるためだという考えだったのです。
小学校低中学年では、この内容本位の作品作文と、構成を重視した項目作文との差はそれほど大きくはありませんが、中学生、高校生になると、この差はきわめて大きくなります。そして、ここに、中学生、高校生の作文の授業の少なさを克服するポイントがあるのです。
今の中学や高校では、作文の授業はほとんどありません。たまに授業があったとしても、課題を与えて自由に書かせるだけという指導なので、書き上げた作文に対しては、作品としての出来不出来を見たり誤字の有無を指摘したりするような評価になります。
しかし、これが実に大変なのです。国語の授業を担当する先生に、日常的にそのような指導や評価をする余裕はまずありません。
ここで、言葉の森の構成作文が生きてきます。
構成作文とは、具体的には、次のような形の作文です。
「第一段落で身近な実例と意見、第二段落で理由1と体験実例、第三段落で理由2と社会実例、第四段落で反対意見に対する理解と名言。以上の四段落で作文を書く」
このような構成方法をあらかじめ指示して指導すれば、生徒自身が作文を書きやすくなるとともに、先生がその作文を評価しやすくなります。
言葉の森の構成作文を、「起承転結」や「序論・本論・結論」などの構成方法と同じように考える人がいます。しかし、そうではありません。「起承転結」や「序論・本論・結論」などは、作品を作るための構成ですが、言葉の森の構成法は、それよりも、文章を書く力をつけるための練習方法としての構成法です。
中学、高校でも、この構成作文を取り入れれば、もっと多くの授業が可能になると思います。それは、生徒の一作品を丸ごと評価するのではなく、それぞれの段落ごとに評価することができるようになるからです。例えば、800字の文章を最後まで読んでから評価するのではなく、200字まで読んで第一の評価をし、400字まで読んで第二の評価をするということができるようになります。
更に、ここに自動採点ソフト「森リン」の評価を加えれば、中学や高校でも、毎日、作文の指導ができるようになると思います。
現在の日本の作文教育のいちばんの問題は、作文を書かせる回数が少ないというところにあります。(その反対に、小学校低学年で、作文を書かせる回数が多すぎるという問題もありますが)。この作文教育の隘路を克服するのが、項目作文と構成作文なのです。
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日本の作文教育の特徴は、小学校低学年から作文の指導があるということです。これは、実は世界的にはかなり珍しいことなのです。
日本語は、音声と文字の一致する言語なので、「わとは」「おとを」「えとへ」などの例外を除けば、話す言葉がそのまま書く言葉になります。
例えば、日本語では「おかあさん」という音声は、そのまま「おかあさん」という文字になります。しかし、英語では、例えば「レリビー」という音声から「Let it be」という文字は出てきません。だから、欧米では小学校低学年での作文指導ができないのです。
もちろん、日本における小学校低学年での作文指導にも問題はあります。それは、先の「わとはの区別」のような場面で、読む学習を伴わないまま作文の学習だけを先行させると、単なる間違い直しのための作文指導になってしまうことがあるということです。
さて、小学校低学年で盛んだった作文指導が、日本では、中学、高校になると途端になくなってしまいます。少なくなるどころか、ほとんどなくなってしまうのです。あるとしても、夏休みの宿題として、税金作文や人権作文といった中高生にはあまり興味の持てない課題が出されるぐらいです。
それは、なぜかというと、中学、高校では、先生が生徒の作文を読んで評価するだけの時間が物理的にとれないからです。評価する時間がとれないから、指導する時間もなくなるという関係になっているのです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
言葉の森の作文指導の特徴は、小学校低中学年では項目指導、小学校高学年から中学生高校生にかけては構成指導を中心にしていることです。実は、ここに、日本の中学高校における作文教育の不足を克服するための鍵があります。(つづく)
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